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佐藤優、山川均の護憲論、天皇制 [Book_review]

                                 

雑誌『世界』5月号に佐藤優(外務事務官、起訴休職中)が

 山川均の平和憲法擁護戦略  「新たな共同体」を遠く望んで

という論文を書いている。佐藤は護憲論者なのだそうである。論文の冒頭から引用する:

「護憲論の本質

この5月3日に日本国憲法が施行されて60年になる。過去数年の間に日本の論壇では改憲論が中心となり、護憲派の旗色はよくない。憲法論議を巡っても論者の立場がはっきりしない事例も多い。筆者(佐藤)は、憲法改正問題について議論する際に論者の立ち位置を明確にすることが、論壇における最低限のモラルと考える。筆者は護憲論を支持する。しかも現行憲法の条項には一切、改変を加えてはならないと考えるかなり硬直した護憲の立場に立つ。

憲法改正を巡る議論に関して、筆者はこれまで流通している護憲論のいずれに対しても強い違和感をもっている。まず、憲法第九条を擁護することが、護憲派であるという常識について疑ってかかる必要がある。議論が空中戦にならないように憲法第九条を正確に引用しておく。

<第九条   (本記事では省略する: 古井戸)       >

戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認が憲法第九条の骨子であるが、この条項を断固維持したいと主張する大多数の人々が、本音では天皇制を廃止して共和制にした方がよいと考えているのだと思う。ちなみに筆者(佐藤)は「天皇制」という述語に強い違和感をもっている。なぜならこの述語は1932年にコミンテルン(第3インターナショナル)が発表した「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」ではじめて規定された経緯があり、日本の天皇制をロシア帝国のツァーリ(皇帝)との類比でとらえたもので、日本の国家体制の内在的論理を現すことに成功しなかったと考えるからだ。従って、極力、天皇制という述語を用いずに言説を展開したいのであるが、アカデミズムや論壇において天皇制という述語が一定の市民権を得ている状況で、この言葉を完全に回避することができないので悩んでいる。本稿でもやむを得ず天皇制という言葉を用いる。」

天皇制擁護(国体維持論者)であることはこれまでの著作で明言しているところであるが、9条を含め一字一句変えないという護憲派であるとは意外であった。しかし上記の「天皇制」という語彙に対する違和感はこじつけだろう。もちろん、現在の日本語で「天皇制」といえば明治憲法(大日本帝国憲法)が規定する天皇を戴く国家体制のことである。コミンテルンが何と規定しようと、規定される対象はコミンテルン以前、おそくとも明治憲法が制定されたときには存在したわけだから、この用語に違和感をもつのはヘンテコリンなことである。(用語が存在しないことは、用語によって表現される対象の有無とは関係ない。鎖国は17世紀から取られた方針だが、<鎖国>という呼称は18世紀になって初めて使われ出した言葉だ。現在のわれわれが17世紀の鎖国を鎖国といってなんら誤解は生じない、と同じ理屈であるし、この制度を海外の各国がどう呼称し規定していたかなど、歴史家は別として現代の日本人は考慮するに足りないことだ)。

佐藤は「この条項(九条)を断固維持したいと主張する大多数の人々が、本音では天皇制を廃止して共和制にした方がよいと考えているのだと思う」と言っているが、これはどこで得られた調査結果なのだろうか。私自身は後で述べるが、天皇制を廃止すべきだ(つまり、日本国憲法の第一章、1条から8条までを抹消すべき)と考えているが、これはかなり少数だと思っていた。これに対して九条護持派はほぼ有権者の半数はいるだろう、このほとんどすべてが共和制(世襲制の天皇でなく、元首なり大統領なりを選挙で選ぶ制度、と理解する)を支持しているのだろうか?初耳である。

さて、引き続いて佐藤の文章を引用する。

「日本国憲法は共和制を想定していない。あくまでも立憲君主制である。しかも、大日本帝国憲法第73条の「将来此ノ憲法ノ条項を改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」という改正手続きに基づいて、制定された憲法である。宮沢俊義の1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾した時点で国家体制に根本的な断絶が生じたとの言説(「8月革命説」)は一面的だと思う。形式、手続きは内容と不可分一体の関係にある。大日本帝国憲法の改正手続きを踏まえたという事実が、明治憲法と現行憲法の間の連続性を示すもので、その根本が現行憲法第一条から第八条までで定められた天皇の規定なのだ。護憲の基本は、この天皇制を擁護するということなのである。「何かを守る」という運動はその本質からして保守的なのだ。現行憲法第一条から第八条を含む現行憲法を擁護しようとする運動は、言葉の本来の意味からいって保守的で、天皇制擁護なのである。

現行憲法は占領下に制定されたものである。占領下に制定された憲法を平和条約が締結され、独立を回復した後に再検討するという動きはごく自然のことだ。事実、日本でも1951年のサンフランシスコ平和条約で日本が独立を回復したときに憲法改正問題は論壇における大きなテーマになった」

以上の佐藤の文章にコメントしよう。

1 まず、佐藤の大きな誤りは、用語にウルサイ割りには、天皇制、という用語を安易に使っていることである。天皇制(これは明治憲法の規定する天皇が統べる制度を言う)と、象徴天皇制(戦後憲法の天皇を含む国家体制)を区別しているのだろうか?明治から敗戦までの天皇、と、戦後の天皇は違うのである。したがって同じ呼称で呼ぶのは(佐藤のように意図的、あるいは非意図的に混乱を与える可能性があるから)よくない、と横田喜一郎もその著書『天皇制』で述べているところだ(私のブログ記事、天皇制についてを参照 http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-13)。天智天皇の時代の天皇制、と、後醍醐天皇の時代、斉明天皇の時代、それぞれ、天皇という呼称はあったかも知れないが、天皇制度は異なっているはずである。

2 日本国憲法は立憲君主制であるという物言いは初めて聞いた。佐藤は外国にニッポンの政治制度は何か?と尋ねられたら、constitutional monarchy system であります!と答えるのだろうか?私なら立憲民主制、constitutional democracy system であります!と答える。英国の君主(女王)は現在でも政治にちょっかいを出す(出せる)が、ニッポンの天皇は政治的行為は一切禁じられている。したがって象徴天皇制、というのである。もっと正確に、立憲象徴君主制、とでもいうなら認められようが、ニッポンの政治システムを立憲君主制と言っていては時代錯誤だといわるのがオチである。

3 敗戦時の日本に何が起こったか?新生にして犯すべからざる存在であり、権力の集中した天皇から、主権在民に変わったのである。明治憲法は昭和憲法に<全面改正>されただけではなく(つまり明治憲法を排除)、憲法条文を変更して、憲法制定権力(明治憲法は欽定である)が国民に移行したのである。この種の権力の移行は通常、革命というのだ。(外務省職員はこういうことは習わないのか?)。宮沢俊義の8月革命説のどこが奇異なのだろうか?明治憲法と新憲法を比べれば小中学生でもその革命性が理解できよう。「大日本帝国憲法の改正手続きを踏まえたという事実が、明治憲法と現行憲法の間の連続性を示すもので、その根本が現行憲法第一条から第八条までで定められた天皇の規定なのだ」という言い分はこじつけにしか過ぎない。旧憲法を廃絶するのは天皇しかできないこと。廃絶した後、主権者はいなくなるではないか(憲法が無いのだから)。主権者無しの状態から、新憲法でいう「主権者」を立ち上げなければならない。無から新憲法を作成するのである。この事態を革命というのだ。こういう事態(革命)を想定した手順を定めた<超憲法>などどこにもありはしない。

4 「占領下に制定された憲法を平和条約が締結され、独立を回復した後に再検討するという動きはごく自然のことだ」。一般に憲法(に限らずあらゆる法律)が、社会の動きと共に変更を迫られるのは当然のことだ。文言を変更するまでもなければ、解釈によって時代と社会に適合して解釈運用される。それでも間に合わなければ、そのまま運用すると<違憲>状態が発生するから、改憲の必要が生じる。しかし、占領時代に作られたとはいえ、占領後を睨んで憲法は作成されたのでありたった数年で変更を迫られるような憲法ならいったい何をやっていたの?と憲法起草者、承認者らの能力が問われよう。事実、後で述べるように講和が成った51年にはビックリするくらいの「再軍備」運動が起こったようだ。

さて、佐藤優の文章を続ける:

「ここで平和憲法の維持の論陣を張り、非武装中立論の理論的基礎を構築した山川均(1880-1958)の言説を再検討してみたい」

として、戦前、社会主義者として活躍した山川均の憲法擁護論の検討に入る。

(山川均とは<ウィキペディア>: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%9D%87

   

     山川均@1956            『日本の再軍備』岩波新書、1951

 

山川均の著作は、山川均全集(ケイソウ書房)と岩波新書『日本の再軍備』、あるいは『山川均自伝』、筑摩書房の『山川均集』などが比較的入手しやすいが、いずれも古書店でしか購入できない。

『山川均集』の「平和憲法の擁護」(1951年3月発表)から引用する(これは岩波新書『日本の再軍備』にも収録されている)。山川均は、現実的な安全保障の道を国連に求めている。

「そこでもし、どのような形かで安全を保障される方法がぜひ必要だとしたならば、最善の方法は国際連合によって集団的に安全を保障されることである。わが国の安全という見地からも、世界の平和を維持するという見地からも、特定の国や少数の国々との軍事上の協定に保障を求めることは、最も好ましくない。国際連合の現状は決して肯定されるべきものではない。国連の保障は万全という意味で最善なのではないが、げんざいそれにまさる方法を見出すことができないより善き道だという意味で、最善の道である。このような国際連合の現状は、決して予期された機能を満足に果たしているとはいわれないが、国連が名目的にもせよ世界平和機構として存立している以上、わが国は --なんらかの方法で安全を保障される必要を認める限り -- 国連に保障を求めるほかないとおもう。

もっとも国連に加入すれば、集団安全保障の目的のための軍事上の義務を分担することになる。そのためには軍隊をもつ必要がある。しかし私は、国際連合に向かって、戦争の放棄と非武装主義の憲法をもったままでわが国の加入を認めることを要求すべきだと思う。あるひとは、虫のいい要求だというかもしれない。こういう人たちは、日本が現在の国際関係のうちにそのような立場を守ることこそ、日本が世界の平和に貢献しうる唯一の道だということを、理解しえぬ人である。憲法によって交戦権の放棄と非武装を世界に宣言した日本は、堂々とこのような要求をする道義上の義務があると思う。いったい現行の憲法は、日本の国民みずからの意志により、みずからの選択によって制定したものにはちがいがないが、同時に、それは連合国の占領下に制定された憲法であって、連合国の意志に反して制定されたものではない。それどころか、すくなくともそれが戦争の放棄と非武装主義を宣言した点では、世界における最もすぐれた輝かしい憲法として、全世界の民主主義国から賞賛された憲法である。そのときからわずかに五年をへた。いかに情勢に大きな変化があろうとも、この光輝ある憲法が紙クズカゴに投げこまれなければならないほどの、それほどの価値と原則とをテン倒させる変化があったとはいわれない。日本が世界最初の非武装国家を宣言したことは、ひとり日本国民の誇りだけではない。この新しい型の国家を生みだしたことは、平和を愛好する全世界の国々にとっては、戦争の犠牲によって収穫した貴い歴史的な成業なのである。国際関係の現状のもとで交戦権の放棄とあらゆる目的のための軍備の放棄を宣言した憲法を採用することは、思いつきやおもしろ半分にできることではない。われわれ日本の国民は、異常の決意をもってこの憲法を守りぬく責任がある。と同時に、世界の民主主義諸国もまた、異常の決意をもってこの歴史的成業を擁護しなければならない。このように日本の要求に答えて、国際連合は日本を非武装地域とし、この非武装地域の侵犯にたいしては、国連の集団的な保障を約束すべきである」(山川均集、平和憲法の擁護、p369-370)

「日本再軍備の問題は、第一には、原則として、独立国家というものは自衛のための軍備をもたなければならないものであるかどうかという問題ではなくて、民主化にたいする反動の作用がすでに現実にあらわれているばかりでなく、講和の成立を転機として、この形勢が急転直下の勢いで進展するにちがいないげんざいの段階において、かつての国家主義軍国主義の思想と人間的要素とを復活させ、反動主義に焦点を与える危険のある軍隊をつくるべきかどうかという問題なのである。私は、あらゆる侵略にたいして、日本を衛る熱意をもっている。けれどもわれわれが熱意をもって衛ろうとするもの、われわれが衛るに値する日本は、天皇の日本や軍国主義の日本ではなくて、民主主義の日本である。民主主義の防衛をはなれて、日本の防衛を考えることができない。私はどのような条件とどのような情勢のもとでも、日本はどのような性質の軍隊をももってはならないという原則を、いま主張しようとしているものではない。しかし、すくなくともげんざいの段階とげんざいの情勢のもとでは、反動思想の侵略にたいして民主主義日本を衛ろうとする熱意をもつものは、再軍備に反対しなければならぬ。もしわれわれが日本の民主主義を、平和憲法の擁護という一線で衛ることができないなら、われわれはついに、おそいきたす反動の波をくいとめることができないで、もういちど、反動勢力のまえに屈服するほかないだろう」(p385)。

佐藤優は、山川の文章にかなり凝った解説を加えているが、この文章は当時の平均的国民なら理屈無しに訴えたろうし、当時の情勢(戦争終了後わずか、6年しかヶ生かしていず、この年は、サンフランシスコ講和会議のとしであったこと、さらに、朝鮮戦争の真っ最中であったこと、など)を考慮すれば現在の日本にも翻案可能であろう。

朝鮮戦争:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

 佐藤優『国家と神とマルクス』(太陽企画出版)のなかでは、

第V章 国家という名の妖怪、という白井聡(一橋大学大学院社会研究科博士課程)との対談がおもしろかった。80頁におよぶ長編対談である。

佐藤の発言で同意したところがある。p194

「。。日本国憲法を押しつけだというなら、大日本国憲法はそれ以上に押しつけだということですよ。どこまでが内発的で、どこからが外発的かということを考えるのはあまり意味が無いことだと思います。私たちは洋服を着ているでしょう。これだって、内在的なのか外発的なのかわからない」

そのとおりだ。個人レベルで言えば、この世に生まれたのがたまたまニッポン(あるいは anywhere, any country...)であるだけであり、生まれた個人が成人して、その国の憲法なり、あるいは共同体、家族、社会を、どのように受け入れるか(内在的か、外発的か。。)は、個人の個性と社会の教育、それに制度そのものによ決まることである。

p187で佐藤はこう発言している。

「。。私は、日の丸、君が代は日本国家のシンボルとして大いに結構と考えます。故に、法制化には絶対反対です。なぜなら、法律で決めるものは法律で変えられるからです。日の丸や君が代を法制化するという発想が誤っていると考えます。国旗、国家というのは日本の伝統に属するもので、文化なのですから、それを法制化すること自体がカテゴリー違いなのです。こういう議論が国旗、国家法制化に対するいちばん有効な反対論になるとおもいます。

 本来、右派、国家主義陣営から、法制化なんかによって窮屈にされるのはわが国体に反するという議論を展開する論客が出てくればよかったのに、そういう声は大きくなりませんでした。。。云々」

同じことが、天皇にも言えないか?天皇は伝統であり文化である。日本国憲法の第一条は、

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.

つまり、主権在民の権力構造下で、国民の支持が無くなればその地位もなくなるという現在の象徴天皇制として憲法に規定するのではなく、民間人として伝統を維持するのが安定した天皇制度である、ということなのだ(茶道、の家元と似たようなもの)。つまり、明治以前に 復古、すればすむことである。基本的人権もなく、さりとて、実質的意味のない国事行為だけを義務づけられ、伝統とは縁もゆかりもなく、明治になってアタフタと新規設計された神祇項目をこなすだけのルーチン職務からいい加減解放してくれ、と本人達が思っておられるのではないか。

 

わたしが唯一真っ当な天皇論と考えているのは社会学者橋爪大三郎が2005年5月30日朝日新聞夕刊に<女帝議論のために>発表した 『血統より存続願う伝統』<「万世一系というトリック」 皇族の人権  尊重を> と題する短文である。 以下これを抜粋・引用する。

##

わが国の天皇システムは、王権の一種である。

王権とは、王がいて、人びとを(たとえ名目的にでも)統治し、その地位を血統によって世襲するものをいう。世襲はそれなりに厳格なルールに従う。

なぜだろう。それは、つぎに即位できる人間を、王の近親者ごく少数に限っておかないと、人びとが納得しないからだ。王の血統は尊い、だから王子は次の王にふさわしい(誰でも王になれるわけではない)、という観念がこれを補強する。

この結果、王の血統は、しばしば断絶する。

即位できる人間の範囲を広げても、女王の継承を認めても、断絶を防ぐことはできない。そもそも、王位を継承できる人間を、王の近親者ごく少数に限るのが王権だからだ。

イギリスを例にあげても、王朝が何回か交代した。これは、人びとが王権をないがしろにしたからではない。むしろ、王権を承認し、王の血統を尊いものと考えた結果だ。王の血統を尊いと考えるから、ふつうの誰かを王にできないのである。

では、王朝が断絶したら、どうすればいいのか。

よくある方法は、よその国の王(または王族の誰か)を連れてきて、新しい王になってもらうことである。あちこちに王家があった時代は、こういうことがやりやすかった。国内にやんごとない血統の貴族がいたら、貴族に頼んでもよい。

王朝の連続性が途絶えても、統治される側の国民の連続性が保たれていれば、問題ない。これも王権のあり方なのだ。

<柔軟性もつ継承ルール>

さて、これらを踏まえて、天皇システムを考えてみると、どいうなるのだろうか。

まず、明瞭な王朝の断絶(交代)がない。これは、継承のルールがかなり「柔軟」に適用されてきたことをいみする。たとえば、天皇にはふつう妻にあたる多数の女性がいて、誰が産んだ子も皇位を継承できた。教会が認めた正式な結婚の子でないと、王位を継承できないキリスト教圏とは違う。また女帝も決して一時しのぎではなく、皇位継承の選択肢のひとつだった。

王朝が断絶しないのは、誰が天皇になるべきかについて、厳重な規則がないこと、つまり、誰であれ天皇が続いてほしいと人びとが願ってきたことをいみする。裏を返せば、天皇の血統そのものを尊いと考えているわけではないのである。

この伝統を、明治政権は「万世一系」とよび換えた。皇室典範では女帝も禁じた。継承のルールがあいまいでだらだら続いてきただけのものを、あたかも西欧の王家のような男系の血統が伝わってきたと見せかけるトリックである。日本人自身もこれを真に受けてしまった。

いまの皇室典範は、ルールが明確だ。だから、適当な皇位継承者がいなくなる「お世継ぎ問題」が起きる。では女帝を認めることにしようかと、人びとはあわて始めた。「誰であれ天皇が続いて欲しい」という、昔ながらの発想である。

<共和制移行の選択肢も>

天皇の血統が断絶して何が問題なのかと、私は言いたい。

天皇システムと、民主主義・人権思想とが、矛盾していることをまずみつめるべきだ。

そもそも皇族は、人権が認められていない。結婚は「両性の合意」によるのでなく、皇室会議の許可がいるし、職業選択の自由も参政権もない。皇族を辞める自由もない。公務多忙で、「お世継ぎ」を期待され、受忍限度を超えたプレッシャーにさらされ続ける。こうした地位に生身の人間を縛りつけるのが戦後民主主義ならそれは本物の民主主義だろうか。皇位継承者がいなければ、その機会に共和制に移行してもよいと思う。

日ごろ皇室を敬えとか、人権尊重とか主張する人びとが、皇族の人権侵害に目をつぶるのは奇妙なことだ。皇室にすべての負担を押しつけてよしとするのは、戦後民主主義の傲慢であろう。皇室を敬い人権を尊重するから、天皇システムに幕を下ろすという選択があってよい。

共和制に移行した日本国には天皇の代わりに大統領をおく。この大統領は、政治にかかわらない元首だから、選挙で選んではいけない。任期を定め、有識者の選考会議で選出して、国会が承認。儀式などの国事行為を行う。また皇室は、無形文化財の継承者として存続、国民の募金で財団を設立して、手厚くサポートすることを提案したい。

## 橋爪論文、引用終わり。

わたしが天皇制にこだわるのは憲法第九条の維持と天皇制が密接に関係するからに他ならない。1978年に退任をせまられた元統合幕僚会議議長・栗栖弘臣は2000年、『日本国防軍を創設せよ』で、わが国の軍事的安全保障について、改革すべき要点16項目の第一として、

(1)天皇との距離を縮める

を挙げていることからもわかるように、けして「国民との距離を縮める」のではない。戦前と同じように軍人は天皇の権威の利用して国民の統制を図っているのである。

佐藤優が引用した山川均の論文『平和憲法の擁護』(1951年8月)から別の箇所を引用する:

「敗戦によって軍隊は解体され、軍閥は解消され、軍人は追放されて、政治上社会上の活動の表面からは姿を消した。しかし、これで日本の国家主義と軍国主義、愛国主義とが死滅したわけではない。70年の長きにわたって国民の信仰にまで完成されていた国家主義、軍国主義、忠君愛国主義の精神が、わずか5年のあいだに清算されるものではない。それらのものは、閉息はしているが死滅したのではない。そして終戦後5カ年間のお仕着せ的民主主義は、国家主義・軍国主義・愛国主義の復活に対する保障となるにはたりないものである。げんざい多数の国民の頭のなかに眠っているこれらの信仰と、5年間につぎこまれた民主主義の精神と、どちらが強いかと聞くほど、ばかばかしい問いはない。

国家主義、軍国主義、忠君愛国が「思想」として「精神」として潜在しているばかりではない。それは生身の人間として残っている。かつては日本の国家主義の勢力を形成していた人間の要素 -- 一外国記者が朝鮮の戦線に利用せぬという手はないと論じた、日本のもつ豊富な戦争と技術と経験 -- は、大部分がそのまま残っている。いま日本が軍隊をつくるとすれば、国家主義、軍国主義のこれらの2つの要素を利用することなしには、とうてい不可能である(注)。日本が再軍備するということは、かつての国家主義と軍国主義との眠っている要素をふたたび活動状態によびさますこと、この潜在的な国家主義と軍国主義とを、もういちど現在勢力に復活し転化することにほかならぬ。

(注)その後、事態はどうなったろうか。最近に吉田首相が、「アジア諸民族を率いる」日本の「新国軍」の準備であることを明らかにした保安隊 -- この偽装の軍隊 -- の幹部幕僚は、その大部分が職業旧軍人の起用によって満たされた。」 

最後の(注)は、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』も述べていることだ(たとえば、厚生官僚による靖国神社コントロール)。

いくらなんでも、戦後60年も経っているのに<戦前思考>が自衛隊をゾンビのように支配するだろうか?首相をはじめとする二世三世議員は立派に戦前思考の持ち主であるし、そもそも、過去に対する記憶も記録も抹殺しようとする精神の持ち主には、何十年の年月の経過など無きに等しい。佐藤優はこういうことにはまったく安心しきっているようである。

なお、栗栖は改革すべき項目の第四項に

自衛隊は国防軍とせよ

をあげて、

「重大な国防に挺身する部局を単なる総理府内の「庁」に留めるのは、自衛官に対する軽視である。野党民主党代表の鳩山代議士だけは、自衛隊の性格を「軍」と明確に規定すべきだとはっきり言明しているのに、与党政府は何を考えているのか」

と、鳩山を持ち上げている。与党・野党の境界など、二世三世議員には、あって無きがごときもののようである。

 

関連記事:

天皇問題
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-13
日本国憲法の誕生

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-05-13

「戦後天皇制は可能か」 渡辺京二あるいは北一輝の天皇制論
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-05-20-2

岸田秀の押しつけ憲法論(あるいは反押しつけ憲法論)
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-06-14-1

佐藤優『日米開戦の真実』
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-06-14


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コメント 4

喜八

トラックバックありがとうございます。
しばらく前から「So-net」利用の方にTBがまったく通りません。
コメント欄での挨拶で失礼します。

「佐藤優さんの護憲論2」
http://kihachin.net/klog/archives/2007/04/satougoken2.html
by 喜八 (2007-06-01 20:30) 

forza!新風!

TBありがとうございました(遅れて申し訳ありません、汗)。
同ブログエントリー大変、勉強になりました。
by forza!新風! (2007-06-21 22:54) 

NO NAME

共感するところが多い記事でした。
タイプミスをみつけました。 「新生にして犯すべからざる存在」
by NO NAME (2007-11-14 20:20) 

古井戸

>タイプミスをみつけました。 「新生にして犯すべからざる存在」

ご指摘、有り難うございます。
現在、so-netの編集機能不具合により修正できません。
治り次第、変更します。 ー> 神聖にしておかすべからざる存在

by 古井戸 (2009-12-16 13:11) 

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