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米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』 書評 [Book_review]

                        

2006年(昨年)5月25日に卵巣癌により56歳で亡くなったロシア語通訳者米原万里の遺著、書評集である。文藝春秋社、発行。週刊文春書評が、本書第一部300頁を占める(2001年から2006年5月18日号まで)。本書後半の200頁は、週刊文春以外の新聞雑誌に書いた1995年以後の全書評を収録している。 週刊文春の書評は原稿用紙12枚前後。数冊を書評しているから一冊当たりは2~3枚であろうか。週刊文春に発表した書評の長さは200文字から数枚までさまざま。アウトプットすることを意識しながらの高速リーディングを1995年~2006年の10年間続けたわけだ。 紹介される本は幅広いジャンルから、。。文学、ノンフィクション、辞典事典、。。からおおよそ300冊、胸躍るブックガイド。

朝日新聞2006/6/6の追悼記事で、米原万里から「師匠」と呼ばれていた徳永晴美(上智大教授、男性)は次のように米原万里を紹介した:
「チェコスロバキアに派遣された父親のもとで在プラハ・ソビエト学校に5年間通った彼女はきれいに響くロシヤ語を身につけた。帰国後、東京外大から東大の大学院修士課程を経て職探しを始めた。だが、共産党幹部の娘。就職先は見つからず、しばらくは、日本とチェコとソ連のメンタリティーのハイブリッドとして漂流していた。その頃だった。廃刊寸前のロシア語学習誌の編集ボランティアとして彼女が僕の仕事部屋に無料原稿の執筆を頼みに来た。20代後半の妖艶な彼女に圧倒された僕は、すぐに外の喫茶店へと連れ出した。そこで「仕事が見つからないの」と話す彼女に、「通訳をやろう」と誘った。
(略)
「情報の核」を大胆に抽出する米原流の通訳は、我が国マスコミに重宝がられた。
(略)
心の色彩陰影が幅広いひとだった。それが作品にも滲み出た。
(略)
万里ちゃんは、よく「あらゆる職業を疑似体験できるのが通訳の訳読」と話していた。」
「通訳で活躍しながら集めた豊富な「異文化交流ネタ」を痛快なエッセーにしたためて、次々と賞を授与された。ユーモリストで、自虐自嘲を好んだ万里さんは、「通訳でお金を貰って、そのとき見聞きしたのを本にしてまた貰って、一粒で二度以上おいしい」と笑っていた」
##

『打ちのめされる。。』には米原万里の妹の夫君、井上ひさしによる解説が付いている。抜粋しよう。

「書評は手間暇はかかる、稿料はやすい。。。よほどの本好きでないと続かない困難な作業である。

通訳生活を長く続けているうちに、彼女は透明でいることに耐えられなくなり、その反作用として、書評家という名の堅い岩石になるのを好んだのではなかろうか。

大事なのは、彼女の文章が、いつも前のめりに驀進しながら堅固で濃密なことだ。別にいえば、文章の一行一行が、箴言的に、格言的に、屹立している。

。。。(本書は)活用次第では、丸谷文学や大江文学への案内書にもなり、犬や猫の飼育入門書にもなる。通訳という名の透明人間をつづけながら、米原万里は膨大な知識と知見を貯え、そして思索を練っていたのだ。そのすべてがこの一冊に噴出している。」

わたし(古井戸)は、2000年頃から、週刊文春の書評欄を読みはじめた。立花隆が(一月に一度当番が回ってくる)書評をしていたからだ(立花以外の書評はパス)。2001年、米原万里が登場した頃、おいおい米原は通訳だろう?出しゃばりすぎないか?と心配していたのだが、書評の内容の鋭いこと、中身の濃いこと。そのころから立花の取り上げる本はゲテモノ趣味に傾きはじめていたので、わたしは、米原万里の月一度の書評をたのしみにした。





枝葉を棄て、幹をむんずと掴み、別の言語で再生する。Interpreterの神髄である。おどろくなかれ、読めば理解できる日本語。エンタテメントにして、知ることのよろこびを味わわせる。本書の魅力を箇条書きにしてみよう。

■取り上げる本のジャンルの豊富さ。米原の経歴からもわかるように東欧、ロシア事情に強く、この地域の歴史文学政治事情が頻繁にとりあげられる
■前著(遺作)『他諺の空似(ことわざ人類学)』にも顕著であるが、彼女の放つ痛烈な時事評論。
■週刊文春には発表時<私の読書日記>とタイトルを冠している。これは書評であると同時に<日記>でもあるのだ。本を語ると同時に、米原万里という人間そのものを吐露している。米原という小説家を志す(事実、小説も書いている「作家」だが)ほどの言語感覚と鋭い感受性を備えた個性の、日々の生活と思考をわれわれは目の当たりにする(ことに、亡くなる3ヶ月前からの3回分は読書日記は、闘病日記に切り替わっている)。

『他諺の空似』(光文社)http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-09-04の前書きとして作家・阿刀田高はつぎのように書いているが、これはこのまま本書にも通用するだろう:
「。。。このエッセイを読むと。。なにより米原さんの外国語への知識に圧倒されてしまう。そして、それがどんどん比較文化論へと傾き、国際政治、ブッシュ大統領批判、日本政府への苦言、ありうべき未来社会へ、と、米原節がどんどんよくなり冴えわたる。凡庸なことわざ解説をはみ出して、
 -- 米原マリィ、ここにあり--
まちがいなく社会にサムシングを訴えてやまない現代の警世家のエッセイとなっている。」

『他諺の空似』は月刊誌『宝石』への連載をまとめたものである。その<警世>的エッセイの一部を紹介(最終回『終わりよければ全てよし』p285から):

「ところが、ここのところ、アメリカという名の勝者の忠実なる飼い犬役を嬉々として演じ、アメリカ系金融外資と財務相=銀行の使い走りを健気に演じている小泉&竹中売国奴コンビは、首尾一貫して銀行業界には公的資金を惜しみなく提供し続けてきたし、郵政の潤沢な資金を外資と銀行業界に売り渡しつつある。こうして郵便貯金という庶民の確実な貯蓄手段は奪われ、国民を多国籍保険会社の餌食にすべく健康保険制度と年金制度は壊滅させられてしまった。このままいくと、圧倒的多数の日本人の老後は惨憺たるものである」しかし、。。
「もっとも、国力が衰弱していくのは、悪いことばかりとは限らず、「憲法が変わって集団自衛権が入り、戦争できる国になったけれど、実際のところいまの日本に戦争をする力はない。一度は核兵器を持ったけれど、結局、維持管理する費用が高すぎて、こっそり第三国に売ってしまった」というどんでん返しになりそうである。何事も最後までわからないものだ」。。と皮肉も忘れない。(万里さんが生きていたら、安倍首相就任後3ヶ月をなんと評するだろうか?)

さて『打ちのめされるようなすごい本』。
上述のように、米原のとりあげる書物のジャンルは驚くほど広い。これは通訳としての職業上の必要(クライアントが放つ、どのような話題にもフォローせねばならない)というより、職業を離れた人間米原万里の関心の赴くところ、自由に新刊、旧著を巡り歩いた、というのが事実だろう。事典、辞典、民族史、文学史、スポーツ、宗教、日露領土問題、魏志倭人伝、ホロコースト、恋愛小説、自己責任、魏志倭人伝、戦争犯罪、犬の科学、農業と食の問題、チェチェンという地獄、メディアと個人の良心、女性蔑視発言、血液浄化装置、作家の収入、霊柩車の考察、建築の歴史、象徴天皇制、下山事件、情報分析官(佐藤優)、翻訳者と作品。。。目次から拾ったキーワードである。分野の広さが想像してもらえよう。

わたしの現在の関心からすれば、外務省職員(現在休職中)、佐藤優氏の二著、『国家の罠』と『国家の自縛』の米原評(いずれもこの本に収録されている)が気になるところ。とくに、米原と佐藤優には交流があった、と知った後、ますますその書評の落差(佐藤優『国家の罠』への絶賛、と、次作『国家の自縛』への痛烈な批判と)が興味深い。これはブログに別記事として書いた。とくにこのブログ記事に寄せられたコメントで、2005年末に佐藤優が雑誌『新潮45』に掲載した米原万里とのやりとりを描いていて興味深い。是非ブログ記事の参照を願う。http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-12-18
佐藤優『国家の罠』を2005年のベストスリーに入れた米原万里も佐藤の次作『国家の自縛』には厳しい評価を下している。これだけは引用しておきたい。『打ちのめされるようなすごい本』 p290-291。
「『国家の自縛』は。。。佐藤の限界というか佐藤自身の「自縛」状態も顕在化させている。
(略)
外務省には絶対に戻らないと言い切る佐藤が(古井戸注:『獄中記』では、判決後、外務省は、佐藤(現在休職中)を懲戒免職にするだろう、と何度も述べている)「現職の内閣総理大臣を全力でサポートしていくってのが役人の仕事ですし、それが国のカネで育成された専門家としてのあり方なんですよ。そのモラルを崩したくない」と述べて、小泉批判を自重し、靖国参拝からイラク派兵までを正当化するくだりは、上滑りで説得力がない。
国=現政権と自動的に受け止める役人的思考回路が自由闊達な佐藤の思考を、そこの所だけ停止させていて勿体ない。佐藤は首相がヒットラーでも忠実に仕えるつもりなのか。また国家権力に寄り添って生きた惰性なのか、権力者や強者の論理にとらわれすぎていて国内的にも国際的にも弱者や反体制派の視点が完全に欠落している。公僕は、まず誰よりも僕(しもべ)で「国のカネ」は国民の税金であり、憲法と現法体系に忠実であるべきだ。それに、作家は、自身の見解を率直に偽りなく語るべきで、権力者におもねったり遠慮したのでは、言葉が力を失う。それとも佐藤は、まだ役人生活への未練があるのか。 」
これは『国家の自縛』に対する米原万里の書評だが、私には『獄中記』を含む、佐藤のすべての本に該当すると思える(わたし=古井戸、は『国家の罠』も評価しない)。

まず、この著作でもっともすぐれた<書評日記>である2002年2月28日の週刊文春に掲載された<打ちのめされるすごい小説>をとりあげたい(『打ちのめされるようなすごい本』という書名は、この できすぎた 書評日記から取られている)。これはネットで全文が読める。
http://www.impala.jp/bookclub/html/dinfo/10303502.html

米原の知人で小説家のHから1年前に紹介された米国の人気ミステリー作家トマス・クックの『夜の記憶』を、まず紹介する。「重層的な構成といい、緻密な細部といい、たしかにHが感心するだけのことはある。しかし、「もう書く意味がない」ほどの傑作かというと、いや、同じように現在と過去を絶え間なく往復する構造ながら、もっと打ちのめされるようなすごい小説を、しかも日本人作家のそれを読んだことがあるような・・・・・・それが何だったのか思い出せないもどかしさを抱えたまま、トマス・クックの最新作『心の砕ける音』(文春文庫。文春へのキクバリかい、万里ぃさん!)を手に取る」。そして、「物語が佳境にさしかかったところで、アッと叫びそうになった。例の日本人作家とその作品を思い出したのだ」!!!

その作品とは、丸谷才一の小説『笹まくら』(昭和41年7月河出書房)である。

 新潮現代文学、丸谷才一集

笹まくら、とは、草枕と同義。大辞林によると「[草を束ねた仮の枕、の意から]旅。旅寝。くさのまくら」。新潮社の<笹まくら>案内に寄れば、「…旅寝…かさかさする音が不安な感じ…やりきれない不安な旅。戦争中、徴兵を忌避して日本全国に逃避の旅をつづけた杉浦健次こと浜田庄吉。20年後、大学職員として学内政治の波動のまにまに浮き沈みする彼。過去と現在を自在に往きかう変化に富む筆致を駆使して、徴兵忌避者のスリリングな内面と、現在の日常に投じるその影をみごとに描いて、戦争と戦後の意味を問う秀作」。

米原に寄れば、。。。

「書き言葉の日本語は、これほど柔軟で多彩で的確な表現が可能だったのか。丸谷の筆によって描き出される状況も人物たちも、悲惨で深刻であるとともに滑稽で矮小で、作品内の随所で笑わせてくれる。この人間たちの入り組んだ内面に翻弄された後は、ミステリー畑では抜きんでて細やかなはずのクックの文章の肌理が可哀想になるぐらい粗く感じられ、登場人物たちが仰々しく単細胞に見えてくるのだから、罪作りではある。」

人気推理作家トマス・クックを 前座に使った、このできすぎた構成の<書評日記>。(『笹まくら』を思い出せないなんてありえない。。。万里ぃの意図的な演出としかおもえない。。)

わたし(古井戸は)は、70年代のはじめ、学生時代、講談社文庫でこの小説を読んだ。殆ど印象にないが、徴兵忌避者の、重苦しい人生、としか記憶に残っていなかった。米原万里はこの小説の主人公、浜田庄吉が得た結論、「国家の目的は戦争だ」を追体験し、現代の問題と考えているのである。

この小説は時間を反転して終わる。主人公浜田が、徴兵忌避を決意し、名前を、杉浦健次に変えて、逃亡の旅に出向くところで終わるのである。

米原万里は遺作『他諺の空似』の最終ページ(<終わりよければ全てよし>)でこう言っている。「小説だって、たしかに<最初が肝心>で、初めの十頁までで読者の心を掴まないと、最後まで読んでもらえる可能性は低いが、最後の終わり方が尻切れトンボでは、読者に満足感を与えられはしない。丸谷才一は「日本の小説は終わり方が下手だ」と指摘しているが、純文学作品にはそれが顕著である」

丸谷才一『笹まくら』の最後を引用する。浜田庄吉が徴兵を忌避して名前を杉浦健次に変え日本各地に放浪の旅に出立する、という逃避行の発端を著者は小説の最後に置いた:

「杉浦はタクシーをとめ、東京駅へやってくれと頼んだ。運転手は「紀元は二千六百年・・・・・」と鼻唄で歌いながら車を走らせ、途中、鳥打帽の客が万世橋のへんで、細かくちぎった紙を前から捨てるのをバックミラーで見た。そして杉浦は思っていた。あの国家から来た呼び出しの手紙も、こういうふうにして捨てればよかったかな。しかし、おれはもう彼ではない。呼びつけられ、闘い、そして死ぬ、あの従順で善良な彼らのなかの一人ではない。彼らには彼らの、共通の運命がある。その共通性が、彼らの運命をいたわってくれるだろう。祝福してくれるだろう。そしてぼくにはぼくの・・・・・・孤独な運命がある。ぼくはその運命を生きてゆくしかない。おれは自由な反逆者なのだ。
 車が淡いたそがれの東京駅に着いた。彼は宮崎ゆきの切符を財布から出し、改札口を通った。さようなら、さようなら。彼は二列に並んでいる長い行列の末尾につき、貧しい身なりの群衆のなかの一人となって待った。さようなら、さようなら。行列が進み出し、駅員が叫び、そして人々は走り、彼もトランクをさげて走った。さようなら。しかしそれが何に対する、どれほど決定的な別れの挨拶なのかは、二十歳の若者にはまだよく判っていなかった」

新潮文庫『笹まくら』の解説で、川本三郎はこの<最後に始まりがきている>ことの意味を、「丸谷才一は、浜田庄吉に旅をさせ、そして、もう一度、あの魅力的な阿貴子に会わせたかったのではないか。そう考えるとき『笹まくら』は、未完に終った悲しい恋の物語としてもみごとに立ち上がってくるのである」と言っている。が、わたしには、丸谷が、三十年後、四十年後のニッポンを見据えて、三十年後、四十年後の読者に、<国家の目的は戦争だ>と浜田と共に警告しているとしか思えない。浜田庄吉は、徴兵忌避を選択して過去を捨て、放浪の旅に出た。読者よ、きみたちは、どうするか?この作品がかかれた30年前より、いまこそ、この問いは切実である。いや、国家がなくならない限りこの問いはつねに切実な問いでありつづける。この小説から切実な問いを受け止める米原万里に共感せねばこの書評集は受け入れにくいだろう。この書評集に紹介された三百冊のうち米原万里が<打ちのめされ>た本は『笹まくら』だけなのだ。(すなわち、米原万里が生きておれば、この書評集に、『打ちのめされるようなすごい本』などというタイトルをつけるわけがない。この小説こそ若き彼女が、自身の家庭と、国家を重ね合わせながら、息を詰めるようにして読み込んだ小説であるに違いなく、<打ちのめされるような>とは彼女がこの小説だけに捧げた唯一無二の形容であるはずだからである。編集者がこんなタイトルを提案したら「ば~か。あんた、何、考えてんの!」と米原に一喝されたろう)。

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2001年8月2日の読書<日記>のエピソードも、忘れがたい。
この年の6月2日、米原はロシアに旅をした。そのときたずねた、プラハの小学校時代の同級生がひどく落ち込んでいたので、元気付けるため彼女に日本への往復チケットをプレゼント(6万円)し、彼女を米原の家に滞在させたおりの話である。その友だちは大江健三郎の大のファン。米原は大江文学作品の解説を求められたがなかなか納得してもらえない。結局、新しい大江作品『取り替え子 チェンジリング』(大江の義兄である映画監督の自死を扱った作品)をロシア語に<口頭翻訳>して彼女に聞かせる破目になり、途中、二人で何度も議論しながらこの口頭翻訳は進行した。小説中、妻の視点で書かれた箇所では、米原と友人、何度も二人で涙した。さて、二週間かかって米原の口頭翻訳が終了した後、その友人は、夫が自殺したことを米原に明かしたというのである。

「歴史学者だった夫はソ連邦崩壊という環境の激変に精神的についていけなかったのだろうと周囲は一般的説明をつけようとする。そんな簡単に片付けないで欲しい、と思う一方で、彼女自身、山のようにたくさんの疑問を残していった夫の自死に早く決着をつけようとした。けれど、間違いだった。どんなに時間がかかろうと、亡くなった夫と対話していこうと思う。それを『取り替え子』は教えてくれた。そう言って、彼女は帰っていった。」p54。

このエピソードには呆然とする。米原の友人に対する友情。友情に答えて、納得するまで、とことん何かを求める米原の友人。この真率な交際は書評の枠を超えてわれわれに迫る。語学の才能に加え、米原に文学的才能、友人への、人間へのそして文学への深い愛情がなければこういう体験も、日記も、そして書評も、結実しまい。2001年のある二週間、米原万理の自宅で進行した魂の交流を想像し、わたしは感動した。書評日記、とは、<書評>と<日記>の混成物。書物と著者への愛と、深い人間理解をもった人物でなければこのようなエピソードが生まれることはない(日本といわず世界で何人の人間にこのようなエピソードが生まれ得ようか?)。このあと米原は翻訳作業について述べ、このエピソードを締めくくる:

「彼女の久しぶりに晴れ晴れとした笑顔を見て、これはもしかして、翻訳のあり方の理想の形なのではないか、と思えてきた。本が書かれた言葉を母語とする者と翻訳される言葉を母語とする者の共同作業があって初めて十全な翻訳が可能になるのではないか」。

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さらに、もう一冊紹介したい。2001年5月24日、p36~39、に米原はロシア18世紀の激動期を生きた思想家アレクサンドル・ゲルツェンの長大な自伝『過去と思索』(筑摩書房、全三巻、各9800円!!)をとりあげ、熱烈紹介をやっている。ゲルツェンのこの長編、実は私も好きで古書で取り寄せ(筑摩書房、世界文学大系、82-83。これは抄訳、といっても全体の85%を収録している)、ときおり目を通す。ただ、あまりに長編、いまだに通読していない。

 世界文学大系『ゲルツェン1,2』 筑摩書房

ゲルツェンはマルクスやエンゲルスと同時代人。政治的には双方は対立し親交はなかった。翻訳者金子幸彦によれば、マルクスはロシア語をこの『過去と思索』から自習した、というからおもしろい。金子によると『資本論』初版の注にあった ゲルツェンに対する当てこすりも、第二版以降では削除されている。 さて。。ゲルツェンとはいかなる生涯を送ったのかはWeb記事があるから読んで貰いたい。
http://www.asahi-net.or.jp/~wu3t-kmy/2_gerzen/gerzen.htm
米原万里はこのゲルツェン「自分史」を読み出したら止まらない、と、三頁にわたって紹介した。その最後の記述を引用する:
「わたし(米原万里)がたまらなく惹かれるのは、以下のようなくだり。『コペルニクスの太陽系の分析的解明』という論文を書き、優秀な成績で卒業したゲルツェンは、そのときの指導教官で天文学界の第一人者だったペレヴォシチコフ教授と卒業後、食事をする機会があった。教授は、ゲルツェンが天文学を続けなかったことをさかんに惜しむ。「でも誰でもかれもが、先生の後について天に昇るというわけには行かないでしょう。わたしたちはここで、地上で、何かかにか仕事をやっているのです」と答えるゲルツェンに教授は反論する。
「どんな仕事ですか。ヘーゲルの哲学ですか!アナタの論文は読ませていただきました。さっぱりわかりません。鳥の言葉です。これがどんな仕事なものですか」

鳥の言葉。何といいえて妙なのだろう。人文系の学問に携わる人々の言葉が、恐ろしく難解になっていく一方で、一日平均30語で事足りている若者たちの群れ。この二者間の距離は絶望的に隔たるばかりで、同じ民族どころか、同じ人類とも呼べない状況になってきている現実は、同時通訳として、あれこれの学会の通訳に動員されるたびに、思い知らされている。でも、150年前のロシアでもそうだっのかと思うと、悲壮がってた自分が可笑しくなる。」

どうだろう?米原の批評日記は、寄せて、返す。寄せ=書物の批評の直後、返す波=おのれの職業(通訳)や取り巻く文明に対する厳しい批評が後を追う。自分を客観視する眼がある。

一日平均30語で事足りている若者たちの群れ。。を<一日平均xxx語で事足りている翻訳者の群れ>と読んだ私(商売=翻訳業)は背筋がサブクなった。

##

2006年に入ってから、米原の病状は末期に入っているようである。2006年2月、3月、4月の書評日記は<癌治療本を我が身を以て検証>と題した闘病記である。さまざまな癌治療(治療不要)本が紹介され(トンデモ本も含め)、米原はこれぞとおもう数々の治療法をおそらく藁をもすがる気持ちで受けている。5月18日付の最後となった読書日記の、治療体験を記した、最後の数行を引用しよう。

「。。(治療の)効果に疑問を持った私は、治療直後の検査を依頼した。すると、34.1%、2302とわずか30分以内にリンパ球が激減している。「私は幸運な70%以上の人々には入らないのでは」と問うと「平均すると増えていくものなんだ」「平均と言っても私の場合はどうなんです」「科学は平均を基準に置くんだ」「医学は応用科学ですから、個別具体的な患者に合わせて適用されるのでは」「いちいちこちらの治療にいちゃもんをつける患者ははじめてだ。治療費全額返すから、もう来るな」という展開になったのだった。こうして刺絡療法と共に爪もみ療法もただちに止めた。効く人もいるのだろうが、私には逆効果だった(週刊文春、2006/5/18)」 これがおそらく米原、最後の文章。直後の25日に亡くなった。

井上ひさしの解説から再度引用:
「「私の読書日記」が最後に近づくにつれ、<私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに。>、<隅から隅まで読みたい本が出た。>、<万が一、私に体力気力が戻ったなら・・・・>といった語句がふえてくるが、しかし彼女は決して弱音をもらさなかった。最後まで感傷に流されずに思索を続けたつよい精神が、この一冊にいまも棲んでいる」

岩波文庫編集部がまとめた「読書のたのしみ」への彼女の寄稿:
「現在、曲がりなりにも私が母語の日本語と第一外国語のロシア語を使いこなし、両者のあいだを行き来する通訳という仕事で口を糊することができるのは、ふたつの言葉で多読乱読してきたおかげだと思っている。新しい言葉を身に付けるためにも、維持するためにも、読書は最も苦痛の少ない、しかも最も有効な手段である。だから、
「通訳になるにはどのくらいの語学力が必要なのでしょうか」
と尋ねられるたびに、私は自信満々に答えている。小説を楽しめるぐらいの語学力ですね、と。そして、さらにつけ加える。外国語だけでなく、日本語でも、と。」

私には通訳はとても無理だ、と、自信満々に言える。彼女の文章は速読できる。なぜか?文章にリズムがあるからである。彼女の日記やエッセイに色濃い<イデオロギ>に辟易の人々もこのリズムの良さ、テンポのある文章という点に関しては同意せざるを得ないだろう。

知人友人に愛された、感情豊かで、正義感と才知あふれる人間を癌という病が奪ってしまった。米国ジャーナリスト、ジョン・ガンサーが最愛の一子ジョニーを二十歳前に脳腫瘍で失ったときに放った言葉(著作タイトルにもなった)を想起せずにおれない。

             死よ奢るなかれ。   Death , be not proud。

英国詩人、ジョン・ダンJohn Dunneの詩の一節である。

米原万里。2006年5月25日、鎌倉の自宅で死去。戒名「浄慈院露香妙薫大姉」。


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コメント 18

bucky

TBありがとうございました。
本当に米原さんが亡くなるなんて本当に残念です。
この書評によって丸谷才一を違った目で見ています。
by bucky (2007-01-05 10:02) 

わくわくふわく

トラックバックありがとうございます。
2006年末、読売新聞の書評欄に米原さんの「今年の3冊」が載らないことは、判っていたけれどその日、寂しさを止め得ませんでした。

思えば読書はみな「著者」と「読者」の異文化の衝突です。
米原さんは「著者」と「読者」の間での翻訳を見事に果たしてくださったと思います。
by わくわくふわく (2007-01-07 20:47) 

古井戸

> 2006年末、読売新聞の書評欄に米原さんの「今年の3冊」が載らないことは。。

ベストスリーは讀賣でしたか。
残念ながら2004年と2005年のベストワン、には私は同意しません。。まあそれはたいしたことはないでしょうが。。
2005は『国家の罠』。
2004は 日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』。
2004年ベスト2は、亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』 これはよかったと思います。
by 古井戸 (2007-01-07 21:05) 

古井戸

> この書評によって丸谷才一を違った目で見ています。

わたしもです。。。でも、最近の丸谷才一にはついていけない。
私は団塊世代ですが。。文学に関しては70年前後で 趣味は固定しています。
by 古井戸 (2007-01-07 21:38) 

偏った人

TB、ありがとうございます。
と言うか、長~い書評を書いている人から比べれば、
私の所なんか"へ"みたいなもので
もう少し(もっと?)読ませる書評を
書かねばなるまいと思いました。
恥ずかしい限りです。
by 偏った人 (2007-01-28 21:48) 

かずひこ

TBありがとうございます、
ここはすごいなぁ、情報量がうちとは雲泥の差、
まぁ、うちのは読書感想文ですのでご愛敬って事で^^;
by かずひこ (2007-01-28 23:20) 

さとヌー

はあ~~~~~~~~(ため息)

打ちのめされるようなすごい書評だあああああ(^_^;)

というわけで、古井戸に落ちました。
by さとヌー (2007-01-30 16:56) 

木圭

 朝日新聞の書評には、世界中で、理不尽に殺されている人々に我慢できない人だったと紹介されていました。自らの死に対しても、死や日本の医療に対して怒りの声を正直に荒げたと書いてありました。書評ではなく、そこが読みたかった。どんなに元気な人だって、死の前には無力である、と。

 もっともゴーゴリやプーシキンは大好きなので、その専門家であった米原さんの目を通して書かれた興味ある書評を、読んでみたいと思いました。
by 木圭 (2007-03-13 10:03) 

古井戸

> 古井戸に落ちました。

。。あはは。
どぶん!

朝日書評はモノタリンかったですねえ。政治に対するイチャモンは同じく遺著の、他諺の空似、のほうがすごいですね。米原節全開です。
文春書評の同居人立花隆の書評本新刊(タイトルが猛烈に長い)を読まれましたか。立花と、米原のチガイ、もおもろいですね。

もひとり、最近読んでいる池田晶子。池田晶子の本を米原も立花も書評していないのが面白い。 池田は立花の脳死論をバシッと、批判しています。

この三人の時間無制限鼎談、やってもらいたかったなあ。
立花があの世に逝ってくれれば実現するのだが。。ははは。
by 古井戸 (2007-03-13 11:15) 

あんく

TBありがとうございました。
ずいぶん前に読んでいたような気がしたのですが、週刊文春での書評開始は2001年だったんですね。たまに目にする程度だったので、こんなに読み応えがあるとは、想像だにしていませんでした。
by あんく (2007-06-03 21:32) 

hinagorogoro

TBありがとうございました。
こんなに素晴らしい記事にTBしていただけるなんて恐縮です。かなり恥ずかしい(^^;)
by hinagorogoro (2007-06-04 00:12) 

whitered

こちらにお邪魔するのが、遅くなりました。TBありがとうございました。正直言って、『打ちのめされるようなすごい本』を手に取るまでは、米原万理さんのことは、あまり知りませんでした。BS2の『週刊ブックレビュー』で紹介されていたと記憶しているのですが、たまたま買いました。そして、その中に丸谷氏の『笹まくら』があったのです。なにか不思議なものを感じました。昨年、『古今和歌集』『新古今和歌集』1200年、800年記念の催しがあり、京都の国立博物館からの帰り、丸谷さんの『後鳥羽院』を読み、感動したのです。後鳥羽院その人にも、眼からうろこが落ちるような出会いを感じました。どちらかいうと、その世界に住む方は苦手なほうだったのですが、その方が『源氏・平氏』と同世代の方で、その頃の文化を担った人だと分かったからです。今の人は、『源義経』や『源頼朝』に眼をうばわれて、その裏側にある文化の潮流に眼を向けていない、いえ、眼を向けないようにさせられていると思いました。
 私の夫も『一人ぼっちの反乱』や『裏声で歌え君が代』を読んでいたような記憶があります。夫も2002年に早々と、米原さんが逝ってしまわれた所に旅立ってしまったのです。人は亡くなってもジ・エンドではありません。よく生きた人は死んでからも光を放つと思いたいです。米原さんの書評はまだ、読み終わっていません。まず『笹まくら』を読んで、同じく打ちのめされたのです。今後の座右の書にしようと思っています。とりとめなく書いて申し訳ありません。
by whitered (2007-06-19 21:36) 

古井戸

whiteredさん、返事が遅くなりました。
それはお寂しいですね。
わたしの父は一昨年亡くなったが、返って近くに感じるようになりました。何十年も離れて過ごしており、何年に一度の帰省しかしなくなっていましたから。親不孝だったものですから、思いだしては、これでよかったのか、ほかの道はなかったのか。。と考え込むことが多い。父の場合医者から予告された死でした。言われたとおり、3年でなくなった。亡くなる前、病院で、若い頃、出征した中国戦線のことを問わず語りにしゃべった。兵士は戦線のことを何も語らず地獄までもっていく。。というのは本当のようです(このことは、ブログ映画評『蟻の兵隊』の最後に追記しておきました)。
by 古井戸 (2007-08-20 19:26) 

つな

はじめまして。
すごい情報量の記事ですね。
もう一度、この本を読みなおしているような気分になりました。
「笹まくら」は実はこのあと、挫折しちゃったんですけど、また機会を見てチャレンジしたいと思っています。
by つな (2007-12-23 22:30) 

いとゆう

先日はTBありがとうございました。

この記事の他にいくつかの記事を拝見しました。
古井戸さんのブログはとても新鮮な読み応えがあり、考えさせられる記事が多かったです。
またお邪魔させていただきます。
by いとゆう (2007-12-25 10:21) 

古井戸

つなさん。
この本、と、笹まくら、片付けてしまいましたが正月休みにもう一度とりだしてみようかな、とおもいます。つなさんのこの数年の読書録をチェックしましたが、。。スゴイ数ですね。。私の手にしたモノはそのうち。。。数冊しかない。
いとゆうさん。
ブログというのは、日記なのか~エッセイ集、なのか。。迷うところです。どっちにしても不便な容れもの。
by 古井戸 (2007-12-25 11:14) 

学び舎主人

トラックバックありがとうございます。私の拙いブログにTBしていただき恐縮です。
米原さんの書評集のことは、出版されたころから耳にしていたのですが、読む機会がなく過ごしていました。もっと早く読めばよかったなと思っています。
丸谷才一さんの「笹まくら」は未読ですが、私も読んでみようかと思います。三浦雅士さんが「出生の秘密」で丸谷作品を丹念に読み込んでいるのを目にしたときも、読もうと思ったものの、時間が経つと他のものへ関心が移ってしまうものですね。
by 学び舎主人 (2008-03-07 11:17) 

古井戸

>三浦雅士さんが「出生の秘密」。。

これも読んでみたい本ですね。

米原万里が亡くなったあと、彼女ならどういう書評をするだろうか?と考えながら本を読みます。

私もドンドン関心が移動し、いま明治維新本を漁っています。
by 古井戸 (2008-03-07 12:23) 

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