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憲法違反の法案を審議する必要は無い [diary]

朝日新聞・声欄から。

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朝日新聞<声>欄から。弁護士の投稿は心強い限りである。ところで、全国の弁護士は集団的自衛権肯定・閣議決定をどう考えているのだろうか?知りたいことである。
この違憲の決定にもとづいて関連法案作成を急ぐ、と政府は発表している。わたしは閣議決定を違憲と判断している野党は法案審議に参加すべきでない、と考える。審議の冒頭でその理由を述べ、審議拒否すべきである。同時に、この閣議決定が違憲であり、我が党は審議を拒否する旨の発表を国内外に理由とともに宣言すべきである。

法案審議に参加すればその結果は与党の思うつぼであると考えるが、弁護士や憲法学者、その他諸賢の判断や如何。


2014年7月1日 ニッポンの光景  その2  永田町 [diary]

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2014年7月1日。集団的自衛権を認める閣議決定が行われた日。これに対する抗議活動が首相官邸を取り囲んだ。

その抗議活動に参加しようとした山本太郎議員が警官50名に取り囲まれ、押し倒され、参加が阻止された。

警察による白昼堂々の重大な犯罪である。恫喝行為に加わった警察とそれを命じた上官を逮捕せよ。

https://www.youtube.com/watch?v=o-Weaz4XiQg&feature=youtu.be

この日、山本太郎議員のFacebook頁が何者かによって閉鎖された。


2014年7月1日の光景  ここはニッポン [diary]

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若人よ、命じられれば国民の基本的権利を侵す、馬鹿な警察、自衛官(=公僕)になってはならんよ。
 上官の命令であろうと戦争犯罪の実行を拒否することは兵士の義務である。
 命じられても、憲法で保障された国民の権利(表現の自由)を犯すことは犯罪である。
 

若人よ。国民に対してこの写真(7月1日)のような恥ずべき恫喝行為を行ってはならない。

ストーカー行為が犯罪で、このような恫喝行為がなぜ犯罪でないのか。老婦を取り巻いた警官を人権侵害の罪で逮捕せよ。

日本国主権者の基本的権利を侵しているのは外敵ではない。行政府、トップから末端まで、により日常的に行われている意図的な違憲行為や怠慢が主権者の生活を危うくしているのだ。しかも、マスゴミがこのことを全く報道せず、行政府の片棒を担いでいる、という寒さ。


塩村議員の応答と認識に失望   都議会セクハラ野次問題、海外記者クラブ会見 [diary]


塩村議員の応答と認識に失望。

冒頭の海外記者からの質問は要を得ている。議場内暴力(セクハラ)であり、かつ、ヤジを飛ばした議員(複数いる)が名乗り出れば良い、という問題でも無い。(ホンキで謝罪するなら辞める必要もなかろう。選挙区民がリコールするなら辞めれば良い)問題の本質は、このような女性差別が東京だけではなく、全国で一般的でアリ、ヤジを飛ばした議員だけでなく与党=自民党員の一般認識である、ということだ。こんな与党から女性の待遇向上、まともな育児政策が生まれてくるとは信じがたい。

育児政策、少子化問題に日夜真剣に取り組んでいる議員からこんな野次が飛ぶわけがない。何も考えていないボンクラから野次は発せられる。おそらく一度もこの問題を考えたことがないのだろう。 

女性差別の認識の薄さ、これが問題の真因。この問題は自民都議全体に巣くっているのだ。これを普段から認識しておれば塩村も野次でアタフタすることはなかった。この程度の野次で涙を浮かべたり立ち往生するようでは情けない。現状をわきまえシッカリ心の準備をして、壇上から、野次議員をにらみつけ、即座に、強烈なしっぺ返しをやり、議場騒然(あるいは粛然)とさせるくらいの応答をしてもらいたいもんである。こういう質問をすれば、議場からこういう野次が飛ぶだろう、くらいは予測できる能力が欲しい。海外記者もこういう指摘と激励をすべきであった。甘やかしては議員は育たない。 己を鍛錬して、最低、世界標準の議員にならにゃ。




海外メディアとの質疑応答 (冒頭)
―これはヤジじゃなくて、家庭内暴力のような、"議場内暴力"じゃないですか。しかも多数の議員が平気な顔をして笑っていたということで、都議会だけではなく各県の議会などでもおこっていることだと思います。アベノミクスの中で"女性の社会進出"が叫ばれていても、一般男性たちは全然気にしていないんじゃないかと思え、怒りを感じます。今後、個人として、こうした発言をなくしていくために、何か活動などを考えていますか。

また、今回の件で急に有名になられたことですから、ここ数日、またここ数ヶ月、何かあればケチをつけられると思います。そこはお気をつけたほうがいいと思います。

塩村都議:議会運営委員会、議運と呼ばれているものの方で、これから動きがあるものだと会派の幹事長から聞いております。またみんなの党からも官邸に申し入れをしたいという旨の報告を受けました。まず私自身は、その都議会の問題に集中したいと考えております。 (以下略)
http://blogos.com/article/89118/

野次を飛ばした議員は明らかに複数だが、鈴木某という若造が名乗り出て(おまえが名乗り出ろ!と党から命令され)、謝罪し一件落着ということらしい。これでは鈴木某を英雄にするだけである。 アホタレ。

日本国憲法第九条ノーベル平和賞受賞者はオバマ大統領がふさわしい [diary]

日本国憲法第九条ノーベル平和賞受賞者はオバマ大統領がふさわしい。


敬愛する社会科学者さんの主張:
 「憲法第9条がノーベル平和賞に値するなら,まずさきに昭和天皇とマッカーサーにこの賞を与えねばならない。。。。」
...
しかし、死者にノーベル賞は与えられない、という慣例がある。ニッポン国憲法は米国国務省が押しつけ(あまりに愚劣な日本政府案を蹴って、GHQが原案作成し、日本の国会で審議、批准)、サンフランシスコ講和会議でこの平和憲法遵守を前提に国連が日本の独立を認めたのである。くわえて昭和天皇は新憲法成立後も、これを無視して、政治に干渉し、吉田首相の頭越しに米国と折衝した(沖縄を基地として永久に使ってくれ、と米国に要請したのは昭和天皇である)。昭和天皇にノーベル賞など冗談もほどほどに。

ゆえに、憲法第九条のノーベル平和賞は、日本に憲法を与え独立を承認した、生存している団体=国連、と、米国国務省を代表して、日本国憲法第九条を尊崇し、その護持に賛成している(らしい)オバマ大統領(もしくは国連事務総長)が相応しい。

憲法を押しつけられた、とグダグダ言って改憲を急いでいるニッポン国首相にはむろん受賞資格はない。安部を首相にするようなコクミンにも受賞資格はない。ま、ノーベル平和賞などあってもなくてもよい、愚劣なもの。ジョークとして安部に与えてもオモロイ、わな。沖縄を密約で売った佐藤栄作、その孫のノーターリン晋三、そろって平和賞受賞。授賞するノーベル財団とともにお目出度いことである。

 

私的にはベーコク国務省代表としてジャパンハンドラー、アーミテージ氏に平和賞受賞演説をおこなってもらいたいのであるが。

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むろん、あらゆる国の、全ての憲法は誰かが押しつけたものである。生まれたばかりの赤ん坊にとっては名前を親が押しつけ、憲法法律社会的慣例、。。すべて他人の押しつけである。問題は誰が押しつけたかではなく、その内容である。押しつけられたものであっても内容が真っ当であればその憲法を受け入れて生きていかねばならぬ、これ、人間として生を受けた生き物の根源的不条理であり、かつ、慶びでもあるのよ、ね。わかったかにゃ?

カバーアップ現代  NHKスペシャル「調査報告 女性達の貧困」 [diary]

全くひどい番組であった。
国広裕子宮本太郎がニホンの貧困をマトモに論評できないのだ。なんのためのホストでありゲストなのか。登場しない方がよっぽど良かった。クローズアップ現代、ならぬ、カバーアップ現代、と呼ぶべき番組。

生活保護、という言葉は一言も出ない。
 行政の施策により貧困を防ぐしかないではないか。
財政の緊急出動だ。
 公共事業だの軍事予算だのから削るしかあるまい?
 公務員官僚の失態なのだから給与を削減しろ。

政府がやらねば民間基金をつくれ。 海外にも支援を仰いでも良い。ニッポンには餓死がある!と。

NHKは歳末助け合い募金を毎年やっている。あれはなんだ?
 餓死救出基金、でも起こしたらどうか。

原発事故によって国土が喪失、住民が逃げ惑っており、くわえて、貧困にあえぎ、生活保護も与えられない(教育費補助、どころではない)。 なんのためにこの世に生まれてきたのか?と疑問を抱くようでは国家社会の名前が泣く。

基本的生活が成立せず、基本的人権も与えられない国で、国防も成長も、へったくれもない。

NHKスペシャル「調査報告 女性達の貧困~”新たな連鎖”の衝撃~」/行政の責任についての視点が完全に抜け落ちている。
http://www.asyura2.com/14/senkyo164/msg/722.html
投稿者 gataro 日時 2014 年 4 月 28 日

再放送は5月1日である。 
国営放送の堕落ぶりをシッカとこの目で見て、受信料支払いを拒否して欲しい。


『上野千鶴子の選憲論』(集英社新書)を読む [diary]

上野千鶴子の選憲論』(集英社新書)を読んだ。
上野はわたしと同級生、1948年生まれである。
横浜で昨年行った講演会を大幅に書き直した内容。 自民改憲案を逐条的に、かつ、的確におちょくっている。

上野で共感するところは、天皇制を問題視しているところだ。しかし、その内容は徹底しない。現憲法の第一条を取り消せ、と言っているに過ぎない。わたしの意見は、第一章天皇、を章ごと削除しろ、である(他はそのまま)。これも改憲。つまりわたしは改憲論者である。
...
上野は選憲論、と言っているが言っていることは改憲論である。改憲論には様々あって当然なので、自民改憲論と同一呼称をいやがっているとしか思えない。わかりにくい言葉は止めることだ。

自民が狙っているのは九条の変更、だけではない。むしろ、天皇の元首化の方が問題が大きいのである。だれもこれを指摘しない。GHQが第九条を押しつけたのは、第一条(第一章天皇)の押しつけ(国体護持派、とGHQ)と同時に、である。(くわえて、日本国憲法をニホンに与えて独立させたのは、地位協定と同時に、である。地位協定抜きの日本国憲法などあり得なかった。上野はこの重要な指摘を忘れている)。

わたしは第九条を削除しても良い、とおもっている。第一章を同時に削除するならば、である(つまり天皇の存在を憲法に規定する必要はない、ということだ)。自民党、というより、自衛隊(ニホン軍)は第九条がなくなる(自由に軍隊を持つことが出来る、交戦も出来る)よりは、天皇が消えることを問題視するだろう。自衛隊(軍隊)はだれのために闘うのか、という問題。自衛隊は決して国民のためにたたかうのではないのだ。天皇のために闘うのである。そのために天皇を元首化するのである。天皇が消えればイチバンうろたえるのは自衛隊幹部である。

国民のためではなく、天皇のために闘い、死ねば天皇の私設神社靖国に祀る(靖国の前身=招魂社は、幕末の戊辰戦争で天皇派のために闘った薩長を中心とする武士を祀るためにできた。。。それをまた繰り返すのである)。。。これが防衛省の狙いである。天皇が憲法から消えれば靖国も自動的に消える。目出度いことである。



実はこの本でもっとも情けない思いをしたのは中井久夫への言及である。彼の新著『昭和を送る』に、中井は、昭和天皇崩御の時に書いたが長く封印していた文章をこの本ではじめて発表した。その内容は、「日本人には当分、天皇が必要だ。天皇がなければニホン国民はまとまりが付かない」。。旨の記述。つまり、GHQの発想を追認しているのだ。上野もこの文章を読んでショックを受け、やはりそうか。。と、中井に同意している(少し曖昧な書き方だったようだが)。


 情けないのぅ。情けない脳。

中井久夫の文章は好きな脳で彼のエッセイ集もほとんど買って読んだ、が、『昭和を送る』は未読。いずれ読むが、一気に中井熱は冷めそうである。慶賀の至り。

『上野千鶴子の選憲論』(集英社新書)
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0734-a/index.html


小保方晴子/記者会見放送4月9日を観る [diary]

 
小保方晴子釈明記者会見を見た。1時半から今も継続中。

まともな質問は最初の30分すぎまで。ドンドン愚劣な質問になっていく。

小保方晴子はさほど(わたしが恐れていた)感情的にもならず今回の事件を冷静に説明、釈明していた。伝えられていなかった事実もだいぶ明らかになった。会見場所が大阪であるのは彼女の勤め先(理研)が神戸に近いこと、相談した弁護士事務所が大阪にあることによるものだろう。

順不同に明らかになったことをリストアップする。

1 小保方は真っ直ぐ前を見て(ときおり言葉に詰まることはあったが)話した。各種記事から得ていた印象と全く違う。論文作成作法の未熟さは今回の事件で小保方も十二分に悟って反省していることが伝わる。
...
2 小保方はSTAP現象を200回以上再現させており自信をもっている。論文撤回は、stap現象自体が存在しない、ということを発表することであるから、撤回をするつもりはない、という。結論(STAP現象の存在)を自ら否定することは出来ない。

3 改ざんや、捏造はない。論文作成の手法がマナー違反であったことは、小保方も認めている。我流でここまで突っ走ってきた(だれも教える者がいなかった)。

4 <事件~写真の誤った流用>の発生後、小保方自身が外部にコメントを発表をしたいとおもっていたが、理研が今はその時期でないと認めなかった。

5 <偽造>事件が公表された後、小保方は居住先から外出できず(ノートなども理研にあるが見ることも出来ない)、弁護士との連絡もパソコンを介して行った。指導に当たった若山教授(山梨大学)ともメールも電話も出来ない。メールはパンク状態、電話も輻輳

6 いつから割烹着を着用しだしたか?部屋をピンク色にしたのか、という質問にたいして、ユニットリーダーになってから。3年前だ。

7 実験ノートは4,5冊ある。ハーバードにも置いている。理研が(たった)2冊(しかない)と述べたのはたまたま手元にあったのを渡しただけである。

8 4時間も掛かった3月末の理研記者会見が何を言いたいのかよく分からなかったのに比べ、小保方はどんな質問にも答えた。むしろ、質問した自称・ジャーナリストの不勉強が目に付く。「科学者としての資質」を小保方に問う質問があった。わたしにいわせれば、出席していたジャーナリスト?の記者リテラシを問いたい。小保方晴子に質問するなら多少のアカデミアリテラシ、というより、一般常識が要るんやオマヘンカ。

小保方は今回の<事件>でSTAP細胞研究が遅滞しているのが一番残念である、と述べた(このときは感情的になり涙ぐんだ)。悪意がないこと、すなわち、偽造/捏造ではない、ことはいずれ明らかになるだろう。理研が悪意を持って強権を発揮して罪を偽造捏造、しないかぎりは。小保方を解雇しようとすれば、裁判沙汰になるだろう。しかし、小保方が勝訴しても理研で仕事を続けることは出来ないだろう。ほかにどこの研究所が彼女を雇うのか。文科省や、文科省が支配する腐り学界の四面楚歌のなかで。。。再び海外~ハーバードに渡るのか。

小保方は、実験は隠れてするモノではないので環境さえ与えられれば皆さんの前で再現実験をすることは出来る、という。理研は再現実験をしようとしているが、なぜか、小保方に参加させようとしない。(小保方が参加して再現しなければ、かなり明確にstap実験への疑義が強まる、というのに。かりに、小保方以外が再現実験しても、それは手法がまずかったから、と言われかねないではないか)。

したがって、わたしが尋ねたいのは次の質問だ(この会見でだれか質問するだろう、と期待したがしなかった)。

Question:
Nature論文発表後、世界で再現実験に成功した例がないのはなぜなのか?
Nature誌の 再現レシピ が不備なのか。実験者の技術が未熟なのか。
はたまた、論文のできがマズイノか。小保方自身さえきわめてまれにしか成功していないのか(しかしこれは、200回以上成功したという<事実>により小保方は否定している)

付記
IPS細胞と比較してstap細胞が優れている、という発表は理研広報が行ったのであり小保方は関与していない、という。
れにしても。。。200回以上実験で成功したことを、周囲の理研研究者(実験助手などを含め。。)は誰も目撃していないのであろうか?小保方ひとりしか目にした者はいないのか?数十回以上、小保方と共に、この目で目撃した、という研究者・証言者が一人も出てこないのは不思議千万。実験は何人でやったのか?このことについても小保方に質問したい(実験の状況を誰も質問しないし、記事になったのを観たことがない) 成功画像などの証拠は保存されていないのか?

3年前の311 [diary]

3年前の午後二時過ぎ、ガッタガッタ。。。と三分弱揺れる地震が来た。 (千葉県印西市)
mixi日記転載。

##

東北巨大地震 余震やまず 2011年03月12日10:05.

きのう二時過ぎ地震が来た。

ポケット型ラジヲ3台あったのだが、2台はうもれて、残った一台の電池を入れ替えて聴いている。

TVは2台とも吹っ飛んだ。 最初の揺れで転げたを、本の海を挟んで遠くから見ていたのだが、次の揺れでまた転げ、動かなくなった。

食器が棚から飛び出し、茶碗や花瓶が割れたのを片付けた。

安物の本箱を使っていたため本箱が破壊されて文字どおり腹まで本の海に浸かって、本を踏みつけて部屋から出て来た。

朝、やっと埋まっていたパソをほじくり出して変則体位でパソに打ち込んでいる。

いまだに余震が止まない。夕べから震度5レベルがしょっちゅう来ている。 震度2~3では驚かなくなった。

気仙沼付近では町や市が海の下に沈んでいるという。津波が来るから、神戸のように救助にも行けない。最終的に神戸地震より被害がひどいかもしれない。



今朝早くコンビニに飲み物と弁当を買いに行った。飲み物はあったが、弁当やおにぎりの棚は昨日から空っぽのママ。ガソリンを満タンにし、灯油を買った。

今朝車でTBSラジオを聴いていたら、呆れたことに、こんなときにも企業コマーシャルを挿入しているのである。バカじゃなかろか。おまけに全国ネットだという。まさか東北の被災県にはネットしてないだろうね?企業の恥をさらすだけである。日本が沈没しても企業コマーシャルを電波で飛ばすのだろう。

被災者はラジオをもたずに避難している。非常食も結構だが安物でいいからラジヲを配布すべきだ(あとで返却してもらえばそれほど出費とはならない)。それに、NHKは全国ネットで放送しているようだが、こういうときに必要なのはローカル放送だ。

ラジオを聴いていて腹が立ったのは菅直人が今朝、ヘリで福島~東北を回るというのだ。カッコウ付けをやっている場合か。東京では残った閣僚が対策を練る閣僚会議を開くという。国のトップが現地をのこのこ回ってどうするのだ。ヘリでホンの一部を眺めて何が分かるというのか。TVやラジオで各地の情報を得るほうがよほど重要。

1日24時間年365日、災害救助のことだけを考えている災害救助担当大臣と組織がこの国にはないのである。国家と民のことを考えず、呆けた日々を送り、高給をむさぼっている国会議員、それを許している国民に対する対する天罰だろう。

東北に設置してある気象庁の震災情報収集装置が今回の地震で壊れて今、使えない状態だという。お寒い話である。

昨日、安否を尋ねて親戚や子どもたちに送ったケータイメール。やっと今朝になって返事がきた(電話はもちろん通じなかった)。メールのトラヒック量など、音声や画像などに比べるとゴミのようなものである。ケータイメールに掛かる設備回線コストは殆んどゼロだ。であるのにケータイメールにバカ高い料金を請求してるケータイ各社よ。メールくらいリアルタイムで疎通させろ!それができないならメールは無料サービスにすべきである。(ただし、昨日から何度もブザーと共にケータイに送信されてくる地震緊急情報。これは感心した。その直後に揺れが来る。物陰に隠れるなどの緊急避難はできる)。



最初の地震情報で、10メートルの津波!と聴いて驚いた。いったい、10メートルの津波が来た場合、海岸から10㌔先まで海流が到達する、ということは想定内のことだったのか?町内放送などで緊急を知らせるシステムはあったのか?今から言ってもしょうがないが。ラジオやテレビを自宅で見ている人はソンナニ多くないはずである。昔、田舎にあった町内放送システムを充実すべきではないか。

津波と地震に因果関係はあっても、防災と救助にカンしては全く別の考慮と対策が必要である(あとのまつりだが)。

これを書いているいまも、余震がおさまらない。

教訓 2011年03月12日10:59.

まだ救助で忙しいときに教訓もないが、最近物忘れが激しくなったので、思いついたつど、ここに書きとめることにする。


1 キャッシュを(多めに)分かり易いところに用意しておく。いつもは少なめにしか財布には入れていないのだが、今回は数万円あったので余裕で買いものができた。ここでは、車で5分のところに5店舗コンビニがあるのだが。。コンビニがないとつらいね。大手のスーパーが軒並み閉店しているのだ(棚の荷崩れのため)。深夜、24時間営業のスーパーにラジヲと電池を買いに行ったら駐車場を閉じていた。非常時に使えない店など、ワンランクダウンだな。

  いつでも金が下ろせる(だよね?余り使っていないが)コンビニは助かる(というより、非常時の夜間使えない、あるいは店舗が少なく使える時間も短い銀行はケシカランよ。非常時の機能を果たしていない。処罰せよ)。

神戸地震のとき知人が丸裸(文字どおり、だ。パジャマだから。。)でマンションを脱出したのはいいが、金がなし、キャッシュカードも、免許証、身分証明書もなし。でどうしようもなく、会社にその姿で出かけ、。。。。だった。

ということは、免許証(あるいはカオ写真付きの証明書)は肌身離さずもっておけ、ということか。わたしは、免許証+財布、ケータイはポケットに入れて寝ている。

災害時救援法は適用されるのか?

米国では災害時には、翌週、無条件で、200万円の小切手で国から各家庭に送られてくる。

2 ポケットラジオは、分かり易く、吹き飛ばない場所に、数台用意し、それとは別に、電池も充分用意しておくこと(ラジオに装填している電池はしばらくすると放電しておまけに腐る)。こんかい、2台は吹き飛んで行方不明になった。わたしは電池の大量消費者だから、普段は充電式を使っているのだが非常時のため、電池を数十本用意していて助かった。

3 ケータイの充電器も分かり易く、地震で家具が吹き飛んでもすぐ手に入る位置においておくこと(それにしても、電池の切れるのが早すぎるよ。今回はたまたま満タンにしていたから助かった)。車にケータイの充電装置を用意しておこう。(夕方、駐車場に入れるときには、ガソリン満タンに)

4 懐中電灯の電池切れに注意。今回はたまたま電池が入っていた。
蝋燭は使うな、火事になるから、とNHKが放送していた。それに、外を歩くとき不便だ。

5 水のペットボトル(水道を飲め!といつも言っているのだが。。)はこういうとき助かる。

6 それにガスボンベ式のガスコンロ。今回のようにガスが止まったとき使えるので便利。ボンベの用意も。

TVをみて気がついたこと。

1 歯舞色丹国後択捉も真っ赤になっている=大津波が来る。なのに、現地の津波状況は全く報じない。救助などもってのほか、とでもおもっているのか? これでは返ってくるものも来ないよ。その必要もない。

2 TV画面に現在の時間を入れて欲しいね。

不幸中の幸いは、真冬でも、真夜中でもなかったことである。

 異なる見解 2011年03月12日15:49.

福島原発に「炉心溶融」の可能性がある、という。東北巨大地震。

スリーマイル型の事故である。

NHKでは東大教授=原発専門家、と、NHK解説委員=水野、の見解が対立していた。

教授の意見は、「炉心の温度は安定しているから心配ない、原子炉は停止している。住民には冷静な対応を。」

水野は、危険な状態、という。セシウムが漏れたということは核燃料が溶け、担当者も近寄れない状況。遠隔操作による作業となる。(高熱で条規を作りタービンを回して発電する方式)。水供給が不十分なら、海水の注水ということもしなければならない=原発の機能は喪失。燃料棒は4メートルあるが、現在、半分くらいは水に浸かっていない=冷却されず溶融する。水供給が不十分ということ。

水供給と言っても、1ヶ月掛けて注水してやっと炉心温度が下がるという猛烈な量である。注水用ディーゼルが働かなかった(商用電源を使用したり、消防車による放水をやっている)と言うことだが、通常のビルの予備電源用ディーゼルとは分けが違う。三重、四重のバックアップをやっていてもおかしくない危険物である。他の原発電源の設計もみなおすべきである。

(追記: わたしの聞き間違いか。注水用の商用電源が確保出来なかったと言っている。しかし原発が故障すれば商用電源の確保も危ういことは想定内ではないのか?(げんに、東電は、一般向けに節電を!と依頼している)。発電所内専用の水源、と、予備電源くらい用意して当然だとおもうが。 )

なぜ事故に至ったのか。東電と、企業、大学の専門家は説明責任を果たせ。
震度7は想定内のハズである。ディーゼルを使った地震時の注水訓練を一年に何回やっているのか。前回やったのはいつなのか?

 大本営発表 2011年03月12日18:44.

<爆発的事象があった>


枝野幸男官房長官は12日午後5時46分、首相官邸で記者会見し、東北沖大地震で損傷した東京電力福島第1原発1号機で「何らかの爆発的事象があったと報告されている」と明らかにした。爆発の影響については「原子炉そのものであるということは今のところ、確認されていない。放射性物質の把握に努め、周辺住民の安全には万全を期している」などと述べるにとどめた。

3時間も過ぎているのに、情報収集に努めている、とは恐れ入る。

爆発的事象、ではなく、爆発があった、といえないのか。
 建物の外壁が喪失するくらいの変形なのだ。

何が起こったのかもわからない、放射線量も発表出来ない。
 嘘である。
測るのは測定器である。 隠すのは人間だ。

放射線量の計測は原発で最も基本的なことである。リモート監視もできるはずだ。

それに負傷者が怪我をした、の一点張りだが、放射線を浴びたのかどうか、も言わない。記者会見でマスゴミも問わない。しかも、その怪我をした四人のために、全国の放射線治療専門医を総勢、緊急招集を掛けているのだ。 単なる外傷か、火傷か(程度は?)、放射線を浴びているのか。この程度なら救急車のなかで検査出来るし、なにより当人の意識があれば、発電所で何が起こったのかを質せるはずだ。軽傷なら記者会見場に出してもいいではないか。なぜ、会見場で記者は追求しないのか。これではまるで共犯者である。

被爆しているかどうかも発表出来ないのか。馬鹿馬鹿しい。
被爆している、とわかれば、どの程度か。
発表したくないか。

枝野はあとから言い逃れするための言い訳も官僚に考えさせた上で、会見場に臨んだのだろう。

東海村事故のようにまた、下請け企業の責任にするんじゃないだろうね。


生き残った日本人へ~高村薫 復興を問う~ [diary]

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腐った日本のなかで宝石のように輝く存在。作家の高村薫である。

NHKのクソ番組など見てもしょうが無いのだが。。。震災から一年後に放映したETV、高村薫へのインタビュー番組を再放送したので見た。
この番組を見た後の感想を記した昨年のmixi日記3/18。何も付け加えることは無いのでこれを再録する。

タイトルは<復興を問う>だが、鈍感な日本人視聴者のために<日本人の理性を問う>としたほうがよかろう。


NHK職員も、「理性」の有無を問われているのだよ。意味わからんだろうが。



ETV特集「生き残った日本人へ~高村薫 復興を問う~」
チャンネル :Eテレ
放送日 :2012年 3月18日(日)
放送時間 :午後10:00~午後11:30(90分)

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震災発生直後、作家・高村薫は、これが日本を根底から変える契機になると熱く語った。少子高齢化、農業の衰退、地方と中央の格差などの課題に初めて向き合う機会になると考えたのだ。しかし、夏には期待が落胆に変わっていた。原発再開をめざす動き。現実性のない除染計画。目先の事にとらわれる政治。高村は怒った。日本人には「理性と覚悟」はあるのか。復興に向かう日本をみつめ思索を続けた作家の1年間に密着した。

【出演】作家…高村薫, 福島県立博物館館長…赤坂憲雄

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エネチケが311の直後から収録し始めた高村薫の発言、と現地取材のまとめ。

TVを見ながらメモを取り、さらに、検索して貼り付けた。

#################### メモ&検索

(災害とは)、地震が起こる前の問題が顕在化したもの。

復興とは、たんに、元の状態に戻すのではダメである。

1995神戸震災と、2011災害は時代と状況が全然異なる。
今、日本には金がない。

東北のある漁師の語った言葉:
 教育第一。
 財を残すことは第二。
 瓦礫を片づけたってしょうがない。
 以前の状態に戻すのが復興ではない。 

   ーー> 期せずして高村薫と同じ意見。(わたくし、とも。。)
         (除染、などとんでもないこと)

理解していないのは政治家だけ、あるいは企業人も。。
 一般人は分かっている。

      
地震が起こって情況が起こって状況が変わったわけではない!
 過疎、高齢化、赤字国債。。以前の問題が、災害により、浮き彫りになったのだ。

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昨年4月の高村発言:
世論として、コレまでと違う、第一歩を踏み出す、という意志を表明しなければならない。。

電力、なんて、安全に暮らしてこその、電力。
いつ大地震が来るかも知れない日本で、生命の危険を危うくする状態でなにが電力か。

計画停電などされて、日本人が怒らないのが不思議でしょうがない。
このざまはなんだ、誰がこういう状態にしたのだ!

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南相馬市:

同じ部落でも避難指定された家屋(仮設住宅割付があり、補償が受けられる)とそうでない家屋がある。コミュニティが壊れる。

鉄道も分断、道路も分断。。。若者は出て行く、過疎化は進む。。。

今までの生活を取り戻せ、というのは不可能。

震災前から米が余っていた。この時代に米作りを目指して復興などあり得ない。。のではないか?

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2011夏。
高村: 福島の状況を見てクーラーを付けよう、という気にならないですわ。

2011-05-04 09:27:19
活断層の真上で暮らす私たちは原発から脱却すべき(作家・高村薫さん)http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10880835385.html

キリギリスは蟻にならない。キリギリスは何が起きても蟻にならない。。
        これが、ニッポン。

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感情ではなく理性で判断せよ。

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2011年5月13日 (金)
高村薫の原発廃絶論
http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/2011/05/post-d57a.html

原発廃絶論の裏にはイデオロギーの影がちらつき、原発容認論の周りには地域利権が臭う。だが高村薫はそのどちらをも一刀両断の下に切り捨てた。5月3日のNHK・News Watch 9に登場した高村薫は、原発の是非はこれまでイデオロギーの問題として議論されて来たが、純粋な科学技術としてのコンテクストにおいて議論すべきだ、とした上で、賠償も含めた莫大な事故コストと、日本が地震国であるという地政学上のリスクを理由に、原発の経済合理性を明快に否定したのだ。「神の火」と「新リア王」で原発問題を深く掘り下げ、原発を細部まで熟知している高村ならではの見事な切れ味だった。(関連して以下別ログも参照)

http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/2009/12/post-588a.html

どんなリスク・マネジメント論のテキストにも最初のほうに書いてあるが、損害の原因となる事象のうちあらかじめ生起が予想されており、その損害の程度と確率が予測可能であり、事前の対策が可能であるものを「リスク」(Risk)、そうでないものを「不確実性」(Uncertainty)と言う。「リスク」はコントロールすることができるが、「不確実性」はコントロールが不可能である。すなわちリスクと期待リターンは連動するから、確率(信頼区間。通常、分散の平方根であるσを単位として2σ、3σなどのように表示する)を選択してリスクとリターンの組み合わせを決定すればよいのだ。もしリスクをゼロにしたければリスク・エクスポージャーをゼロにすればよいが、この場合の期待リターンはゼロとなる。ところが「不確実性」は信頼区間の外側で生起するから、コントロールすることが不可能であり、その損害を予測するにはストレス・テストによるほかない。また通常その損害規模は期間キャッシュフローの範囲に収まらず、ストックの取り崩し(コーポレートであれば純資産の取り崩し、国レベルでは国富の毀損や国民生活水準の切下げ)が避けられない。

リスク管理の基本は「不確実性」を「リスク」に変換してゆく事であり、それを可能にするのは技術進歩である。例えば巨大隕石の衝突は「不確実性」であるが、将来技術革新によって隕石の軌道を変える事が可能になれば、それが「リスク」に変わる。原発はこれまで期待リターンと信頼区間との兼ね合いでコントロール可能な「リスク」であると考えられて来たが、今回の福島の事故は、現在の科学技術水準の下では原発がコントロール不能な「不確実性」の領域にかなり足を突っ込んでしまっている事を証明した。だが巨大隕石の衝突と違って、原発の場合は損害を完全に避ける方法がある。言うまでもなくそれはリスク・エクスポージャーをゼロにする事、つまり原発の完全廃棄であり、それ以外の方法はない。チェルノブイリでは、飛び地とはいえ260キロ先まで永久居住放棄地となった。東京は福島原発から240キロ。もし炉の冷却に失敗すれば、福島の事故規模は1機だけの事故だったチェルノブイリを超える。来るべき東海地震のタイミングによっては、それは現実のシナリオになり得る。高村が指摘する通り、日本が地震国である以上、東海地震であろうと他の地震であろうと、次の大震災が来る前に全原発を廃止してしまわない限り、国そのものがメルトダウンする危険があるのだ。原発を存続させれば、我々の世代は将来の世代に対して背負い切れない量のリスクを負わせる事になる。

原発を全廃する場合、一つだけ注意しなければならない事がある。それは北朝鮮の例でも明白なように、原発がいつでも核兵器に転用できる技術だと言うことである。日本の原発がこれまで安全保障上戦争抑止力として機能してきたことは疑いなく、この抑止力は別の意味で国家の存続に関わっているから、放棄するわけには行かない。原発を廃絶し、なお核抑止力を維持するためにはどうすればよいのか。おそらくその答は日米安保条約の改訂、非核三原則の見直しだろう。だがそこに辿り着く前に国がメルトダウンしてしまわない事を、今は祈るばかりである。

2011年5月13日 (金) 07時01分

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作家・高村薫さんの「原発を捨てるかどうか決断の時」に賛同
http://hakodadi.iza.ne.jp/blog/entry/2271683/
2011/05/05 22:30

高村薫女史が辛らつな「原発廃止」論。さすがのNHKもいつまでも政府よりの<中立>報道というわけにはいかなくなったか。

http://bit.ly/iC4WAF  

実は2週間ほど前の道新での高村さんの論調はもっと凄絶。「天変地異が起こるかどうかは神のみぞ知る」「だから国民はいまこそ原発がいるのかいらないのか覚悟して選択するべき」。安全基準がどうとかいう議論はもう超越すべきと。その論調に比べればNHK的に多少ソフトになっているのかも。ちなみに映像は真性のNHK配信。

さて、作家として「神の火」などで原発を猛勉強したという高村さんは、07年の時点では

「私たちは、将来も原発と共存せざるを得ないのである。」と書いた。

その高村さん、今回の道新の論壇では、

「日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。」と断言するに至った。

2007年から2011年、日本の原発に何があったのか。2つの論考を読み比べてみる。

高村薫さんの原子力に関する2007年4月の論考①。
日付を隠して読んでいくと、まるで今回のフクシマの事故のことかと見紛うのだが、なんとこれは4年前、2007年4月5日の記事。(朝日新聞)。東電刈羽原発などで相次いで原発の検査データの改ざんや小規模(?)事故の報告漏れがあったことが発覚し、全国的なニュースになったあとのものだ。

高村さんはすでにこの段階で、「そもそも原子炉とはどんなものかが分かっていないのだと言わざるを得ない。核分裂の制御ができない状態がいったい何を意味するのか、分かっていない人びとが、マニュアルを頼りにスイッチを入れたり切ったりしているのが原発の現状」と厳しく関係者の責任意識の希薄さを糾弾し、将来への大きな危険に警鐘を鳴らした。

その危惧は残念ながらあたった。

同じ年の10月中越地震で新潟・刈羽原発の制御棒が抜けなくなるという重大事故が発生。
そして、今回のフクシマの事故だ。

東電・政府・メーカーは、この4年間、こういう人為的なミスによる危険の予兆にどれだけ真剣に対処してきたのであろうか。

そして、2011年4月20日、道新に掲載された論考②で高村さんは 原発を捨てられるか否か 未来への選択 決断の時」と書いた。「どうしたら原発を安全に運転できるか」という議論はもう乗り越えて、「原発のリスクと共存するかどうか」の覚悟が問われると踏み込んだ。
今回のフクシマ原発の事故に関わる議論の中で、高村さんのこの主張はもっとも正鵠をえているように思えてならない。

論考① 

「 原発の不祥事  原子力利用の資格あるか」

高村薫

朝日新聞 07/04/05

原子力発電が、設備機器の設計・維持と操業の両面で非常に高い技術と厳しい管理を要求される事業であることに、21世紀の今日も変わりはない。その上使用済み核燃料や放射性廃棄物の処理も、簡単にはゆかない。にもかかわらず私たちが原子力利用を決断し、支持してきたのは、エネルギー資源確保のほかに、安全操業が技術的に保証されているとする国と電力会社の説明を信じたからだった。ところが今日のありさまはどうだ。    
 次々に明るみに出た原発の不祥事は、①検査漏れ②検査データの改ざん③検査中の原子炉事故④報告義務違反の四つである。いずれも深刻であるが、検査中に制御棒が脱落した事故については、改良前の沸騰水型原子炉の構造上の欠陥の可能性がある以上、現在稼働中の同型原子炉を停止して、対処方法があるのかどうかを徹底的に検討する以外の選択肢はない。       
                                   
 問題は、維持管理と運転にかかわる人間の、ミスである。「人間の技術に完全はない」という理性と「それでも原発の事故は絶対に起こしてはならない」という現実に立って、原子炉には何重もの安全装置が備えられている。 
にもかかわらず、定期検査を欺き、データを改ざんし、臨界事故まで隠していたとなると、人はもはやシステムが想定している以上に、出来が悪い生き物だと考えるほかはない。                       
                                   
 そして、人間の出来が悪いのであればなおさら、国と電力会社はミスが起こるたびにシステムを見直し、改善に改善を重ねて安全を確保すべきところ、それすらも怠り、隠蔽(いんぺい)し続けてきたのである。今日の事態は、日本人は原子力を利用する資格がないと言ってもよいほど深刻であると、まずは言いたい。                            
                                   
 半世紀前、原子力発電は国が主導して推進された。旧通産省と科学技術庁の二頭立てで責任の所在があいまいだった歴史は経済産業省が主導するかたちになった今日も尾をひいている。電力会社と重電メーカーと国はいまも時代遅れの巨大な産業体を構成したまま、時代の変化に即応することもできず、ひたすら思考停止している感がある。                  
                                   
 それだけ特殊な技術でもあるということだが、年々新たな立地が難しくなって四半世紀余り、エネルギー多様化や産業構造の変化の傍らで、原子力技術の担い手は確実に層が薄くなりつつある。原子力工学科を廃止する大学
増えたいま、一度薄くなった層は簡単にはもとに戻らない。しかも、現状では著しい技術の発展も望み薄であり、私たちは年々原発の安全への不安を大きくしているのである。                        
                                   
 今日の原発関係者の質の崩壊は、「臨界事故を隠蔽する」という発想に如実に現れている。技術者であれば、検査中に制御棒が脱落するような事態に直面したとき、まずは原子炉の構造上の不具合を疑って青ざめるべきだろう。臨界事故など、まさに会社の体面や保身以前の恐怖であるべきだろう。そう でなかったというのなら、これは会社や業界の体質以前の問題で、そもそも原子炉とはどんなものかが分かっていないのだと言わざるを得ない。核分裂の制御ができない状態がいったい何を意味するのか、分かっていない人びとが、マニュアルを頼りにスイッチを入れたり切ったりしているのが原発の現状だとしたら、これ以上の悪夢はない。                 
                                   
 私たちは、将来も原発と共存せざるを得ないのである。まずは政治、監督官庁、電力会社、メーカーの間で責任の所在をはっきりさせ、次に、薄くなった技術者の層を回復する手だてを大急ぎで取ることである。 

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次に、最新の論考を抜粋で紹介する。

論考② 

<時評 社会>原発を捨てられるか否か 未来への選択 決断の時

高村薫

2011/04/20, 北海道新聞夕刊

 未曾有(みぞう)。想定外。壊滅的被害。東日本大震災発生から1カ月余、私たちはどれだけこれらの言葉を繰り返したことだろう。地球規模の自然の前で人間の営みはときに為(な)すすべもないことを思い知らされてもなお、被害の大きさを捉えきれず、受け入れることもできない私たち日本人のいまの思いが、これら紋切り型の言葉に集約されている。

<中略>

今回の大震災では、福島第1原発の原子炉4基が冷却系の外部電源を失い、一部が炉心溶融に至るという最悪の原子炉災害が引き起こされた。水素爆発による原子炉建屋や、格納容器の損傷と、高濃度放射性物質の大気中や海への漏洩は、半径数十キロ圏の住民の生活を不可能にしたばかりか、飲料水や土壌、農畜産・海産物への放射性物質の蓄積が、周辺地域の生活経済を将来にわたって崩壊させようとしている。さらに、日本からの食料品の輸入禁止措置に踏み切る国が増え、観光客が消え、投資も縮小して、日本経済も当分冷えきってゆくだろう。原子力が安価な電源だというのは大嘘である。

 この世界有数の地震国で、チェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。今回私たちは、原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は、安全か安全でないかではない。そんなことは神しか知らないのであり、要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。

 このまま漫然としていては中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけであれば、決断の一つや二つしないでどうするか。

 私たちはいま、16年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安が一つ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動きだす。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそそうした希望を語るときだろう。

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(なお、②の道新の記事は残念ながら同紙のサイトには掲載されなかったので、やむを得ず一部抜粋で引用した。この論考はナット上でも数多く取り上げられたが、本文に接することができなかった読者も多かったことと思う。推測では共同通信からの配信であったと思われるのだが、残念ながら共同のほうでもネットでは取り上げなかったようだ)

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三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960
山口弥一郎の三陸集落調査
http://d.hatena.ne.jp/meiji-kenchikushi/21001110/p1

大津波の危険性を説いておられた地理学者山口弥一郎先生
2011-04-06 07:49:17 | 思想家
http://blog.goo.ne.jp/ikeiketarou/e/228e85914308b21a3751fe3a897eb30e

被災地の集落移転分析 『津浪と村』山口弥一郎著、石井正己・川島秀一編
http://flat.kahoku.co.jp/u/bookreview/BxHF9mb4lXLpN0MhzqWD/

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赤坂:

再生可能エネルギー自体は価値ではないが、。。。地方分権の手段となりうる

50年後、8000万人の日本

結論
「今回の災害は、災害前に存在した問題を加速的に露出しただけである。これから行うべきは復興ではなく、旧来の問題点の解決、である。もちろん、原発を含む」

さすが、リアリスト、高村薫。


がんばれ!NHK とは。。。。。 あきれた東京新聞 [diary]

「がんばれ、NHKとは。。。開いた口がふさがらんぜ、東京新聞

キャロライン(にはそんな判断能力は無い、大使館側=米政府の意向だよ)がNHKを忌避しているのは、トンデモ経営委員長(籾井)と経営委員(百田と長谷川)の言動であることは明白ではないか(すくなくとも)。

がんばれNHK ではなく、頑張れ籾井!頑張れ百田! と言うてみろ!
...
しかも、東京裁判に疑問を投げつけ(後述)、従軍慰安婦はなかった(各国でやっていた)などと発言している。キャロライン(大使館側)はインタビューを受ける責任がある、などと能書きを言っている場合か?

東京裁判を受け入れない、ということは、サンフランシスコ講和条約の前提を覆すことだ。裁判は確かに疑問がある。戦勝者の裁判であることは明らかだ。それをいうのであれば、東京裁判をやり直せ(原爆も、731部隊の犯罪も、天皇の責任も問い直せ!)、裁判&新憲法を前提としたサンフランシスコ講和条約の署名も撤回する(日本の独立を認めてもらわなくて結構だ)、つまり、ポツダム宣言の受諾を撤回する(もういちど連合国と戦争状態になる)ということだ。 それほどの重要な意思表示を、馬鹿経営委員(百田)は行っており、安部馬鹿首相はその言動も問うこと無く(あたりまえだ、安部に代わって発言しているのだ)居座らせている。

経営委員の発言は上記のような明白な政治的発言である。元・連合国側の国の政府が認められるような内容ではない。それを放置している日本国政府もあきれるが、国会議員や法律専門家の追求の仕方も手ぬるい。事態の重要性が理解できていないのである。



キャロラインがNHKのインタビューを受け入れるということは、馬鹿経営委員の発言と思考方法を認めている、ということになるのだ。

少しは歴史を勉強しろ。オバカ東京新聞の記者ども。

さらば、東京新聞。今月で購読停止だ。小学生並みの記者が書いたアホ記事を誰が読むか。
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自称「最高責任者」によるオレオレ詐欺、いや、強姦 [diary]

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オレオレ詐欺、というより、白昼堂々の押し入り強盗だで。

「オレだよオレ。総理だよ。公共放送の会長に下品なオヤジヲ送り込むのも、憲法解釈を決めるのも、オレの仕事」
「オレ様の憲法解釈が裁判所で違憲判決を受けても知ったことか」


押し入り強盗=安部が正しい。ニッポン国民がこんな強盗/強姦野郎を首相に選んだんだから、我慢せにゃならんわな。押し入られても強姦されてもな。

裁判所判決「ワッカンないけど、和姦だろ?」 米軍基地も(土地は強制収容したが)、原発建設/運用も、住民に金をばらまいて買ったのだ、文句あるめぃ?


宇都宮健児のフライング? [diary]

宇都宮健児 + 落合恵子、で検索すると、<宇都宮健児のフライング>という記事(ソースは同じ)が多数ヒットする。宇都宮陣営が共産党の支持を取り付けるため落合恵子に先駆けて立候補表明。。したと、宇都宮陣営をなじっている。

フライング? 政党(この場合共産党)とは最初に立候補表明をした候補者を支援するものなのか??

ブログ記事>小さな問題に見えるが、私には大きな問題として映る。日本の左翼業界の壊死という問題だ。。。。。

小さな問題というだけでなく愚劣な問題、ゴミな問題であるのよ。あはは。そんな政党など相手にせず、単独で立候補すれば良いではないか。宇都宮は独自の政策によって支持されるのであり、共産党(政党)が支援しようとしまいと宇都宮(に限らずどの候補者も)の価値は不変のはずである。宇都宮健児を<左翼業界>だという視点が笑わせる。モシ本当であれば左翼業界大いに結構ではないか。対米従属利権業界・政界にくらべれば百倍マシである。

フライングの有無など、細川・コイズミの政策(そんなもんがあるの?)があまりにチンケ、でありふたりの人格と、政策(原発オンリー)の実現性は疑わしい、と考えるものにとって、ゴミ問題である。脱・原発一つとっても、まず、電源三法(憲法違反である)を廃案にし、再稼働禁止法を上程・可決し、米国と対決しなければならないのだ。一朝一夕に実現など出来ない。戦いは最低十年以上かかる。

脱原発は、改憲阻止と特別秘密法廃案にもちこまねば、絵に描いた餅である。改憲と秘密法について口を閉じているコイズミ・細川が脱原発をやる、などとホンキで考えているわけが無い。

ブログ記事を信ずるならば、この<フライング>によって鎌田慧、広瀬隆、澤地久枝、瀬戸内寂聴などのジジババたちがもんどり打って細川・コイズミにナビイタということらしい。ならば、このフライング作戦大成功ということじゃないか?こんな軽佻浮薄なジジババは、今後数十年は継続せねばならぬ脱原発運動にとって有害無益な存在でしかない。


2014.01.30 「世に倦む日々」ブログの「落合恵子への都知事選の出馬打診 - 宇都宮健児のフライング」という宇都宮陣営の「内部事情を知る者」からの「告発」に基づく指摘  http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-772.html

舛添要一の現在の妻は創価学会の幹部 [diary]

                         masuzoe.jpg 
http://inagist.com/all/422785171096875008/
舛添要一の現在の妻は創価学会の幹部で ある事が判明!舛添プッシュは公明党の要望だった! デヴィ夫人が田母神俊雄氏応援演説で特大爆露! http://t.co/ItjYJlB2YE 創価100万票は舛添か?井上太郎さんのツイートから舛添氏の擁立推したのは公明党創価学会



おもろいが、もっとマシなソースから情報を出して欲し。 ...
公明党=大作党、はカルト党だが、自民だってカルト=靖国教信者だからな。

わざわざ拡散しなくても今夜NHKが調査してニュースで伝えるだろう。
阿修羅
(拡散)舛添要一の現在の妻は創価学会の幹部である事が判明!!!舛添プッシュは公明党の要望だった!!!…
http://www.asyura2.com/14/senkyo159/msg/425.html
公明党を国会から追放、創価学会から宗教法人資格を剥奪せよ 

小林秀雄のことなど [diary]

大晦日の昼、本屋に出かけて新刊の新潮文庫(平成24年1月1日刊)、小林秀雄対談集『直感を磨くもの』、を立ち読み。湯川秀樹との昭和23年対談が読ませる(私の生まれた年だ。ノーベル賞受賞の1年前)。岡潔との対談『人間の建設』と合わせて買った。

『人間の建設』は初版(ソフトカバー)を私は買って読んだ。高二のときだ。。。半世紀ぶりに再読し、。。数学というもののある程度の仕組みも分かった今、違った印象を得るのじゃナイだろうか。

『直感を磨くもの』、冒頭は三木清との対談である。昭和16年8月。三木清は治安維持法により投獄され、昭和20年9月26日獄死した。敗戦後ひと月も経っているのに政治犯が解放されず西田幾多郎を継ぐべき高名な哲学者を死なせてしまった。http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-09-09

三木清の死を小林秀雄はどう考えたのだろうか?


小林秀雄はベルクソン研究家と言ってもよい。小林の長大な『感想』(科学論あるいはベルクソン論)は中断し、小林も生前刊行を拒否したが、遺族の了承を得て新版小林秀雄全集には収録された。新潮社は『感想』を早期に文庫化し、高校生にも読めるようにしてもらいたいものである。若い人の教育の重要性を主張した小林である、了承してもらえるだろう。




新年が明け、寝るとき、いつものように買いためた海外ドラマdvdを見た。。。

ホワイトハウス、の第七シリーズ。。。なんと、カリフォルニアのとある原発で大事故が発生するのだ。放射性物質が漏れる。。

視聴者には事実を隠せ!とか、日本と同じ対応??イヤ、そんな馬鹿なことはない、大統領の決断で住民に知らせるのだ。高速道路は大渋滞するからしばらく待てという助言を振り切って、「赤ん坊が自宅で被曝するよりは増しである!」という大統領の決断だ。事故の知らせを聞いた直後の大統領の言動、原発に対する知識の豊富なこと(もちろん、脚本によるのだが)。

(結局、大事故~メルトダウンには至らなかった。NCRの技術者二人が被曝覚悟で決死隊として建屋に入り、壊れた配管とバルブの修理に当たり、無事冷却が再開したからだ。ひとりは被曝で死亡した)。

これが放映されたのは2006年だ。

このドラマを見て、同じく驚いた人のブログを紹介しよう。
原発事故は想定内だった!『ザ・ホワイトハウス』最終シーズン 
http://sakos.ti-da.net/e3573556.html

他の国ならともかく、北朝鮮やニッポンの政府は、いまからでも遅くない、ホワイトハウス、観てベンキョした方がいいのじゃないか。

世の中をゆり直すらん日の始め    小林一茶


愛国心などこれっぽっちも無いよ [diary]

オレには愛国心などこれっぽっちも無いよ。なんか?
外国に攻撃された? ほっとけ。 

これで自衛隊員を9割減らし軍備も大幅削減、日本の空と陸からベーコクを追い出して、晴れて独立宣言。 ひとならなろう、独立国に。 予算予算換算で年間10兆円は浮く。

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手袋を買いに [diary]

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お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする♪。。。と、歌いながら、深夜でかけた、24時間開いているスーパーに。
手袋を買いに」
キーボードを打つ手も凍りそうだった。
足炬燵だけでやっているからな。
食事を部屋に運んできてくれた娘が
。。サブっ、とーさんストーブつけなよ、身体に悪いよ!
ダイゼブダイゼブ。...
学生時代@下宿は足炬燵と毛布だけで過ごしたのだ。
10月のガス代と電気代併せて1万円に抑えた。我が家のレコードである。
次女が家から出たのが大きい。オーブンを使わないし。。風呂も気ままに入っていたからな~(アパートでいくらガス電気使っていることやら。。)

指の先がいい具合にあいている手袋が見つからなかったから。。はさみで二センチ、手袋の指先をちょん切った。
ネックウォーマー、というのも買った。たしかに暖かいが。。首のリハビリやっている感じ。肩がこるわい。

吉松育美を知っているか? [diary]

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吉松育美ブログから引用。
http://ameblo.jp/ikumi-621/


あのステージで言った、私のファイナルスピーチを思い出しました。


I believe that the success of winning the tittle is based on how many people you can inspire, how many communities you can help, how much change you can bring to the world.
As women we have endless potential.
We can be ANYTHING we want to be.
We can accomplish ANYTHING we choose to accomplish.
In politics, business, science and education, we are uniquely capable of leading the future.

(訳)
「タイトル」を持つことの責任というのは、どれだけの人に影響を与え、いくつのコミュニティを助けることができるか、そして、どれだけの貢献を社会に残すことができるかである。
女性として、私たちは無限の可能性を秘めています。

私たちは、なりたいように人生を切り開くことができます。

私たちは、どんな目標であっても達成することができます。

それは、政治、ビジネス、科学、そして、教育と、どんな分野であっても
私たちは、未来を切り開く能力を秘めています。


一年前、あのステージで世界中に発信したはずの私のメッセージは、一年後の私に対するメッセージだったんだと、ふと感じた今日でした。

####

恥ずかしながら私は知らなかった。
昨日キヨスクで購入したジャパンタイムズを読むまでは。
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/12/11/national/celebrity-stands-up-to-talent-agency-stalker/#.UrJHHGfxucw

なぜジャパンタイムズが元ミスインターナショナル(昨年度の日本代表で優勝者)を取り上げるのか?。。。吉田育美が海外報道関係者を対象にした記者会見を開いたからであるが、その内容たるや驚愕モノである。

吉田育美が表現活動するにあたって既存の芸能事務所では無く独立したエージェントを設立しようとしたことに対する嫌がらせがあったらしい。その嫌がらせも並ではないストーカーや拉致の恐怖も味わった、というもの。 いったいどこの国の、どの世界の話か。

さらに驚愕(かつ底知れぬ恐怖)を与えるのは、日本のマスゴミがこれをいっさい記事にしていないことである。APをはじめとした海外紙が続々報じているのに、である。 ゴロツキと緊密な関係にある公安・警察の意を忖度してのことだろう。

特別秘密保護法で利益を得るのは警察公安であるが、そんな法律など無くてもシッカリとマスゴミの体内や脳内にこの法律はインプリされているのだ。


これまでの経過をまとめている記事。
http://n-knuckles.com/media/mass/news000950.html

おなじくブログ。
http://saigaijyouhou.com/?no=1401


芸能事務所にゴロツキが絡んでいる(つまり警察と政治が絡んでいる)ことは知っていたがこれほど露骨な犯罪行為が白昼堂々と行われているとは知らなかった。それを告発した吉松育美は立派である。

クソなのは、ジャパンタイムズ(歴史あるリベラル紙である)以外のメディアはどこも報じないことだ。

しかし良いこともある。これで、日本のマスゴミは、公安警察の意を汲んで(今回はどのような経緯でマスゴミが全く報じないのか知らぬが)なにも報じない、ということが白日の下にさらされた(とはいえ、ネット上ではこの関連記事は片っ端から削除されているようだ)。 つまり、特別秘密保護法などあってもなくても関係ない。 公安の意を解したメディアが自主規制をやっているのである。これは今に始まったことでは無い。戦前からその体制はできあがっていた。新憲法など表層現象。戦前の内務官僚、教育官僚、軍事官僚(これは自衛隊に横滑りした)の精神と仕組みはいまだにゾンビのように生き延びているのである。

いったいなんたる国か。北朝鮮とニッポン。極東の未開国である。


 
 こんなクソのような国から出た真珠。それが吉松育美である。姿形が美しいから真珠なのでは無い。恫喝と暴力にも屈せず、正義を貫こうとしているから真珠なのである。

クソとは日本の政府とマスゴミ。 いや、クソでは済まないのは政府と公安である。日本政府こそ憲法と公序良俗に違反する法律と暴力で国民の主権、自由を日常的に侵しているテロリストなのだ。

##

2014年。吉松育美ブログから。

 裁判所では思わず感情的になり「この期間の間に、身に何かあったらどうするのですか?!」と言うと、裁判官に眉間にシワを寄せられ「それは弁護士の先生方に相談してください。」と言われる次第で、頼れるのは自分しかいない。と肩を下ろして裁判所を後にしたこともありました。

私の自宅に侵入した執行官の件の調査も進んでいます。
...

裁判所からは「お願いだから、この件は無かった事にしてくれないか。」と連絡が入ったりと…、言葉にも出ないこの現状。

http://ameblo.jp/ikumi-621/entry-11745909082.html

これが暗黒社会,ニッポンの現状である。


国民年金滞納者、差し押さえ…予告督促状送付へ [diary]

これは凄いことだ。

差し押さえる財産~預金、を持っている人間が滞納するだろうか?

親や家族名義の家や土地クルマを差し押さえる、というのか?
滅びの道である。

浪費生活をしているのでもないのに 国民保険<税>を払えない、衣食住を切り詰め、最低の文化生活も営めないのは、誰の責任か。


#
国民年金滞納者、差し押さえ…予告督促状送付へ

読売新聞 12月12日(木)20時53分配信



 厚生労働省は12日、国民年金保険料を指定された期限までに納付しない滞納者全員に対し、財産差し押さえを予告する督促状を送る方針を固めた。

 13日の社会保障審議会専門委員会に案を示す。

 督促状が届くと同時に延滞金が課されることになる。ただし、督促状で指定した期限までに納付されれば、財産差し押さえは行わない。

 現在、督促状は一部の対象者にしか送付されていないが、厚労省は日本年金機構の担当職員を増やして対応する。
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最終更新:12月12日(木)20時53分

福島の母たちに賛同を。 枝野&枝野に入れ知恵した経産省官僚どもに抗議を。  拡散&署名依頼 [diary]

福島の母たちに賛同を。 

枝野&枝野に入れ知恵した経産省官僚どもに抗議を。  

拡散&署名依頼

賛同の方、署名をしてメール送信願います。フォームは下記アドレスにあります。

http://www.avaaz.org/jp/stand_with_fukushima_mothers/
福島の母たちと立ち上がる24時間



いま、恐ろしいことが起きつつあります。福島のお母さんたちは、子供たちのために、放射能汚染のない未来を築くことを求めて、経済産業省前で平和的なキャンペーンを行っています。そのお母さんたちに対して、枝野幸男・経済産業大臣が退去命令を出しました。警察がお母さんたちのテントを撤去しにやってくるまで、あと24時間ほどしかありません。警察を止められるかどうかは、私たちの今の行動にかかっています!

枝野大臣は、影響力ある原子力産業の圧力に負けつつあります。原子力産業は、福島のお母さんたちの闘いが社会の注目を集め、その真摯な努力が実り始めていることに脅威を感じています。今、全国で多くの国民が、お母さんたちの闘いに呼応して、危険な原子力発電をやめるように、声を上げ始めています。この勇気あるお母さんたちが警察によって立ち退かされないように、私たちが今、みんなで支援をしなければ、子供たちの命を守る闘いはつぶされてしまいます。

残された時間は一日だけです!今すぐ、枝野大臣の受信箱に何千通のメッセージを送り、退去命令の撤回を要請しましょう。枝野大臣をはじめとする政治家たちにとっても、人命や安全が大事か、それとも目先の利益に固執するのか、選択の時が来ています。いま、福島のお母さんたち、そして脱原発に取り組む活動家たちとともに立ち上がり、原子力産業の汚いやり口を終わらせるために、クリックしてください。そして、このメッセージをすべての人に伝えてください。

友達に伝えよう!

### 追記

mixiコミュで署名を募ったところ、avaazの活動に疑念を示す人がいた。
わたしも検索したが、その活動を罵倒するひともいる。

なかからひとつ紹介する(わりと中立的な見解のひと)。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/79d25be13f3a381e4cbb9e4494d77ec2


mixiでは次のようにわたしの意見を述べた:

わたしは、Avaazに関する情報を知りません。不評なのですか?
個人情報が漏れていた過去があるのですか?

Avaaz以外でも、電子的手段により署名活動をすれば、というより署名活動全般は 署名した人の情報(電子メールアドレスなり、住所なり、個人名なり)を提出しなくてはならないでしょう(単に人数だけ相手=経産省につたえればいい、ということはない)。

すると、経産省や警察が悪意に使用すれば、こいつは反原発派だ、とリストを作ることなど簡単にできます。
あらゆる署名活動が危険、ということになりますね。

ここまではわたしも依頼する前に考えました。それ以後は分からない。

(各人が検索するなりしてAvaazの活動状況をチェックしてください)。

天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」 [diary]


天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」の全文は次の通り。 http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY201112220848.html

#

 先月マイコプラズマによる感染症を患い、入院を余儀なくされたことから、多くの人々に心配を掛けました。私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します。退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。

 3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。また住まいや生活の場を失った人々、原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、そのことを非常に心強く思いました。また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。

 厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。

 諸外国からも救援の人々が来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、自分たちは被災者と共にある、という言葉が添えられていたことが思い起こされます。

 歴史を振り返ると、我が国は、今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の「三陸地震」を始めとし、これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。私が津波の恐ろしさに接したのは、平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。島は地震と津波で大きな被害を受けており、200人以上の死者、行方不明者が生じていました。少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、もしこの度の被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。この度の津波災害においても、避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、施設面の充実と共に、今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。

 私どもの住む日本は、四方に海を持ち、山や川も多く、風光に恵まれた島国です。一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、時に荒れ、多大な被害をもたらします。この厳しい現実を認識し、災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。

 今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。

 今年は豪雨による災害も、7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、様々な対策が講じられた成果であり、防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。

 水害はタイ王国でも起こりました。国王陛下は長らく御入院中で、この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。タイの水害は日本の産業にも影響を与え、タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、生産を再開することになりました。言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は、改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。

 今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り、戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。

 振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。日本人全体がこの震災に向き合い、被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。本年もあと僅(わず)かになりました。新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。来る年が少しでも良い年となるよう願っています。

###

 

 
古代より列島を繰り返し襲ってくる災厄。。つまり 自然災害、のほかに、

無知な為政者、業界人、学界人の愚行、怠慢、による人災。

これらに、国民はじっと、耐えなさい、

。。というてるみたいやね。




強きものは弱きものを救う、富めるものは貧しいものを救う、義務があるのです。

と、一発かましてほしいね。日本国憲法を読み直しなさい、と。 貧しい人はどんどん貧しくなっていく。天皇は現在の失業率を知っているのだろうか。職に就きたくても仕事がないワカウドが塞いでいるのを知っているか。職に就けたと言っても最低賃金700円でどれだけの文化的生活が営めるというのか。子供が勉強したい、といっているのに大学にもやれぬ親が多く存在する。貧困は誰の責任か。天皇と皇族は衣食住の心配をする必要がない。食べたいものを食べ、いきたい大学に入れ、なんでも自由に学べる。この自由(ホントに自由?)と豊かな生活はなんだろう?と疑うことはあるのだろうか。日本はすでに滅亡の入り口にいるんですよ。生活が保障されている人が直言せずに、誰が言うか。
 

 
上の意見をよんで、それ(自由な発言)は政治行為にあたるで~、と忠告してくれる人物がいた。政治的行為を認められていない天皇が何を言っても無力、だとおもうが(天皇個人の意思表明を政治力とするかどうかは、国民の民度による)。それ(無力)は望ましきことなのか。天皇も一人の人間である。天皇にも基本的人権を認めろ、つうことだね。自由に発言したって罰則はないんだから。ご随意に。現在の<天皇制>は解体だが、もともと人間の本性に反する制度など早晩、解体の憂き目にあうのである。憲法第一章なんてのは尾てい骨のようなもの、有り難がるものではない。
佐藤優、山川均の護憲論、天皇制
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-04-15-1

ボランティアが不足 NHKニュース [diary]

今朝、NHKニュースで、東北各地で災害復旧を手伝ってきたボランティアの数がこのところ激減している、という。

検索すると激減傾向はすでにゴールデンウィーク終盤から始まっている。神戸地震と比べると集客?の便が悪い(交通の便)。。というだけの理由でもないのか?たとえば、フクシマ原発からの放射能被爆を畏れてのことだろうか(ボランティアには若い人、が多いのだからこれは深刻だし当然のことだ)。

 地元がボランティアに頼る、のはわかるが、それでいいのだろうか?なさけなくねえか(国と地方の政府に言っているのだ)。ニッポンは自然災害、台風、大雨の多い国であることは分かっていながら、専門の災害救援部隊、というものがいない(消防や警察に多くは期待できない)。ところで、自衛隊は何をしているのだろうか?震災直後は自衛隊もかなりの数を繰り出して救援や復旧をやっていた。もう終わりなの?自衛隊予算は年額5兆円という。それでなくても大赤字の財政を抱えているのにこんな大金をかけて大人を遊ばせておいていいのか?遊ばせているのである。目の前の敵(自然災害)で国民が苦難しているときに、それを無視して、戦争の準備だ、砲撃訓練だ、迎撃訓練だ!と日々、いそしんでいるのだろうか?戦争、とはいったい何なのか?国防とはなんなのか。ソ連や中国、北朝鮮、米国を仮想敵国としてドンパチ訓練をやるばかりが能じゃないだろう?自然災害から素早く復旧しないでは戦争にもならないぜ。自然災害、あるいは、原発事故の直後に外敵が攻めてきたらどうするんだ。敵は内にあり。

災害救援が自衛隊の職務でないのなら、自衛隊の数を3割に削減して、残りは常設の災害支援部隊、あるいは、土木工事部隊として来たるべき大地震の備えに向かわせるべきではないか。やるべきことはなんぼでもある。名古屋はちょいと大雨になればたちまち民家が水浸し。都内など大雨と地震が来れば地下鉄網は浸水し、死者も出れば交通網が遮断される。原発で飛散する放射物質におののいている国民がいる。市政は手も足も出ない、というお粗末。<国防>を職務とする防衛庁よ。何考えているの?いま。

国防、とは何を護るのか?国民の生活を守る、ために戦争を(やむを得ず)起こし、日頃の国力を充実させておく、そのために計画と活動をおこなうのが防衛省ではないのか。国防上の観点から、原発はすべて廃止、停止すべし、くらいの提案でけんのかい?省エネに耐えるくらいの知恵がないと長期の戦争、耐えられないぜ。

仮に、米国の原発(東部に集中。地震の多い西部にはない)に地震が発生、あるいは、西海岸で津波が発生、したとしよう。一年近くになっても片づけが終わらない、ボランティアさ~~ん、と救援を求める状況、などおよそ考えられない。米国には自然災害復旧を専門にする災害救援部隊が常設されている。ハリケーンなどで家が破壊されれば当座の生活資金として二万ドルの小切手が翌週、各家庭に連邦から送付されてくる。

  列島が放射能漬けになり、国家が財政破綻でひっくり返る、というときにも、防衛省は次期戦闘機機種はなんにすべ?と鳩首会談を地下防空壕でやってるんだろう。

サブ過ぎ、だよ。

2012-01.jpg

去年7月30日いわき市小名浜にボランティア作業に出かけたとき、隠れるようにして撮った写真。隠れるように、というのは、現地の写真を撮らないでください、とボランティア作業を管理する人の指示があったから。しかし、破壊された民家ではなく(作業者の中には注意されているにもかかわらずケータイで撮っている人がかなりいた)、海岸から太平洋を臨む風景だからいいだろう、と(それでも後ろめたい気がした)。この写真の右下に崩れた道路が写っている。黒く見えるのは海水が住宅地に流れ込むのを防ぐため積み上げられた土嚢である。津波から5ヶ月も経過したのに我々が作業にいくまで手つかず状態の民家が残っていたということだ(民家から家具を運び出し、分別し、袋詰めにする。これをトラックが運ぶ。その後で民家は重機により破壊される。海水は民家の二階の窓の高さまで侵入した。われわれが作業した民家はこの写真の場所から50メートルの場所にある)。海岸に堤防が走り、見渡すばかりの太平洋。小さな河が海に流れ込んでいる。。日本のあちこちでみられる典型的な海辺の町である。


残菊に [diary]

                          残菊111211_1030~01.jpg

毎年毎年、歩道脇の、同じ場所に菊が咲き、冬になっても華をつけ、越冬する。まるで年中咲いているかのようだ。

わたくしは、毎年毎年この時期になると、足を止め、じっと見つめ、写真を撮り、愛でてやる。

ことしは、数本切り取って机上に飾った。ドライフラワーのようなもんだからいつまでも、この姿をとどめているだろう。花瓶の菊をよく観察すれば、花の数を上回る数の、大小の蕾を抱え込んでいる。花弁にはお供してきたらしい小さな蜘蛛が動き回っていた。

つまらぬ句をつくってみた。

残菊や年越すものはつよかりき
残菊や過ぎる時間を指先に


残菊を切りて机上に飾るべし
残菊を悲運の我に重ぬべし
残菊は我が忌日にこそふさわしき
残菊の葉と茎と根と花弁と

残菊はうつくし妻に手向けるべし
残菊の西日にこたえて白銀に
残菊は見たり女の涙すを

残菊ぞ蒼き月夜にしずくする
残菊を見下しひとの通り過ぎ
残菊に気づかざることこの一年
残菊は爽やかなりし朝日浴ぶ

残菊を腐臭の街から護るべし
残菊を揺らすものなにもなかるべし
残菊はものいわぬなり復活祭

残菊の孤立無援の生を終う


残菊111227_0827~01.jpg

池田大作 daisaku ikeda @ ジャパンタイムズ Japan Times [diary]

今朝、Japan Times を読んでいたら、daisaku ikedaからの寄稿が見つかった。
本日の記事 japan times
http://www.japantimes.co.jp/text/eo20111223di.html

世界(岩波)1月号には、ダイサクは重病、と書いてある。
え? 同姓同名の記者がいるの?と一瞬目を疑った。
 
いや、投稿者は,あの大作である(池田代作)。 上記投稿の最後、筆者紹介。
Daisaku Ikeda is president of Soka Gakkai International (SGI) and founder of Soka University and the Toda Institute for Global Peace and Policy Research.

ジャパンタイムズにはこれまでも継続的に<池田大作>が寄稿しているようだ。本人が書いたのか?影武者なのか?まだ生きてるのか?

検索すると、
http://www.japantimes.co.jp/text/JTsearch5.cgi?term1=DAISAKU IKEDA
これまでに22回、ジャパンタイムズに投稿している。


2006年から、ジャパンタイムズの社内問題になっているようだ。 

『FRIDAY』 2006.07.21  を引用。http://blog.goo.ne.jp/c-flows/e/c9df457580f160a0231b2608758e5705

 告発ルポ
 「巨大宗教団体・創価学会のPR記事だ」と現場記事が猛反発
 ジャパンタイムズが「池田大作コラム」で内紛勃発

 前頁では、創価学会を二分する覇権争いの内幕をレポートしたが、国内でもっとも長い歴史を誇る(1897年創刊)の日刊英字新聞『ジャパンタイムズ』(本社・東京都港区)も“学会騒動”の渦に巻き込まれている。
 コトの発端は、今年5月から同紙上で、池田大作・創価学会名誉会長(78)の連載コラムが始まったことにある。このコラムは毎月第2木曜日に、計12回掲載される予定だが、これに『ジャパンタイムズ』の社員たちが猛反発。上層部に連載の中止を求める事態となっているのだ。『ジャパンタイムズ』の社員が語る。
「創価学会はフランスではカルト団体とみなされた一方、特定の政治団体(公明党)と一心同体の関係にある。これら問題を抱える宗教団体のトップにPR記事を書かせ、おまけに連載枠を与えるとは言語道断。報道の公平性の観点から言っても、許されることではない」
 5月末、反対派の社員たちは『池田大作のコラムに反対する有志の会』なる差出人名で、小笠原有輝子社長宛に連載中止の要望書を提出した。『有志の会』は匿名の集いだが、その反響は大きく、社員約260人のうち過半数の支持を得たという。実際、そうした声の強さから、同社の上層部は社内メールで回答を示さざるを得なくなったのだか、小笠原社長による説明はこんな内容に止まっていた。
「池田大作氏のコラムについては、報道の公平性を保つために、他のオピニオン・リーダーのコラムも載せるように、編集局と営業局の幹部に指示を出した」
 肝心のコラム連載の是非については、触れずじまいだったのだ。しかも、ほかの執筆者を立てたところで問題は解決しないのだから、『有志の会』にとっては、まるで意味のない回答だった。前出の『ジャパンタイムズ』社員がこう語る。
「今回の連載はウチの社から創価学会に申し入れたもので、学会シンパの役員がその橋渡しをしたようだ。この役員は編集部門と広告部門を兼任で担当し、大きな発言力を持っている。そのため、『ウチは近いうちに、学会に買収されるのではないか?』と疑う声も上かっている」
 社員たちが危慎するのも無理はない。同社には、創価学会との“蜜月関係”を窺わせる過去があるからだ。かつて創価学会発行の英字新聞の印刷を請け負っていたり、94年にはSGI(創価学会インターナショナル)の記事広告をデカデカと載せたりしていたほか、これまでも池田名誉会長の寄稿を数年前から4回、読み切りの形で続けていたのである。
 問題のコラムを翻訳して検証すると、池田名誉会長の我田引水ぶりも浮き彫りになる。たとえば、5月11日付の第1回コラムの文中にはこんなくだりがある。
<私は戦争の絶対悪を世界規模で体験した世代の一員として、暴力と戦争を消滅させるために、同年代の人間、そして若い世代と力を合わせて全力を尽くす責任を感じている>
 また、6月8日付の第2回コラムでは、池田名誉会長は戸田城聖・2代目創価学会会長に触れて、こう記している。
<戸田は日本の人々の権利と自由を奪い、日本を侵略戦争に突入させた軍事政権に抵抗した人物だった。そのため、彼は迫害を受け、2年間投獄されたこともあった。自分の信念のために投獄に耐えた人の言葉には特別な重みがあった。私は直感で、彼を信用できると思った>
 だが、ジャーナリストの乙骨正生氏は次のように語る。
「池田氏は03年1月26日の『SGIの日』に、開戦が迫っていたイラク情勢を前提として『軍事力を全否定するということは、一個の人間の心情倫理としてならまだしも、政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない』と述べていました。つまり、武力行使を容認するような姿勢を見せていたのです。また、戸田城聖が逮捕されたのは、戦争に反対したからではなく、伊勢神宮の神札を否定し、国家神道を国の指導理念とすることを批判したため、東条英機政権に睨まれたからです。創価学会が“ハト派”の団体で、池田氏も“平和の使徒”であると強調しようとして、こうした改竄をしているのでしょう」
『ジャパンタイムズ』は池田名誉会長にとって都合のいい言説をタレ流したと言われても、仕方がないのではないか?
 同社を取材すると、こう答えた。
「池田氏のコラムが議論を呼んだのは事実ですが、言論の自由を標榜する報道機関として、社内にさまざまな意見があるのは健全な姿であると認識しています。今後も、さまざまな立場のオピニオン・リーダーに執筆を依頼して参ります」
『ジャパンタイムズ』は連載を中止するつもりはないようである。報道機関としての矜持は、どこへ行ったのだろうか。
##



ガッカイシンパからの投稿もある。

池田大作死亡説信者の皆様へ 2011年 09月 10日
さて、池田大作死亡説信者の皆様。
これが、あなたたちが、北朝鮮からの回し者だとか、カネの亡者だと馬鹿にし、もって、死亡して1年になるとか、半死半生だとかと騒いでいる池田大作の今である。
クダラナイことばかり書くと、クダラナイ人生になりますよ。
死亡説信者の方は、くれぐれもご注意あれ。

http://sokanomori.exblog.jp/16833641/




こっちのほうを信用したいね。 全文引用。
http://forum21.jp/?p=118

2011年8月 特集/「原発の闇」に翻弄される池田大作&創価学会

投稿日: 2011年11月14日 作成者: okkotu

破綻・無内容の池田大作「震災寄稿」
溝口 敦 ジャーナリスト

 自動マシーンが作動している(?)池田コラム

 『聖教新聞』は7月21日付の1面に、
 〈国際通信社IPSのウェブサイトにSGI会長のコラム記事 東日本大震災『復興へ創造的応戦を』〉
 という見出しを立て、池田大作氏の短文を転載している。
 内容は例により「庶民」を強調する妄言である。
 「草の根のレベルで、一人一人を大切にし、相手の心の声に耳を傾け、励まし合う庶民の連帯にこそ、不慮の災害にも崩れぬ人間の安全保障の起点があるといって、決して過言ではないだろう」
 庶民でもないあんたには言われたくないね、といった感じである。庶民の膏血を搾り取って肥え太った池田氏に、庶民について喋々する資格はない。
 池田氏は福島の原発事故にも触れ、原発推進論者を刺激しないよう、狡猾にこう記している。
 「今後の具体的な選択は、それぞれの国で多岐にわたるであろうが、再生可能エネルギーの積極的な導入や、一層の省エネルギー化を図るための技術開発や資源の節約など、新たな歴史の潮流が生まれていることは確かだ。そこには、持続可能な社会の建設へ、人類の欲望の肥大化を抑え、聡明にコントロールし、昇華させゆく価値観の確立が強く要請されている」
 彼自身が福島の原発事故を眼前に見て、脱原発に考えを改めた、とは言わない。あるいは事故にめげず、原発をさらに推進すべきだ、とも言わない。あくまでも「価値観の確立が強く要請されている」と他人ごとである。主体性なき妄言をもっともらしく吐くことで高みに立ち、指導者風な物言いをするのは笑止である。
 池田氏の文章がすべてゴーストライターの手になることは見え見えである。個性がなく、読む者に引っかかりを感じさせない。職業的なゴーストライターが文章に破綻を来さないよう、語句にこだわり、流れをよくすることだけに務めているからだ。
 池田氏の意志でこうした文章を用意し、発表しているのか、という点さえ疑わしくなる。池田氏は去年5月以来、会員大衆の前に姿を現さず、わずかに表情を欠く数葉の近影だけが池田氏が存命していることを伝えている。池田氏は発話が可能なのか、健常な思考力を保っているのか、疑えばきりがない。
 ことによると、池田氏のゴーストライターシステムは行き着くところまで行って、池田氏の意志に関わりなく作動し、池田氏なら考えそうなことや、考える必要があることを推測して文章化し、公表する自動マシーンに化しているのかもしれない。『聖教』紙での『新・人間革命』の連載など、池田氏の現状に照らして奇怪である。
 だが、自動マシーンが作動しているにしろ創価学会の退潮は覆いようがない。早い話、今回のコラム記事を配信したIPSとは、どのような組織なのか。通信社としては、とんと名を聞かない。
 IPSについて、聖教紙は麗々しく次のように紹介している。
 「世界150カ国に取材・報道のネットワークを持つ国際通信社IPS(インタープレスサービス)」「IPSから各国メディアに対して配信される。IPSジャパンのウェブサイトで公開されている日本語の全文」……。
 これを読むと、ご大層な通信社のようだが、実態は国連の傘下組織と組んで、途上国の実態や声を伝えるだけのようだ。影響力はゼロに近い。仮に世界のメディアがIPSから池田氏のコラムを転載するにしろ、転載するのはSGI傘下の機関紙ぐらいだろう。
 IPSジャパンにしろ、かなりいかがわしいイメージがある。ホームページによると、同組織はNPO法人で、所在地が東京都墨田区千歳、会長が海部俊樹元首相、顧問にアンワルル・K・チョウドリ前国連事務次長、長井浩・一美総業代表取締役、小林茂和弁護士、梅本龍一(株)関西地学協会代表取締役など。理事長は浅霧勝浩・国際協力評議会(GCC)アジア・太平洋総局次長、理事は石田尊昭・尾崎行雄記念財団事務局長、谷本晴樹「政策空間」編集委員、土屋彰・城北税理士法人代表の三人である。
 こうした雑多な組み合わせと池田氏のコラムは案外相性がいいのかもしれない。

 無内容を糊塗するための外部権威依存症

 池田氏は『ジャパンタイムズ』6月28日付にも『復興への勇気』と題して寄稿している(聖教紙7月5日付)。内容は前の『創造的応戦を』と同工異曲だが、『応戦を』ではアーノルド・トインビーから引用し、ここでは福島県出身の歴史学者で平和提唱者、米イェール大学教授だった朝河貫一(1873~1948年)の言葉を引いている。
 池田氏は信仰者のはずだが、自分の信仰とは関係のない外部世界の権威を借りるしか、自身を装飾する手がない。自分が無内容だからだ。信仰者として虚弱であることは当然で、外部権威の依存症はここで破綻を見せている。
 まず『復興への勇気』では、自分を仏法者と規定して、こう言う。
 「仏法者として追善回向の祈りを捧げるとともに、被災者の方々のご健康と無事安穏、そして被災地の復興を、ひたぶるに祈らざるにはいられない」
 仏教を信じる者の言葉としては自然だろう。だが、『応戦を』では引用したトインビーの言葉「文明というものは、次々に間断なく襲いきたる挑戦に対応することに成功することによって誕生し、成長するものである」に引きずられ、自然災害への「応戦」や「不慮の災害にも崩れぬ人間の『安全保障』の起点がある」など、猛々しく軍事的な用語を多用している。
 自然と戦うのは西洋のキリスト教徒の発想だろう。仏教徒や日本人の多くは自然と戦うのではなく、自然と共生したいと願っている。万一自然災害に遭っても、この心性に変化はなく、自然に対して応戦しようという気持ちはない。単に災害を受け入れて、動じないだけだ。
 こうした日本人の心性が震災後、世界を感心させた被災民の落ち着きと忍耐の根っこに、あったはずである。
 池田氏、あるいはゴーストライターは外部権威依存症のせいで、こうした違いを感得できない。だから同じテーマを扱いながら、態度が二分する。極論すれば、東北大震災や福島原発事故に池田氏は何も感じなかった、無関心、無感動だったことを証明しているのかもしれない。

 痛々しい「存在証明」の努力

 池田氏がトインビーとの対談の中で原発推進論者だったことは本誌6月号で乙骨正生氏が明らかにしている。池田氏は「原子力が新たな、将来性あるエネルギー源として平和的に利用されることは、喜ばしいこと」とまで原発を賞揚していた。周りに核に通じるブレーンがいず、池田氏にも先見性がなかったのだろう。彼は福島の原発事故で観点を微調整したが、前記したように脱原発には踏み切っていない。
 問題は今なぜ健康さえ覚束ない池田氏が2つのメディアに寄稿する必要があったかである。寄稿することには少なくとも2つの目的がある。1つは寄稿することで、自分の思いを広く伝えたいという目的を持つ。だが、寄稿文が無内容だったことは前記した通りであり、池田氏が何も寄稿する必要はなかった。しかも発表メディアは影響力に難があり、聖教紙への転載だけが学会員に到達するルートになった可能性がある。
 2つ目は寄稿したという事実をアピールする目的を持つ。池田氏、あるいは創価学会官僚の目的はこれだったのかもしれない。池田氏は今なお大きな社会事象に対して、対外的に意見表明する力や権威を持つ。そのことの証明としての寄稿である。
 すでにポスト池田について検討が加えられている中で、こうした努力が続けられていることは痛々しい。そうまでしないと池田氏の権威は風化の危機にあるのか。しかも池田氏を賞揚する努力は池田氏の死とともに無に帰し、誰も個人崇拝という権威を継承する者はいない。諸行無常である。



本日のジャパンタイムズ記事、頭だけを。。

Learning about dignity
By DAISAKU IKEDA
Special to The Japan Times
On Dec. 19 the United Nations General Assembly, meeting in New York, adopted a historic new U.N. Declaration on Human Rights Education and Training.

As the first internationally agreed standard for human rights education officially proclaimed by the U.N., the new document provides an important foundation for empowering people by raising awareness of all human rights including the rights set out and guaranteed in the 1948 Universal Declaration of Human Rights and subsequent international covenants. It should enable intensified efforts toward the building of a universal culture of human rights.

以下略
http://www.japantimes.co.jp/text/eo20111223di.html


公明党を国会から追放、創価学会から宗教法人資格を剥奪せよ
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-10-04-1

おまえから、デグニテッ、と言われとうないわ。

元気なんなら、国会に喚問せよ! 消費税を上げる前に、政治活動をやっている宗教団体から法人資格を剥奪し、ガッポリ税金を支払わせろ。

月日は百代の過客にして [diary]

 

「先日、「松尾芭蕉の『奥の細道』のドイツ語訳を読んだが、訳がおかしいのではないか」と、ドイツに住む日本人に言われた。前にも同じことを言っていた人がいた。「やっぱり、分かっているようで分かっていないんですよね」とこんな時によくあるコメントが付く。日本人でなければ日本の古典は本当の意味は分からないという思い込みがあるから、こういう発言が出るのだろうと思う。国外の優れた日本学者たちとつき合ってみれば、この思い込みはすぐにくずれると思う。

 『奥の細道』に話を戻すと、最初の「月日は」の訳がそもそも間違っているとその人は言った。自分で読んだ時には、間違っていると感じた記憶が全くないので、気になって確かめてみた。「月日は百代の過客にして」の月日がSonne und Mondと訳してあるのを見て、その人は、「月日」というのは時間という意味なのに、太陽と月と訳してしまうなんて、初歩的な間違いだ、と言うのである。それが一般的な考え方かもしれない。」



以上、多和田葉子のエッセイ「月の誤訳」の冒頭部分である(単行本『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』2003年、岩波書店、に収録)。

多和田111213_0934~01.jpg




図書館で借り出した『エクソフォニー』を駐車場に止めた車の中で読んだ。タイトルに惹かれてこの短文から読み始めたのだが、引用した冒頭部分を読み、私は深く感動した。


この訳者は<月日>という日本語を知らなかったのだろうか?そんなことはないだろう。われわれが長いドイツ語単語を分解して語源を探るのと同じように、このドイツ人訳者も、月日というコトバを漢字に分解し、通俗的な意味(時間)ではなく、その元の意味(月と日と)に還元して翻訳したに違いない。日と月とは人類始まって以来人間生活の根元、さらにいえば、時間(意識)の根元にあった。

月、とは古語辞典によれば夜空に浮かぶ月、の意味に続いて、「月が全く見えない夜から、次の見えない夜までの期間の称。二十九日間または三十日間で、一年は十二ヶ月または十三ヶ月となる」(岩波古語辞典)。

おなじく日とは、「太陽をいうのが原義。太陽の出ている明るい時間、日中。太陽を出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。。」。


太陽も月もない、どこか遠い星に生活したと仮想しよう。そこではもはや時間は存在しないのである。


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

奥の細道、この冒頭の一句、上は李白の漢詩(夫レ天地ハ万物ノ逆旅、光陰ハ百代ノ過客。。。)を踏まえ、下は来ては去り去っては来る年々をいう、と現代語訳は云う。李白の詩を、「宇宙空間(天地)は万物の容れもの、時間(光陰、日と月と。月日)は永遠に留まることのない旅を続ける旅客である」と解してもわかったようでわからないという気分が残る。空間も時間も科学用語、つまり、わからないことをわかったような気にさせる気休め言葉にしかすぎない。

「時間とは何か?人が私に問わなければ、私はそれを知っている。問うひとに説明しようとすれば私はもはやそれを知っていない」 アウグスティヌス


多和田葉子は上の引用に続けて次のように云う。

「。。。この『奥の細道』のドイツ語訳は美しい。しばらく考えているうちに、こんな気もしてきた。中世の人間が「月日」と言ったとき、実際の太陽が出て沈み、月が出て沈む情景が、比喩としてではなく、具体的な生活感覚としてあったのではないか。わたしのようにコンピュータスクリーンの隅に出た数字を見て、今日は五月十八日か、と思ったり、もう十時か、と思ったりするのとは全然違う。もちろん、太陽や月が現代もないわけではないが、時間を計る道具ではなくなっているので、月日というのが、一種の比喩になってしまったと言うことができるだろう。しかし、誤訳と思われるまでの直訳は、わたしたちを言葉の原点に立ち返らせ、言葉を比喩という老衰から救う役割を果たしてくれることがあるように思う。

 『奥の細道』が「月日」という単語で始まるのが美しいのと同様、そのドイツ語訳がSonne und Mondで始まるのは美しい。Zeit(時間)では抽象的すぎる。。。(以下略)」



月日を、<日と月>の意味に訳したのは訳者の意図的誤訳かもしれない。原文を「ときは百代の過客にして」としてしまっては李白の漢詩ほどの感興も湧かない。ニュートンの運動法則を表現するときに使う宇宙を支配する時間、T(= Time)ではなく、人間生活の染みわたる地上の<とき>を表現するには<月日>でなければならなかったし、これをドイツ語で表すにはSonne und Mondでなければならなかった、翻訳者はそう考えた。

ドイツ語のZeitは、英語time と同じく、tide(潮の干満、寄せては返す波)が語源である。潮の干満、つまり潮流は月と太陽が無ければ起こらない。 ゲルマン民族あるいはアングロサクソン族の後裔であっても、コトバの成り立ちに敏感な詩人であるなら、Zeitやtimeの響きから、潮の満ち干を、さらに、月と日を想起するのだろうか。月日、というコトバから日本人が流れゆく時とともに、満ち欠ける月とのぼり沈む太陽を思い浮かべるの、と同じように、である。




追記、12月15日 12:17。

昭和42年に刊行(初版は昭和27年刊)された角川文庫『新訂 おくのほそ道』(訳注:潁原退蔵、 尾形 仂)、冒頭の一句の現代語訳は、
「月日は永遠にとどまることのない旅をつづける旅客であり、この人生を刻む、来ては去り去りては来る年もまた同じく旅人である」
となっている。

今朝チェックしたのだが、平成15年初版刊行の全面改訂版角川文庫『新版 おくの細道』では、この旧訳は次のように変更されている。

「大空を運行する月や日は永遠にとどまることのない旅を続ける旅客であり、この人生を刻む、来ては去り去っては来る年もまた同じく旅人である」

ドイツ語への翻訳者は、この新訳に示される尾形仂の解釈をどこかで知ってそれにならったのだろうか?そうではなく、おそらく独自の解釈により訳したのだろう。

 

さらに追記。12/16 07:50

「おくのほそ道 解釈事典」 東京堂出版(2003)によると。。。

従来は、「月日」を一語と見て、単なる「時間」の意として解釈するものが大勢を占めていたが、近年では「月」「日」の二語に分け、宇宙観にまで及ぶような深い解釈をするもの、もしくはその両方の意味を重ねて読み取る説、などが出ている。

。。。ということらしい。次のブログから(冒頭部分の英訳各種を載せている。有用)。 http://english-sea.at.webry.info/200807/article_21.html ドナルドキーンは、月日をmonths and days と訳しているらしい。月並み。

さらにさらに追記、12/17 12:00

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり

歌人・佐佐木幸綱は次のように解している。(『芭蕉の言葉』2005年、から。)

「月も太陽も、歳月もまた旅人である。船頭や馬方のように旅そのものを生きて死んでいく者たちもいる。古人にも旅に生き、旅で死んだ人がたくさんいた。」

と訳し、次のように解釈している。

「月や太陽をはじめ、宇宙のすべては動き続けており、人間をはじめとする地球上の一切も、また旅を本質としている。留まっているものはない。常なるものはない。一切が無常。無常こそが世界の本質である。そういう世界観です」


これにて、打ち止め。決定版、だとおもう。



多和田葉子HP
http://yokotawada.de/japanese-nihongo%e3%80%80%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e


公園で [diary]

111024_1446~01.jpg晴れた秋の公園の芝生に寝そべっていると赤とんぼが舞い降りてきた。手をかざすとしばらく、掌に停まって動かなかった。

       111024_1445~01.jpg腕にも。

 

               111024_1441~01.jpg


女の鏡 [diary]

昨日朝方、久し振りに地震があった。

直後に、東広島に住んでいる弟から電話があった。「地震は大丈夫ジャッタかいの」

なに、震度3は地震のうちに入らんよ。。

「母さんのことじゃが。。」 弟が切り出した。これが言いたいために地震を待っていたのか。

だいぶ弱ってきている。いままで離れに住んでいたのだが、出入り口で転ぶのが心配で今は、母屋に寝てもろうている。足~膝、が悪くなったので、風呂にも入るのが困難になった。認知もだいぶ進んだ。

そうか。くるときが来たか。

おまえも昼間は仕事で大変だろうが。

とりあえず、土間と座敷の段差が心配(田舎の家だから、70センチくらいの高さがある。階段が一段あるのだが、これを踏み損ねたら転んで頭を打ったり骨折したりする)

市役所の福祉課にいって、車椅子レンタルができるのか。無料で貸してくれないのか。家の改造(スロープにする)の補助はどのくらい出るのか。尋ねてみてくれんか。

(。。これと同じ電話を弟と交わしたのを、いま、思いだした。父の死んだ年の今頃の季節のことである。家を改造する前に、父親は忽然と死んだ)


夫婦が直ぐ側に住んでいるので心強い。母は近所の誰からも好かれており、誰も気に掛けてくれているはずだ。田舎は有り難い。民生委員を20年以上つとめた。報酬ゼロの仕事だが、年2回くらい慰安旅行があり、これを楽しみにしていた。

終戦時、家に男手はなかった。母の父親は早死にし、婆さんと母親の三人家族。母親は病弱、とても農業には耐えられない。わたしの母は勤めていた役場を辞め、農作業一筋に生きた。愛知の半田市に農業研修に行った。近所の人に牛の使い方を学んだ(戦後、復員してきた父を養子にもらった)。牛の扱い方は父より遥かに上手、おそらく町内随一ではなかったか。赤鬼のように働き、子供を育てた。

わたしは小学生の時、母に牛の扱いをならった。牛は大きく、なかなか言うことを聞かないから怖い思いを何度もした。子供をバカにするのである。母は黙っていてもニラミがきく。言うことを聞かないと、コラッ~、と牛を怒鳴る。鞭を当てなくてもバシッと従う。。。このコラッ~、は子供にも浴びせられる。わたしは母が怖かった。

母が怖くなくなったのは、私が二十歳前後の頃。母が脳溢血で倒れて数ヶ月入院し、生死の縁を彷徨った挙げ句、奇跡的に回復したあとである。



田舎の道を、母とゆるゆる散歩をしたい、という私の夢は潰え去った。では車椅子に乗せて辺りを回ろうか。。。弟によると、車椅子に乗るようなミツコさん(母の名)ではない、という。這ってでも自力で動こうとする性格。6月に帰って、母を車椅子に乗せるのが私の大仕事かも。あなたは。。どなたでしたかいの?だけはやめてくれよ、カーサンや。

テレビが映らん!といって文句を言っている。部屋に行くと、コンセントを引き抜いていた。こんなことがしょっちゅうらしい。



わたくしは結婚式を田舎の家でおこなった。父と母の希望であった。来賓として母が当時、アルバイトしていた地元企業(マツダの下請け、内装品を造っている)、S電機の社長が挨拶をしてくれた。

わたしは新郎に会うのは本日が初めてでありますが、きっと立派な人でしょう。母を見れば子が分かる。新郎の母親に私の工場で働いてもらっていますが、ミツコさんは、女の鏡です。だれにもやさしく声を掛け、笑顔で接しておられる。工場でいてもらわなければ困る人です。と、有り難い言葉をのべてくだすった。この言葉はいまだに私の胸から去らない。

母は数年前まで、一日も欠かさず日記を付けていた。戦時中からずっと、である。独特な達筆だから解読に骨折るだろうが。。どこに収めているのか確認しておかなければならない。弟が、製本しようか、と以前言っていたのだが。


まもなく、父が亡くなって6年目。七回忌を通常やるのだが、なにもしない、坊さんも呼ばない、と弟は言った。ええよ、それでええ。

時節は巡る。

人は老い、死ぬ。



六月には家に帰ろう。

父と違って、帰ってくれ~、とせがむような人ではない。

たわむれにははをせおいてそのあまり、軽きに泣きて三歩あゆまず。

母さん、どこに棄てようかの?と、背中におぶった母に声を掛けたら、ええッ?何を言うんなら! ははは、ははは。姥棄て山。

大正12年生まれ。

田中好子の声 [diary]

田中好子の声が昨晩のNHKニュースで流れたときは驚いた。明らかに衰弱している。声を出すのも苦しい、という状態。死後流されることを前提として、ベッドでとった録音。これは本人の希望だったのか?告別式における録音の使われかた、演出(おそらく夫による)にも強い強い、違和感をもつ。俳優であれば、衰弱した姿(声、容貌)など家族、きわめて親しい知人を除いて見せたくないはずだ、とは思わなかったのだろうか(本人も、家族も)。この声を聴いた後、しばらくは、田中好子を思い出すとき、病室の、死の直前の、息も絶え絶えの声が頭をよぎるだろう。そのときの容貌まで目に浮かぶのが避けられない。わたしは見たくもないし聴きたくもない。私が夫であれば、本人が望んでもそれを拒否したろう。文章として残せば十分である。ファンならば誰しもそう思うはずである。

わたしはキャンディーズは関心なく通過した世代。「スーちゃん」は黒い雨などの映画でしか知らない。




私の妻が亡くなって半年が経つ。田中好子よりは6歳年上だった。
先日訪問してくだすった妻の友人(ほぼ同世代)二人。玄関で話していたのだが亡くなる前日の話をしていたら私はオロオロと嗚咽しとまらなくなった。亡くなる前の晩に妻は、それまで一度も催したことのない吐き気を長時間繰り返して催した。医者ならその時点で危篤と所見したはずである。医学的知識が私にあればその時直ぐに救急医を手配していたろう。もっと長生きできた、死なずにすんだ、という悔いがいまも強くのこる。しかし翻って、田中好子のように入院したらどうなるか。家族との交渉は遥かに制限されるだろう。命尽きるまでベッドにくくりつけ、看病はわたしひとり、ということになる。当然私は仕事を止めなければならなくなる。妻は亡くなる前の晩まで外出したし(前日まで毎晩散歩した)、食事も普通に行った。なにより自宅にいるのだからいつでも会え、会話できた。それでよかったのだ、すべてよし、と結論づけて辛うじて心の安寧をたもつことができる。


            カーネーション110429_1358~01.jpg


Long Good-Bye 浅川マキ [diary]

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先週のNHK BS週間ブックレビューは面白かった。
http://www.nhk.or.jp/book/review/index.html
910号 【BS2】2011年02月19日(土)   
おすすめの一冊
ドストエフスキー 【山城むつみ】
話の終わり 【リディア・デイヴィス 著 岸本佐知子 訳】
ロング・グッドバイ 浅川マキの世界 【浅川マキ・他】
特 集 西村賢太 「苦役列車」を語る
 

レビュアは 辻原登, くぼたのぞみ, 巻上公一。
司会は、藤沢周, 守本奈実。

巻上公一(歌手。番組で彼が最近取り組んでいるホーメイを披露した)が勧めた、浅川マキを追悼するエッセイ集「ロンググッドバイ」。図書館にリクエストしておいた。

去年亡くなった浅川マキへの香典代わりに1月に発売された追悼版ベストcd二枚組、Long Good Bye を買った。2枚目の最後に収録されているInterrudeを聴いて一驚。この曲を収録した1998年発売のアルバム『闇のなかに置き去りにして』をアマゾンで試聴し、即座に注文(発売元ではすでに品切れ、マーケットプレースに)。翌朝届いた。水曜日から昨日まで繰り返し繰り返し聴いた。音の背後に一人の個性がたしかに存在する。このアルバムが浅川マキのラストアルバムのようである。自由で、過激で、一音一音が深いのだ。歌の解体=始まり、に立ち会ったような気分である。何度聴いても飽きることがない。停止するのではないか?とおもわれるような、メロディレス、詩の朗読に伴奏を付けただけといっていいトラックもある。このアルバムについてはどの曲も、他の誰もカバー出来ないだろう。曲はオリジナルだけではなく昔の曲(70年頃の)のセルフカバーも入っているようだ。 歌い手稼業を30年送った後の独白、とでもゆうべきこのアルバムを浴びるほど聴いた後、追悼アルバムLong Good-byeにたち戻れば、昔の曲に新たな光線が差し込むのを覚える。

 
収録された「別離」、「閉ざす」、「無題」。。アカペラによる語り。浅川マキは詩人である。天馬空を駆けるが如き、自由の境地に遊んでいる。instrumentalによるINTERRUDEで閉じられる構成は完ぺきである。アルバムを閉じるこの短い曲が今となっては弔鐘として聞こえる。

 

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浅川マキにとって不幸なのはその誕生を、寺山修司がプロデュースしたことではないだろうか。

追悼アルバムのタイトル=Long Good byeは寺山がマキに歌わせようとした曲名であり、最初、マキは歌うことを拒否した。(が、一時的にステージで歌うことはあったらしい)。東芝EMIはこの曲のCD収録を拒否した。差別的言辞が寺山の歌詞にあるようだ。

追悼CDにプロデューサー・寺本幸司が文章を寄せている(Long Good-bye to MAKI):

「浅川マキのはじまりとおわりにつき合った。
 1968年12月13,14、15と三日間、新宿アンダーグラウンド・シアター「蠍(さそり)座」で、寺山修司構成演出で、浅川マキ公園をやった。毎夜10時開演というライブで、かなりの冒険で心配だった。でも、蓋を開けたら、ドアが閉まらないほどの連日満員で、成功した公演となった。初日の13日の後半、いわくつきの「ロンググッドバイ」をマキが歌い終わったとき、最後列の暗がりで立っている寺山修司と眼があって、ふたりして頷いた。いま「浅川マキ」という歌手が生まれた、と思った」


商売人たちはなにを見ているのか?音か?マーケットか?

才能ある歌謡曲歌詞&短歌、俳句の作者寺山修司は乞われれば一日何十曲でも、何句でもマーケットに向けてひり続けたろう。

ブックレビューに登場した大衆小説作家・辻原登は追悼文集『ロンググッドバイ』から印象に残った箇所として、浅川マキのエッセイを紹介した。つぎのような内容である。

「 。。寺山さんがいま言った。あの女の子(浅川)はぼく最初見たとき本も読んでいるし映画のことも知っている、と、そう思ったんだけど、ね。そんな風に見えるでしょ、でもホントは何にも知らないのよね。それから、この子はなんだろう、と、僕は不思議でね。もし男が女に捨てられて、仕事もうまくいかない、どこに行くところがなくなって、ポケットに10円玉ひとつ、そのとき、あの子のアパートに電話する、そうするとドアを開けてくれる、最後に思い出す女、そんな女のような気がだんだんしてきた。。」

(そして、寺山の死後)

「わたしにはその言葉が残った。いま彼の背後に広がっている薄闇の中からまたその声が聞こえてくる。

いやよ。
わたしはそんな女じゃない。」

さらに続く:


<『かもめ』の歌詞引用>

(注)かもめ、は私の感情をすべて捨てて歌った。そんなこと知りませんよ、と放り投げて歌うとき詩は生き物のように一人歩きする。寺山修司の言葉が勝手に客席に突き刺さっていく」



わたしが女であれば、寺山がそのように自分を表現したとすれば、「いやよ」、じゃなく、

バーカ、

と応じたろう。観客席にいたとしたら、寺山の歌詞を舞台に向かって投げ返したろう。浅川マキはおバカたちに鷹揚である。


ブックレビューに登場した詩人・翻訳家くぼたのぞみ(私と同じ団塊世代か)は70年前後、浅川マキのライブにもでかけたらしい。だがレコードは買わなかったし、すぐに浅川マキから遠ざかった、という。この本『ロンググッドバイ』を読んで、いま、その理由が分かった、と。「(当時の)浅川マキ(と、いうより正確には商売人達が、である)は、マーケットを向きすぎていた、それをわたし=くぼたのぞみ、は敬遠した。。」。

マーケッターたちによって誕生させられた歌手は幸福なんだろうか?



週間ブックレビューには、芥川賞作家西村賢太も登場した。愛すべき青年である。
文春3月号も買って(近藤誠、の癌記事を読むために買った)受賞作『苦役列車』を読んだ。父母は離散、日雇い労働に身をやつす青年のお話。このひとに社会はなく身の回りの周囲3メートル。。のことしか書いていない。
中卒だが苦労して文字を身につけた。文章はなめらか、知らない単語熟語も混じる。猛烈に本を読んだらしい。危険はない。安心して読める。その分、詰まらない。

この作品の最後は。。

「最早誰も相手にせず、また誰からも相手にされず、その頃知った私小説作家、藤澤清造の作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった」

読者をして脱力させる、不要の一文である(わたしはもともとバック責めが得意、この小説も最後を先に読んだ)。この小説は著者の二十歳前後の事実を書いているようだが、当時の著者の思考と、現在(40歳前後?)の著者の思考との区別が読者にはつかないのではないだろうか?仕事がなく、預金はゼロであっても、このひとがアキバ事件のような事件を起こす可能性はゼロ、である。 藤澤清造をコピーにとって読み続ける青年が一日中自慰行為にふけるのは悪いことではない。

西村賢太は芥川賞賞金(100万円)で、彼自身の単独企画による念願の藤澤清造全集を刊行出来そうだ、と喜んでいる。ご同慶のイタリだ。

朝吹真理子『きことわ』は詰まらなかった。『流跡』だけで満腹。20年後に、再会しマセウね、生きておれば。Long Good Bye.
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(写真はいずれもジャケットから)

 

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