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塩村議員の応答と認識に失望   都議会セクハラ野次問題、海外記者クラブ会見 [diary]


塩村議員の応答と認識に失望。

冒頭の海外記者からの質問は要を得ている。議場内暴力(セクハラ)であり、かつ、ヤジを飛ばした議員(複数いる)が名乗り出れば良い、という問題でも無い。(ホンキで謝罪するなら辞める必要もなかろう。選挙区民がリコールするなら辞めれば良い)問題の本質は、このような女性差別が東京だけではなく、全国で一般的でアリ、ヤジを飛ばした議員だけでなく与党=自民党員の一般認識である、ということだ。こんな与党から女性の待遇向上、まともな育児政策が生まれてくるとは信じがたい。

育児政策、少子化問題に日夜真剣に取り組んでいる議員からこんな野次が飛ぶわけがない。何も考えていないボンクラから野次は発せられる。おそらく一度もこの問題を考えたことがないのだろう。 

女性差別の認識の薄さ、これが問題の真因。この問題は自民都議全体に巣くっているのだ。これを普段から認識しておれば塩村も野次でアタフタすることはなかった。この程度の野次で涙を浮かべたり立ち往生するようでは情けない。現状をわきまえシッカリ心の準備をして、壇上から、野次議員をにらみつけ、即座に、強烈なしっぺ返しをやり、議場騒然(あるいは粛然)とさせるくらいの応答をしてもらいたいもんである。こういう質問をすれば、議場からこういう野次が飛ぶだろう、くらいは予測できる能力が欲しい。海外記者もこういう指摘と激励をすべきであった。甘やかしては議員は育たない。 己を鍛錬して、最低、世界標準の議員にならにゃ。




海外メディアとの質疑応答 (冒頭)
―これはヤジじゃなくて、家庭内暴力のような、"議場内暴力"じゃないですか。しかも多数の議員が平気な顔をして笑っていたということで、都議会だけではなく各県の議会などでもおこっていることだと思います。アベノミクスの中で"女性の社会進出"が叫ばれていても、一般男性たちは全然気にしていないんじゃないかと思え、怒りを感じます。今後、個人として、こうした発言をなくしていくために、何か活動などを考えていますか。

また、今回の件で急に有名になられたことですから、ここ数日、またここ数ヶ月、何かあればケチをつけられると思います。そこはお気をつけたほうがいいと思います。

塩村都議:議会運営委員会、議運と呼ばれているものの方で、これから動きがあるものだと会派の幹事長から聞いております。またみんなの党からも官邸に申し入れをしたいという旨の報告を受けました。まず私自身は、その都議会の問題に集中したいと考えております。 (以下略)
http://blogos.com/article/89118/

野次を飛ばした議員は明らかに複数だが、鈴木某という若造が名乗り出て(おまえが名乗り出ろ!と党から命令され)、謝罪し一件落着ということらしい。これでは鈴木某を英雄にするだけである。 アホタレ。

日本国憲法第九条ノーベル平和賞受賞者はオバマ大統領がふさわしい [diary]

日本国憲法第九条ノーベル平和賞受賞者はオバマ大統領がふさわしい。


敬愛する社会科学者さんの主張:
 「憲法第9条がノーベル平和賞に値するなら,まずさきに昭和天皇とマッカーサーにこの賞を与えねばならない。。。。」
...
しかし、死者にノーベル賞は与えられない、という慣例がある。ニッポン国憲法は米国国務省が押しつけ(あまりに愚劣な日本政府案を蹴って、GHQが原案作成し、日本の国会で審議、批准)、サンフランシスコ講和会議でこの平和憲法遵守を前提に国連が日本の独立を認めたのである。くわえて昭和天皇は新憲法成立後も、これを無視して、政治に干渉し、吉田首相の頭越しに米国と折衝した(沖縄を基地として永久に使ってくれ、と米国に要請したのは昭和天皇である)。昭和天皇にノーベル賞など冗談もほどほどに。

ゆえに、憲法第九条のノーベル平和賞は、日本に憲法を与え独立を承認した、生存している団体=国連、と、米国国務省を代表して、日本国憲法第九条を尊崇し、その護持に賛成している(らしい)オバマ大統領(もしくは国連事務総長)が相応しい。

憲法を押しつけられた、とグダグダ言って改憲を急いでいるニッポン国首相にはむろん受賞資格はない。安部を首相にするようなコクミンにも受賞資格はない。ま、ノーベル平和賞などあってもなくてもよい、愚劣なもの。ジョークとして安部に与えてもオモロイ、わな。沖縄を密約で売った佐藤栄作、その孫のノーターリン晋三、そろって平和賞受賞。授賞するノーベル財団とともにお目出度いことである。

 

私的にはベーコク国務省代表としてジャパンハンドラー、アーミテージ氏に平和賞受賞演説をおこなってもらいたいのであるが。

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むろん、あらゆる国の、全ての憲法は誰かが押しつけたものである。生まれたばかりの赤ん坊にとっては名前を親が押しつけ、憲法法律社会的慣例、。。すべて他人の押しつけである。問題は誰が押しつけたかではなく、その内容である。押しつけられたものであっても内容が真っ当であればその憲法を受け入れて生きていかねばならぬ、これ、人間として生を受けた生き物の根源的不条理であり、かつ、慶びでもあるのよ、ね。わかったかにゃ?