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崩れ [diary]

図書館で偶然、幸田文『崩れ』の背表紙が目に触れ、手にする。
書名は記憶にあったが、これが山の<崩壊>を意味していることは読んで初めて知った。

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山の崩壊現場を訪ねて、立山、桜島、有珠へ。。と幸田文、当時72歳、が旅し、観察する。立山の崩壊現場は男でもなかなか近づけないところである。幸田文(72歳、体重52キロ)は頑強な男性(建設会社の社長)の背中に背負われて現場を見に行くのである。

肉を切らせて骨を切る、というが、文筆にもこれは当てはまる。外部の生きた自然を観察し書くことは、己のこれまでの精神の歩みと現在、女であること、老人であること。。を文字に露出させることにほかならない。壮年の男性の地盤工学専攻の学者によるエッセイではない、文豪を父とし厳しい躾を受け、屈折ある人生を歩み、まもなく人生の<崩壊>を迎える人間が憑かれたように山の崩れを求め歩く。山も生きている。山は山の時間を生きる。呼吸をし崩壊もする。人間も同じ(そして国家、社会も)。

高齢になっても身体を鍛え高山に単独登頂を試みる登山家もいる。この文筆家は、頑強かつ柔和なMさんに、恐縮しながら背負ってもらい山崩れの現場に向かう。その折の、次のような観察を挿入する。

「。。そのMさんは背負紐を用意していた。真新しい大幅の白モスリンである。わざわざ用意してきたものであることはすぐわかる。私は老女で目は確かでない。だが、その大幅のモスリンの裁ち目がきちんと三ツ折ぐけに仕立てられているのは、見逃さなかった。お宅の方か、あるいは誰か。とにかくおんなのひとの手をわずらわせたものであることは確かだった。これはまことになんという心づかいか。行届くというか、ありがたいというか、拝謝して五十二キロの重量を負うて頂くことにして、前進した。」 202ページ。


この本は幸田文が亡くなった直後発刊された。あとがきに娘の青木玉が書いている「。。。そして5月15日(平成三年)、雲仙火砕流が起きそのテレビを見た時、母の待って居たもの、書こうとしていたものは紛れもなくこれだ、と思った」

東北大震災・津波そして原発事故。幸田文が生きておればどう描いたろうか。さらに、広島市住宅地の、山崩れによる土砂災害。幸田露伴が生きておれば、漱石が、鴎外が、子規が、啄木が。。。と妄想は広がる。妄想の広がりついでに明治の政治家、木戸、大久保、伊藤、西郷、江藤あるいは民間思想家諭吉兆民らにも問うてみたい。原子力発電所三基が起こした平成の大事故の後、残りの原発を再稼働し、他国に原発を売り歩く、という政府施策の妥当なりや否や。


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