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封印された原爆報告書: 国民を売った天皇、軍、政府と医学者。 米軍占領下の原爆調査 [戦争・原爆]

                                原爆調査100809_0050~01.JPG

昨日深夜(10日午前0時10分~)再放送されたNHKスペシャル「封印された原爆報告書」 をビデオに撮り何回も見た。

NHKスペシャル「封印された原爆報告書」
チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2010年 8月 6日(金)
放送時間 :午後10:00~午後10:55(55分)
番組HP:
http://www.nhk.or.jp/special/

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米国立公文書館に、日本が原爆被害の実態を調べた181冊の報告書が眠っている。なぜ報告書はアメリカに渡され、被爆者のために活かされなかったのか? その真相に迫る。

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アメリカ国立公文書館に、181冊1万ページにおよぶ「原爆被害の実態を調べた報告書」が眠る。まとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。しかし、報告書はすべてアメリカへと渡っていた。なぜ、貴重な資料が被爆者のために生かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、番組では報告書に隠された原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本が被爆の現実とどう向き合ってきたのか検証する。

##

何度も見た結論として言えるのは、この番組は

米国立公文書館に、日本が原爆被害の実態を調べた181冊(一万頁)の報告書が眠っている。なぜ報告書はアメリカに渡され、被爆者のために活かされなかったのか? その真相に迫る。」

と番組案内で唱っているが、<なぜ報告書はアメリカに渡されたのか、誰の命令で渡されたのか>ちっともその真相に迫っていないということである。

原爆が投下されるまでのニッポンは誰の眼にも敗戦が明らかとなり、連合軍からポツダム宣言受諾要求への対応を迫られており、天皇と軍部、政府は敗戦後予想される連合軍からの厳しい戦争責任処断への対応を考えていた。軍部は10日にポツダム宣言受諾を(国体維持、すなわち天皇の処刑を回避するという条件で)海外向け放送で伝えた(国民には知らされていない。世界にとって、日本降伏は8月10日http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2006/report-oda.html)。9月2日、正式に大日本帝国政府が降伏文書に調印した後、52年にGHQから(沖縄を除いて)日本に連合軍(GHQ)から施政権を返還されるまでは日本は二重権力状態(GHQ vs 日本政府、天皇)にあった(この間、新憲法が発布され、極東軍事裁判=東京裁判があった)。新憲法成立までは、日本を規制したのは大日本帝国憲法だったのである。天皇を頂点とする旧権力が(どの組織の、誰が中心となって)どのように戦争責任追及を免れようとしたか、を調査しない限り、原爆調査・報告の疑問には答えたことにならない。

廣島に原爆投下直後の8日から軍部が<新型爆弾>の調査を行ったことは既知の情報である。しかも軍部は廣島における数日の調査で原爆の性格を的確に見ぬいていた。

8月10日、政府は<新型爆弾>使用は国際法違反であるという抗議を中立国スイス経由で米国に伝え、同じ抗議を赤十字国際委員会に提出した。当時の新聞(朝日、八月十一日付)によれば

「国際法規を無視せる 残虐の新型爆弾 

帝国、米政府へ抗議提出」。

広島市への原爆投下@wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

大本営調査団の八月付調査結果には「本爆弾ノ主体ハ普通爆弾又ハ焼夷爆弾ヲ使用セルモノニ非ズ、原子爆弾ナリト認ム」とあり、原爆と認定した理由を五項目挙げている(笹本『米軍占領下の原爆調査』(新幹社、1995年)p18~19。以下、本書は『原爆調査』と略記する)。とくに項目4:

「外傷はさして顕著ならざるも一日乃至二日後死亡せる者あり、又調査の結果中心部附近の土砂の放射を続行しあるもの、人員にして著しく白血球の数少なくなりたるものあり、これは放射線の影響と判定せらる」(原文カタカナ。笹本さん著書から孫引き)

日本において原爆研究が独自に為されていたことを伺わせる報告である。

日本における原子爆弾開発@wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

敵の兵器の性能を調査するのは戦争中でなくても当然のことだ。しかし、問題は笹本が『原爆調査』p21以後(第一章、第三節「敗戦後の原爆調査」)、で述べているように調査の指揮関係である。8月15日天皇は降伏を宣言したがその後も軍が調査を仕切っていたのではないか、ということだ(原爆調査という軍事行動)。引用する:

「八月十五日、昭和天皇は日本陸軍に対して停戦命令を出した(さらに8月18日、陸軍に復員命令を出し、日本軍は連合国の降伏を受け入れる体制に入っていた)。それにもかかわらず、なぜ陸軍軍医学校軍医を中心とする原爆被害調査という軍事行動を止めなかったのであろうか。この点に関して、後に陸軍軍医学校校長井深健次・軍医中将は八月一五日以降の動きについて次のように説明している。

「調査研究の方針も変化し、傷者に対する診療の普及ならびに充分なる医学的調査に重点を置くようになった。けだし、これは最早戦争が継続せられぬ故、落着いて惨害を被った傷者を診療することが我等の任務となり、また、原子爆弾のような特殊の兵器に因る戦傷の研究をすることは、我々医学者としても軍医としても最大のご奉公と考え、また殉職せる同僚を弔うことにもなると考えたのである」(1952年)

ここには後からの辻つま合わせがある。まず日本軍は敗戦後「傷者を診療する」命令を発したのか。もしそうだとすれば、八月十五日の第二総軍司令官の救護の指揮解除命令(●注)はどうなるのか。私はまだ敗戦後に日本軍がそのような救護命令を出したという資料を発見していない。

 戦時中であれば「原子爆弾のような特殊の兵器に因る戦傷の研究」は日本軍としては当然の研究である。しかし、原子爆弾に因る戦傷の研究は、原子爆弾を使った敵軍が占領した中で行われたのである。つまり、敵軍と協力することなしに戦傷の研究を行うことはできなかったのである。(中略)

さらに井深(健)が校長であった陸軍軍医学校は中国の民衆に残虐の限りを尽くした細菌戦部隊の731部隊を統括しており、731部隊の生体実験の資料は陸軍軍医学校に送られ、まさに軍事研究されていたことを忘れてはならない。このように他国の民に苛酷きわまりない軍が、敗れたからといって掌を返すように「同胞」に救いの手を差し延べたという論理はそのままでは納得しがたい(以下略)」

 上記の(●注)八月十五日の第二総軍司令官の救護の指揮解除命令とは以下の件を指す。順序が前後するが笹本の著書、第一章、「初期調査と原爆被害利用」、第一節「救護と原爆被害調査の関係」から引用する:

1945年8月6日、アメリカ軍機による原爆攻撃を受けた広島市では、直後から日本軍を中心とする原爆被害調査と救護活動が開始されていた。簡単にその動きをみると、第二総軍司令官畑俊六元帥が廣島救護の総指揮を取り、その指揮下に中国軍管区司令部、船舶司令部、呉海軍鎮守府、および広島県、広島市の民間救護団が入り、救護復旧体制が取られた。さらに近県からも救護部隊が広島市に派遣され、救護と復旧の任務についた。広島市に対してこのように軍を中心とする救護復旧体制が敷かれたのは、ひとえに戦争を継続するためであった。

しかし、八月十五日、第二総軍司令官畑俊六元帥は「戦災応急処理の為、中国軍管区司令官、船舶司令官、中国憲兵司令官、中国地区鉄道司令官及中国地方総監、広島県知事、広島市長に対して一時採りたる予の指揮を解く」(原文カタカナ)、という命令を発した。この命令はきわめて重要である。というのは第二総軍は大本営直属の本土防衛部隊であり、畑元帥の命令は大本営命令であり、つまり昭和天皇の命令である。日本陸軍はこの八月十五日を期して広島市への救護対策を放棄したのである。さらにいえば、このことは大日本帝国が廣島救護を放棄したことを意味する。

それにもかかわらず、従来の廣島の記録は「八月十五日、終戦となって第二総軍司令部は戦災応急処理の指揮を解除したので、以後は県・市が行うことになった」と記している。今から考えれば、あれだけの大量の死傷者を県と市だけの救護体制で救護できなかったことは明らかである。国が放棄した救護責任を県と市が背負うことにも不当である。敗戦国の被害者に対する責任放棄こそが問われるべきであろう。

番組に因れば、終戦と共に、調査の規模が一気に拡大、「国の大号令で全国から医師、研究者が召集された。調査は巨大な国家プロジェクトとなった」。

驚くべきは最初に米国に手渡した報告の作成者が陸軍となっており、報告書の日付が、45年11月15日であることだ。英訳された報告書の表紙には

Medical Report of The Atomic Bombing in Hiroshima 

(Authored by) Army Medical College, The First Tokyo Army Hospital (陸軍医学校、第1陸軍病院)

 Nov. 30, 1945

とタイトルが表記されている。

岩波書店発行の1985年発行、英文原爆レポート: The Impact of The A-Bomb (Hiroshima and Nagasaki, 1945-85)の年表によると、

November 30:

Special Committee for Investigation of A-bomb Damages(Scientific Research Council) presents first report (at Tokyo Imperial University). GHQ issues directive requiring prior permission for A-bomb research.

とある。この二つの報告(あるいは表記の差)はどう関連しているのだろうか?あるいはまったく無関係に同じ日付で偶然に報告が為されたのか?もし同一であるならば、米国に提出することのみを目的として実施された調査と、その報告であることを岩波英訳本はまったく伝えていないことになる。

番組で興味深かったのは、8月15日に、陸軍の戦後処理を任された一人である小出中佐に出された極秘命令文書を曝露していることだ。「敵に証拠を得られることを不利とする特殊研究はすべて証拠を隠滅せよ」

「戦争犯罪の疑惑から逃れるためにも、戦後の新たな日米関係を築くためにも原爆報告書を渡すことは当時の国益にかなうものだったと言います」。こう軽々しくナレーションで語るところが NHKのNHKたる所以である。しかし、原爆調査の作成が、戦犯容疑から逃れることを唯一の目的とした天皇と軍部首脳の意志であり、その欺瞞の日米政府間了解で成立した「東京裁判」が以後のニッポンを規制している(新しい日米関係!)ことを言い表して妙である。今日まで連綿と続く、米国への大股開き(開け!と要求されてもいないのに)、と、擦り寄り、その記念すべき第一号はこの調査報告であった。

当時の内情を知る元陸軍軍医少佐三木輝雄(90歳)が番組に登場した。父は医務局長をつとめ大本営に属していた。三木輝雄は報告を手渡した背景には、占領軍との関係を配慮した<日本側>の意志があったという。

三木輝雄元少佐とのインタビュー:

「いずれ要求があるだろう、と。その時はどうせ持っていかなければならない。早く持っていった方がいわゆる心証がいいだろう」

心証をよくする、とは何のためですか?(NHKインタビュア)

「731(部隊)のこともあるんでしょうね。。。新しい兵器を持てばその威力を誰も知りたいものですよ。カードで言えば有効なカードはあまりないんで。。原爆のことはかなり有力なカードだったんでしょうね」

(ナレーション)自ら開発した原子爆弾の威力を知りたいアメリカ。戦争に負けたニッポン。原爆を落とした国と落とされた国、二つの国の利害が一致したのです。

二つの<国>の利害? 日本については、この<国>に、原爆で焼かれた一般市民は入っていない。一般市民は戦争に負けたことを歓迎したのだ。敗戦に続く、戦争犯罪追求を最も怖れたもの達が、あらかじめ連合国(米国)の歓心を引くことを仕組んだのである。 軍を統帥するのは天皇である。国体護持、天皇の地位保全がもっとも重要な課題であったこのときに、軍が天皇の意向を確認せずに動くわけがない。

9月になってGHQが日本に進駐した後、それまで調査指揮に当たった陸軍小出中佐に代わって指揮をとったのが東京帝国大学の都築正男教授(海軍軍医少将)である。都築は当初から陸軍とともに調査に当たった。

都築正男と加藤周一http://radiophilia.kyumei.me/?p=127

GHQが日本に進駐後も原爆調査は拡大され、治療目的でなく、患者をモルモットとしての調査、標本作りは2年間も継続された。召集された医師、研究者はこの調査が対米報告のみを目的とすることを承知していた。例外もあったろうが、患者を治療するという医師の魂を売り渡した哀れな姿をさらしたのである。敗戦国の医師が、患者を治療するのでなくモルモット、標本として扱い、自国権力者の戦争犯罪追求、延命取引のため、戦勝国の武器効果を調査し、戦略目的の資料作成に、2年も精を出すというおそらく世界史上希な出来事が発生したのである。

1995年に『米軍占領下の原爆報告』を出版した笹本征男は、2005年に重要なインタビューを行っている。

笹本征男さん 占領下の原爆調査が意味するもの(上)
http://www.csij.org/archives/2007/02/interview5.html
笹本征男さん 占領下の原爆調査が意味するもの(下)
http://www.csij.org/archives/2007/02/interview5_1.html

 笹本征男『米軍占領下の原爆報告』目次

第1章 初期調査と原爆被害利用
第2章 日本の降伏、占領―初期日米調査協力
第3章 CACとABCCの設置と予備調査
第4章 ABCC・予防衛生研究所体制
第5章 日本政府、GHQへ「原爆傷害調査計画」を提出
第6章 原爆報道とプレス・コード
第7章 歴史の再考
第8章 原爆加害国になった日本

番組後半に現在闘病中の元山口医学専門学校学生、門田可宗(もんでん・よしとき)氏が登場する。彼は原爆投下後4日目に広島市中心部に入った(当時19歳)。彼は15日、40度の高熱、17日、歯茎と喉の痛み、19日、身体中に斑点状の多数の皮下出血という自身に発生した症状から、これは6日、原爆を被爆者と同じ症状ではないか!私は、6日には確かに廣島には、いなかったではないか!しかし、ああなんと言うことだ、私も原爆被害者になったのか、と慌てた。

彼を山口医学専門学校に訪れ、日記を書くように勧めたのが都築正男である。彼の書いた手記は本人の知らぬ間に英訳され、GHQへの報告書の一部となったのだ。いわゆる間接被爆、あるいは<入市被爆>の医学生による症状自己観察である。

番組や、番組に登場した医師は、門田さんの手記は入市被爆者に原爆症の症状は出ない、と見解をとり続けた国への重要な反証である、と言う。しかし、8月6日8時15分にどこにいたかについてはアリバイがあり(つまり広島市以外の場所)、その後、親戚捜しに市内に入り、数日後原爆症に似た症状を第三者が確認している、という例は山ほどあるはずである。医学生の手記であるがゆえに第三者確認がなくても信用される、ということがあってよいはずがない。わたしが不思議なのは、調査に当たった述べ数千人の医師、研究者たちは当然、入市被爆者(間接ヒバクシャ)の症状は知っていたのではないか、と言うことだ。大門さんのGHQレポートがなければ入市被爆者の症状も認定されないのか、という疑問。入市被爆者の裁判闘争は何十年も継続しており、その主張を大門さんやこれらの医師は知らなかったのか?あるいは、知っていても黙っていたのか(記憶の封印?)。忘れたのか(調査時に受けた被爆による健忘症?)。

敗戦するや勝者にすり寄る天皇と軍部、政府。権力者にすり寄り、医師の使命のカケラも持ち合わせなかったく研究者、医師たちの存在が、この番組から浮かび上がる。笹本征男が15年前に『米軍占領下の原爆報告』を出版した当時、なぜ、資料を多数保有しているはずのNHKが直ちに、まだ多数が生存していたはずの関係者(加藤周一も含まれる)から証言を求めなかったのか。GHQに手渡した報告の機密は米国で、とっくの昔に解かれているはずである(731と同じ。米国はいったん没収した資料はすべて日本・当時の防衛庁に返還したと言っている)。 関係者が死に絶えた頃になってやっと腰を上げるNHK。米国が65年間も封印を命じたのではない、権力者にオモネって勝手に自主規制しているだけではないか。

わたしは加藤周一についてブログ記事を何件か書いたが、終戦時の廣島における調査について加藤がほとんど書いていないことはひとつの疑問であった。加藤ならばこの調査が天皇の直接間接の命令に発することは容易に推測したはずである。

前記の笹本征男インタビューから関連部分を引用しておく:

──引き合いに出して、ご本人はつらいかもしれませんが、加藤周一さんが『羊の歌』で──当時は東大の血液学教室の助手だったかな──その記述が少し出てきますね。命令を受け、派遣されていった、調査の中で没頭する日々があったという記述が2ページくらいにわたって出てきたと思いますけれども、それだけ読んでも、原爆調査が誰が何を意図して行なったのかについては触れないままで、その時の印象しか語られていませんね。それでもその記述はきわめて例外的な、本当に稀な例だと思いますが、きっと彼のような立場の人は膨大にいて、今おっしゃったように、本当はわかっていた、わかっているが故に口をつぐんでいる、という構造がずっと続いているのだと思うんです。

 僕は本で加藤周一さんのことを書いていますから、僕の本が出た後、おそらく何人もの人が加藤さんに接触を試みているでしょう、加藤さんは会うことを全部拒否しているはずだけどね。あまり個人のことは言いたくないんですけど、せめて加藤さんしかいないんですね、原爆調査に従事した人でああいう風に語っている人は。今年の3月10日の朝日新聞夕刊の連載「夕陽妄言」で加藤さんが、いわゆる米軍の東京大空襲のときの随筆で、当時を回想していた。その記事を強烈に覚えているんですが、加藤さんは医者として書くんですね。当時米軍の空襲で戦災者が傷つけられて来ると、私は医者だから治すために治療するんだと書いているわけですが、突然8月6日の話になり、加藤さんは調査と観察のために広島に入ったと書いていた。治療のために入ったとは書かないんですよ。彼には僕の本を送っているから、読んでいると思うんですよ。それでなおかつ、調査と観察のために行ったと書くんです。

 国から命令されたとなぜ書けないのか。なぜそこまであなたを国が縛るのですか、と僕は言いたいです。加藤さんでもそうなんです。これが原爆調査問題の底深さです。そこには個人がいなかった。個人の自由がなかった。ならばそれを認めなさいよ、もう。思想の自由も学問の自由もなかったんだから、あなたは一つの部品として動いたんでしょう、と。でも部品ではなく人間なんだから、もう声をあげて下さい……。僕の加藤さんへの思いはこういうことです。

 だから僕は原爆調査に関わった人間の名簿を作って本に入れた。あれは報告書を元にして作った名簿です。実際に参加した人間はあの数倍いますよ、あるいは数十倍はいますよ。延べにすれば何万人ですよ。現地の陸海軍の兵士なんて入っていないからね、看護婦さんとか全部入ったら……。

 繰り返しになりますが、原爆被害国日本がなぜ、ここまで敵国アメリカ、原爆投下国アメリカに対して国家をあげて調査協力したかという問題は、60年経っても70年経っても語り継がなきゃいけない問題ですよ。それまで日本帝国が行った全ての植民地支配、中国などへの海外侵略の総仕上げなんですよ、これは。その歴史があるから、この原爆調査を日本側は本気でやったんですよ。

 あの原爆被害者の姿を見ていたら、敵が使うのをわかっていて報告書を作って、果たして敵軍に渡せるものなのか。米軍が来て、報告書を出せと言われたが、渡さなかったので米占領軍の軍事裁判にかけられた人間がいたといったような話が一つでもあれば、僕はこんな本は書かないですよ。でもそうした日本側の抵抗は本当に皆無なんです。

この番組の取材協力者の筆頭に笹本正男の名前がある。笹本正男は今年3月に亡くなっている。なお、笹本の著書の副題<原爆加害国になった日本>は分かりにくい表現である。原爆加害国にすりよって資料を売り渡し、自国の被害者を救出するどころか見捨てる役割を果たしたことを<加害国>というのは問題をはぐらかす。「原爆加害者になった日本政府と科学者たち」とするのが適切だろう。戦争(犯罪)は国家が市民に加害する<国家悪>なのであり、国家間取引により、罪を相殺させてはならない。戦争犯罪は、加害者(政府) 対 市民犠牲者の枠組みで、戦争の勝敗とは無関係に裁くべきである。

番組は「。。米国に渡された一万ページ、181冊に及ぶ原爆調査報告は原爆被害者の治療のために使われることはありませんでした」のナレーションで締めくくられる。しかし、これは結論ではなく問題の出発点である。

付記(8/11)

<ニッポンの名誉>のために言っておけば、自国民を核の実験台に使ったのはニッポンだけではない。

アトミックソルジャー atomic soldier@wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

Atomic Bomb Test on human subjects

http://www.youtube.com/watch?v=Bz9g_rl2JnU

付記2: (8/14)

図書館から次の本を借用した:

河井智康著『原爆開発における人体実験の実相―米政府調査報告を読む』(2003年、新日本出版社) 

目次

序論 なぜ今この書を著すのか
第1話 病院患者へのプルトニウム注射
第2話 精神障害児へのラジオアイソトープの投与
第3話 囚人を使った睾丸放射線照射
第4話 兵士による核戦争被害の実験
第5話 ウラン抗夫の被曝体験調査
第6話 マーシャル人の被曝体験調査・実験
第7話 その他の2つの実験
まとめ アメリカの人体実験をどう見るか
解説 人体実験をもたらした核軍拡競争と核兵器廃絶の展望

本書はクリントン大統領の要請により設立された<人体放射線実験に関する諮問委員会>の最終報告の解説書である。"Final Report -- Advisory Committee on Human Radiation Experiment"

報告書序文から引用する。

「1994年1月15日、クリントン大統領は、冷戦のさなか米国政府または政府の資金援助を受けていた機関が、電離放射線を人体に対して使用または被爆させるという非倫理的な行動を指摘した報告の増加に答える形で、人体放射線実験諮問委員会を設立した。大統領は人体放射実験と故意に環境への放射線の放出の歴史を暴露すること、それらの事実を吟味するにあたっての倫理的、科学的な規準をつきとめること、また、過去に行われた不正が繰り返されることのないように勧告を出すことを我々に諮問した。(中略)

1994年4月21日、初回会議初日の最後に大統領は我々をホワイトハウスに招き、我々が着手しようとしていることに対しての個人的な決意を述べた。大統領は我々に、公平であり、徹底的に調査し、不幸で理解しがたいこの国の過去に光を当て、真実を暴くことを恐れるなと熱望した。大統領は、我々の一番重要な任務は米国民にすべてを知らせることだと述べた。それと同時に、人体放射線実験がどのように行われていたか現在と過去を比較し、米国民を守るために連邦政府の政策を変える必要があるかを見極める必要があるとも述べた。この報告書は、諮問委員会が過去を調査した経緯と現況の調査報告から構成されている。」 (強調表示は古井戸)

日本政府が、終戦直後に実施した原爆調査の実態、731部隊が行った生体実験の詳細、。。に関する調査を行う組織を戦後、設立し、国民に対して報告を行った。。ということはもちろん無かった。積極的に証拠の隠滅を図ったのである(米国には渡した。米国から返却されても知らんふりを決め込んでいる)。


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コメント 10

ふじふじ

こんにちは。

トラックバック、コメントありがとうございます。

私は、人体実験だったというのは知っていたものの、それが日本の手によってなされたということまでは、知りませんでした。

あまりにも破廉恥な内容に心も凍る思いですが、この広島の原爆調査については、詳細に調べつくして、どこの誰の命令で行われたのかを明らかにする必要があります。

そうでなければ、戦争の総括はできません。いまだ戦前の支配体制すら存続しているわけですから、戦争の総括とともに新生日本を発足する必要があります。そうでないと私達はまた滅亡の淵に追いやられてしまいます。

>決定的なのは、原爆そのものを仁科グループなどが研究していた、ということ

ということですから、彼ら自身原爆の威力を知りたかった研究したかったという動機も考えられますね。なにせ、核保有国では、自国民を実験台にするぐらいですから。

しかし、投下後二日に調査団を組んで調査開始は、あまりにも迅速すぎます。やはり、もっと深い闇がありそうに思いますね。

貴重な記事のトラックバックをありがとうございました。

何度も読ませていただきたいと思います。
by ふじふじ (2010-08-10 13:45) 

古井戸

鬼塚さんの著書によると天皇は随分前から原爆を知っており、軍隊は廣島から避難していた(だから軍人死者は驚くほど少ない)と言っている。

6日の朝、投下ですから、直ちに連絡は東京に行ったでしょう。その程度の迅速性がなければ調査などできないのではないでしょうか。それより、記事に書いたように(笹本さんの本の受け売りですが)、その報告の精度です。

米国のアトミックソルジャーもひどいものです。数年前に、BSで放映されました。和訳本が出ています。
by 古井戸 (2010-08-10 14:11) 

古井戸

追記:
>詳細に調べつくして、どこの誰の命令で行われたのかを明らかにする必要があります。

私自身は、6日の放送の開始前、このテーマで今頃やるなら加藤周一などへの言及があるかも知れない。。と思っていたのだが期待はずれでした。笹本さんの著作(1995年)や、インタビュー記事(本文にURLを記載しました)をNHKは当然読んでいるはずだし、番組の取材者クレジットにも笹本さんの名前があるから、もっと突っ込んだ調査をしたのか、と思っていましたから拍子抜けでした。しかし、笹本さんもインタビューで言っているように証拠など残すわけもないですね。

3月に死んだ笹本さんが、この番組を観たら納得したろうか。
by 古井戸 (2010-08-10 14:17) 

佐平次

まったく知らなかった加藤周一の一面を知りました。
笹本氏の考え方に同感です。
侵略戦争の総仕上げであると同時に現在へのスタートだったのですね。
by 佐平次 (2010-08-23 09:28) 

古井戸

佐平次さん:

終戦記念日のNHK番組、昭和20年の記録の総集編を見ていたら、ある女性作家が敗戦直後、新橋近辺を歩いていたら(おそらく日比谷霞ヶ関あたりの)、官庁の建物の上空が真っ暗になっていた。。。後から気がついたが、あれは官僚達が証拠書類をジャカスカと燃やしていたのだった、と。

NHKの地下倉庫にも封印された記録がジャカスカ眠っているんじゃ無かろうか。NHKが慰安婦問題始め、政治屋のドーカツ記録&NHK内部検閲記録を公開すると面白かろう。

NHKのニュース、報道番組はすべて社内検閲済。解説委員同士の討論番組でも、全員が原稿を棒読みしているんだから嗤ってしまう。
by 古井戸 (2010-08-23 15:39) 

俳愚人

お久しぶりです。
精力的な記録検証に敬意を表します。
番組は観ておりませんが、問題点と内容は簡にして要を得た解説になっており、眼を開かれました。

こういう問題をいまだにうやむやにしている限り、不毛な歴史認識論争が続くのでしょうね。日本人は何者なのだ? 
by 俳愚人 (2010-09-03 17:01) 

古井戸

歴史は繰り返す。

米軍は福島原発で何が起きたか、を独自入手したデータで知っていた。国家は福島原発による被爆者救済からもさっさと手を引いて福島県に任せた。そもそも、なぜ、福島県だけが被爆者の救済に当たらねばならぬのか。放射能がばらまかれたのは県境、国境を越えて世界中であったのだ。


>それにもかかわらず、従来の廣島の記録は「八月十五日、終戦となって第二総軍司令部は戦災応急処理の指揮を解除したので、以後は県・市が行うことになった」と記している。今から考えれば、あれだけの大量の死傷者を県と市だけの救護体制で救護できなかったことは明らかである。国が放棄した救護責任を県と市が背負うことにも不当である。敗戦国の被害者に対する責任放棄こそが問われるべきであろう。


by 古井戸 (2012-02-05 16:11) 

古井戸

久々に読み返す。

>それにもかかわらず、従来の廣島の記録は「八月十五日、終戦となって第二総軍司令部は戦災応急処理の指揮を解除したので、以後は県・市が行うことになった」と記している。今から考えれば、あれだけの大量の死傷者を県と市だけの救護体制で救護できなかったことは明らかである。国が放棄した救護責任を県と市が背負うことにも不当である。敗戦国の被害者に対する責任放棄こそが問われるべきであろう。

福島県の被爆者の治療費無料化を放棄し、県に任せた現政権と同じことが1945年にも行われた。

2011以後の福島も一種の敵のない<戦争>である。いや敵はわが国家、というべきだろう。自らの政策の結果として多数の国民の生命と健康jと資産を危機においやり、救おうともしない。原発は政府と企業による国民に対するテロ、である。
by 古井戸 (2012-02-05 16:32) 

hito-art@beige.plala.or.jp

私は加藤周一氏が亡くなる直前にカトリックに入信したという記事を読み大変驚きました。それまで「無宗教である」ことを繰り返し表明していたのにどうしてだろうという疑問をもち、色々調べ始めました。「羊の歌」も読んでいましたので原爆調査のことが引っかかっており、笹本さんの本や、件のインタビューも読みました。さまざまな人が同じ思いで調べたようですが、10巻選集にある鷲巣力氏の解説で一応の決着がついたかにみえました。しかし、それだけでは納得がいかず、「医師たちのヒロシマ」(核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会編)や731部隊の本(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著〉を調べています。加藤さんはもっと重い思いを抱え込んでいたにちがいないと思うからです。カトリックには煉獄があり、死者はそこで試されます。加藤さんは神の試錬をうけなければならないと覚悟して入信したのではないかと想像しています。なお、京都大学では前記の会が出来たのですが東京大学では作ろうという動きはあったものの作ることは不可能だったようです。原発推進の拠点であっただけのことはあります。「医師たちのヒロシマ」を読むと最近肥田舜太郎医師が満身の怒りを込めて告発している事実とぴたりと一致する事実と出会います。        田島 隆記
by hito-art@beige.plala.or.jp (2012-02-12 22:02) 

古井戸

田島さん
ありがとうございます。
by 古井戸 (2015-08-11 15:51) 

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