So-net無料ブログ作成

加藤周一 1968年を語る   “言葉と戦車”ふたたび [history]

ETV特集 「加藤周一 1968年を語る~“言葉と戦車”ふたたび」
放送日 :2008年12月14日(日) 午後10:00~午後11:30(90分)

12月5日死去した評論家・加藤周一さん。1968年パリ五月革命やプラハの春を目撃した。40年前の若者の反乱が今問いかけるものとは…加藤さんのラストメッセージを伝える。

2008年12月5日、評論家の加藤周一さんが89歳で亡くなった。加藤さんは夏、病をおしてインタビューに応じた。テーマは1968年。その年、加藤さんは五月革命に揺れるパリでサルトルと議論し、プラハの春を推し進める市民に接する。その体験は著作「言葉と戦車」にまとめられ、権力と言論の問題を考えていく。そして今、68年と同様に「閉塞(へいそく)感」が社会に広がる中、あの年が私たちに問いかけるものとは?
### 以上、NHKの番組案内。



加藤老師が入院する直前、今年の7月、どうしても語っておきたいことがある、と、自ら求めてフィルムに残したメッセージである、という。

加藤周一は1968年『言葉と戦争』を出版しているようだ。この年、米国はベトナム戦争にドップリと浸かっていた。この年、チェコでは新たに選ばれた改革派、新任のドプチェク党第一書記が1968年の春から夏にかけ相次いで自由化政策を実施した。たとえば、一切の検閲廃止。市民は歓びと将来の明るい暮らしに湧いた。いわゆる、プラハの春。。。そんな、ある日の深夜、なんの前触れもなく、ソ連軍が国境を越え、プラハに侵入してきたのだ。戦車七千両による軍事介入。

そこでたまたま欧州に滞在していた加藤周一は何を見たのか?

ジャーナリストの抵抗の姿勢、である。
ソ連軍はまず、プラハの放送局を襲った(放送局をいのイチバンに襲撃するのはクーデターのイロハ、である)。
放送局員はどうしたか?銃を背中に突きつけられ、ソ連軍のための放送を行うよう強いられた。
一部の抵抗する放送局員は、接収を逃れたアンテナを使い、TV電波を地下から流し続けた。周辺国の国民へ、政府へ。この放送を聴いた人は、プラハへのソ連軍侵入の事実を国連事務総長、安保理理事国へ伝えてくれ、と。

加藤がその夜、ウィーンの友人宅で偶然点けたTVの荒れた画面から、男性放送局員が真っ正面を向かって訴えかけるメッセージであった。

ソビエト兵に発見され放送局を制圧された後も、ソビエトの軍事介入を伝える地下放送は、すべての放送局員が逮捕追放されるまで継続し、プラハで何が起こったかは海外に流し続けられた。

081215_1233~03001.JPG081215_1233~02001.JPG


はかなく終焉をつげたプラハの春。


しかし。。これは最近われわれが眼にした光景とどこか似ていないか? 帝国が、なんの根拠もなく、圧倒的な軍事力により中東の国境を侵略する。国連事務総長も安保理(利権コッカ)も、超大国の侵略に抗するためには、屁の突っ張りにもならない。

権力に対抗するにはペン。戦力に抗するには人々の言葉。すなわち、言葉と戦車。。。

これはたしかに、現代の問題であり、もっともこの問題を自覚しなければならないのはジャーナリスト、であるはずだ。この番組はマスゴミの諸君が眼をカッポじいてみなければならぬ番組であった。

しかし、ニッポンにおいては権力がマスゴミを急襲、ということはありえまい。ものわかりのいいマスゴミ(NHK..)の自主規制あるゆえ。

たかだか数十年前に起こったこと(だれが起こしたのか?)を、過去のこと、<その時歴史は動いた>。。にしてしまう、NHK。すこしは、<現代>をうごかしてみたく、ないか? NHKのニュースキャスターやアナウンサにはパーソナリティというものはかけらもない。口から出る言葉は、すべて、社内検閲済の原稿を棒読みしているのだから。


081215_1203~01.JPG081214_2207~02.JPG081214_2206~04.JPG081214_2206~03.JPG081214_2206~02.JPG


身体は折れ曲がり、髪の毛はほつれ、眉毛は伸び放題、眼はヤニのようなものがたまっている。加藤老師はすでに世俗の些細な事々を超越されているようであった。 凡俗の人間にはここまで、できまい。

加藤老師には、サルトルやボーヴォワールがそうしたように、老いについて、死についても語って欲しかった、とおもうこともあるが。


4年前に死んだ私の父は加藤周一より一歳年下。医者に余命3年を宣告されたが小康状態を得て、ひょっとして、と希望を抱いたが、ピタリ3年で死んだ。加藤とちがいガクレキは小学校を出ただけである。日支<事変>に志願して参戦し、中国大陸を転戦。九死に一生を得て帰った。同期の2/3は戦争で死んだという。加藤は肋膜炎をわずらい、偶然、徴兵から逃れえた。


生々死々。




                          081215_1734~01杖.JPG
                      



*画像はすべて上述のNHK番組から。


追悼 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-14
生と死 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-08-24

nice!(2)  コメント(10)  トラックバック(2) 

nice! 2

コメント 10

kyoka_nk

尊敬している方だけに真剣に拝見しました。
今回の特集のタイトルにも使われている1968年に出版された「言葉と戦車」も探してみようと思います。

by kyoka_nk (2008-12-15 20:15) 

whitered

偶然ですが、昨夜編み物をしながら、BS2であったこの番組を観ました。その前に、朝日新聞の12月8日付けの大江健三郎の追悼文が載っていたので切り抜きをして読んでいました。加藤さん・・私などは家に本があっても、ツン読のみでついぞ読まなかったので、こんど探して読んでみようと思っています。テレビ番組では、日本の70年代の学園闘争で「大学解体」をあるていど評価しておられたことが印象に残り、切抜きでは井上ひさしの文の中に「日本人は雑種性をいかすべきだ」と加藤さんが言っていることに共鳴を受けました。
by whitered (2008-12-15 20:39) 

古井戸

加藤さんが入院したのは7月、ということです。9月以降の金融危機~経済危機~雇用危機~生活危機~ニッポン崩壊。。の現実を見ずになくなったのであれば、幸いであった、と言っていいのでしょうか。

戦後ニッポンの繁栄、のこれが帰結。
by 古井戸 (2008-12-15 21:29) 

モモンガ

TB&コメントありがとうございました。


「ニッポンにおいては権力がマスゴミを急襲、ということはありえまい」
との指摘・・そのとおりだと思います。
プロパガンダのための占拠はあるかもしれませんが、おそらく無血開場?
無条件降伏かもしれません。



by モモンガ (2008-12-27 10:36) 

近藤節夫

 60安保闘争に参加して、ベトナム反戦に関わりました。ベトナムにも中東にも行き、遂にヨルダン軍に身柄を拘束されました。前途に光が見出せず、チェコのカルレ大学留学を志しました。これが何と「プラハの春」で挫折となりました。挫折だらけの半生でしたが、漸く古希を卒業して、学生時代に月刊「世界」で夢中になって読んだ加藤周一先生の卓見にうなずいております。惜しい方が亡くなられたと残念でなりません。
 随分動いたが、私も結局権力に飲まれてしまったのではないかと反省しきりです。安保闘争ではわれわれ学生に理があった。しかし、結果は権力につけ入れられ、安保反対の正論は蓋をされ無視されています。
 若者に言いたい。権力にひるまず前進せよ!
by 近藤節夫 (2009-01-30 00:41) 

バロン植垣こと植垣康博

加藤修一氏がここに来て1968年に象徴される当時の世界的な変革運動を取り上げたのは、そこに現在の閉塞的で危険な状況を打開する方向の萌芽があると思ってからでしょう。しかし当時の運動を考えるとき忘れてならないことは、私たち連合赤軍に至ったような問題を孕んでいたことを忘れてはならないと思います。それはとりもなおさず一党独裁主義的な傾向、そこにおける内部暴力や闘いの党派的統制など、変革運動を破壊せずにはおかない要素です。今の状況を打開する闘いは、こうした要素を克服する闘いと一体でなければならないでしょう。

by バロン植垣こと植垣康博 (2009-03-14 12:33) 

古井戸

70年に革命が失敗したのは失敗すべくして失敗した、とおもう。19世紀以後、近代国家(日本の徳川政権をふくめ)がどのようにして革命(明治革命を含む)を成功させたか?革命はすべて軍隊や官僚にツブされている。
ロシア社会主義の崩壊は、エリツィン一派が軍隊を掌握したから成功した。

幕末から現代まで日本の成功も官僚主導であり、崩壊も官僚主導。ソレを担ってきたのは、加藤周一や丸山真男が学んだ官僚造成システム(東大を初めとする)です。

姜尚中は本日のNHKアーカイブ(再放送)で、その役割を担うのは知識人だ、と加藤は言いたかったと言っているが。。丸山真男や加藤周一などの秀才が50人百人でてきても革命など成功するわけがない。多少オッチョコチョイでも生命をものともしない革命家、吉田松陰=精神的、実践的リーダー、がいたから明治革命は成功した。。これを加藤は体感したから、晩年、松蔭を評価したのでしょう。
by 古井戸 (2009-03-14 13:50) 

高塚タツ

>多少オッチョコチョイでも生命をものともしない革命家<というのは、芸者に踊らされた人たちですね。
ヤマト国家を作ったのは明日香の采女で、明治維新を成功させたのは芸者ではないのですかぁ? 政治家も官僚も、芸者に頼りすぎでしたよ。
芸者は、金持ちからしっかり巻き上げてくれるなら尊敬されるので、税金で遊ぶバカなんて招き入れたのはいかがなものかと思います。

ところで、出世コースを外れたら天下りしてなりふり構わず蓄財して子孫を返り咲かせればいいだなんて、トーダイで、『源氏物語』の教え方を間違えたのですね。

by 高塚タツ (2009-03-20 07:33) 

古井戸

>芸者は、金持ちからしっかり巻き上げてくれるなら尊敬されるので、税金で遊ぶバカなんて招き入れたのはいかがなものかと思います。

芸者は。。ではなく政治屋の間違いでは?

>明治維新を成功させたのは芸者ではないのですかぁ?

せめて芸者並みになってもらいたいもんです。

>出世コースを外れたら天下りしてなりふり構わず蓄財して子孫を返り咲かせればいいだなんて、トーダイで、『源氏物語』の教え方を間違えたのですね。

チャンと教えたからそうなったんでしょう。
by 古井戸 (2009-03-21 06:27) 

高塚タツ

なるほどなるほど。さすが古井戸さん。
by 高塚タツ (2009-03-21 07:12) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 2