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日本軍と阿片  アジア解放の真実  [戦争・原爆]

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「。。戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗が翻っているのをみて,「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか」と随喜の涙を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙を流したであろうか。」 江口圭一『日中アヘン戦争』(岩波新書、1988年)

「日中戦争当時、旧日本軍が中国東北部の旧満州国でアヘンの生産と販売を独占した上、治療した中毒患者の中国人を炭坑現場などで労働者として動員する計画を進めていたことが、愛知県立大(愛知県長久手町)の倉橋正直教授(65)=東洋史=の研究で分かった。  倉橋教授によると、アヘンの専売は国際条約違反だったが、日本は旧満州国の農村部でアヘンを生産させ、都市部で販売。その収益で占領地支配の財政や軍事費を支える仕組みを作っていた」2008/8月17日 中日新聞http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008081702000076.html



今夜8/17放送される予定のNHKスペシャルは『日本軍と阿片』
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080817.html
昭和12年(1937年)に勃発した日中戦争―。広大な中国で、日本は最大100万もの兵力を投入し、8年に渡って戦争を続けた。武力による戦闘のみならず、物資の争奪戦、ひいては金融・通貨面でも激しい闘いを繰り広げた。
「戦争はどのようにして賄われたのかー」。最新の研究や資料の発掘によって、これまで全貌が明らかにされてこなかった中国戦線の「戦争経済」の様々な側面が浮かび上がっている。その一つとして注目されているのが、当時、金と同様の価値があるとされた阿片(アヘン)である。

19世紀以降、イギリスなど欧州列強は、中国やアジアの国々に阿片を蔓延させ、植民地経営を阿片によって行った。アヘンの国際的規制が強化される中、阿片に“遅れて”乗りだしていった日本。日本の戦争と阿片の関わりは、世界から孤立する大きな要因になっていたことが、国際連盟やアメリカ財務省などの資料によって明らかになってきた。
また、これまで決定的なものに欠けるとされてきた、陸軍関係の資料も次々に見つかっている。軍中央の下で、大量のアヘンを兵器購入に使っていた事実。関東軍の暴走を阿片が支えていた実態。元軍人たちの証言からも、日本軍が阿片と深く関わっていた知られざる実態が明らかになってきた。
番組では、日本と中国の戦争を、経済的側面からひもとき、知られざる戦争の実相に迫る。



『戦争責任』 家永三郎 (岩波書店、1985年)では日本国家の戦争責任を分類している。http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-03-20-2
中国に対しては、次のように。
(目次から)
第三章 日本国家の戦争責任はどのような点にあるのか
序節 日本帝国の権力組織
第一節 国際的責任
一 中国その他の被侵略諸国・諸民族と日本の植民地諸民族に対する責任
1 中国に対する責任
(ア) 南京大虐殺
(イ) 中国全戦線にわたる残虐行為
(ウ) 毒ガス戦
(エ) 計画的継続的に大量の中国人民等に生体実験・生体解剖を行った731部隊の残虐行為
(オ) アヘン密貿易による日本の巨利獲得と中国人民の心身腐蝕
(カ) 侵略の手先としての中国官民の利用



昨日の朝日新聞記事。
朝日新聞8/16

アヘン王、巨利の足跡 新資料、旧日本軍の販売原案も
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK200808160057.html

日中戦争中、中国占領地でアヘン流通にかかわり「アヘン王」と呼ばれた里見甫(はじめ)(1896~1965)が、アヘンの取扱高などを自ら記した資料や、旧日本軍がアヘン販売の原案を作っていたことを示す資料が日本と中国で相次いで見つかった。取扱高は現在の物価で年560億円にのぼり、旧日本軍がアヘン流通で巨利を得ていたことがうかがえる。
 日本側の資料は「華中宏済善堂内容概記」で、国立国会図書館にある元大蔵官僚・毛里英於菟(もうり・ひでおと)の旧所蔵文書に含まれていた。

 この文書には、里見の中国名「李鳴」が記され、付属する文書に里見の署名がある。毛里は戦時総動員体制を推進した「革新官僚」の一員で、里見の友人だった。内容から42年後半の作成とみられる。

 文書によると、日本軍の上海占領とともに三井物産が中東からアヘンの輸入を開始。アヘン流通のため、日本が対中国政策のために置いた「興亜院」の主導で、「中華民国維新政府」内に部局が置かれ、民間の営業機関として宏済善堂が上海に設立された。


「証言・日中アヘン戦争」江口圭一編から:
私は数年前に「日中アヘン戦争」(岩波新書、1988年)という本を書きました。いささか意表をつくタイトルで、はて、こんな戦争いつあったかしらと不審に思われた方もおられたようです。
 実は、日本は15年戦争の時期を通じて大量のアヘンを中国で販売し、それを中国支配の重要な手段としていました。アヘンはもちろん国際条約によって禁止されている麻薬ですが、日本は国策として中国でアヘンを売りまくりました。
 その目的は、一つは「満州国」をはじめとする傀儡政権の財源や謀略工作の資金を獲得すること、いま一つはアヘン中毒によって中国の抗戦力を麻痺させることでした。中国はこの日本のアヘン政策を「毒化政策」として非難しましたが、たしかにアヘン政策は毒ガス戦や細菌戦とならぶ日本の戦争犯罪でした。日中戦争は実は大規模なアヘン戦争であったという意味で、「日中アヘン戦争」と呼んだわけです。


江口圭一『日中アヘン戦争』(岩波新書、1988年)から:

 国際連盟の前記の会議議事記録は、
「有名な満州および熱河の魔窟と工場についで、天津日本人居留地は中国本部[中国中央部]および世界のヘロイン中心地となった。中国民族のみならず、世界のすべての他の国々が弱体化され、堕落させられるのはここから始まるのである。」
 と述べており、日本は全世界の非難の矢面に立たされていた。

 しかし満州国の専売制などを別として、第一次世界大戦期から満州事変期の日本によるアヘン・麻薬の密造・密輸・密売は、現地の日本軍が関与したり保護をあたえたことはあっても、全体としてみれば、悪徳企業や不良日本人の私的な非行であり、犯行であった。この非行・犯行を、日本は日中戦争下に国策として公然と遂行するにいたる。
「世界における全非合法的白色麻薬の九割が日本製であって、天津の日本人居留地、天津周辺、大連市内あるいはその周辺において、あるいは満州、熱河および中国の他の諸都市において、必ず日本人か日本人の管理のもとに製造されるといっても、非常な的外れとはならないであろう。」
 重視されねばならないのは、この毒化政策が出先の軍や機関のものではなく、また偶発的ないし一時的なものでもなくて、日本国家そのものによって組織的・系統的に遂行されたという事実である。日本のアヘン政策は、首相を総裁とし、外・蔵・陸・海相を副総裁とする興亜院およびその後身の大東亜省によって管掌され、立案され、指導され、国策として計画的に展開されたのである。それは日本国家によるもっとも大規模な戦争犯罪であり、非人道的行為であった。
 アヘン政策の目的は、なによりも、その生産・販売によって巨利を獲得することにあった。アヘン収益の使途は、蒙彊政権の場合、表向きは政権維持の財源にあてられたことになっているが、その実態は秘密のベールに包まれて不明である。また収益とされる金額そのものも、どれだけ正確であるか、無条件には信用できない。ともかく、そこには巨額のブラック・マネーが獲得され、運用されたのである。


日章旗の掲揚はアヘンの販売が日本側によって公認されていることの標識であった。このことから日本側にしてみれば、とんだ勘違いが生じた。関東軍総参謀副長から敗戦直前に内閣総合計画局長官となった陸軍中将池田純久は「陸軍葬儀委員長」(1953年)のなかで、つぎのように書いている。
....[支那]事変当時、日本で喰いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。時々日本の国旗陵辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった。
 戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗が翻っているのをみて,「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか」と随喜の涙を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙を流したであろうか。


佐野眞一著『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)の書評から抜粋。 評者・松原隆一郎(東京大学教授=社会経済学)
http://www.asahi.com/international/aan/review/review51.html
軍や政治家の資金源を「私心なく」差配

高度成長がなぜ可能だったか」と問い、その答えを「満州」に求めるという本書のスタンスは鋭い。東京で行き詰まった戦前の都市計画を、あたう限り理想に近づけたのが首都「新京」(現・長春)だったし、「山を削り海を埋める」神戸市の都市経営は、市長が旧満州での体験を反復したものだ。ところが佐野氏はむしろ戦時上海の暗部に注目し、「日中戦は20世紀の阿片(アヘン)戦争だった」というテーゼを、日中両国にまたがる阿片の一大シンジケートを差配した「阿片王」里見甫(はじめ)を通して論証しようと試みるのである。。

(略)

それにしても惹(ひ)かれるのは、会社のリストラ案で自分を筆頭に置くような、豪胆にして私心なき里見の人柄だ。中毒者の溢(あふ)れる中国では阿片を即時禁止ではなく漸禁させるべきだというのが後藤新平案だったから、民間より高純度で安価な阿片を必要悪として提供するのは一種の公共政策であった。儲(もう)けはすべて人にくれてやり一切私腹を肥やさなかった里見には、公務に殉じたという意識しかなかったのかもしれない。だが資金は岸信介や児玉誉士夫らに流れ、戦後政界を拘束した。無私ゆえに悪徳が蔓延(はびこ)るという逆説が、この本の読みどころだ。


阿片+日本軍、をキーワードにネット検索すれば多数の情報が入手できる。江口圭一『日中アヘン戦争』(1988)には、大平正芳や愛知揆一ら政治家の実名が出てくる。今夜のNHKスペシャルは、どのような新真実(大東亜解放、の真実)を明らかにしてくれるだろうか?


追記(8/19):
NHKの番組は、阿片売却による兵器購入の全責任を東条など戦犯に押し付けて、われわれが新書や文庫で簡単に入手できる事実さえ示すことをしなかった。噴飯物である。岸信介、大平、椎名、愛知など保守系議員の名前、係わった企業名(三井物産と三菱商事他)など、見事に隠された。現在のニッポンを拘束している金権政治、米国による日本政治の実質支配の起源である児玉誉士夫、岸信介らへの阿片マネーの流出ルートをあきらかにしないでなにが『調査報告』か。満州政府と関東軍とはなんだったのか?国民から見れば無法者の巣窟であり、ヤクザであった。国家の制約を離れて商売(麻薬栽培と密売)をし、中国国民にアヘンを売りつけ、アガリを国庫におさめず機密費として私権拡張に使った。敗戦とともにこれはすべて終結したのか?トンデモない。領土とハードウェアは消えても、資金とそのノーハウ=ソフトウエアは政治屋・官僚とともに生き延びて戦後のニッポンに復帰し、いまもそのDNAを受け継ぐ官僚・政治屋は国内に跋扈しつづけているのだ。<満州>は過去ではない。現在のことである。

情報の隠匿はNHKの権力への気配り、これぞ<NHKスペシャル>。半世紀以上経過しているのにいまだに権力者に尻尾を振って真相を明らかにしないNHK。 大本営発表ばかり垂れ流した時代の体質はそのまま、反省はないようである。

番組の最後のナレーションはこうである:
『戦後63年阿片にかかわっていた多くの軍人、政治家たちは過去を隠蔽し、何も語らぬまま戦後を生き延びた。日本軍と阿片との係わりは私たちの記憶に残らなかった』

臍が茶を沸かすとはこのこと。日本軍と阿片に関する著作は20年以上前から市販されている。中国には実情を知るひとはいくらでもみつかるはずである(この番組でもすでに高齢の、事情を知る現地人が登場していたではないか。20年前に調査していればさらに生き残りは多かったろう)。当事者が隠蔽したがるのは当然のこと。それを明らかにするのがマスゴミの役割だろう。マスゴミが、戦後63年もほったらかしていたわけだ。番組では、興亜院で重要な会議が開かれた、と議事録を紹介しながら、<政治家、官僚、軍人>の名前をテレビ画面から<隠蔽>していた。 63年前の事実をいまだに<隠蔽>しつづけるマスゴミ。 

ニッポンのマスゴミは、現在の<事実>を半世紀後になっても明らかにする能力はない、と国民は承知しておいたほうがよかろう。
 

080818_2200~01001.JPG 内蒙古の阿片栽培

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『岸信介』(原彬久著、岩波新書、1995年)から引用する。

<惜しげもなく金を>p73
岸が甘粕をのちに(昭和14年)国策会社満映の理事長に据えたことからもわかるように、岸と甘粕は終始一貫密接な関係にあったことは事実である。古海忠之(総務庁主計処長、岸の部下)はこう回想する。「たとえばこんな話がある。甘粕正彦の排英工作....要するに特務だな。この甘粕のために岸さんが1000万円つくってやったことがある」。 1000万といえば、少なくとも今のおよそ85億円にはなるだろう。古海が甘粕のこの資金調達依頼を岸に取り次いだところ、岸は、それくらい大したことはないといって、あっさりその場で引き受けたという。

<アヘン密売の相関図>p74~
甘粕のカネ遣いは、そのスケールにおいてケタはずれであった。アヘン密売によるところが大きかったといわれる。岩見隆夫によれば、満州支配層がアヘンの密売によって収入を得る道には二つあった。一つは満州国政府が熱河省のアヘンを南方(上海、香港)でさばくルートであり、いま一つはイギリスから、上海の里見某なる人物を経由して甘粕に通じるルートである。甘粕が当時大規模な諜報活動に従事し得たのは、莫大なカネを生むこのアヘンルートを彼が握っていたからである。

しかも重要なことは、満州における岸のあのカネ離れのよさがアヘンの密売と何らかの関係があったのかどうか、ということである。古海忠之はいう。「アヘンについては、支那とか満州で一手にやっていた里見という男がいた。これは私のアヘンの相棒だ。アヘンは私と里見がすべて取り仕切っていたのであって、甘粕さんも岸さんも全く関係ないのだ」

それにしても、当時満州国政府の幹部として総務庁主計処長を務めていた古海が、アヘンを「すべて取り仕切っていた」ということは、すなわち、満州国政府そのものがアヘン密売の当事者であったことを意味する。しかも古海は岸総務庁次長の忠実な部下であったこと、岸と里見が密接な関係にあったこと、そして岸・甘粕間に太いパイプがあったこと等々から割り出されるこの相関図を前にするとき、さてこの相関図から、改めて岸を捨象することはむずかしい。

同時に忘れてならないのは関東軍の存在である。絶対的権力者としての関東軍がこうしたアヘン取引を知らないはずはないし、むしろこれを容認し、これに積極的にかかわっていたことは明かである。アヘンによる収入が関東軍の巨額の機密費を賄っていたわけである。つまり、先の相関図は、これに関東軍を加えることによってはじめて完成されるのであり、したがって、岸と関東軍とりわけ東條参謀長との関係が表舞台とは別のところで、しかもアヘンをめぐって通じていたという仮説は十分成り立つといえよう。

東條の引きもあって、離満後、商工次官、商工大臣になった岸は、今度は東條に政治資金を与えるようになるが、いずれにしても、満州で固まった岸・東條の親密な関係は、アヘン疑惑を含むカネの関係でもあったといえよう。

<濾過器論>p76
満州の三年間は、確かに岸を「立派な政治家」にした。(略) 中央官庁としての商工省から放たれて、満州の荒野に躍りでた岸は、「政治的なるもの」が含むあらゆる要素をみずからの血肉とした。後進的な政治土壌にとりわけ有効に働く「裸の権力」(関東軍)を懐柔し、そして、同じく未成熟な政治土壌に特別の効能を発揮するカネを駆使するという手法は、いまや岸のものとなった。

彼はこうした「学習」の成果を証明してみせるかのように、満州を去る前夜、。。友人たちに語っている。有名な濾過器論である。「諸君が選挙に出ようとすれば、資金がいる。如何にして資金を得るかが問題なのだ。当選して政治家になった後も同様である。政治資金は濾過器を通ったものでなければならない。つまりきれいなカネということだ。濾過をよくしてあれば、問題が起こっても、それは濾過のところでとまって、政治家その人には及ばぬのだ。そのようなことを心がけておかねばならん」(『私と満州国』)。

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首相東條と国務相岸の事務引き継ぎ@東條内閣改造 1943/10/9


雑誌現代思想2007年1月号『特集・岸信介--戦後国家主義の原点』から、小林英雄教授へのインタビュ(岸信介とは誰か):

p38 小林 「。。もうひとつは彼(岸)が当時関東軍司令官だった東條英機と手を結んだということです。(略) そこに。。甘粕という人物が出てきます。1927年にヨーロッパから帰ってきて満州に落ち着く。満州で裏の仕事をやるわけです。満州事変ではダーティーな仕事をやり、彼自身は最終的には満鉄の理事長になります。満映は満州映画協会ですが、それは表の姿で裏の姿は警察の総元締めであり、阿片の総元締めであり、大東公司という山東地域からの苦力が入ってくるときに取り締まる機関の最高の責任者になって、そこから膨大な金をひねり出します。それを岸に渡すし、東條にも渡す。そういうことで岸は東條の最も親しい側近として満州国を運営していく

小林「これ(満鉄改組)は秘密裡にやらないと成功しない。隠密性が必要だったんで、彼はしょっちゅう満州から立川まで飛行機で飛んで何食わぬ顔で官庁に行って、また立川から満州に戻るという離れ業をやっています。途中で飛行機が落ちれば終わりだったわけですが、彼は断固やる。これは軍人にはできない

小林「基本的には1941年に東條内閣に入りますが、それなりに上からの統制をやっていくという道を模索しようとしたんだと思うんですよ。ところが1942、3年の時点になってくるとやはり上からの改革はできるものではない。ということで東條を見限ったんじゃないかなと思うんです。それが東條内閣の瓦解につながっていく。やはり彼自身が東條英機の非合理性に耐えられなくなった。彼の感覚から合わなくなった。ということで先取り的に東條内閣を潰すことで戦後への生き残りの切り札を取っておこうと考えたフシもあります

小林「巣鴨プリズンに入るということは、起訴(東京裁判)の準備過程ですから。東條内閣を倒すおみやげをもって戦後を迎えたということが、彼の戦後も政治活動を続け得る条件の一つになったというのはその通りなんですが、もうちょっと違う要素もあるかなという気がします。それはやっぱり巣鴨で岸に対して尋問している(GHQ)のは検察官ではなく情報将校だったということです。それは簡単にいえば、彼を戦犯容疑にして扱うというよりは、あくまでも情報収集、情報提供者として扱っているということの象徴であって、彼自身初めからそういうものとしてアメリカは位置付けていた面があったような気がします。

アメリカがイラクでフセインを倒したあと、ついにアメリカの意向を継いで国を纏める政治家を見つけることができなかったわけですが、日本の場合岸という人物を見出した。巣鴨の過程というのは、占領軍にとって不要になる人物とこれから将来有用となる人物をふるい分けていく過程だったのではないか。それが占領政策の一つの面ですね。典型的には岸だった。岸はアメリカの占領政策のみならずその後もっと広いパースペクティブの中におけるリーダーの一人として白羽の矢が立ったという気がします


甘粕正彦@ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E6%AD%A3%E5%BD%A6

岸信介はCIAの手先だった
http://blog.trend-review.net/blog/2007/09/000439.html

日本軍の阿片売買
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/ahen.html

●「満州国」建国秘話 アヘンが支えた満州事変●
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/index.htm

興亜院 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BA%9C%E9%99%A2

【日中戦争】A級戦犯東條英機と大平正芳のアヘン商売
http://anarchist.seesaa.net/article/22551040.html



関連記事:
レイテ島幻想
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-03-09

松岡環編著 『南京戦  閉ざされた記憶を訪ねて』
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-03-11
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deliciousicecoffee

支那では、国民党政府も地方政府も共産党も、阿片を主要な財源にしたり交易に使用したりしていた。

『暗黒大陸中国の真実』(1933年)ラルフ・タウンゼント著「第8章 阿片」の辺りには、支那の「戦費の4分の3は阿片で賄われている」と述べられている上、支那の政府や軍隊が農民にケシ栽培を強制しておいて金を巻き上げる手口などについても詳しく説明されている。

当時、支那人の約8人に1人が阿片常習者であり、このような状況では、支那のあらゆる政府や軍隊が税収や軍事費などを阿片で賄わざるを得なかったのは当然だ。

日本も、当時の支那や満州に関与すれば、政府の財源や軍費が阿片のよって賄われていた支那の経済システムを一部で取り入れざるを得なかった。

ちなみに、日本は台湾において、流行していた阿片を撲滅すべく、阿片吸引を免許制とし、また阿片を専売制にして段階的に税を上げ、また新規の阿片免許を発行しないことで阿片を追放することに成功した。

by deliciousicecoffee (2008-08-27 20:29) 

deliciousicecoffee

8月17日放送のNHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」の再放送を見ました。
NHKは支那事変以前の支那におけるアヘンの実態や、日本が台湾でアヘンを撲滅させた実績などを隠蔽しています。
NHKによる日本を貶めるための悪質な印象操作と認められたので、まずは郵便にて質問状を送りました。



by deliciousicecoffee (2008-09-04 07:10) 

満洲ファン

満洲のことを色々とネット検索していて本ブログに行き当たりました。非常に高いご見識に感嘆いたしております。
思いますに、この阿片ルートが戦後特別会計に応用され、現下のいわゆる「天下り問題」につながっているのでありましょう。してみると、現自公政権にも特別会計から多額の政治資金が流れ込んでいるでしょうし、これに多数の官僚・役人が関係従事しておることは容易に想像できます。検察を使ってまで野党政権の誕生を阻止しようという異常なまでの行動もやっと察しがつきました。(ちなみに私は民主党支持者ではありません)
それにしても、これらの人々はどうしてこんなにおカネを必要とするのでしょうか?阿片ルートの時のように戦争でもしていればわからなくもないのですが。
とまれ、アヘン頼みの戦争では負けるはずですね。日本軍の軍紀が乱れてきた遠因もこのあたりにあるように思います。
by 満洲ファン (2009-05-19 18:32) 

TCK

日本が中国に作った租界は駐留日本軍と不平等条約による治外法権でしたから麻薬密売が容易でした。麻薬以外にも租界の範囲を勝手に拡大したり密輸で関税を回避したり軍と癒着した日本人と朝鮮人がやりたい放題やってたので当然現地の中国人から恨まれて、済南事件や通州事件で報復されてます。関東庁の事務官だった藤原鉄太郎の『阿片制度調査報告』によると天津に在住する日本人五千人のうち、七割が麻薬取引の関係者だったそうです。

中国と世界各国の禁止政策で一時期減った麻薬が中国の地方軍閥の乱立と彼らの資金稼ぎの為に再び増加するんですが、蒋介石の北伐で軍閥が弱体化するにつれ麻薬流通量は減っていきます。逆に日本は表向き漸禁政策で阿片取り締まりを掲げていましたが、実態は満州国を拠点に無検査で積極的に吸引許可証を発行してケシ栽培を奨励したり、より毒性が強いと判明していたヘロインやモルヒネを大量に売りさばいていたので、最終目標が麻薬の取り締まりなどではなく中国の麻薬汚染と資金獲得だった事は確実です。かつて日本と同じく麻薬利権で相手国を掌握する手法を取っていたドイツやイギリスは国際世論の流れに従って麻薬禁止に転じていたんですが、日本は依然として麻薬の密輸と密造を続けたので国連や麻薬撲滅の国際会議で度々非難されます。

あと日本の後藤新平は星製薬の密造工場と専売制を利用して金儲けをしたかっただけで麻薬撲滅の意図は多分無かったと思います。国際社会の圧力があるので阿片は渋々取り締まったんですが、阿片を撲滅する代わりに中国で流行っていなかったヘロインを大量密造してました。阿片と違って漸禁政策の役に立たないヘロインが台湾で密造され満州を経由して中国各地に流通した訳ですから「日本の漸禁政策により麻薬撲滅」なんてのは白々しい話です。
by TCK (2016-01-16 10:01) 

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