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小田実が考えて来たこと [Book_review]

             Makoto Oda 080327_0738~01oda.JPG

 
昨日、本の整理をするつもりが、ぽろりと出て来た小田実『激動の世界で私が考えて来たこと』(1996年、近代文藝社)に読みふけってしまった。一度読んだはずの本だが。

この本は小田実が89~95年にわたって書いた小文がおさまっている。530頁の本だ。この時期、小田実は
95年『ベ平連 回顧録でない回顧』 (月刊誌世界に連載したモノをまとめた)
96年『被災の思想 難死の思想』
という大著(700頁前後)を立て続けに出している。95年初頭、小田実自身が神戸大震災に遭っていることを考えると凄まじい体力精神力と言うしかない。

この本の最後、95年は阪神大震災が襲った年。小田も被害者として絶望と怒りの日々を送り、執筆活動をしているような精神状況肉体状況でないにもかかわらず、とにかく書きついだ。この大地震がなければ小田の眼にも見えなかったものが見えてきた、それをわれわれは小田の文章から知ることができる。不幸中の、<サイワイ>とせねばなるまい。


冒頭に序文として、1988年に開催された日独戦後文学を比較する会議のために書いた英文の翻訳(和訳)が置かれている。A Writer In the Present World~「現代世界のなかの作家」。これは小田の思想の要約ともいえる文章である。このなかで、西宮に戦争末期計画され、着手された地下トンネルの話が書いてある。敗戦時、小田実はまだ少年だったが大阪を襲った8月14日の大空襲の意味が分からなかった。天皇制存続のためだけのために死んだ多くの人々の無意味な死を、玉音放送を直接聴いた小田は再確認している。

小田は序文にもうひとつ、革命家・堺利彦について書いた短文を序文に追加している。堺利彦には『家庭の新風味』という著作がある、と。その抜粋を載せている。子供は「つぎの時代の働き手」であるという原理を定立した後で「子に対する尊敬」を説いている。その、ほんの一部を引用(p23から)。

。。わが子はわが力をもって作ったのではない、ある不思議な力をもって作られたのである。。。そこでわが子とはいうものの、まったくのわが子ではなく、不可思議(すなわち神)の子といってもよい。我々は神の子をわが子として産むのである。。。。 神に対しては「さずかりもの」、社会に対していえば「あずかりもの」、けっして親の私有物ではない。「あずかりもの」であるから大切にせねばならぬ、「さずかりもの」であるからに尊敬せねばならぬ、私有物でないから親々の勝手にしてはならぬ。これが子に対する根本の心得である。

こういうところを評価するのが小田の小田たる所以か。



本書では、幕末明治維新以後、日本は欧米、とくに米国になにをされたか、なにをアジアでやったか。小田の歴史観、アジア観が繰り返し熱く論ぜられている。

92年に小田は米国NY州ロングアイランド島にあるstony brook universityに教えに行っている。30年前にできた州立大学。東西に長いロングアイランドの中ほど、NYCから車で飛ばせば一時間ちょい、のところらしい。蔵書数では全米一を競う図書館もある、という。

小田は客員教授として、日本文学を教えに行った。日本文学と言っても日本語を読める生徒はいない。すべて翻訳=英訳、だそうである。小田の講義もすべて英語。小田の英語はどんな英語?

「私は英語は決して上手ではないが、表現力ゆたかという定評はある。表現力ゆたか、とは、たぶん、美辞麗句で、勝手に自説をこねあげ、まくし立て、人をケムリにまくのがうまいというのがことの実態、あるいは、真相だろう。私の学生たちは、今かわいそうに私の英語でケムリにまかれているというところだ」p361

。。だそうである。新学期のためにつくられた学生用の便覧に小田の講義内容を紹介している(小田によれば、なかなかうまくまとめてある、らしい):


[日本研究] 現代日本の批判的文学(このタイトルだけは小田がつけた) p362

急速に変化しつつある現代日本社会の状況の証言者として、また批判者として役立つ代表的長篇小説、短編小説の検討。大部分の学者にはあまりに一般的な概括を日本文学に対して行い、ジャーナリスティックな方法をとる者はありきたりな方法でことを論じる。それらとは対照的に、この講座の講師は、彼自身が、急速に変わりつつある日本の文学的情況へ参加してきた日本の主要な小説家でもあれば、社会批判家でもあって、現代日本文学の多様性とダイナミズムへの洞察を得る機会を学生たちに提供する。
                         講義: 水曜日 午後六時半~九時半。



ところで、小田実は、いまだに米国では好ましからざる人のリストに入っている。反戦活動、のせいである。空港ではいまでも、小田の名前がコンピュータに出て一騒動おこすことがある、という。

これを書き写しながら私は40何年か前、小田実『なんでも見てやろう』を読んだことを想い出す。小田はフルブライト留学生として米国~欧州、亜細亜を回った。そのフルブライト資格を得るための試験が米国大使館@東京、であった。当時小田は英語はまったくしゃべれない。試験管の口頭試問への回答もちんぷんかんぷん。その回答のデタラメブリが受けに受けて、第一次試験に受かったあと、第二次口頭試問の開始前から、その試験部屋に、仕事中の大使館員が小田の珍答を聴きにゾロゾロ集まり、小田の珍答のたびに大爆笑であった、という。

試験官「貴君は英語がどの程度しゃべれるのか?」
  Oda「おれの英語を聞けばレベルは分かるハズである」
試験官「我、了解ス」


昨年10月この大学で、小田のメモリアル集会が開かれたらしい。

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1. Memorial Service for Makoto Oda

A memorial service for Makoto Oda will be held on Monday, October 15, 2007 in the Javits room on the second floor of the Frank Melville Jr. Memorial Library, State University of New York at Stony Brook from 3:00 to 4:30. Makoto Oda, a famous Japanese novelist, was a visiting professor at Stony Brook from 1992-1994 and taught literature courses in the Japanese Studies Program, supported by the Japan Foundation. On the world stage, he was known for his peace activism, which began during the Vietnam era. He last visited Stony Brook in April 2003, when he gave a lecture on the war in Iraq. He had come to America on the occasion of the publication of his Breaking Jewel in English. Please RSVP to Mary Diaz (Mallow8859@AOL.COM) if you will be able to attend.
Sachiko Murata, Director of Japanese Studies
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この本でもっとも強い印象を受けたのは90年夏に小田が書いた短文『孤独な青年』である。p124

孤独な青年の名前はクリストファー・ボイス。いま、米国の監獄の中にいる。40年の禁固刑を食らっている(当時は)青年だ。
小田はジョン・ピルジャーの『秘密の国』によりこの青年のことを知ったという。(検索してみた。映画にもなった有名な話らしい)。 John Pilger "Secret Country"

080328_0502~01pilger.JPG John Pilger

青年はunredeemable criminal(救済措置のない犯罪)を犯したとして、独房の外にいるときもつねに手錠をはめられ、二人の看守が監視する。

この青年は何をやったのか? それを描くには72年にできて、75年につぶされたウィットラム労働党政権のことを知らなければならない。われわれがオーストラリアときくと一瞬おもいうかべる 革新、進歩的。。という印象はこの政権から得たものだ、と。すなわち、ウィットラム政権は、チリのアジェンデ政権を崩壊させた米国を国連で公然と非難し、ウィットラム首相自身が北朝鮮を訪問し、長年オーストラリアで虐げられたアボリジニの土地と人権回復を宣言した。米国のCIAがこの政権打倒を策謀し始めたのは、オーストラリアのどまんなかの砂漠にある秘密基地(CIAの基地もあった)を政権が問題にしたからである。米国はここから立ち去るべし。米国の策動により、ついに、オーストラリアの国家元首であるイギリス女王の代理人たる 総督 が ウィットラム首相の首を切って政権はあえなく潰えたのだ。

<青年>がこの事件にどうかかわるのか? 青年の父親は長年FBIに勤務し、そのコネでこの青年はCIAに職を得た。仕事は暗号解読である。具体的には、この職務遂行中に、ウィットラム政権ぶっつぶしの策謀の一部始終を知るに至った。おどろくなかれ、オーストラリアの総督が、CIAの一員だった、というのだ。 <知りすぎた>青年は秘密を同僚に打ち明ける。そのことから始まってとうとう、ソビエトのスパイに仕立て上げられ、国家反逆罪で捕らえられるのである。取引には一切応じず、青年は 法廷で一切合切を曝露したのだ。

小田はこの事実だけを伝え、こう結んでいる。

。。すべて彼(青年)には本来なんの関係もなかった外国にかかわってのことだ。しかし、外国のことであろうとなかろうと、「こんなことはまちがっている」。このことば、この彼の信念は強い。そして、私の心に重く残っている。それゆえ、このアメリカ合州国においてはもちろんのこと、当のオーストラリアにおいてさえ、知る人のほどんどいない「孤独な青年」が私のきにかかる。


これは、どこか遠い世界の話、ではない。ニッポンに起こりうる話、とおもわない?
 ない、っか。



080327_1358~01oda.JPG


追悼 小田実
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コメント 2

wagababa

トラックバックありがとうございました。
小田実さんは一昨年堺の九条の会の発足時に記念講演にきていただき、
お話をうかがいました。
下記の本を読んでみたいと思っています。
また宜しくお願いします。
by wagababa (2008-04-02 15:28) 

古井戸

小田実の世代は一番よくニッポンを見ているのじゃないでしょうか。敗戦の悲惨さ、軍のいい加減さ、敗戦とともにコロリと変身する政治屋・官僚・ガッコのセンセ。彼の著作はどれをみても主張は一貫しているように思います。小田に和して、同ぜず。戦後生まれの私には私の歴史があります。見るべき程のものは見、自分の考えをまとめて死にたいと思っているのですが。
by 古井戸 (2008-04-02 20:25) 

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