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佐藤優 『獄中記』 (岩波書店)、 『ナショナリズムという迷宮』(朝日新聞社) 書評 [Book_review]

                            

                                

元外務相主任分析官佐藤優(現在休職中)は宗男疑惑に連座、<国策捜査>により512日間、独房に閉じこめられ検察から聴取を受けた。そのおりの記録を60冊に及ぶノートに残したがそれを抜粋圧縮したモノである。佐藤のデビュー作である『国家の罠』(新潮社)は、逮捕の前、検察の取り調べ、判決などを扱っているが、この本は独房で読んだ本、思考した内容、弁護団とのやりとりを掲載しているから時期的にはスッポリ重なるが、内容的には重ならない。

この本を読み始めて一瞬想起したのは ドストエフスキーの作家の日記であり、地下生活者の手記。。等の初期作品である。ドストエフスキーは、チェルヌイシェフスキー事件(反政府運動が発覚)で死刑判決を受け、死刑の直前になって恩赦を受け(これはツァー政府のヤラセ、であった)その後、シベリア流刑という壮絶な体験をした。

佐藤はどうか?
佐藤に罪の自覚はない。そもそもこれは連座事件である。宗男を抹殺すべく(田中真紀子と合わせて)仕組まれた事件である。『国家の罠』を本屋で立ち読みしたとき、眼に飛び込んだのは佐藤を取り調べた西村検事が『これは国策捜査だ』と、佐藤被告に述べた、というくだり。笑ってしまった。これは馴れ合い捜査なのである。ホリエモンや村上(ファンド)に検察が、『これは国策捜査だ』と言うだろうか?ばかばかしい、というしかない。馴れ合い捜査だ、ということをシャアシャアと書く佐藤を含めて、だ。(佐藤によると、ホリエモンが検察の逆鱗に触れ、逮捕されたのは、ホリエモンが天皇制はおかしい、大統領にスベキ。。と発言したから、という(『ナショナリストという迷宮』)。もし佐藤が検察であってもホリエモンを逮捕したろう。佐藤は「国体」護持派であることを隠していない)

『獄中記』の末尾(付録)「塀の中で考えたこと」で佐藤は言う。「起訴された2つの事件について、
1 国後島ディーゼル発電機供与事業に関して、三井物産に漏洩するような不正行為に直接間接私(佐藤)が関与したことは一切無い。
2 テルアビブ大学主催国際学会への日本人学者などの派遣等に伴う資金供出は、外務省の組織決定に従ったのであり佐藤に刑事責任はない。」

佐藤は「国策捜査と、冤罪は違う」と何度も繰り返しているが、どこが違うのだろうか?これが私には分からない。国策捜査とは本来刑事事件でないものを政治目的で事件をでっち上げ(すなわち冤罪)て逮捕することである。冤罪は一般人に対するでっち上げ、であるところが異なるだけである(05年2月佐藤は有罪判決、懲役2年6ヶ月を受けたが即時控訴した。冤罪と認識するからこそ控訴したのではないのか。国策であるから控訴するのではあるまい)。佐藤に実際に経済罪があるのであれば、逮捕捜査するのは検察の義務であり国策ではない。
捜査することは検察の職務なのであり、検察のチョイスの問題ではない。冤罪はイコール国策ではない。佐藤のいうように捜査の過程で無罪とわかっていてもメンツのため有罪を押し通すこともあろう。しかし、国策捜査は最初から権力により意図された、冤罪なのである。大学大学院で神学や哲学を専攻した佐藤にとって上記の罪に問われようと内心の痛みはさらさら無く、衣食住申し分ない500日程度の独房生活はなんら負担でも無かろう。それでも、この『獄中記』を読むと、後半になると徐々に精神的な深みに達する記述=実存的な記述が多くなる。佐藤の独房の隣には、死刑囚が配置されるらしい(死刑囚は一般囚に比べて待遇がよい。しかし、いつ死刑になるかもわからない囚人の狂ったり泣きわめいたりする現場に立ち会うことになる)。

『獄中記』には佐藤(および鈴木宗男)の主張する北方四島返還方式が説明されている(岩波の雑誌『世界』に獄中から投稿されたがボツになった記事=ボツにしたのは弁護団の配慮である)。要は、四島一括返還方式に対し、鈴木宗男や佐藤らは2+2返還方式を主張し推進してきた(まず二島の返還をもとめ、残り二島は潜在主権を認めさせる。二島の放棄ではない。ここがなかなか理解されなかった)。この主張が、なまぬるいロシア派から出された、として当時のアメリカ一辺倒=コイズミ一派から目の上のたんこぶ扱いにされた。親中国の真紀子もろとも処断されたのである(鈴木宗男が<刺し違えた>)。(追記:しかし、無能あるいは政権にとって意味のない官僚や大臣はただちに更迭するのが当然である。税金の無駄遣いをしてはならない。企業では当たり前のことだ)

国家の罠を読めば、佐藤優は鈴木宗男議員と行動、思想を共にしており外務省の一職員として行動しているとは思われない。鈴木宗男とのやりとりで、佐藤(外務省職員)は、当時の田中真紀子外相を、「田中の婆ア」と呼んでいる(『国家の罠』)。佐藤優を外務省から追い出す過程でみられるのは外務省という一組織内のいざこざであり、もはや組織の体をなしていない。佐藤は、過去のロシア交渉の敬意を無視した米国一辺倒政策への変化(コイズミ等の新自由主義政策)を「パラダイム転換」と呼んでいるがそんな上等のモノ、大規模なものではない。単に、政治屋の新政策にしか過ぎない(二島先行返還に、日本がこだわる強い理由はない)。問題は、官僚とは何か?である。官僚は国民が選んだモノではない。公務員試験に合格した事務屋にしか過ぎない。国民が選挙で選んだ国会議員や、議員から選んだ内閣(政府)に従う義務がある。内閣が替われば官僚の仕事のやり方も変わって当然である。米国では民主<->共和の政権交代に伴って高級官僚らは自主的あるいは他律的に退任する。佐藤優のようにロシア政府要人とも深いつながりがありロシアの思考方式が手に取るように分かる連中にとって、日本政府のとるべき対露政策に確固とした定見があるのは理解できる。しかし、内閣や外務大臣が打ち出す政策には従わざるを得ない。外務大臣や首相を説得できなければ、
1 それに従って自らの定見を退け、新方針で臨む
2 定見を変えるのを潔しとせず、退官する
このいずれかをとるしかあるまい。これが官僚の限界である。
(もちろん、実際はこの規矩を越え、官僚が国会議員、政権を操っているのである。官僚とは国家に棲息する『宿便』か?佐藤優ももし<国策逮捕>されることがなければ臭い宿便として生涯を終えたろう。国民にとっても佐藤にとっても逮捕はラッキーであった。もちろん、この<逮捕>は企業であれば通常行われている人事異動、もしくは、更迭、でしかない。たかが更迭ですむところ、捜査や裁判などに無駄な税金を使うな、といいたい)

ニッポン(というより、米国をはじめ世界の先進国が大なり小なりもっている)の問題は、あらゆる省庁で官僚が力を持ちすぎることである。トロツキ『裏切られた革命』に、「国家が官僚に従う」とある。現在のニッポン(&世界の)政治の癌は、官僚なのである。佐藤はそれに気付いていないようである。官僚に対する<国策捜査>とは官僚内部の(税金を使った)乳クリアイ、にしかすぎない。

わたしの敬愛するロシア語同時通訳、故米原万里は書評家としてもその名を馳せた。遺作『打ちのめされるようなすごい本』(文芸春秋)では、佐藤優の『国家の罠』を2005年のベストスリーとしている。(わたしは同意しない。外務省内のどたばた劇を国民に知らしめた、という功績なら認めるが)。『国家の罠』(2005/5月、新潮社)に続く佐藤の次作『国家の自縛』(2005/9月、サンケイ新聞社)を米原万里はつぎのように評する:

##『打ちのめされるようなすごい本』から引用 p290-291
『国家の自縛』は。。。佐藤の限界というか佐藤自身の「自縛」状態も顕在化させている。。。

外務省には絶対に戻らないと言い切る佐藤が(古井戸注:『獄中記』では、判決後、外務省は、佐藤(現在休職中)を懲戒免職にするだろう、と何度も述べている)「現職の内閣総理大臣を全力でサポートしていくってのが役人の仕事ですし、それが国のカネで育成された専門家としてのあり方なんですよ。そのモラルを崩したくない」と述べて、小泉批判を自重し、靖国参拝からイラク派兵までを正当化するくだりは、上滑りで説得力がない。
国=現政権と自動的に受け止める役人的思考回路が自由闊達な佐藤の思考を、そこの所だけ停止させていて勿体ない。佐藤は首相がヒットラーでも忠実に仕えるつもりなのか。また国家権力に寄り添って生きた惰性なのか、権力者や強者の論理にとらわれすぎていて国内的にも国際的にも弱者や反体制派の視点が完全に欠落している。公僕は、まず誰よりも僕(しもべ)で「国のカネ」は国民の税金であり、憲法と現法体系に忠実であるべきだ。それに、作家は、自身の見解を率直に偽りなく語るべきで、権力者におもねったり遠慮したのでは、言葉が力を失う。それとも佐藤は、まだ役人生活への未練があるのか。
##引用終わり

これは『国家の自縛』に対する米原万里の書評だが、私には『獄中記』を含む、佐藤のすべての本に該当すると思える。

佐藤によれば、米原万里は佐藤優の知己であり、『獄中記』の出版を求めたらしい。佐藤優はこの↑書評を読んでいるはずである。キチンと応える義務がないか?『獄中記』にその答えは見つからない。

佐藤の著作に、国家の利益、国益という言葉は何度も出現するが国民の利益、国民の意見という言葉が出てくることはない。つまり、佐藤は優秀な官僚、ということであろう。

故米原万里は『獄中記』(岩波)をどのように評するであろうか?。

佐藤優は発表媒体として古くから佐藤を支援している岩波と、サンケイ新聞社(左翼と右翼!)を使っている。最近出した『ナショナリズムという迷宮』は朝日新聞社。『日米開戦の真実』は小学館。媒体により発言の内容にも気を配っているようである。

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-06-14
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-15

『ナショナリズムという迷宮』(朝日新聞社)の魚住昭「あとがき」によれば:

佐藤優の母は1930年、沖縄県久米島の生まれ、那覇の女学校に入った。14歳で沖縄戦を迎え、日本軍の軍属として激戦地を巡った。米軍の毒ガスを浴びたり、日本軍が降伏した後も摩文仁の丘で徹底抗戦を続けたりするなかでおびただしい人々が死ぬのを目撃した。このため戦後「天皇のため死ぬなんてとんでもない話だ。もっときちんとした自分の基軸を探したい」と思うようになってキリスト教に触れ、洗礼を受けた。ただし「みんな仲良く」という教会の偽善的体質や、高みから与えてやるという姿勢は嫌いで「こんなものは本物じゃない」と教会に積極的にコミットしなかった。。。
母の影響で佐藤が物心ついた時には既に神がいた。。。母は佐藤にほとんどキリスト教の話はしなかったが、神社仏閣では「ここには神様はいないから」と拝ませず、「人間の作ったものを拝んではいけない」と徹底して教えたという。佐藤はクリスチャンである。

                            

なお、『ナショナリズムという迷宮』は共同通信社出身のノンフィクション作家魚住昭との対談本。これは面白く読めた。コイズミの2005年選挙勝利を、マルクスの『ルイボナパルトのブリュメール18日』と対比させるなど、卓抜。その他、ファシズム論、ナショナリズム論なども。『獄中記』でも哲学や思想にかかわる記述は大いに啓発を受けた。しかしこれなら他人でもできる。佐藤優にやってもらいたいのは、近代政治の癌、である官僚制批判、である。ネーションが必要悪、であるように官僚も必要悪なのであろうか?

佐藤優は、獄中で 廣松渉、ハーバマスと並んで宇野弘蔵を読んだと言っている。宇野学派の経済学者伊藤誠が講談社学術文庫として 新刊「『資本論』を読む」を出している。最終節「資本論をどういかすか」で伊藤誠は、現代の資本主義は、「資本論」が原理的に解明して原理的な相貌を随所にあらわしてきた、として現代の経済(グローバリズム、新自由主義)を概括している: 引用、p469~470から。

##
現代の資本主義は、1970年代に生じた深刻な経済危機を介して、情報技術の高度化と普及をすすめ、それにもとづき製品市場、労働市場、さらには金融市場に競争的な市場活力を再生させる試みを展開し、それを広くグローバルに推進する傾向を強化してきた。新自由主義はそれを経済政策の面で反映し、国家の役割を縮小してさまざまな公的規制を緩和、撤廃し、公企業を民営化し、福祉政策を削減して、市場原理による私的企業の負担や制約を軽減し、その競争的活力を再強化する方針を基調としている。それらの結果、19世紀末以降の資本主義が、金融資本の独占組織、労働組合の成長、および国家の経済的役割の増大の三面から競争的市場原理を制約する方向をたどっていた発展傾向は、全面的に反転されて、個人主義的で無政府的な市場での資本の自由な営利活動が経済生活の基本として尊重される状況が再現している。それは企業中心社会としても特徴づけられている。

 それにともない、現代の資本主義は、自由な市場の競争的なしくみにもどづく資本の価値増殖運動の展開が、古典派経済学や新古典派経済学の想定するような調和的で効率的な経済生活を実現するものではなく、むしろ『資本論』に示されているような、労働者の階級的な抑圧、社会的な資産や所得の格差拡大、さらには内的矛盾の発現としての経済生活の不安定性をもたらすことを、はっきりと露呈してきている。その意味では、戦後の高度成長期に、労使協調路線で、日本でも一億総中流化といわれるような経済格差の縮小傾向が、国家による雇用政策や福祉政策への期待をともなって実現され、経済秩序が安定性を示していた状況は一変している。グローバルな新自由主義の政策基調とともに、現代の資本主義は、『資本論』の経済学が批判的に解明していた資本主義の原理的な作動を再強化し、いわば原理的な相貌を随所にあらわにしてきているのである。
##

佐藤優は魚住昭との対談『ナショナリズムという迷宮』で、新自由主義について、次のように発言している:
p87 ~
このまま新自由主義が進むとどうなるのか。。。ひとつは、資本主義のシステムが機能しなくなるほど弱者層が荒廃する。経済的困窮や将来への不安などから、治安が激しく乱れたり、少子化傾向に拍車が掛かって、労働力が十分に再生産されなくなるでしょう。ふたつめは、そこまで荒廃が進行する前に社会的弱者が横の連帯を模索し、強者との間で階級的対立が起こる。。。

 東西冷戦が終わり、共産主義陣営の脅威はなくなりましたね。もはや資本主義社会において手厚い福祉政策はやめたっていいわけです。。。

 国家は国民に自助努力を求めています。落伍者に対しては、”今日生きて逝くだけの食べ物だけは与えてあげるよ”程度の施し。エンゲルスが19世紀半ばに著した『イギリスにおける労働者階級』で描かれる救貧政策を私はイメージしています。救貧院という収容施設がつくられ<食物は極貧の就業労働者のものより粗末であるが、労働はそれよりもはげしい。そうしないと、極貧の就業労働者は、そとでの悲惨な生存よりも救貧院に滞在するほうをえらぶだろうからである>。

魚住昭: そんな酷い状態になるんだったら、資本主義システムは機能しないのでは?

佐藤優: ですから、救貧政策は困窮者への「いたわり」の衣をまとってでてくるでしょう。それに時々、国家は社会主義者・資本家や企業の不正を<暴いて>血祭りに上げ、弱者に対して<清潔な政府>をアピールしてきます。そうしたイメージ操作に成功すれば、社会的弱者は「いたわってくれる」国家と直接つながり、包摂されているんだという国家への「帰属意識」を抱くでしょう。実際は階層間は大きく断絶しているのに、どういうわけかまとまってしまうのではないでしょうか。そうしてファシズムが完成するというわけです。

##

『ナショナリズムという迷宮』でもっとも良いとおもうのはp167前後からの 官僚論、である。佐藤によると、官僚がせり上がってきたのは226事件以後、ということらしいが。わたしは明治維新(ひょっとして江戸期から?)に建設された官僚制(富国強兵、その前提としての教育制度)にその基礎があるとおもう。立花隆『天皇と東大』は、日本官僚史とも読める。タイトルをなぜ『日本近現代史』としなかったか?の理由が分かる。立花は明治以後を『天皇の世紀』とみている。東大とは、<官僚>での謂である。『天皇と東大』で最初異様におもったのが岸信介の取扱が大きいこと(しかし、満州、満鉄の記述はほとんどない。東大卒の官僚で戦後、首相まで上りつめた原点は岸信介の満鉄時代にあったのだが)。しかし、雑誌現代思想2007年1月号、特集<岸信介>が戦前の遺産(人的ネットワーク、国家改造計画)を戦後に引き継いだ革新官僚としての岸信介を明らかにしている。岸信介は、北一輝の発禁本である『国家改造案原理大綱』を、夜を徹して書き写したりしている。私有財産を無条件に承認しない人物であった、少なくとも戦前は。当然ながら、天皇機関説の支持者であった。

愛国心とは何か、あるいjは官僚の自縛: 佐藤優と米原万里
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-01-08

関連ブログ記事:
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-12

追記1:
2007 1/28、朝日新聞書評に、柄谷行人による『獄中記』の書評がある。
柄谷によると、
「。。本書の「知性」が魅力的なのは、それが外向的、行動的だからである。通常、それは知的であることと矛盾する。だが、著者の場合、通常なら矛盾するようなことが、平然と共存するのだ。たとえば、著者は「絶対的なものはある、ただし、それは複数ある」という。そこで、日本国家と、キリスト教と、マルクスとがそれぞれ絶対的なものとしてありつつ、並立できるのである。」

。。。だそうである。知性的でない私にはよくわからない、絶対矛盾的自己同一というやつ?
絶対的なモノとしてありつつ、並立できる? つまり、相対的価値しかない、ということではないのか?刑務所の中では知性的になれ、価値の並立を享受できる、が、現実の官僚としては、四島一括返還ではなく、二島先行返還、という特定の政策を取り、国策捜査に嵌められた。佐藤優が国策捜査である、と検事から告げられても安寧でいられるのが私には不審であった。<現実的なモノが理性的である>、と諭した哲学者の学徒ならば話は別か。国体護持論者である佐藤優が同時にキリスト信者である、ことには自身、矛盾は感じていないようである。官僚、としての思考と、(官僚に戻ることはないと断言している著者の)私人としての思考は、<矛盾なき並立>なのであろうか?

追記2: 1/31/2007 佐藤被告、二審も有罪

「外務省関連の国際機関「支援委員会」の予算不正支出をめぐる背任罪と、支援委発注の国後(くなしり)島発電施設工事入札をめぐる偽計業務妨害罪に問われた外務省元主任分析官佐藤優被告(47)の控訴審判決が三十一日、東京高裁であった。高橋省吾裁判長は「支出は自己の利益を計っており、正当化できない」などとして、懲役二年六月、執行猶予四年の一審・東京地裁判決を支持、被告側の控訴を棄却した。

 佐藤被告は上告する方針。

 判決理由で高橋裁判長は「情報収集に多少なりとも役立てば支出できるというような野放図な支出は許されない。決裁を経ていても、違法でないとはいえない」と背任罪の成立を認めた。
(略)
佐藤被告側は「支出は事務次官や条約局長らの決裁を経て認められていた。与えられた職務を遂行しただけ」と主張。偽計業務妨害も「関与していない」として、無罪を訴えていた。
(略)
一審東京地裁判決によると、佐藤被告は支援委事務担当の元外務省課長補佐(42)=有罪確定=と共謀。二〇〇〇年三-六月、イスラエルで開かれた国際学会に日本人学者らを参加させる費用など計約三千三百万円を支援委に不正に支出させた。また支援委が発注した国後島ディーゼル発電施設工事で、入札前に予定価格の情報を三井物産側に漏らし、支援委の業務を妨害した。」以上引用、中日新聞、1/31/2007 から。http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070131/eve_____sya_____011.shtml

東京高裁に入る佐藤被告、31日午後、朝日新聞夕刊から

佐藤は
<国策捜査は、日本国家が『ある時代』から『次の時代』への転換をとげるためには必要であるとすら思っています> (獄中記)
さらに
<リスクを負って仕事をした人々が国策捜査の対象となり、失脚するような状況が続けば誰もが自己保身に走る。「不作為体質」が蔓延することにより、結局、国益が毀損される>

。。とも言っている。

国益が毀損されるのであればその原因は、国策捜査にあるのだろう?自らが<国策捜査を必要>と認めておきながらなんという言い分だろうか?さっさと、第二審の結果を受けいれて上告を取り下げたらどうか。裁判の費用と手間には国税が使用されているのである。

佐藤は、国策捜査を、
国家が、自己保存の本能に基づき、検察を道具にして事件を作りだしていくこと、
と定義している。いったい国家とは誰のことを指すのか?考えたことも佐藤はないだろう。たかだか、検察を操れる時の政権中枢でしかない。これを国家利益と(意図的あるいは非意図的に)錯誤すること、さらに国策操作を認めることに、官僚としての甘え、と、官僚気質を脱しきれない佐藤の言行の矛盾が発している。 上告するなら、そこに援用される、自己都合でない国民誰にも妥当する公のジャスティスを国民に示すべきである。

   


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コメント 17

kok

先日は失礼しました。いつも興味深く読ませてもらっております。
情報です。米原万理さんの佐藤優氏批判について佐藤さんは釈明というか説明をされています。たしか「自分は今でも公務員(休職中)であるからその立場で物を書く。」みたいな感じであったような覚えがあります。
リンク先はその「説明」があった新潮45 2006年10月号「私が見た「人間・橋本龍太郎」の抄録です。(佐藤さんの説明部分なし)米原さんと橋竜、エリツィンの関係等けっこう衝撃的な内容でした。
by kok (2006-12-18 22:24) 

kok

すいません書き忘れました。
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/d2990551af91d1407e6b18f727ee8ee2
by kok (2006-12-18 22:25) 

古井戸

kokさん。ども。
大変興味深い記事です。なんだか、黒澤監督の 羅生門の、世界に陥りますね。。
米原さんはともかく(私の恋人だから。。ははは)、橋龍、エリツインとも 小物ですね(通訳に手玉に取られる人物など、たかが知れています)。小物の相手をしなければならない、それが米原さんの不幸か。佐藤が惚れている(ホントか?信じられないのだが)鈴木宗男など、大いに怪しい人物とおもっています。(佐藤もだが。。)

米原さんが書評でベストにあげている、岩上安身、はどうでしょうか?
岩上はロシア語は話せないだろうが、佐藤よりは人間的にも、上だとおもいます。米原さんもそう思っていたとおもいますよ。佐藤なら籠絡できるだろうが、岩上はそういうわけにはいくまい、と。
by 古井戸 (2006-12-18 23:25) 

kok

レスいただきましてありがとうございました。岩上氏の「あらかじめ裏切られた革命」は管理人さんの書評を見てすぐさま図書館に借りに行きました。パンのような本で到底全部は読めませんでしたが。
今話題になっているチェチェンについても岩上氏は大道塾有段者の空手の腕を生かして取材されていましたね。佐藤さんの「国家の崩壊」でチェチェン人は七代まで復讐する義務がある、と説明したことについても岩上さんは防護策があることを言っていました。その岩上さんもいまでは朝のワイドショーでコメンテーターをしている丸刈りの人になってしまっているのはちょっと残念です。リトビネンコに関しては佐藤氏はマフィア犯行説をとっていて日本のチェチェン問題ジャーナリストとは一線を引いています。
おそらく「国家主義者」である佐藤さんは民族という「パンドラの箱」はあけつづけないほうがいいと考えているのではないかと思います。その辺で「個」やコミュニティを中心に取材するジャーナリストたちとは意見が一致しないのではないかと。
by kok (2006-12-23 21:50) 

古井戸

>パンのような本で到底全部は読めませんでしたが。

私は文庫本も買いました。文庫には姜尚中の熱い解説が付いています。

>その岩上さんもいまでは朝のワイドショーでコメンテーターをしている丸刈りの人になってしまっているのはちょっと残念です

そうですか(TV故障して、ラジオ人間です、現在)。 あの本以後、何も出版していないらしいのでどうなってるのか?と思っていました。

佐藤のコメントは、ロンドン病院で被害者が死んだ直後、ラジオで聴きました。しかし、マフィア犯人にしても、プーチンの指揮下、あるいは意を呈してじゃないでしょうか。

>その辺で「個」やコミュニティを中心に取材するジャーナリストたちとは意見が一致しないのではないかと

なぜ国家主義者 以外の道を取りえないのか? 外務省時代の思考方法から一歩も抜け出せないからでしょうね。自己規制がかかっているのじゃないでしょうか。
北方領土問題も、麻生がいうように、二島ずつ分割、というのがあっさりしていいですね。4等返還など、なんの国益にもなりません。

わたしは米原が知己のある佐藤に、おのれの癌も進行してもはや先の見えた2005年末になって、なぜあのような厳しい批判を(国家の自縛)を投げつけたのか? 佐藤は今頃、二人の交渉と、米原のしたこと(エリツインの対日政策への関与)を 暴露したのか? に興味を持っています。 佐藤は米原の疑問には答えていませんね。 いつまで裁判闘争をするかはわかりませんが、国家の意を呈した裁判所が無罪を結審するわけがありません。(無罪にしたら外務省は大いに処分=懲戒免職、にこまるでしょうが。。)。 
佐藤支援団体の滝田氏のブログ:
http://takinowa.exblog.jp/m2006-12-01/
私が住んでいる町の住人でした。自民系。
by 古井戸 (2006-12-24 03:21) 

KITAさん

 FUTANさんにご教示頂き、古井戸さんの書評を読みました。
以下は、ある地域SNSで、FUTANさん宛てに書いた私の感想です。

 さきほど読了しました。ご紹介頂いた古井戸さんのブログの方も読ませて頂きました。この『獄中記』には、随所に知的な指摘、知見が散りばめられています。特に、ロシア人がユダヤ人と同じくメシア的民族であり、ロシア-イスラエルには共通の歴史認識があるとの指摘(p360)は、神学に精通した彼の卓見としか言いようがない。この点、「大きな力」にイスラエルを加えたのは、誤りでした。

 ところで、古井戸さんがブログで指摘するように、この記録の主軸は、「国益」と「国策」をめぐる思弁です。しかし、問題は、「国益とは何か」です。「国策」の方は、はっきりしている。政治的動向であり、政治路線です。しかし、「国益」とは、誰が、どのように認定するのか。「国益とは、選挙によって選出された内閣による国策が追求するものであり、両者に矛盾はない。従って、国益を思うのであれば、佐藤は国策に従うべきである」と古井戸さんは断じていますが、「そうではない」と「思考する世論」に訴えているのが、まさにこの500pに及ぶ『獄中記』の主張です。佐藤優氏が守ろうとする「国益」は、世論の外にあって、客観的に存在するものです。「では官僚が決めるのか」ということですが、佐藤氏は「その通り」と答えるでしょう。ここには、『獄中記』の官僚論が介在します。たとえ、「つくられた世論」、「思考する世論」の対極としての<思考しない>世論に対立してでも、「日本国民のために仕事をする」のが、彼の官僚論です。ですから、論点は、国益と国策が一致しない場合の対処法なのです。佐藤氏の悲劇はそれが、権力闘争の形で顕在化し、排除されてしまったことなのでしょう。


[追記]
 もう少し言えば、古井戸氏は、米原万里氏を援用して、「佐藤の自縛」と断じているが、根拠は、まるで正反対である。米原が「打ちのめされる」本で、『国家の自縛』を「佐藤は首相がヒットラーでも忠実に仕えるつもりなのか」と批判しているのは、小泉内閣の国策に擦り寄った姿勢である。ここで、米原は、「公僕は、まず誰よりも僕(しもべ)で「国のカネ」は国民の税金であり、憲法と現法体系に忠実であるべきだ」と述べているが、この官僚論こそ、佐藤が『獄中記』で思弁している内容と合致している。まさに、彼ら二人は盟友であったに違いない。
by KITAさん (2007-02-11 19:20) 

古井戸

>従って、国益を思うのであれば、佐藤は国策に従うべきである」と古井戸さんは断じていますが、「そうではない」と「思考する世論」に訴えているのが、まさにこの500pに及ぶ『獄中記』の主張です。

いえ、まったくそうは思いません。佐藤は国策に順ずることを持って(つまり時の政権に順ずることをもって)、よし、としています。断じて、世論(デモクラシ)に擦り寄ることをよしとしていません。ときの政権(首相)がそれまでの路線と異なる施策をとれば、旧来路線を突っ走ってきた官僚は<国策>によって放逐されるのは当然、と考えいているとおもいます、佐藤氏は。つまり、米原氏の批判にたいして、おれは小泉に従ったのである、と、それが国家官僚の道、である胸を張っていえばいいのです。何の迷いもありません。 

追記2で引用したように、
<国策捜査は、日本国家が『ある時代』から『次の時代』への転換をとげるためには必要であるとすら思っています> (獄中記)
これが佐藤氏の立場です。ここで国家は、政府であり、世論ではありません。

「国家の罠」で、検事から『これは国策捜査だ』と直接聞かされた、と、佐藤氏は言っています。国策捜査であることに佐藤氏がなんら怒りをもっていないようにみえるが不思議なところですが、国益=政権の方針、と考えればなっとくできます。

小泉のイラク政策を批判して外務省職員を辞した天木というひとがいます。天木氏のような行きかたを佐藤氏は決して取らないでしょう。国益とはなにか?の定義ですが、天木氏はイラク出兵をしない、のを国益にかなう、とし、そのように建議し、入れられず、辞めた。前政権時代から、二島先行返還を特命事項として鈴木宗雄氏とともに推進した佐藤氏はこれを国益にかなう、と考えたはずです。小泉政権がこの方針を翻したとき、官僚はどうこうどうするか?政権に従う、というのが佐藤氏の行きかたでしょう?米原氏はこれを政権に擦り寄るのか、と批判したとわたしはおもっています。わたしも米原の言うとおりだとはおもうが、これをもって佐藤氏を批判してもしょうがないとおもいます。 二島先行返還=国益だ、としてこれにこだわるなら、外務省職員を辞すべきであるし(天木氏とおなじように)、外務省職員は政権など有するべきではない、時の首相に順ずるのを持って官僚の本分とする、というのはらに二島先行返還論を放棄すれ(鈴木宗雄氏に別れを告げ)ばよい。 佐藤氏はいったい、どっちなの?というのがわたしの疑問です。
by 古井戸 (2007-02-12 03:13) 

KITA

 申し訳ないけど、どうも古井戸さんは佐藤優が読めていないと思います。

 確かに、『国家の自縛』の冒頭で、佐藤は、選挙で選ばれた内閣総理大臣を、例え、小泉であろうと誰であろうと、全力でサポートしていくのが役人のあり方であると断言しています。この観点からすれば、古井戸さんが指摘するように、現在の内閣の方針に反する、二島先行返還論者の佐藤は、さっさと外務省を辞めるべきだということでしょうね。しかし、この後、p14からの「床屋のパラドックス」の意味がお分かりですか。これは、「自己言及のパラドックス」と呼ばれている論理矛盾の話です。外務省の人間が外務省の批判をすれば、それは自分への批判でもある。批判する自分自身を、自分が批判するという論理矛盾。ここで重要なのは、「総理」という抽象化された固有名詞のない者をサポートしろと彼は言っている。事実、彼は、橋本、小渕、森内閣に仕えてきた。しかし、かれは「橋本」「小渕」「鈴木宗男」という個人に仕えてきたわけではない。まさに「国益」(と彼が思うもの)に彼は仕えてきた。だから、ここで「小泉」に変わったからといって、その原則は曲げられない。曲げれば、自分が、獄中でも守ろうとした「国益」に反する。「小泉」に変わったから、「国策」が変わったから、辞めるのであれば、彼は、獄中で、「国益に反する事実」も語りえた。しかし、やらない。「国策捜査」であっても、かれは最後まで外務省職員として、国益の護持、彼流に言えば、「国体の護持」を第1義としてきたのである。体制内から、内在的に「国策捜査」に立ち向かう。『獄中記』では何度もそう書かれている。それが自分がやってきたことと矛盾しない、「自己言及のパラドックス」を回避し、公判で自分の無実を論証できる唯一の方法だったからだ。実際、これが正しいのかどうか、僕はわからない。しかし、外務省が、彼を制度上とはいえ、懲戒免職にしないのは、その矜持を彼らが共有していたとも読める。米原万里が『獄中記』の出版を勧めたという逸話もそれで理解できる。

 もう一つ 官僚は、選挙された内閣を通じて、国民に仕えるべきとの考えも、古井戸さんの考え方としては批判するつもりはありませんが、佐藤が語っていることをやはり敷衍すべきでしょう。特に『ナショナリズムの迷宮』を読まれたのなら、単純に上記のような視点で佐藤は非難できないはずです。「デモクラシー」という「思想」がそもそも怪しいのですから。
by KITA (2007-02-12 19:56) 

KITA

>申し訳ないけど、どうも古井戸さんは佐藤優が読めていないと思います。

これはちょっと言い過ぎました。
おわびして、削除させて頂きます(と言っても、削除機能がないのですが)。

そもそも、佐藤優の一連の著作を読み始めたのも、古井戸さんの書評がきっかけのようなものですから。「自己言及のパラドックス」に陥りました。
by KITA (2007-02-12 20:32) 

古井戸

おしまいのほうから行きます。
> 。「デモクラシー」という「思想」がそもそも怪しいのですから。

佐藤氏は口に出していっていないがデモクラシなどまったく信じていないですね。わたしは、ポピュリズムになろうとこれしかない、とおもっていますが。 日米開戦の真実、などをみても、外交資料などを国民に公開する必要はさらさらない、とおもいっているようです。わたしは、早期に公開すべきとおもっている。

>官僚は、選挙された内閣を通じて、国民に仕えるべきとの考えも、古井戸さんの考え方としては批判するつもりはありませんが、佐藤が語っていることをやはり敷衍。。。

国益は何か、ということですね。最終的に。

 デモクラシを信ずるわたしとしては、実はここに困難がないわけでもない。
1 首相はまがりなりにも代表選挙を得てきた国民の代表。首相をどこまでも支持する、のが官僚の役目。
2 首相とはいえ誤りはありうる。官僚が経験により得た<国益>を政権に建議し、どこまでもこの<国益>を推進する。

国家の自縛で、米原は2ではないか? 現実の首相にへいこらするべきじゃない、といって批判しているように見えます。それは佐藤が1だ、と明言しているからでしょう?

国家の罠では、国策逮捕について語っていますが、わたしは、この国策逮捕はもう論外としたほうがいいとおもいます。誰が見ても犯罪でないものを犯罪と言いくるめられれば無罪をもとめて戦います。佐藤氏に固有の事件ではありません。民間人はしょっちゅう国策逮捕の危険にさらされています。
で、かりに、この国策逮捕が存在しなかったとしましょう。小泉政権で、以前の政権が推進してきた2島先行返還を放棄し、4島返還に切り替えた(こう単純に言っていいのかどうか実はわたしはよくわからないのだが)。このとき佐藤氏はどうするのでしょうか?(鈴木宗雄とは同列に論じられないでしょう。代議士であった鈴木氏は逮捕されていなければ2島先行返還を外務省に要求してもいいかもしれない。ただし、彼の演じた役割には疑義を持つ人は多いらしいが) 

つまり、外務省職員は時の政権に抗して 官僚としての経験から従来の二島先行返還を推進する自由があるのでしょうか? 
1 そういう政権の方針とはことなる政策を研究する自由はある
2 以前の方針を棚に上げ、新方針に転換する(鈴木宗雄は依然として2島先行返還を推進すべきといっている。 佐藤氏もか?)
3 1も官僚として認められない、2は佐藤個人の生き方に反する。したがって、外務省を辞する。

天木氏の行き方は3だとおもっています。(米国でも民主~共和の政権交代があると多数の官僚が去る、と聴いていますが。)

>、「国益に反する事実」も語りえた。しかし、やらない。

これは何をおっしゃっているのかわからないが、外務省職員として得た情報は外務省を辞しても漏らしてはならないのは公務員ならば(おそらく民間企業であっても)当然のことです。法律でそう規定されているでしょう。

国策捜査、という<事件>さえなければ、日常茶飯事とおもわれる政権の方針転換にしかすぎないとおもっています(パラダイム転換、と呼ぶほどおおげさなものかどうか?)。 なんども言いますが検事自身が、これは国策だ、と被告に語るような事件であれば、その被告はなんら良心の呵責にくるしむこともなく淡々と獄中をすごすでしょう。 外務省が現在の佐藤氏を懲戒解雇することは無論できるはずもありません。(有罪になった時点で解雇するのでしょう)。この国策捜査に思想的なものは皆無です。

KITAさんは、パラドクスに言及しておられますが、このような事態は(国策逮捕は、おまけ、としてみれば)外務省といわずあらゆる公務員の遭遇する事態ではないでしょうか。 なにが国益か、は職員によりさまざまでしょう。おのれの建議をどこまでもとうそうとすれば、そしてそれが大げさに言えば愛国から発するものであれば、天木氏のように職を捨てて反逆するというオプションもあります(しかし、天木氏とて外務官僚時代に得た情報を公開する自由はありません)。 わたしはパラドクスなど、存在しないと思いますが。 佐藤氏は外務省の後輩にアドバイスを送っておられるようですが、それはこのようなパラドクスの解法、も含まれるのだろうか。であれば、それは自身への行動指針となりえましょう。

思想家=佐藤氏の書き物はそこそこ面白く読めますが、官僚=佐藤氏の書き物はわたしは理解できません、能力不足なのでしょう。公務員はわたしには務まらないようです。
by 古井戸 (2007-02-12 22:50) 

KITA

>国益は何か、ということですね。最終的に。

 そうです。
 まず、「国益」は誰が認定するのか。もし、時の内閣総理大臣が認定するのであれば、「国策」と「国益」には矛盾がないはず。しかし、ここに矛盾があるからこそ、佐藤優は獄中で「国策」とは別の次元で思弁される「国益」を守ろうとした。単純な「守秘義務」上の問題ではないと思います。鈴木宗男氏との関連で立件されることを何よりも「国益」に反する事態を招くと考えた。また、今回の立件された事件によって生じてしまう「外務官僚の不作為」こそ、「国益」を毀損すると警告しています。「国策=国益」という単純な図式ではないことを『獄中記』は何度も書いているのです。

>1 首相はまがりなりにも代表選挙を得てきた国民の代表。首相をどこまでも支持する、のが官僚の役目。2 首相とはいえ誤りはありうる。官僚が経験により得た<国益>を政権に建議し、どこまでもこの<国益>を推進する。

 まず、佐藤優は、「首相をどこまでも支持する」とは言っていない。「全力をあげてサポートする」のが官僚の役目と言っている。「支持」ではなく「サポート」。いわば、「コンサルタント」=「カネで育成された専門家のあり方」ですね。決定された政策を「サポートする」のと、「支持する」のとは根本的に違う。価値判断がない。
 これは、非常に一般的な議論です。中国の「宦官」以来の官僚論の基本であり、この議論には佐藤優の独自性はありません。政策転換に従うのが官僚です。しかし、コンサルタントが、与えられた業務以外に併せて様々な情報を収集、蓄積し、次の仕事に備えるのと同様、専門家としての見通しを持って、「次の政策への支援準備」も行うのも官僚です。二島先行返還路線が完全に消えたわけでもない。復活する可能性だってある。あるいは、政策の継続性の問題もある。例えば、対露外交そのものも、政権の行方とは別にチャンネルを確保しておく必要もある。日本では、米国のような4年任期が全うされる政権の方が珍しい。コロコロ変わるのが普通です。そのたびに官僚がコロコロ変われば、それこそ「国益」に反すると直感的に思われませんか。(誰かが、持続的、継続的に「日本の国益」を見据える必要があるのです。「それは国民だ」と古井戸さんは言われるでしょうが、選挙によって果たして可能ですか。それが無理であると語っているのが、『ナショナリズムという迷宮』です。)

 立ち戻って、1か2かと問われれば、まず、1で「サポート」し、次に、2で「サポート」以外も作業する。その基準は何かと言えば、それは、米原万里の言う「憲法(と法律)」なのでしょう。1も2も、憲法(と法律)が基準であることでは変わらない。しかし、これらの議論は一般論です。官僚を美化しているわけではありません。そのような役割が一般的に理想論として期待されているわけです。
 もう少し具体的に見ると、例えば、http://homepage3.nifty.com/zenshow/page141.html
 現役の総務省官僚のHPです。ここで彼は、官僚の役割を「それは、この社会をよりよいものとすることです。「この国のかたち」をつくること」と言っています。

 この一般論に加えて、佐藤優自身の微妙な立場から述べているのが、p14以下の「自己言及のパラドックス」です。繰り返しませんが、外務省を批判することは自らを批判することであり、批判された自らが外務省を批判することはできない。それはこれまでの自分の仕事そのものを否定することに繋がるというわけです。この意味で確かに佐藤は「自縛」しています。このパラドックスのなかで「自縛」しているのです。あっさり辞めてしまえば良かったわけですが、この事件のためにそれもできなくなったのでしょう。
by KITA (2007-02-13 21:54) 

古井戸

鈴木宗男がこの本で言っています、外交の族議員はオレが初めてだろう、と。真紀子(佐藤も、宗男も、田中のばあさん、と呼称している)に絡めて連座しなかったら、佐藤&宗男も喜劇を演じ続けたでしょう。官僚も議員以上に、族、ですね。利権そのもの、です。鈴木宗男がロシア首脳から信頼を勝ち得たり、それをがっちり支えた佐藤が情報分析能力、人的コネクションを築けたのも国家国民の支えがあってこそ。

蔵研也『リバタリアン宣言』(朝日新書、2007/2月刊)によると、「国家はかならず官僚の食い物になる」と。2005年で天下りした国家公務員数=2万人。天下り先の4000の法人への補助金交付額は5兆5千億円。2万人への年収は毎年2000億円。しかし、官僚批判をすることはこの著者によればすべて無意味であると。<権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する>のであるから。この命題は普遍的であり、著者を含め誰にも該当する、清廉な人であっても腐敗は必ずおこる、良心的で奇特な公務員があっても「キミのような人がこの地位をことわったら次の人の立場がない、後輩がかわいそうだとはおもわんか?」というささやきには絡め取られてしまう。

私が公務員であっても絡め取られるのだろうか?。。そのような気がする。(佐藤氏なら、そのようなことはあるまい)。

つまるところ国民はどのような悲喜劇が演じられようと耐えなければならない、ということか。
by 古井戸 (2007-02-14 09:38) 

古井戸

鈴木宗男がこの本で言っています、外交の族議員はオレが初めてだろう、と。真紀子(佐藤も、宗男も、田中のばあさん、と呼称している)に絡めて連座しなかったら、佐藤&宗男も喜劇を演じ続けたでしょう。官僚も議員以上に、族、ですね。利権そのもの、です。鈴木宗男がロシア首脳から信頼を勝ち得たり、それをがっちり支えた佐藤が情報分析能力、人的コネクションを築けたのも国家国民の支えがあってこそ。

蔵研也『リバタリアン宣言』(朝日新書、2007/2月刊)によると、「国家はかならず官僚の食い物になる」と。2005年で天下りした国家公務員数=2万人。天下り先の4000の法人への補助金交付額は5兆5千億円。2万人への年収は毎年2000億円。しかし、官僚批判をすることはこの著者によればすべて無意味であると。<権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する>のであるから。この命題は普遍的であり、著者を含め誰にも該当する、清廉な人であっても腐敗は必ずおこる、良心的で奇特な公務員があっても「キミのような人がこの地位をことわったら次の人の立場がない、後輩がかわいそうだとはおもわんか?」というささやきには絡め取られてしまう。

私が公務員であっても絡め取られるのだろうか?。。そのような気がする。(佐藤氏なら、そのようなことはあるまい)。

つまるところ、国家官僚とは国民の影、国民ははどのような悲喜劇が演じられようと耐えなければならない、ということか。


##

『北方領土 特命交渉』、は現時点で外務省とは何かをしるために、テリー伊藤の『お笑い外務省機密情報 』とともに、ベスト本ではなかろうか。映画では、菅原文太『仁義なき闘い』が参考になる。佐藤、鈴木が実名で登場する実録映画、『仁義なき闘い、外務省篇』。受けるとおもう。
by 古井戸 (2007-02-14 15:04) 

KITA

地域SNS上で書いている私のブログを外部公開しました。よろしければ、ご覧下さい。
by KITA (2007-04-13 23:00) 

とんじーんち

「国家の罠」に好意的な書評が多い中で、古井戸さんの正視眼的な批評を大変嬉しく思いました。
世の中には、悪意の人間という者もいるようで、全てを自分の都合のいいように事実でさえも変えて表現する人がいます。この本も検証可能なこと、例えば昼食代とかについて、知っている人なら分かるような嘘を何故書くのかと言う人もいました。
古井戸さんの批評は大変正確なものであると思いますが、本の内容を一つ一つ検証していくと、実は真剣に扱う対象にすることすら憚れるものではないかと思います。(読ませるために面白おかしく書いてある週刊誌と同列。)
ただそういう物をのさばらせておくのも危険ですから、本当はきちんと誰かが(それこそ書評関係者が)それを検証すべきなのだと思います。
そういう観点から、少なくとも論理的な面からの古井戸さんの批評を高く評価したいと思います。
「自己言及のパラドックス」など不可解なことをせず、外務省から給与をもらいながら外務省を批判するようなことをせず、正々堂々と外務省を辞めて公に批判すべきなのだと思います。
今年1月の高裁の判決が正しいとは思いませんが、もし仮に無罪であったとして、彼が外務省に残ることこそパラドックスではないでしょうか。
by とんじーんち (2007-04-30 08:27) 

奇跡の光

読んでみた感想として、あなたは、大きな勘違いをしているのでそれについて述べることにしたい。

まず、政治の癌は、官僚なのである。佐藤はそれに気付いていないようである。と述べるが本当にそうと言えるのだろうか。では、明日から日本の役人が全員仕事を放棄した場合、それははたして国として日本は機能するといるのだろうか。結論からいえば、絶対に機能しなくなる。確かに、官僚の中には自分のことしか考えない人間もいるかもしれない。だが、だからといって全員が癌であるとどうしていえるのだろうか。もし、そこまで言うのであれば、あなた自身が官僚になって日本をよくしてほしいと言いたくなる。好き勝手に言うだけなら簡単である。

また、あなたは、佐藤氏が衣食住申し分ない500日程度の独房生活はなんら負担でも無うであろうと書くが、ではあなたは500日も独房の中にいた経験があって書いているのでしょうか。

そして問題は、官僚とは何か?である。官僚は国民が選んだモノではない。公務員試験に合格した事務屋にしか過ぎない。国民が選挙で選んだ国会議員や、議員から選んだ内閣(政府)に従う義務がある。内閣が替われば官僚の仕事のやり方も変わって当然であると書くが、そんなことはない。本当に必要なのは、議員と官僚が日本の国益について考えているかである。よって議員が言ったらことが全て正しくなれば、それはただの独裁である。

最後に言いたいことがあれば、あなたは、馬鹿だ!!結局、あなたはマスコミに踊らされているだけの人間だ。もしあなたが、自分が正しいというのであれば、私にあなたの意見を聞かせほしい。例えば、日露外交は今後どのよにすればいいのかとか、官僚が全員いなくなった場合では誰が国内や国外の仕事をするのかなどを具体的に提案して下さい。もし、それができないのであれば、あなたは口先だけの人間です。そんな人間に他人を批判する資格はありません。

だが、安心して下さい。そんな人間は今日本の中にたくさんいます。そして今、私が思う日本の癌というのは、政治を全て政治家に任せて他人ごとで済ましている日本国民全員であると考えます。もし、私に反論があるのであれば、私の意見のどこに反論したいのか、そしてまたあなたの政策を述べてみてください。そしたら私もまた意見を述べたいと思います

by 奇跡の光 (2009-03-23 01:55) 

古井戸

奇跡の光様

たいへん愉快なコメント有り難うございます。

>まず、政治の癌は、官僚なのである。佐藤はそれに気付いていないようである。と述べるが本当にそうと言えるのだろうか。では、明日から日本の役人が全員仕事を放棄した場合、それははたして国として日本は機能するといるのだろうか。

癌には良性(腫瘍、ていど。切除すればよい)もあれば悪性もある。<政治の癌>は官僚である、という意味は、切除して欲しい官僚もなかにはいる、ということ、と理解されたい。で、<明日から。。機能するか>は無用の心配。官僚国家ニッポンは、曲がりなりにも機能しているようだ。

>もし、そこまで言うのであれば、あなた自身が官僚になって日本をよくしてほしいと言いたくなる。好き勝手に言うだけなら簡単である。

論理、にもならない論理です。
裁判官が腐っているから、裁判員制度を導入するらしい。わたしも裁判官は腐っている、とおもっているが、「言うのならば誰にも言える、だったら、あなたが裁判官をやればいい」という論理にはならないんじゃないか?
おなじことが、警察、大臣、国会議員、検察。。八百屋、郵便局員、消防員。。にもいえる、わけです。

>本当に必要なのは、議員と官僚が日本の国益について考えているかである。よって議員が言ったらことが全て正しくなれば、それはただの独裁である。

独裁と、正しさを混同されているようです。
検察や裁判の横暴をとっちめるのは議会でしょう。しかし、議会自体が狂っていれば国家も狂う。これは避けられないことです。民主主義もお馬鹿な国民、お馬鹿な議員を救うことはできませぬよ。

>また、あなたは、佐藤氏が衣食住申し分ない500日程度の独房生活はなんら負担でも無うであろうと書くが、ではあなたは500日も独房の中にいた経験があって書いているのでしょうか。

500日はおろか、1日もいたことはありません。いたくもない。

しかし、取り調べ検事から
        これは国策捜査だ!
。。といわれてみたい気はする。

>官僚が全員いなくなった場合では誰が国内や国外の仕事をするのかなどを具体的に提案して下さい。

よい子、悪い子がいるように、いい官僚、悪い官僚がいるんです。

>私が思う日本の癌というのは、政治を全て政治家に任せて他人ごとで済ましている日本国民全員であると考えます。もし、私に反論があるのであれば、私の意見のどこに反論したいのか、

おもしろい意見です。
郵便事業は〒会社にまかせる、宅配は、宅配会社に、消防は消防署(会社)に、国防は自衛隊に。。
政治の全て、ではないが大部分は政治屋と官僚(公務員)にまかせるのは当然です。裁判事務は、裁判所検察庁警察などに。
国民(私も)は労働することによって銭を稼ぎ、税金という対価を払って、そのサービスを受けているのだから。サービスをまともに行えないモノは仕事を変えればいいのです。

追記:
佐藤優の抱腹絶倒本『国家の罠』が映画化されると聞きました。もちろん、喜劇としてでしょう。佐藤優と、ムネオ氏には是非とも出演してもらいたい。これ以上の喜劇俳優はいないでしょう。

大久保容疑者(小沢一郎議員秘書)に『国家の罠』を差し入れしたいな。
by 古井戸 (2009-03-25 06:52) 

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