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芥川也寸志と武満徹 [Art]

  
                                         

                                 

武満徹、が死んではや十年過ぎた。

10年前。都内。昼過ぎだったか、階段から地下鉄ホームに降りて何気なく売店に近寄る。夕刊フジの見出しを見てびっくり。武満徹が死んだ!1996年2月10日。
その夜、夕刊に記事が載るわけでもなく、どの局でも追悼番組もやらなかった。
大きな記事にしたのは海外の大手メディアである。

しばらくしてNHKで追悼番組をやった。ホスト、立花隆。立花はこのころ「文学界」(文春発行の月刊誌)に武満徹伝を連載していた(この連載、まだ単行本になっていない)。

武満は音楽を人間が創作する物、とは考えていないようだ。
自然界に満ちている人間だけに見えない音どもを、ある人々がすくいだす、それが音であり音楽である、と。漱石の夢十夜、に運慶の彫刻の話がある。彫刻家の仕事とは、原木のなかにあらかじめ埋もれている彫像を顕在化させる、のだ、という。

ジョンケージも同じ考えをもっていたはずだ。武満とジョンケージの対話はだから、シンクロする。

武満のケージ追悼文から。
「。。「音楽」という囲いの中で、記号化された音の人工栽培にうつつを抜かしているような作曲が、「前衛」をすっかり形骸化してしまった。方法は慣習に変わり退廃が生じた」

立花隆ホストの追悼番組では世界の様々な音楽家が参加した。ラトルいわく、
ラベルやドビッシーの世紀が終わり、タケミツの時代がやってきた、と。
武満の友人オレルニコレ(フルート)は、
武満の曲にはつねに、死があった、といっていた。

芥川也寸志は著書「音楽の基礎」(岩波新書)で言う。p176
「ドビッシーのつくりあげた長二度の和声体系は、ここにきて大きな意味を持ってくる。
天才とはいつもそのようなものであろう。彼はいとも静かに、そしてさりげなく、巨大な礎の上に築かれた重い歴史と伝統を背負った、ヨーロッパの音楽を動かしたのである。」

武満は長く、芥川のアシスタントをやり、映画音楽の手法を習ったようだ。武満の独創と世間でおもわれている手法も芥川のサジェスチョンによるところがあった、と芥川追悼文で武満は言っている。
たとえば、映画「太平洋ひとりぼっち」で裕次郎がヨットの中、妄想に悩まされるシーンで使われた具体音楽(ミュージック・コンクレートの手法=鋏やチェーンなどを使って曲を作る)、など。

二人の交流はどのようなものであったのか?武満「芥川也寸志と私」という短文からの引用。
「。。あるとき、それでも、あまりの私の小生意気さに我慢がならなかったのか
『武満さん、口で言うのは易しいが、それなら、ひとつでも聴けるような作品を書いてみたらどう?』
と珍しく、やや気色ばんだ調子で言われたことがあった」

芥川也寸志 「音楽の基礎」から引用:
「。。しかし、私はあえてもう一度繰り返したい。
リズムは生命に対応するものであり、リズムは音楽を生み、リズムを喪失した音楽は死ぬ。リズムは音楽の基礎であるばかりでなく、音楽の生命であり、音楽を超えた存在である。
  生命力と活力にあふれた自由で奔放なリズムが、現代音楽の主流として復活する日は、必ずや来るであろう」

「音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境が必要である。。。しかし、度を越えた静けさ-- 真の静寂は、連続音の轟音を聞くのに似て、人間にとっては異常な精神的苦痛をともなうものである」

「。。音楽の鑑賞にとって決定的に重要な時間は、演奏が終わった瞬間、つまり最初の静寂が訪れたときである。したがって、音楽作品の価値もまた、静寂の手のなかにゆだねられることになる。現代の演奏会が多分にショー化されたからとはいえ、鑑賞者にとって決定的に重要なこの瞬間が、演奏の終了をまたない拍手や歓声などでさえぎられることが多いのは、まことに不幸な習慣といわざるをえない。
  静寂は、これらの意味において音楽の基礎である」

(武満には著書「音、沈黙と測りあえるほどに」がある)

芥川「音楽の基礎」は小著だが、簡潔でしかも著者の意志と、作曲家としての実践、それに父から受け継いだ端正な文章、教養が渾然一体となっており素晴らしい。

わたしはブルックナーやマーラーの演奏会をむかしよくFMで聴いた。日本の演奏会、曲が終わるか、終わらないか、というときに、聴衆が「ブラボー」「ウォー(おれらは野蛮人だ~)」とほたえまくる。いつぞや、BSでやったブルックナーの演奏会。残響の多い欧州のある教会でのライブ演奏だったが、終曲後、拍手が起こったのは、何十秒もたってからだった。それも、微弱音で。そも、ブルックナーやマーラーの演奏を全身全霊で聴いた後で、拍手などする気になれるもんだろうか? ニッポンで音楽を味わうには演奏会など行くべきではない、CDを聞くしかないようである。

nycでたまたま武満さんをみかけたことがある。
同僚と昼食をとりに中華料理屋にはいったら、武満さんが2,3人とテーブルを囲んでボソボソ話しておられた。
昼飯時を外した時刻なのでレストランはガラガラ、しかも薄暗かった。
カーネギーホールのそばだったから、演奏会の打ち合わせでもやっていたのだろうか?
特異な風貌である。武満と長いつきあいのあった岩城宏之が、武満を回顧して、
武満さんは、。。そう、宇宙人のような人でしたね、
と言っていた。風貌も、そうだし、発想も、ということだろう。

タケミツがデビューしたとき、ある評論家が「音楽以前」と形容したのは(その批評家はこき下ろしたつもり)有名な話だ。武満としては了解!、だろう。彼の追及したのは音楽以前の音楽だからである。
音楽、とは、人間の耳を前提とする。耳は自然が与えた道具である。しかし、物理的な器官である耳、だけでは音も音楽も聞こえない。人間自身が音楽を聴く耳をこしらえなければ、あらゆる音はノイズにしか過ぎない。それぞれの生物は、それぞれの音、を聴く。音楽を聴く、とは人間の定義でもある。音を聴き、音を創るという営みは、すなわち、日々、人間を再定義しているということである。

死んだいまでも、タケミツは、宇宙から青い地球を眺めているのだろうか。
それとも、バッハやドビッシーと会話を愉しんでいるのだろうか?

                                     

2006/7/29 追記
武満の敬愛した黛敏郎が亡くなり、最近、武満を演奏するために指揮者になったという岩城宏之も亡くなってしまった。
10年前頃、武満徹伝を 月刊誌文学界に連載していた立花隆によれば(NHKの番組=池辺晋一郎のN響アワー)、今年中(没後10年)に連載記事を再編集して、単行本を出版するそうである。わたしは、この連載を図書館で毎月読むのを楽しみにしていた。


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小倉のゴンギツネ

「加藤周一のメーリングリスト」に参加している小倉のゴンギツネです。
先月からイノ様のブロッグを、とても面白く拝読しています。
メーリングリストもそうですが、ブロッグのその一つ一つに心を震わせています。

それにしても貴方はたくさんの本をよく読まれますね。感心しています。
ブロックの自己紹介では翻訳業とありましたが、私はどこか学校の先生ではないかと推測しています。
あなたは広島県のご出身ですね。
福塩線沿いのどこかではないかと思っています。文章のハシハシからの推測です。いつも内のかみさんとそう話しています。カミさんもあなたの文章のファンです。
叔母が福山にいますので、そのあたりのことは少し土地勘があります。
広島にもまた叔母がいて、山代巴さんたちと広島の原爆詩集を編集したりしていましたので、そんなことからも駅屋や君田村周辺などは、多少歩いたことがあります。

とりあえず今日は、わが家の二人とも、あなたの文章の長年の愛読者だということだけお伝えしておきます。

次の文章を楽しみにしています。


メールアドレス gongitune@dream.com

HPアドレス
あきみず書房  http://www33.ocn.ne.jp/~gongitune/
あきみず書房 資料室  http://www32.ocn.ne.jp/~akimizusyobo/

電話 093-951-5513
by 小倉のゴンギツネ (2006-03-23 14:01) 

古井戸

いやいや、文章を書くのは難しいですね。人の文章にけちを付けるのは簡単ですが。。文章修業のつもりでブログを立ち上げてみましたが。。

出身は東広島市の盆地、といっていい志和町です。山陽本線沿線。
いまでも、小さい頃山越えに聴いた、蒸気機関車のボォーー、という汽笛が頭の中で鳴ります。周囲の山の稜線は、東西南北、頭に焼き付いています。毎日、田舎を思わない日がありません。

文章を見られるとおわかりの通り偏見に凝り固まっています。鉄槌を喰らわしてやってください。
by 古井戸 (2006-03-23 16:20) 

酔仙亭響人

 先日は、小生のブログにトラックバックありがとうございまいした。
 古井戸さんのブログ拝見して、私のへなちょこな(書き殴り・浅薄)ブログとの違いに、御礼申し上げること、逡巡しておりました。

 う~ん、確かにフライング・ブラボーなどひどいときはひどいと思いますが・・・。「ライブ原理主義者」としては、複雑な思いでおります。
  
 トラックバック・コメントありがとうございました。
by 酔仙亭響人 (2006-04-30 13:34) 

古井戸

酔仙亭あるいはこーほー担当者さんは公報担当でしょうか?
音楽関係ですか? 。。。イヤイヤ余計なことをお聞きしました。
ヒューマンマネジメントにたけておられるなあ、とおもいました。

文章を書けば、あちこち衝突が起こります。
衝突を起こさず、かつ、説得力を持つ文章というものがそろそろ身につけていい時期なんだが、。。あかんですね。人間が未熟、というか 稚気がおおすぎる、というか。

死ぬまで治らんのだろうか、この性格。
by 古井戸 (2006-05-01 13:50) 

酔仙亭響人

 私、へなちょこ広報担当者@サラリーマンです。
 ヒューマンマネジメントに長けているどころか、引きこもり系サラリーマンかもしれません。
 
 コンサートになどでかけずCDで・・・、というお気持ち、分からぬでもありません。
 私は、たまたま縁があって、オケマンと知り合いになって(しまって)、ついつい、うかうかと、コンサートに出かけているという次第。

 古井戸さんのブログ、言及されている執筆家(辺見庸氏など)や、エントリーでのご発言(「いま、誰がニッポンを福祉国家と呼んでいるだろう?ニッポンは臭い物に蓋、の、クソ国家である。」)、非常に同感するところ多であります。
 昼飯・晩飯のことしかかけぬ、へなちょこブログですが、マエストロ・デプリーストの、ブルックナー・二番のエントリー、お目を留めていただきありがとうございました。
by 酔仙亭響人 (2006-05-01 15:26) 

古井戸

ブルックナーはいいですねえ。。ほんっとに。。

いい機会だから、この連休、聴いてみよう。。ブルックナー、マーラーはあれこれのバージョンを聴きまくりました。。マーラーはこれ、というのはないが、ブルックナーの後期は、シューリヒトで決まりです。飽きない。

辺見庸が復帰したみたいですね?

3兆円だの2兆円だの、米国に貢ぐ、というニウスが流れてもな~んの反応もない、粛々と事を進める、つのは、これ、独立国なんか?はん?

愛国心つのは何?
 国から血税をジャブジャブ泥棒されないように見張る、ってのも愛国心じゃないの?
 国民の血税をホイホイ、山賊海賊等に垂れ流して、エエカッコしたがるバカどもを国から追放すること、これ、愛国心というんだよ、僕たち。
                               
by 古井戸 (2006-05-01 15:44) 

stbh

古井戸さん、弊ブログへご来訪ありがとうございました。
「音楽の基礎」、2冊持っています(苦笑)。高校生くらいのときに読んで、社会人になってからまた買ったのだと思います。30年以上前の書が今読んでも古臭くない、というところに、音楽界のある種の停滞を感じます。
芥川也寸志さんは、アマチュアの「新交響楽団」を組織し、指導を続けました。彼に心酔していたプレイヤーを何人も知っています。早世が惜しまれる方ですね。
by stbh (2006-07-30 20:09) 

古井戸

音楽にも流行不易がありますね。
変わらないものはかわらず、変わるものは変わる。
武満も、変わっていないのではないでしょうか。
石器時代の音、にも耳を澄まして聞くべきものがあります。つまり、聞こうと思えば、石器時代の音にもわれわれは取り囲まれています。石器時代の耳を持つ必要があるが。
ーー> 私のブログ記事の「眼の変容」

本は消耗品ですね。昨日新刊をあさりにいったがいいものがなく、文庫と新書を一冊ずつ。。すでに、もっており、部屋のどこかにある、とわかっていながら、どこかとくていするのに半日以上掛かる、とわかっているから、また買う、著者と出版社に二度も三度もおいしいおもいをさせるという仕儀になりまうしさふらふ。
by 古井戸 (2006-07-31 08:44) 

kojitaken

はじめまして。小生のブログの古い記事へのTBどうもありがとうございました。
武満の没後10年の年も、まもなく終わりですね。
ブログの記事では武満のポピュラーソングを取り上げましたが、私は武満の現代音楽作品も結構聴いたものです。
ただ、今年はコイズミや安倍に黙っていられなくなって、政治ブログを立ち上げてしまい、武満徹より辺見庸のことを書くことが多くなりました。
by kojitaken (2006-12-28 22:39) 

KAFKA

はじめまして。ココログのKAFKAです。
トラックバックありがとうございます。

さいきん、カンディンスキーの、目でみる音楽が、なんとなくわかるようになってきました。そこに、武満さんの不調和音楽と重なります。

芥川也寸志さんの「ニッポンで音楽を味わうには演奏会など行くべきではない、CDを聞くしかないようである。」
 ↓
なんだか、聴く側が、もっと姿勢を正さないといけないかもしれませんね。聴くとは、受容することだと思いました。

ちなみに、月1回しか更新していませんが、SO-NETでも blogしてます。
この次に、そこからログインして、訪問いたしますね。

また、ココログでは、コメント、トラックバックは、すぐに表示されません。2日前にトラックバック頂戴していましたのに、遅れまして申し訳ありません。

また、何か共通の記事がありましたら、よろしくお願いします。よいお年を。
by KAFKA (2006-12-30 17:31) 

古井戸

> 芥川也寸志さんの「ニッポンで音楽を味わうには演奏会など行くべきではない、CDを聞くしかないようである。」

Kafkaさん、この「 」 内は私の意見で芥川の発言ではありません。しかし、現在の演奏会は異常ですね。(最近とんとFMなど聴いていないが)。

詩歌小説を われわれは、著者の刻んだ言語(コード)により(場合により翻訳を介して)味わいます。 音楽にとって、言語に当たるものはなんだろうか? 楽譜だろうか? 楽譜とは戯曲であり、われわれは、舞台上のパフォーマンス(演出者による変形を経た)しか味わえないのだろうか?
by 古井戸 (2006-12-30 20:03) 

ハシビロコウ

初めまして、ハシビロコウと言います。私のブログの「武満徹の作曲部屋があった御代田に行く」へトラックバックいただき、ありがとうございます。古井戸さんのカテゴリーの多さ、読書の幅、関心の広さにびっくりしています。ハシビロコウという鳥は知っているかもしれないですが、アフリカに棲息、マンバという肺魚の一種しか食べないんです。で、コンサートゴアー一辺倒です。音楽はCD
に限る、というのは分からなくないですが、拍手のことで嫌というのはちょっと残念。他人の拍手は聞かなければ聴こえてこない、と僕はそうしてます。
by ハシビロコウ (2007-01-04 12:36) 

古井戸

> 。。拍手のことで嫌というのはちょっと残念。他人の拍手は聞かなければ聴こえてこない、

 まあそうかもですね。。達観すれば。しかし、まだ終わっていないのに
      ブラボー!
と、ガナルのはいかがなもんか、と想います。 ケータイの電源を落としてください~。。とチウイするくらいなら、終演後 1分間は、沈思、余韻にひたってください。。というのもヨインではないでしょうか。。

記事でも書きましたが、欧州のさる教会におけるブルックナー演奏。音が消えても、終了後誰も拍手をしないのが印象的でした。楽器が音を発し終えてからも、その音は数十秒空間を漂っているのじゃないでしょうか。そのあと、数十秒、人の脳髄を漂う。
by 古井戸 (2007-01-04 17:41) 

azkn

トラックバックありがとうございます。
武満自身はバッハやドビュッシーにあこがれてはいたかもしれませんが、最近になって案外ベートーヴェンやシェーンベルクのような情念の音楽かもしれないと印象が変わってきました。好きなバッハの曲はマタイ・パッションだとか、いつかオペラを書くつもりだったというのもびっくり。ケージほどに自由になれず、弾く人が意識を張りつめて音をコントロールしなければならない、聞く人もそれを我慢するような堅苦しい音楽をつくったひと、最近は武満にそんな印象を持っています。
芥川も普通の聴衆からするとそんな印象になるかも知れませんが、エンターティナーのような感じで好きです。武満も案外エンターティナーが好きだったようですが・・・。
武満も好きですが、最近は芥川です。・・・素人の感想で失礼しました。
by azkn (2007-01-06 23:28) 

古井戸

azknさま。私も音楽は素人です。
武満はあらゆるジャンルの音楽が好きだったようですね。歌謡曲もすきだったとおもいます。サイモンラトルが来日したとき、一晩中彼とカラオケで歌いまくったとか。ラトルが、武満追悼番組(下記)で笑いながら思い出していた。

亡くなって一週間後にNHKtvで記念番組をやりました。ホストは当時、武満徹伝を文学界に連載していた立花隆。武満が亡くなる夜のこと。武満が病院に伏せているとき、病室のラジオから流れてきたのは、マタイ受難曲、それも全曲演奏だったそうです。武満の最も好きなのはこの曲。いつも、作曲に取りかかる前にはマタイを聴いていたと。番組の最後にこのことを話して立花隆が嗚咽した。マタイ受難曲が流れるなかで終了したこの番組を録画した。ときおり見て武満を偲んでいます。

立花隆の武満伝はいつ出版されるのだろうか?立花は武満死後十周年の去年出版をめざしている、と言っていたのだが。
by 古井戸 (2007-01-07 04:35) 

ブルマン好き

はじめまして。トラックバックありがとうございます。

立花隆の武満徹追悼番組、私も見ました。なつかしい思い出ですね。やはり泣いていた立花さんが印象的でした。

武満が亡くなったとき、誰でしたか「ドビュッシーや武満のような偉大な作曲家の音楽は、聴けばすぐ分かる」と言ってましたが、レヴァインだかマズアだか、ちょっと思い出せません。

とにかくかなりメジャーな外国の指揮者だったと思いますが、海外ではそこまで評価されていたのかと、半信半疑だった記憶があります。
by ブルマン好き (2007-01-09 10:34) 

古井戸

「ドビュッシーや武満のような偉大な作曲家の音楽は、聴けばすぐ分かる」と言ってましたが。。

これはたくさん言っていますよ。演奏家も指揮者も。。
私だって判ります。

番組で、遺作を弾いた オーレルニコレは、武満の曲には 死、が内蔵している、と言っていました。

サイモンラトルは、ドビュッシーとラトルの時代は終わり、武満の時代が来た、と言っていました。

この番組の冒頭、ニューヨーク市の雑踏を歩く、武満の小さな姿が印象的です。

武満著作集には彼の書いた文章を収めています。文章も繊細でかつ、断固とした調子。音楽製作についても厳しい意見をもっている。

映画、心中天網島、では、ラストシーンで監督と対立してやりあった、と篠田監督が言っていました。映画音楽だけじゃなく、映画全体にもポリシーがあった。単に、音、だけではなく、 美、を追った人間です。

岩城、芥川、黛、武満、と、我々団塊世代に親しい音楽家がドンドン世を去ると次はいよいよ俺たちか~。。という気分になります。
by 古井戸 (2007-01-09 12:17) 

あるが

はじめまして。トラックバックありがとうございました。

武満徹さんはお見かけしてないのでわからないのですが、
岩城宏之さん、芥川也寸志さん、羽田健太郎さん、みなさん
笑顔が素敵な方でした。
by あるが (2007-06-07 10:29) 

古井戸

羽田健太郎さん。。

ショックですね。若すぎ。
by 古井戸 (2007-06-07 11:35) 

changee

拙作のブログ(ポッドキャスト)にトラックバックありがとうございます。芥川さんの「音楽の基礎」について触れていた事でTBしてくださったと理解しています。実は武満徹さんと芥川さんの関係は存じ上げず、大変勉強になりました。今まではギター曲などを中心につまみ食いでしたが、網羅的に彼の作品を聴きたくなったしだいです。お勧めがあれば教えて頂けると幸甚です。お耳汚しの素人演奏で、ちょっと邪道かもしれないのですが、私のブログで武満さんの「翼」という曲を取り上げてみました。
by changee (2007-06-10 09:39) 

古井戸

音楽の基礎、は名著と私は思っています。
今朝も、芥川、音楽の基礎、で検索したのですが。。退屈、とおもっているかたも多いですね。わたしも青少年時によんだらそう思っていたでしょう。

これは胸が熱くなる本です。著者の音楽を愛する情熱に圧倒されます。ただ記述にそれがストレートに減少していないだけ、ところどころにモロに著者の気持ちが出ます。要は人間に対する愛情が根底にあるかどうか、ということですね。
by 古井戸 (2007-06-10 10:19) 

changee

「音楽の基礎」は私にとっても大事な本になっています。それまでは通論的な本でその教科書的な無味乾燥さに閉口するものばかりに接していたのですが、数年前に幸運にもこの本に出会いました。ほとんど常に持ち歩いていて、その凝縮感が素晴らしく、何度読んでも新たな発見があります。古井戸さんが引用している箇所も含蓄深いです。何より結びは、商業化、職業化、技術進歩などによる音楽の本来の姿が失われる事に対する警鐘を鳴らしており、洞察力のすばらしさを証明するものとなっていると思います。
by changee (2007-06-10 21:28) 

古井戸

記事に書きましたが、<沈黙>が音楽の基本というところも唸りますね。
うるさすぎです、ニッポンは。とくに都会は。
たまに帰る田舎の真夜中のシズカなこと。 沈黙の中でないと人間は思考できません。 (中島義道じゃないけど。。)


上記コメントの訂正:
ただ記述にそれがストレートに減少していないだけ、--> 現象していないだけ。。    芥川さん、すんません!!
by 古井戸 (2007-06-10 23:28) 

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