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安易な原発再稼働で「10年以内に再び過酷事故」という原子力委試算 [東日本大震災]

Foresight誌 1/24 

安易な原発再稼働で「10年以内に再び過酷事故」という原子力委試算

 http://www.fsight.jp/article/11147?ar=1&page=0,0&ar=1
このまま日本で原発を再稼働させたら、今後10年以内に、東京電力福島第一原子力発電所と同じような事故がまた起こる――。
 原子力推進政策の総元締めともいえる政府の原子力委員会(近藤駿介委員長)の小委員会が、日本の原発が過酷事故を起こす「事故発生頻度」を試算したところ、抜本的な安全強化策を施さないまま、原発を安易に再稼働させると、最悪の場合、日本にある原発のどれかが、10年以内に放射性物質を大量に飛散させる過酷事故を起こすという、衝撃的な結果が出た。
 福島第一の事故を踏まえて、過酷事故のリスクコストを試算し、原発の発電原価に反映するのが目的だったが、その計算過程で、とんでもない副産物が飛び出してきたことになる。これが現在の日本の原発が抱える事故リスクの科学的評価だとしたら、ストレステストに合格すれば、原発の再稼働はOKなどという、おままごとみたいな手続き論は、もはや全く意味を持たない。



近藤駿介、気でも狂ったか、。。と心配したが狂っていなかった(爆)。

>政府の原子力委員会(近藤駿介委員長)の小委員会が、日本の原発が過過酷事故を起こす「事故発生頻度」を試算したところ、抜本的な安全強化策を施さないまま、原発を安易に再稼働させると、最悪の場合、日本にある原発のどれかが、10年以内に再び過酷事故。。。

抜本的安全策を施せば、再稼働してもええ、と言うてるのよね。 でも、抜本的安全策とは何か、は決して示さない、ところが、さすが近藤駿介。おとな、である。数年後、過酷事故が発生したら、ほれみい。。抜本的安全策を講じろ、とあれほどゆうたろ!  まるで武田邦彦である。

抜本的安全策など、原発にはありえない、ゆえに、原発など地上に存在してはならないのである!などと言うては経産省が困るし、おのれの過去はなんだったの?ということになる。口が裂けても言えない。言おうとしたならば、直前に察知、捕捉されて、疲労蓄積判断力衰弱、などの理由で強制入院させられるだろう。


この記事の筆者、科学ジャーナリスト> 「10年に1度、あるいは30年に1度の事故発生頻度だから、日本では原発の稼働再開は一切許すべきではない、と主張するつもりはない。 」


天災にせよ人災にせよ、発生頻度が高い場合はもちろん、たとえ、低かろうと、想定内であろうと想定外であろうと、過酷事故を起こす可能性が極わずかでもあるようなシステムを地上に置くな!ということだよ。



原子力委にお願い。
時計の針を1年前に戻して、過酷事故を起こす「事故発生頻度」を試算してくんないかな?えんぴつ





 

<近藤駿介/激白>

俺たちは抜本的な安全強化策を施さずに、安易にジャカスカ原発建ててしもうた。 そして、ついにフクイチが最初の犠牲になっちまった、ってことさ。

抜本的な安全強化、なんて人間が考えてもわからへんよ。つまり、ない、ってこと。だもんで、また委員会は<安易な>審議結果を出してしもうた。抜本的な対策は全原発の廃炉しかないのよ。それまで日々、地震のないこと、内部崩壊をしないこと、をお祈りしようよ。

廃炉もたいへんじゃよ、実際にやるのは。廃炉作業の開始までには俺はあの世逝き。

とりあえず福島は石棺だ。 セメント株でも買うとこかの。

                               


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福島の母たちに賛同を。 枝野&枝野に入れ知恵した経産省官僚どもに抗議を。  拡散&署名依頼 [diary]

福島の母たちに賛同を。 

枝野&枝野に入れ知恵した経産省官僚どもに抗議を。  

拡散&署名依頼

賛同の方、署名をしてメール送信願います。フォームは下記アドレスにあります。

http://www.avaaz.org/jp/stand_with_fukushima_mothers/
福島の母たちと立ち上がる24時間



いま、恐ろしいことが起きつつあります。福島のお母さんたちは、子供たちのために、放射能汚染のない未来を築くことを求めて、経済産業省前で平和的なキャンペーンを行っています。そのお母さんたちに対して、枝野幸男・経済産業大臣が退去命令を出しました。警察がお母さんたちのテントを撤去しにやってくるまで、あと24時間ほどしかありません。警察を止められるかどうかは、私たちの今の行動にかかっています!

枝野大臣は、影響力ある原子力産業の圧力に負けつつあります。原子力産業は、福島のお母さんたちの闘いが社会の注目を集め、その真摯な努力が実り始めていることに脅威を感じています。今、全国で多くの国民が、お母さんたちの闘いに呼応して、危険な原子力発電をやめるように、声を上げ始めています。この勇気あるお母さんたちが警察によって立ち退かされないように、私たちが今、みんなで支援をしなければ、子供たちの命を守る闘いはつぶされてしまいます。

残された時間は一日だけです!今すぐ、枝野大臣の受信箱に何千通のメッセージを送り、退去命令の撤回を要請しましょう。枝野大臣をはじめとする政治家たちにとっても、人命や安全が大事か、それとも目先の利益に固執するのか、選択の時が来ています。いま、福島のお母さんたち、そして脱原発に取り組む活動家たちとともに立ち上がり、原子力産業の汚いやり口を終わらせるために、クリックしてください。そして、このメッセージをすべての人に伝えてください。

友達に伝えよう!

### 追記

mixiコミュで署名を募ったところ、avaazの活動に疑念を示す人がいた。
わたしも検索したが、その活動を罵倒するひともいる。

なかからひとつ紹介する(わりと中立的な見解のひと)。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/79d25be13f3a381e4cbb9e4494d77ec2


mixiでは次のようにわたしの意見を述べた:

わたしは、Avaazに関する情報を知りません。不評なのですか?
個人情報が漏れていた過去があるのですか?

Avaaz以外でも、電子的手段により署名活動をすれば、というより署名活動全般は 署名した人の情報(電子メールアドレスなり、住所なり、個人名なり)を提出しなくてはならないでしょう(単に人数だけ相手=経産省につたえればいい、ということはない)。

すると、経産省や警察が悪意に使用すれば、こいつは反原発派だ、とリストを作ることなど簡単にできます。
あらゆる署名活動が危険、ということになりますね。

ここまではわたしも依頼する前に考えました。それ以後は分からない。

(各人が検索するなりしてAvaazの活動状況をチェックしてください)。

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水俣病と原発 [Tragedy]

福島原発事故と水俣病の教訓 原田正純医師に聞く (東京新聞「こちら特報部」9月8日)http://blog.goo.ne.jp/nishidenjigata/e/24c24914e96..


   --「急接近:原田正純さん 水俣病の失敗に学ぶ原発事故対策とは?」、『毎日新聞』2011年12月3日(土)付。http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111204/p2


2011/12/17
原発事故収束? と原田正純『水俣への回帰』
http://researchmap.jp/?active_action=journal_view_..


2011/5/26
川野徳幸先生、原田正純先生 ー福島原発事故についての2人のインタビュー  原爆・原発問題http://blue.ap.teacup.com/documentary/1793.html



3・11水俣から 原田正純/朝日新聞
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b77b2902dc2..

# ビデオ

水俣病と生きる。 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組。1~6回シリーズ
http://www.youtube.com/watch?v=QCtZjWARf54

第二回。7分30秒あたりから胎児性患者である少女が原田医師に脳の手術をしたい、と訴える場面がある。土本監督『不知火海』の一場面。
http://www.youtube.com/watch?v=PVk_LcRMJyE&fea..
何度見ても慟哭を禁じ得ない。「子宮は環境である」とは原田医師の言葉だ。
科学者といわれる無教養なひとびとの群れ。生物学に対する無知、生物に対する畏れの無さ。



まだらめ と こいで
http://www.youtube.com/watch?v=AksrgkxQ7pA&NR=..

小出が言うように、原発は差別構造を認めなければ成り立たないシステムである。存在自体が巨悪、なのだ。コストが安いか高いかに関係なく原発はあってはならない存在。原発がなければエネルギーをどうする!停電が心配だ!などといっているニッポンジンは、どーしよーもない存在、天罰を受けて当然である。


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議事録がない [Tragedy]

http://blog.livedoor.jp/eddie_walker/archives/53451263.html
議事録がない

原発事故対応、議事録なし 政府対策本部、認識後も放置http://www.asahi.com/special/10005/TKY201201240551.html

枝野幸男経済産業相は24日、東京電力福島第一原発事故後につくられた政府の原子力災害対策本部が、これまでの議論を議事録として残していなかったことを明らかにした。経産省は事故後の混乱で手が回らなかったとしているが、事故対応を決める重要会議で何が話し合われたか検証できなくなるおそれがある。
 枝野氏は官房長官だった昨年5月11日の記者会見で「危機対応なので議事録をとるような場がほとんどなかった」との認識を示していた。ただ、その後も議事録は作成されないまま、昨年11月にNHKが情報公開請求した後、年明けになって再び問題化した。
 


政府では我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の会議 議事録書かなきゃ
 
  書かなくちゃ  議事録くらい書かなくちゃ
  会議やったんだという証明に 鉛筆なめなめ~
 
   つめたい放射能が僕たちに注がれる~
    自分のこと以外は何も見えなくなる
    それは、いいことだろ?

  書かなくちゃ  みんなのために書かなくちゃ
  みんなのために書かなくちゃ 鉛筆舐め舐め

  書かなくちゃ 国民のために書かなくちゃ
  みんなに届けるため書かなくちゃ 辞書引かなくちゃ

  書かなくちゃ そのまえに 日本(語)の勉強しなくちゃ
  でもぼくたち 何のために会議 してるのかしら? ワッカンネ。
http://www.youtube.com/watch?v=TbTLhSOy9vE

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無主物、ってな~んだ? [東日本大震災]

東電、東電弁護団、裁判所の常識

  日本と世界の非常識 

                           120123_2123~01.jpg

無主物
bona vacantia《法律》●res nullius〈ラテン語〉《法律》〔誰にも所有権のない物。◆【参考】terra nullius〕



2011年12月12日(月) 週刊現代
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1260.html
トンデモ裁判、呆れた論理
東電弁護団それを言っちゃあ、おしめえよ
「セシウムは誰のものでもない!
だから除染の責任はない」だって


東電「放射能は誰の物でもない”無主物”なので東電に除染する責任はない」
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1932.html


【汚染】原発から飛散した放射性物質は東京電力のものではない(セシウムはだれのものか?という所有権ではなく責任)http://savechild.net/archives/12871.html


福島第1原発事故の放射能被害をめぐる問題で、東京電力は放射性物質を「無主物」と主張している。
http://eco.4u02.com/energy/570.html


東京電力「放射性物質は東電の所有物ではない」
http://www.best-worst.net/news_PvMAfRTu2.html


放射能を「無主物」と言い放つ東電と裁判所の責任
http://www.youtube.com/watch?v=jR7ikZgSf0s

放射能はだれのものか。この夏、それが裁判所で争われた。
http://2011shinsai.info/node/1307
 8月、福島第一原発から約45km離れた、二本松市の 「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部」 が東京電力に、汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てた。
 ――事故のあと、ゴルフコースからは毎時2~3マイクロシーベルトの高い放射線量が検出されるようになり、営業に障害がでている。責任者の東電が除染をすべきである。
 対する東電は、こう主張した。
 ――原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任をもたない。
 答弁書で東電は放射能物質を「もともと無主物であったと考えるのが実態に即している」としている。 無主物とは、ただよう霧や、海で泳ぐ魚のように、だれのものでもない、という意味だ。つまり、東電としては、飛び散った放射性物質を所有しているとは考えていない。したがって検出された放射性物質は責任者がいない、と主張する。
 さらに答弁書は続ける。
 「所有権を観念し得るとしても、 既にその放射性物質はゴルフ場の土地に附合しているはずである。つまり、債務者 (東電) が放射性物質を所有しているわけではない」
飛び散ってしまった放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。そんな主張だ。




ボクのひったウンチは
   飼い主のものだワン!犬

 120123_2127~010001.jpg

ぼくのひったウンチは飼い主が始末するのだ、ワン!犬

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TEPCOのひった放射性物質は

 TEPCOに返すのだ、 フン!


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WHOはIAEAから独立せよ          WHOを縛り付けるIAEAとの合意 [東日本大震災]

WHOを縛り付けるIAEAとの合意
http://doujibar.ganriki.net/fukushima/how_nuclear_apologists_mislead_the%20world_over_radiation.html
(ガーディアン記事和訳)

(以下上記ブログからの、一部引用である)
 これは2011年4月11日付の英国紙ガーディアンに掲載された記事の和訳です。記事作者のヘレン・カルディコット医学博士はオーストラリア生まれで、放射線による健康障害への警告を国際的な規模で38年間にわたって続けている人です。
ホームページはこちら。 http://www.helencaldicott.com/

 この記事はジャーナリストのジョージ・モンビオット氏がガーディアン紙に寄せた文章に対する反撃となっていますが、話の後半で非常に興味深い事実が語られています。それはWHO(世界保健機構)とIAEA(国際原子力機関)との関係で、WHOがどうしてIAEAにとって都合の悪い調査や研究ができないのかという理由です。IAEAが実質的に世界の原子力関連企業の利害を代表する組織として動いていることは、もう周知の事実となっているでしょうが、世界の健康と医療の状況を把握し監視する役目を帯びているはずのWHOもまた、原子力関連企業に縛り付けられているわけです。
 これに関しては下記の「ざまあみやがれい!」様の記事をぜひご覧ください。
    http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65740041.html
    IAEAとWHOが談合して、チェルノブイリ被害を隠蔽している根拠【動画】
 このページから次の動画サイトにリンクします。
    http://www.universalsubtitles.org/en/videos/zzyKyq4iiV3r/
    Chernobyl: A Million Casualities
 こちらに動画に付けられた日本語字幕も紹介されていますが、この動画をご紹介の「ざまあみやがれい」様のページでは画像といっしょにその一つ一つが紹介されています。
 IAEAの実態については、この「フクシマからの警告」に収められている「チェルノブイリの失敗が何も学ばれていない(スペイン紙記事からの翻訳)」もご参照ください。

 今から日本でも、今まで以上に組織的で膨大・悪質な実態隠しが行われる可能性が高いでしょう。福島の15歳未満の子供と妊婦に公費で配られた線量系「ガラスバッジ」は本人が数値を確認できないのですが、いったい誰がそれを集めどこでどのようにデータ化するのでしょうか。そこから何がしかの情報が公表されるのでしょうが、いままで十分に明らかになっている虚報の恒常化の中で、それらをどのように評価できるのでしょうか。全てが不透明です。
 また、このガーディアン記事で紹介されているジョージ・モンビオットのような論客による、被爆に警鐘を鳴らす人々に対する脅迫的な非難と妨害が、今からさらにそして急激に多くなっていくでしょう。彼らのような存在こそ最も気をつけなければならないものです。彼らは原子力安全神話の憲兵たちなのです。そこには著名なジャーナリストや有力なマスコミ、有名大学教授などが大勢参入することでしょう。それが誰なのか、私たちはその一人ひとりに注意を向ける必要があります。
 そしてまた、過去の不正に気づいた意識ある人々による測定と記録の努力、それをまとめて分かりやすくデータ化して公表する良心ある科学者やメディア、それを現実の行政につなげる努力を惜しまない国を愛する政治家や行政官の働き、そして何よりも、事実を求め自ら考えて行動しようとする大勢の一般国民によって、彼らの悪影響を最小にすることができるでしょうし、またそうしなければなりません。

##


次のブログに、WHO~IAEAの、疑惑の合意の和訳がある。
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-6578

以下、関連記事
WHO agreement with IAEA
http://www.llrc.org/health/subtopic/iaeawhoagreement.htm

WHOは独立せよ! For the independence of WHO
http://www.independentwho.info/ONU_EN.php#Aiea

O. ティッケル: 有毒な関係――WHOとIAEA
Oliver Tickell, "Toxic Link: the WHO and the IAEA" guardian.co.uk, Thursday 28 May 2009
Translated by @mowmomio
50年を迎えたIAEAとの協定は、事実上、放射性物質の健康上のリスクをめぐる真実を語る自由をWHOから奪った
http://transnote.g.hatena.ne.jp/ecua/20110512/p1


保安院を経産省から独立させるのと同様に、国際的な原子力規制機関をIAEAから独立させるべきである/川崎哲
http://2011shinsai.info/node/651


1959年のWHO-IAEA協定文書の翻訳
1959年のWHO-IAEA協定文書を真下氏が中心となって、日本語に翻訳していただきましたので、掲載いたします。
国際原子力機関(IAEA)と世界保健機関(WHO)の間の協定
http://www.crms-jpn.com/art/112.html

WHO:放射線健康被害の専門部局を廃止/毎日新聞
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/af4632b0354fbe5a07c7e47a9f4cac56
【ジュネーブ伊藤智永】世界保健機関(WHO)の放射線による健康被害調査部門が廃止された後に起きた、東京電力福島第1原発事故。放射線による 健康被害は、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と同程度か、それ以下か、それ以上か--。政府や多くの専門家が「今のところ心配ない」と言っても、 人々の不安は解消されない。こうした不信感が生まれる土壌には、核の健康被害に関する国際的な調査・研究体制が整備されてこなかった現実がある。


「原発被害に沈黙するWHO:IAEAの同意なしに発言できず」ル・モンド紙(3月19日)
http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/whoiaea319-5f9b.html
日本で原発事故が起きて以来、世界保健機構(WHO)は驚くほど沈黙を守っている。まるで、日本政府と国際原子力機関(IAEA)からの情報を繰り返すだけで満足しているかのようだ。これは、WHOが1959年以来、IAEAからの合意がなければ原子力に関する健康問題に着手しないという協定を結んでいることに起因する。


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Chernobyl: Consequences of the catastrophe for people and the environment  報告書: チェルノブイリ事故が人間と環境に与えた影響 [東日本大震災]

チェルノブイリ事故に関する五千件におよぶ論文(ウクライナ、ロシア、ベラルーシの医学者が書いた)を調査して得られ得た最新の報告書が2010年に出版された。

Chernobyl: Consequences of the catastrophe for people and the environment

(キンドル版が入手できるようだが、PDF版なら無料で全文ダウンロードできる)

この本に関するインタビュー。 きわめて明快にチェルノブイリの被害状況を述べている。日本語スクリプト付き。 死者を98万5千人と推測。 必見である。 このビデオは311の直前に作成された。 前半後半にわかれている。
http://www.youtube.com/watch?v=FCQI_s5U6CE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=r-wzEokCr3U&feature=related



http://chernobyl25.blogspot.com/p/blog-page_10.html
上記の書籍を翻訳するプロジェクトが活動している。将来、岩波から出版されるらしい。

pdf版ダウンロード先 http://www.strahlentelex.de/Yablokov%20Chernobyl%20book.pdf


CONTENTS

Foreword. By Prof. Dr. Biol. DimitroM. Grodzinsky . . . . . .. . . vii

Preface. By Alexey V. Yablokov and Vassily B. Nesterenko . . . . x

Acknowledgments . . . .. . . . . . . . . . xiv

Introduction: The Difficult Truth about Chernobyl.
By Alexey V. Nesterenko,Vassily B. Nesterenko, and Alexey V. Yablokov . . 1

Chapter I. Chernobyl Contamination: An Overview

1. Chernobyl Contamination through Time and Space. By Alexey V. Yablokov
and Vassily B. Nesterenko . . . . . . . . . . 5

Chapter II. Consequences of the Chernobyl Catastrophe for Public Health

2. Chernobyl’s Public Health Consequences: Some Methodological Problems.
By Alexey V. Yablokov . . . . . . . . . . . . . 32

3. General Morbidity, Impairment, and Disability after the Chernobyl
Catastrophe. By Alexey V. Yablokov . . . . . . . . . . . . 42

4. Accelerated Aging as a Consequence of the Chernobyl Catastrophe. By Alexey
V. Yablokov . . .. . . . . . . 55

5. Nonmalignant Diseases after the Chernobyl Catastrophe. By Alexey V.
Yablokov . .. . . 58

6. Oncological Diseases after the Chernobyl Catastrophe. By Alexey V.
Yablokov . . . . 161

7. Mortality after the Chernobyl Catastrophe. By Alexey V. Yablokov . . . . . . . . . . 192

Conclusion to Chapter II . . . . . . . . . 217


Chapter III. Consequences of the Chernobyl Catastrophe
for the Environment

8. Atmospheric, Water, and Soil Contamination after Chernobyl. By Alexey V.
Yablokov, Vassily B. Nesterenko, and Alexey V. Nesterenko . . . . . 223

9. Chernobyl’s Radioactive Impact on Flora. By Alexey V. Yablokov . . .. 237

10. Chernobyl’s Radioactive Impact on Fauna. By Alexey V. Yablokov . . 255

11. Chernobyl’s Radioactive Impact on Microbial Biota. By Alexey V.
Yablokov .. . . . . 281

Conclusion to Chapter III . . . .. . . . . . 285

Chapter IV. Radiation Protection after the Chernobyl Catastrophe

12. Chernobyl’s Radioactive Contamination of Food and People. By Alexey V.
Nesterenko, Vassily B. Nesterenko, and Alexey V. Yablokov . .. . . 289

13. Decorporation of Chernobyl Radionuclides. By Vassily B. Nesterenko and
Alexey V. Nesterenko .. . . . . . . . 303

14. Protective Measures for Activities in Chernobyl’s Radioactively Contaminated
Territories. By Alexey V. Nesterenko and Vassily B. Nesterenko . . 311

15. Consequences of the Chernobyl Catastrophe for Public Health and the
Environment 23 Years Later. By Alexey V. Yablokov, Vassily B. Nesterenko,
and Alexey V. Nesterenko . .. . . . . 318

Conclusion to Chapter IV . . . . . . 327


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あの田母神氏、渡部氏も激賞 「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞 「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」 [東日本大震災]

あの田母神氏、渡部氏も激賞 「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞 「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」 1月15日 16:52
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120115/scn12011512010000-n1.htm

ばかばかしい論文の受賞を、サンケイが大喜びで紹介している。


1 放射能を恐れるのは、細胞を破壊し、ナイフや銃で切ったり打たれたりして出血多量で死ぬ、因果関係が誰にもわかりやすい死、ではなく、癌や白血病、やいわゆるぶらぶら病などによる死や罹病の<確率が高くなること~これはデータに基づいて科学的に立証されている>を恐れているのだ。これは細胞に起因する病の性格である。放射能汚染物質は風や雨によって人間に付着吸飲されるのであり、その飛来到達のしかたは人間の制御を越えている。人間が避難、疎開するのは当たり前の行動である。 過剰反応、である、というのであれば、過少の反応を示して将来、癌や白血病になった場合、誰かが補償してくれるのか?水俣や原爆で示されたように「因果関係が示されない」といって、責任と補償を逃げまくるのが国や企業のやり方である。これをしっかりと見て知っている国民が一見過剰とみえる反応をするのはきわめて正当な行為である。

2 おかしいのは、そうはいいながら、この論者が、菅首相が20キロ以内の牛を避難させなかった、と非難していることである。

3 原発のある地元の町、たとえば、双葉町は、いま一人の住民もいない、空っぽである。これも過剰反応か?過剰反応である、というのなら論者自身が家族親戚を連れてこの町に移住したらどうか(土地代は只同然になった)?「福島県民に甲状腺癌は発生しない」と、偉そうに言えるのは、半径30キロ以内の住民を避難させたからである。それとも最初から避難する必要はなかった、というのか?ではいまからでもおそくはない、全員帰宅すべきであったし、いますぐそうすべきである、と主張すれば良いではないか。30キロ、というのも確率的に原発から30キロ以内は高い被爆線量を受ける確率が高い、といっているだけであり、10キロに住んでいてもなにもなかった、というひとがいてもちっともおかしくない。原発内の作業者は重装備の被爆対策をとっているが裸で作業したからと言って即死するわけでもあるまい。この学者のやっていることは「原発内で裸で作業して(多量の被爆をしても)も、なんともなかった!よって危険などまったくない!」と騒いでいるようなものである。1000人が同じことをすれば倒れる人が何十人も出るのだ。しかし、3000人の大人子供を避難させずに住まわせ、5年後にデータを取りましょう、あ!、他の県と比べて癌発生の確率が高いですねぇ~、などという実験はできないのですよ、センセ。では、35キロはどうか、40キロはどうか?すべて、確率、風任せなのである。風向きが悪かったから他県でも癌の発生確率が高かった、と10年後、20年後のデータが示す可能性もある。われわれは確率の勝負をやろうとはおもわない。勝負に負ければ補償してくれるのであれば別だがそういいう補償がないことは分かっている。最大限の危険を見込んで避難し、子供を疎開させるのは当然の行動である。国が怠慢により汚染データを公開しない状況であればなおさらである。 被爆の危険を風任せにする状況を避ける、という常識的行動は、学者になると捨てられるのか?

4 福島県ではだれも甲状腺癌にならない、と威張っているがチェルノでも甲状腺癌になったのは小学生以下に限られており、全員がなったわけではない。5年後に発病して、全員が切除され、切除された人はのどに傷を持っている。

かりに、10年後に甲状腺癌になった人が発見されなくてもそれは運が良かったのである。フクシマ原発からの放射線飛散量がチェルノよりは少なかった、一定距離以内の人間にたいし数日内に(チェルノに習って)避難命令を出した、。。こういう対策をやったからであり、フクシマ原発が現状の状態(冷温停止)にとどまっているから、などの理由からである。チェルノのように多量に飛散しなかった、のはあとからみてそうであった、というだけで、爆発が起こった時点でそういう予測をたてることはできなかったのである(もちろん、データの公開も、測定も十分でない現在でも同じことだ)。この論者が、311建屋爆発の直後に、避難する必要はありません!!と公開の席で主張した、というのであればその主張を聞いてみたいが、いまごろ「甲状腺癌にならない」などといってもなにほどのことか。

運がよかったことを、最大限に利用して、たいした主張でもない「誰も甲状腺癌にならない」などと予測しても価値はない。おのれの科学者としての無知と、政治的意図を晒すだけである(それがこの論文の唯一の価値である)。

それより、福島県にまだ居残っている小学生(小学校)を回り、きみは絶対に甲状腺癌にはなりません、もし、5~6年先に甲状腺癌になったら、入院費と手術費その後の生活をすべて補償する旨の、確約書と「預金残高証明書」を子供の親に渡してごらんよ、センセ(トーデンのように、俺らと何の関係があるか!因果関係を証明してみろ!と逃げまくるのが賢明とおもうよ)。



この論文?を持ち上げるタモガミや副島は、そのうち、フクシマ原発の事故による健康被害はゼロである、さらに、原発というものは安全なものである!と主張し出す(現に副島はやっている)。タモガミ、渡部、副島のような爺さんはいくら被爆しても発病などはしない(発病する前に、お迎え~自然死が来る)。おのれがフクシマ原発の直近まで取材に行ったがなんともなかった(副島)と言っているのはお馬鹿の証明。いくらお馬鹿でも自分の孫を抱いてフクシマ原発の門の前には立つまい? そのうち、チェルノブイリの事故はなかった、くらいのことは言い出すかもしれない。

タモガミは福島出身。
佐藤栄佐久元知事がこの、タモガミと、福島再興、とかをテーマに年末ある雑誌で対談していた。しっかりしてよ、サトーさん。

海外疎開はお早めに       40年廃炉 一転「60年」容認へ [東日本大震災]

40年廃炉 一転「60年」容認へ
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120118k0000m040069000c.html

政府は17日、原則40年で廃炉にすると公表していた原発の運転期間について「20年を超えない期間、1回に限り延長を可能とする」との方針を新たに明らかにした。今月6日に細野豪志環境相が「40年で廃炉」方針を公表した際には例外もあり得るとの見解を示していたが、年数は明らかにしていなかった。この「例外規定」が適用されれば、国内で今後認められる原発の運転期間は最長60年となる。

10年経てば
ヒビ、しわ、だらけの
要介護爺婆原発が
列島せましと
立ち並ぶ

地震がなくても自壊・崩落

ニッポン脱出
片道切符
円高だし
資産持ちだしの
ラストチャンスですよ~

北海道から
九州まで
ずずずぃ~~と
家族ぐるみで
海外疎開

家族割引もあるで~
         
電力会社幹部に大人気
原子力村住民
経産省財務省幹部から匿名の
問い合わせ殺到
         
とりあえずパスポートの準備はお早めに

                          JTB
                    

*   原発の重大事故発生後の脱出・疎開は、相手側入国拒否、や、政府命令による空港閉鎖のためきわめて困難になることが予想されます。早めの疎開計画・実施をお勧めします。 外務省&防衛省 & 官邸危機対策室 

** 集団疎開の相談に応じます。  各国大使館・疎開受付までお電話ください。

海外移住はまず国選びから
http://emigration-atlas.net/livelihood/passport.html

● 畑村洋太郎(原発事故調査委員会)は、こういう狂った政府決定に対しては何のコメントしないんだよな。機械工学専門家、だから。失敗学者は、大事故や失敗が起こるまでは余計な口出しはいたしません。


原発事故の原因 by 東京大教授・加藤陽子 [東日本大震災]

毎日新聞
時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news..

加藤陽子(戦史研究者)が、福島原発事故調査委員会・中間報告を読んで意見を述べている。

報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

調査委員会(畑村洋太郎東大名誉教授が委員長)の報告を読んで、そして、それを追認する加藤の文章を読んで驚くのは、運転員に責任を押しつけている、というその無知蒙昧である。 たかが電力製造工場のトラブルが、なぜ、多数の生命に影響する大事故に変貌するのか?加藤や、畑村のような学者とは異なり、なぜ、運転員が原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転しなければならないような発電所を作る必要があるのか?という疑問を感じるような、正常な精神をもつ技術者=運転員であってほしい、とわたしは願う。


報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。


巨大であろうとなかろうと機器が「癖」をもつのは避けられないが、その「癖」を理解しなければ安全運転に支障が出るような機器はダメ、なのである。民生機器~自家用車であれ、軍隊の兵器であれ同じことだ。こんなことをワカッタような気になって書いている報告書(畑村)は従って、ダメ、なのである。原発は数十年にわたって稼働することを想定している。運転員は複数が数ヶ月のうちに交代、ということはありうる。航空機だって機長が緊急に交代、ということはある。そのたびに「癖」を覚えろというのは不可能であり、まして、癖を覚えなきゃ安全上問題のあるような危険物=原発(や航空機)が存在していていいはずがない。

多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

それをいいたいのなら、<運転員>じゃなく、設計者(メーカ)や事業者の幹部(東電)、政策や法律を立案した東大に棲息している学者・専門家の群れ=原子力村住民に向けて言いたまえ。

人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。

ここを読んで頭をひねった。ほとんどが待遇が悪くそのくせ全体被爆量の97%を浴びている下請け会社社員である運転員を<専門家集団>と呼んでいいの?いや、<恥ずべき知的退廃>と運転員を形容するのはあまりに無知すぎ。原子力村住民に対しての形容であれば納得。

あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然(りつぜん)となる。

いくら東電の自主保安とはいえ、日常作業を含めすべての運転マニュアルは、東大出身の官僚で占められる経産省(保安院・安全委員会)が承認し、その管理下にあるのだ。調査委員会委員長畑村もサブを勤める柳田邦男も東大出身。加藤陽子はもちろん東大。原子力村住民もほとんど東大出身者。。。加藤は(そして畑村も)、あたりさわりのないように運転員の無知と無教育をあげつらってヨシとしている。

あまりのわかりやすさに慄然(りつぜん)


加藤は軍事史専門家である。ならば、原発のように危険なシステムを民間会社のいい加減な運転管理に任せているのはもってのほか、すべて、自衛隊の管轄下に置くべきである、と、積極提案したらどうか?事実フクシマ原発事故が引き起こした被害は国も滅ぼうかという規模。数年で収まりそうもない。内戦、と呼んでもいい国難である。原発は自衛隊基地内に置き、自衛隊員が運転すること、とりあえず、現在の原発敷地と資産は自衛隊~防衛庁が接収する!と提案したら、加藤先生、ウケルよ。核弾頭何十発も打ち込まれたと同然になった現在のニッポンを侵略する国もなかろうで。西日本の原発が事故れば、自衛軍は不要になるで。

たかが電力を生産するシステムの運転操作を誤った(としよう)だけで、原爆何十発にも相当する被害を国内国外に与える、そのようなシステムを設置し、必ず誤りを犯す人間に運転させる、それがそもそもマチガイのもと、と普通のオツムテンテンをもつ学者なら言いそうなモンだが。まして、軍事史専門家、ならば。


ああ、あくびが出てしもた。
寝るとするか。



特別付録(時代の風、を、全文引用)
◇欠けていた俯瞰と総合

 新聞が好きだ。毎日、朝日、日経の3紙をざっと読み、大事だと思われる記事を切り抜き、3カ月に1回の割合で読み直す。3カ月前には「点」であった記事が、時間による熟成によって情報として適度になめされ、線となり、面となる経過を味わえる。

 例を一つ挙げておこう。昨年9月29日付「朝日新聞」朝刊で、酒井啓子氏が「あすを探る」という欄に「専門知を結ぶシステムを」と題して寄稿していた。中東研究者として酒井氏は、テロや「アラブの春」をなぜ予想しえなかったのか、と批判されることがよくあったという。

 日本の中東研究は、専門的にみて高いレベルにあるのは間違いない。だが、明快な解説で知られる酒井氏が、弁明に終始するはずはなく、コラムはこう締めくくられる。これまで社会科学は、個々の専門家の知識を俯瞰(ふかん)して総合的判断を示すシステムや場を用意してこなかった。だが「研究者が個々の専門知の多様性を活(い)かしながら、同じ問題意識を共有して、戦争や災害など生活を根幹から壊す事件」に対処しうる「知」を、システムとして持っておく必要があるのではないか、と。

 重要なポイントは、俯瞰と総合という点にある。3カ月ほど前の記事を読み返した私の頭には、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告が浮かんでいる。昨年12月26日に発表され、末尾には「これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄」であったと書かれていた。

 この委員会は、失敗知識データベースを整備公開したことで知られる畑村洋太郎氏を委員長として、昨年5月政府内に設置された。委員会は456人の当事者から聴取し、第三者の立場から今一度、甚大な事故に至るまでの経緯につき客観的な脈絡を立てて実証する手法をとった。その成果が、500ページ超の本文と200ページ超の資料からなる中間報告となった。

 ネット上で公開されている本文全体と資料編(国家の安全にかかわる情報は一部白紙となっている)は、緊迫した瞬間をよく再現し、全体として達意の文章で書かれ、これまでの政府や東電の過度の隠蔽(いんぺい)体質からすれば、情報の開示度は高いといえる。1月末日まで、国民からの意見募集も行っているというので、一読をお勧めする。

 私も読んでみた。委員会は、(1)100年後の評価に堪える(2)国民や世界の人々の持つ疑問に答える(3)起こった事象と背景を正確に記録する(4)当事者がいかに考え、いかに動いたかを知識化する--ことを目指したようだ。そのため、責任追及より原因究明が優先されている。

 責任を追及しないでどうするとの批判もあろうが、事故の具体像と背景が完全に把握できれば、責任はいつでも追及できるはずだ。事実、報告書を読んでいけば、責任の所在は明確にされている。

 いわく、(1)情報収集と意思決定の両面で四分五裂していた政府中枢(2)原子力災害対策マニュアルで、情報入手の中枢とされていた経済産業省緊急時対応センターが全く機能しなかったこと(3)甚大な事故を想定したマニュアルに、地震・津波など外的事象による問題発生について一切載せていなかった東電の教育体制(4)対策を電力事業者の自主保安にまかせず、法令要求事項とすべきであったのにしなかった政府。責任の所在は明らかだ。

 報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

 具体的には、第4章「東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」に問題点が析出されている。委員会が重くみたのは、1号機を冷却する非常用復水器(IC)につき、全電源が喪失した場合、自動的に隔離弁が閉じるよう設計されていた簡単な事実に、当直と呼ばれる11人からなる運転員の誰一人として気づかなかった点だ。人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。

 資料編も見ていただきたい。6章-13「アクシデントマネジメントに関する教育等の方法及び頻度」という東電の内部資料。本資料からは、運転員を対象とした事故時の対応につきいかなる教育研修がなされていたか分かる。頻度は年1回、方法は自習と運転責任者による講義だけなのだ。

 あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然(りつぜん)となる。
毎日新聞 2012年1月15日 東京朝刊


空前絶後     炎のストッパー [Sports]

北別府と津田が野球殿堂入りしたのを、朝刊で知って意外な思いがした。
北別府は当然として、成績からみて病気引退した津田はどうしても見劣りがする。
しかし、津田のほうが北別府より圧倒的な印象をファンに残した。

津田も北別府も阪神に強かった。バース、掛布時代(阪神が強かったとき)、北別府は阪神に通用するセリーグで唯一の投手だったのだ。とくに当時の最強打者バースに強かった。バースは日記で、「やつにはかなわん、すっかり心中を読まれている」と白旗を上げている。


炎のストッパー
http://www.geocities.jp/rock_satoshi/column/tsuneg..

この記事。アナウンサーが、オールスター戦の最中に津田の死を伝える箇所では涙が出てしょうがなかった。NHKのスポーツドキュメント(炎のストッパー)はビデオテープがすり切れるほど繰り返してみた。

それでも、津田の殿堂入りはちょっとおかしい、とおもう。印象に残る選手と殿堂、は別物。殿堂入りすることがすべてではない。この記者の意見↓に賛成である。 野球殿堂競技者表彰の個人的見解(第658回)
http://weblog.hochi.co.jp/hiruma/2012/01/post-96a7..


津田や江夏がいた頃のストッパーと今のストッパーを一律には論じられない。
江夏がカープに移籍してきた年、江夏が登場した最初の試合は、市民球場、一点リードのジャイアンツ戦、6回に登板し、九回まで押さえきって勝ったのだ。現在の押さえは大リーグでも日本でも九回だけ、しかもリードしている場面だけ。日本シリーズで近鉄に勝ったとき(江夏の21球)も7回に登板である。6回以降リードしておればいつでも登板する男、それが江夏だったのである (最近の野球解説を聞いていると、8回からストッパーが登板すると、イニングをまたがっての登板だから~、などと投手に同情し、9回に打たれても登板を命じた監督のせいにしている。軟弱。リハビリやってんじゃないんだよ)

江夏と津田はタイプが全然違うが、断然、津田のほうが印象に残る。あの、すらりとした体型、打者を睨み、飛び上がるようなフォームから繰り出す剛球は永遠である。殿堂入りを祝う席のスピーチで山本浩二が何度も声を詰まらせたと言う。救援に立って最初にミットをめがけて投げる球の伸びを観て、ああ、このゲームはこれでもらった、と味方の選手を安心させた。その勇姿は監督・浩二の頭からは容易に去らないのだろう。

バースが評したように、津田はクレージーだった。クレージーと呼ばれるようでなきゃ観客は呼べない。津田のクレージーネスは殿堂入り投票記者の平衡感覚をも麻痺させた。(津田ほど自分の直球に自信をもって投げ込んでくる投手はほかにいない、だから彼をクレージーと言ったのだ、彼の直球は速いだけではない、手元で浮き上がってくるのだ。文句なしにメジャーで通用する、とバースは述べている)

それにしても、伝説の強打者、ランディ・バースが殿堂入りできない(引退後、15年で資格を失う)、という現在の制度は改定すべきである。バースだけではなく、ブーマー、クロマティも入っていないのだから外人差別だと言われてもしょうがあるまい。殿堂入りできないのは彼らの不名誉ではなく、殿堂の(あるいは選ぶ側=記者たちの)不名誉である。

津田対バース http://www.youtube.com/watch?v=v8VHgHJDVnc


最新の放射能汚染濃度を時々刻々放送せよ [東日本大震災]

http://takedanet.com/2012/01/post_2d51.html

緊急速報  セシウム降下量のレベル



 



1月4日文科省発表の福島市のセシウム137の降下量は1平方キロメートルあたり252メガベクレルであった。この量(252)と茨城県ひたちなか市(福島はデータがないので、当時、一番、セシウムが高かったところ)のデータだが、3月20日から、4813000120004206399160、ND(0)、211457, 390,(これで3月は終わり)、5月になると、71,0,8,0,0,0,0,0,0,0と0が多くなる。

3月21日、22日が集中的に降った日だが、3月の平均が402だから1月2日の量は、「3月より少し少なく、5月とは比較にならないほど多い」ということになるので、危険なレベルだ。

たとえば直前の12月には、福島市のセシウム137の降下量は、5から20ぐらいだからハッキリと増大している。いくら何でも間違いではないかと何回も見直しているのだが、単位はMB/km2だし、サンプル採取時間は1日で同じようだ。おかしい??? おかしいが被曝だけは先に防いでおく必要がある。

洗濯物を取り入れるときにははたいて、外出から帰ったときには玄関先で服をはたいて、子供の服は洗濯を頻繁に、マスクをして、外出を控えるなどをしておく。様子を2,3日見ると判ると思うが、文科省が正直にデータを出してくれるのを祈るばかりだ。

福島ばかりではなく、千葉市でもかなり高い値が出ているようだ。いま、範囲も調べている。とりあえず、福島、関東は要注意。

(平成2416日 午後610分)


武田邦彦


##
武田邦彦は個人の責任で放射濃度を測定・掲載しているのだろうか?
NHKをはじめとする放送局は気象庁から受けた地震速報をデータチャネルで放送、掲載している。目に見えぬ身体でも感じぬ放射能汚染データこそを時々刻々放送するべきではないのか(最新濃度マップの常時放映)。何のための地デジか。深夜、(福島)原発で異変が発生した場合の県内外への警報、避難指示はどのように行われるのか。


追記:

http://takedanet.com/2012/01/post_4c7f.html
原発安全神話?(1) つなみ

「電気が欲しいから危険でも原発をやりたい」というのが政府、自治体、原子力関係者ですが、子供たちの日本、これからの日本の土地を大切にするために、私たちも「事実」をよく知って主導権をとれるようになっておかないと、子供たちを守ることはできません。

私は「安全な原発なら、そこで初めて原発を進めるかどうかを考えることになるけれど、危険な原発なら論外」という立場です。その意味では、私はどちらかというと「反原発」ではなく「反被曝」です。

(以下略)

(平成24年1月5日)
武田邦彦

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このイカサマ野郎は、ほんとにたちが悪い。 トーデン以上だ。


トーデンや政府は。。

「電気が欲しいから危険でも原発をやりたい」というのが政府、自治体、原子力関係者ですが。。

などとは言っていない、安全だ安全だ、と言ってきたのだ(ウソだったが)。

武田は

「安全な原発なら、そこで初めて原発を進めるかどうかを考えることになるけれど、危険な原発なら論外」という立場です。。

などという。
トーデン、政府とどう違うのだ? トーデン政府だって、安全だから必要だ、と言っているし思っているだろう。事実がそうでない、ということだ。

原発はどのように作っても日本では危険なのだ、ということはとうの昔から分かっていた。 反原発派が継続してきた裁判闘争に武田はどう関わってきたのか。メルトダウンを起こした後で、わたしは危ない原発には反対だった~。。。これならトーデンでも言えるせりふだ。<安全な>は原発の枕詞なのであり、原発は原理的に危険である、といわない人間は<推進派>なのである。トーデンは土下座してペコペコ謝った。武田は言葉遊びで生き延びようとしている。科学者ではない、いかさま師である(念のために言っておくと、以前は、これは侮蔑表現だったのだ。科学者とはいかさま師のことをいう。。現在の日本においては、という条件をつければ、これは真実であり、こういわれて喜ぶ科学者もいるだろう)。

福島を石棺にするとき、人柱にするとよい。いや。。武田を人柱にすると石棺が腐る。

天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」 [diary]


天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」の全文は次の通り。 http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY201112220848.html

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 先月マイコプラズマによる感染症を患い、入院を余儀なくされたことから、多くの人々に心配を掛けました。私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します。退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。

 3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。また住まいや生活の場を失った人々、原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、そのことを非常に心強く思いました。また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。

 厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。

 諸外国からも救援の人々が来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、自分たちは被災者と共にある、という言葉が添えられていたことが思い起こされます。

 歴史を振り返ると、我が国は、今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の「三陸地震」を始めとし、これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。私が津波の恐ろしさに接したのは、平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。島は地震と津波で大きな被害を受けており、200人以上の死者、行方不明者が生じていました。少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、もしこの度の被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。この度の津波災害においても、避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、施設面の充実と共に、今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。

 私どもの住む日本は、四方に海を持ち、山や川も多く、風光に恵まれた島国です。一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、時に荒れ、多大な被害をもたらします。この厳しい現実を認識し、災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。

 今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。

 今年は豪雨による災害も、7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、様々な対策が講じられた成果であり、防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。

 水害はタイ王国でも起こりました。国王陛下は長らく御入院中で、この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。タイの水害は日本の産業にも影響を与え、タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、生産を再開することになりました。言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は、改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。

 今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り、戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。

 振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。日本人全体がこの震災に向き合い、被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。本年もあと僅(わず)かになりました。新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。来る年が少しでも良い年となるよう願っています。

###

 

 
古代より列島を繰り返し襲ってくる災厄。。つまり 自然災害、のほかに、

無知な為政者、業界人、学界人の愚行、怠慢、による人災。

これらに、国民はじっと、耐えなさい、

。。というてるみたいやね。




強きものは弱きものを救う、富めるものは貧しいものを救う、義務があるのです。

と、一発かましてほしいね。日本国憲法を読み直しなさい、と。 貧しい人はどんどん貧しくなっていく。天皇は現在の失業率を知っているのだろうか。職に就きたくても仕事がないワカウドが塞いでいるのを知っているか。職に就けたと言っても最低賃金700円でどれだけの文化的生活が営めるというのか。子供が勉強したい、といっているのに大学にもやれぬ親が多く存在する。貧困は誰の責任か。天皇と皇族は衣食住の心配をする必要がない。食べたいものを食べ、いきたい大学に入れ、なんでも自由に学べる。この自由(ホントに自由?)と豊かな生活はなんだろう?と疑うことはあるのだろうか。日本はすでに滅亡の入り口にいるんですよ。生活が保障されている人が直言せずに、誰が言うか。
 

 
上の意見をよんで、それ(自由な発言)は政治行為にあたるで~、と忠告してくれる人物がいた。政治的行為を認められていない天皇が何を言っても無力、だとおもうが(天皇個人の意思表明を政治力とするかどうかは、国民の民度による)。それ(無力)は望ましきことなのか。天皇も一人の人間である。天皇にも基本的人権を認めろ、つうことだね。自由に発言したって罰則はないんだから。ご随意に。現在の<天皇制>は解体だが、もともと人間の本性に反する制度など早晩、解体の憂き目にあうのである。憲法第一章なんてのは尾てい骨のようなもの、有り難がるものではない。
佐藤優、山川均の護憲論、天皇制
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-04-15-1

短いニュース   三重・南伊勢町議死亡 [Journalism]

毎日新聞 2012年1月4日 東京朝刊

散弾銃暴発?:三重・南伊勢町議死亡 車内で血を流し

 3日午後2時45分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の同町議、上村康広さん(64)が、自分が経営する牧場の駐車場の乗用車内で、胸から血を流しているのを妻が発見し、119番した。搬送先の病院で死亡が確認された。

 伊勢署によると、上村さんは胸に銃弾を受けて運転席で倒れており、散弾銃(全長約113センチ、上下2連式)が車外に落ちていた。上村さんは同日午前10時半ごろ、牧場のカラスを駆除するため、銃を持って1人で出かけたという。同署は暴発事故と自殺の両面から捜査している。

 上村さんは90年、旧南島町議に初当選し、南伊勢町合併後を含め計6期務めていた。中部電力が計画した芦浜原発に反対し、93年の住民投票条例の制定に尽力した。【谷口拓未

南伊勢町前議長、猟銃で死亡=「カラス駆除しに」車内で―三重県警2012年1月4日0時6分  [時事通信社]

 3日午後2時40分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の牧場駐車場に止められた車内で、同町議で前議長の上村康広さん(64)が血を流して倒れていると、捜していたおいから119番があった。上村さんは病院に運ばれたが間もなく死亡。胸に猟銃で撃たれた痕があり、車の外に上村さんの猟銃が落ちていた。県警伊勢署が死亡の状況や原因を調べている。

 同署によると、上村さんは午前10時半ごろ、妻に「牧場のカラスを駆除してくる」と言って猟銃を持って自宅を出た。昼になっても戻らないため、上村さん宅を訪れていたおいが様子を見に行ったところ、車の運転席に座り助手席側に倒れていたという。 

散弾銃の暴発か、誤発射か 三重・南伊勢町議が死亡 朝日新聞

 3日午後2時45分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の牧場で、経営者で同町議の上村康広さん(64)がワゴン車の中で胸から血を流しているのを親族の女性が見つけ、119番通報した。伊勢署員が約45分後に駆けつけた時にはすでに意識はなく、搬送先の病院で死亡が確認された。車の近くに上村さんの散弾銃が落ちており、伊勢署は、銃の暴発や誤発射などの事故と、事件の両面で調べている。

 同署によると、上村さんは運転席に座った状態で、座席の外の地面に上村さん所有の2連式散弾銃が落ちていた。上村さんはこの日午前10時半ごろ、家族に「牧場にカラスの駆除に行く」と伝え、1人で出かけたといい、駆除の跡とみられる空の薬莢(やっきょう)が大量に落ちていたという。

 上村さんは町議3期目。合併前の旧南島町議も務め、地元に中部電力が建設を計画し、後に断念した芦浜原発をめぐっては、同町議長として住民の反対運動を主導。昨年の福島第一原発事故後は「原発を止めた町から」と題し、講演するなどしていた。

三重・南伊勢町議が死亡 散弾銃で撃たれた痕

2012年1月3日 23時40分

 3日午後2時45分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の牧場内の駐車場で、上村康広町議(64)が乗用車の運転席で意識不明の状態で倒れているのを家族が見つけ、119番した。胸に銃で撃たれた痕があり、搬送先の病院で死亡が確認された。

 上村さんが所有する散弾銃が車外で見つかり、伊勢署は事件と事故の両面で捜査している。

 同署によると、上村さんは3日午前10時半ごろ、自宅から経営する牧場へカラスの駆除に1人で出掛けた。ほかに目立った外傷や衣服の乱れはなかった。(共同)

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東京新聞(共同)が一番公平な報道姿勢を示している、と私は思う。朝日新聞、上村さんの活動を示す情報は事件(他殺)であった場合の動機のひとつ、を知らせてくれ貴重。しかし、記事中に、「伊勢署は、銃の暴発や誤発射などの事故と、事件の両面で調べている」といっておきながら、この見出しはないだろう。

第一発見者(妻)の情報が最も重要(動機、や、最近の夫の行動、町内外における交際、その内容を知っている可能性が高い。なにより、死亡直後の状況をよく知っている)。昔、田宮二郎が猟銃自殺したとき、足の指で引き金を引いていた、という。車の窓は開いていたのか?狭い車内で、誤射によって胸を撃つ?銃身の長い猟銃の銃口を心臓部に当て誤射、というのは不自然すぎる。自殺であっても(指紋を調べれば分かろう)どんな姿勢で撃ったのかが気になるし、その直後、銃を車外に捨てるものだろうか?(なぜ、窓が開いていたのかも不審)。自殺なら、その前にカラスを撃ちに行ってわざわざ自宅に戻った後で死ぬものだろうか。遺書は?

追記:

伊勢新聞

2012/1/4(水)
 猟銃で南伊勢町議死亡 胸に数発の散弾受ける
【伊勢】三日午後二時四十五分ごろ、度会郡南伊勢町古和浦の牧場の駐車場で、同町議会議員の上村康廣さん(64)が、車内で胸から血を流して倒れているのを、おいが見つけ、一一九番通報した。上村さんは大台町内の病院に救急搬送されたが、約一時間二十分後に死亡が確認された。

 伊勢署によると、上村さんは当時、胸に散弾銃の弾を数発受けていた上、運転席に座り、助手席側に向かって倒れていた。運転席のドアが開いており、車外には上村さん所有の猟銃が落ちていたという。

 上村さんはこの日午前十時半ごろ、「牧場のカラスを駆除しに行く」と家族に告げた後、外出。自身が経営する近くの牧場に車で向かったとみられる。同署は近く、司法解剖して死因を調べる。

 上村さんは平成三年六月、旧南島町議会議員に初当選し、現在六期目。
2012/1/4(水)

ボランティアが不足 NHKニュース [diary]

今朝、NHKニュースで、東北各地で災害復旧を手伝ってきたボランティアの数がこのところ激減している、という。

検索すると激減傾向はすでにゴールデンウィーク終盤から始まっている。神戸地震と比べると集客?の便が悪い(交通の便)。。というだけの理由でもないのか?たとえば、フクシマ原発からの放射能被爆を畏れてのことだろうか(ボランティアには若い人、が多いのだからこれは深刻だし当然のことだ)。

 地元がボランティアに頼る、のはわかるが、それでいいのだろうか?なさけなくねえか(国と地方の政府に言っているのだ)。ニッポンは自然災害、台風、大雨の多い国であることは分かっていながら、専門の災害救援部隊、というものがいない(消防や警察に多くは期待できない)。ところで、自衛隊は何をしているのだろうか?震災直後は自衛隊もかなりの数を繰り出して救援や復旧をやっていた。もう終わりなの?自衛隊予算は年額5兆円という。それでなくても大赤字の財政を抱えているのにこんな大金をかけて大人を遊ばせておいていいのか?遊ばせているのである。目の前の敵(自然災害)で国民が苦難しているときに、それを無視して、戦争の準備だ、砲撃訓練だ、迎撃訓練だ!と日々、いそしんでいるのだろうか?戦争、とはいったい何なのか?国防とはなんなのか。ソ連や中国、北朝鮮、米国を仮想敵国としてドンパチ訓練をやるばかりが能じゃないだろう?自然災害から素早く復旧しないでは戦争にもならないぜ。自然災害、あるいは、原発事故の直後に外敵が攻めてきたらどうするんだ。敵は内にあり。

災害救援が自衛隊の職務でないのなら、自衛隊の数を3割に削減して、残りは常設の災害支援部隊、あるいは、土木工事部隊として来たるべき大地震の備えに向かわせるべきではないか。やるべきことはなんぼでもある。名古屋はちょいと大雨になればたちまち民家が水浸し。都内など大雨と地震が来れば地下鉄網は浸水し、死者も出れば交通網が遮断される。原発で飛散する放射物質におののいている国民がいる。市政は手も足も出ない、というお粗末。<国防>を職務とする防衛庁よ。何考えているの?いま。

国防、とは何を護るのか?国民の生活を守る、ために戦争を(やむを得ず)起こし、日頃の国力を充実させておく、そのために計画と活動をおこなうのが防衛省ではないのか。国防上の観点から、原発はすべて廃止、停止すべし、くらいの提案でけんのかい?省エネに耐えるくらいの知恵がないと長期の戦争、耐えられないぜ。

仮に、米国の原発(東部に集中。地震の多い西部にはない)に地震が発生、あるいは、西海岸で津波が発生、したとしよう。一年近くになっても片づけが終わらない、ボランティアさ~~ん、と救援を求める状況、などおよそ考えられない。米国には自然災害復旧を専門にする災害救援部隊が常設されている。ハリケーンなどで家が破壊されれば当座の生活資金として二万ドルの小切手が翌週、各家庭に連邦から送付されてくる。

  列島が放射能漬けになり、国家が財政破綻でひっくり返る、というときにも、防衛省は次期戦闘機機種はなんにすべ?と鳩首会談を地下防空壕でやってるんだろう。

サブ過ぎ、だよ。

2012-01.jpg

去年7月30日いわき市小名浜にボランティア作業に出かけたとき、隠れるようにして撮った写真。隠れるように、というのは、現地の写真を撮らないでください、とボランティア作業を管理する人の指示があったから。しかし、破壊された民家ではなく(作業者の中には注意されているにもかかわらずケータイで撮っている人がかなりいた)、海岸から太平洋を臨む風景だからいいだろう、と(それでも後ろめたい気がした)。この写真の右下に崩れた道路が写っている。黒く見えるのは海水が住宅地に流れ込むのを防ぐため積み上げられた土嚢である。津波から5ヶ月も経過したのに我々が作業にいくまで手つかず状態の民家が残っていたということだ(民家から家具を運び出し、分別し、袋詰めにする。これをトラックが運ぶ。その後で民家は重機により破壊される。海水は民家の二階の窓の高さまで侵入した。われわれが作業した民家はこの写真の場所から50メートルの場所にある)。海岸に堤防が走り、見渡すばかりの太平洋。小さな河が海に流れ込んでいる。。日本のあちこちでみられる典型的な海辺の町である。


独白・畑村洋太郎     失敗学と原発再生への道 [東日本大震災]

 福島原発事故調査委員会・ 中間報告書
ダウンロード可能
http://icanps.go.jp/post-1.html

こういう結論にしちまったけど。

正直、これが、日本のメーカとトーデン技術者の実力なんだよな。

電力会社とメーカには俺の教え子がたくさんおり、日立、トーシバ、三菱の役員は俺の同期、先輩、後輩が多い。調査委員にはトーデン、メーカに関与している人間は排除する、という原則だったが。。肝心のおれが、一番怪しいんだよな。本当はムラビトかも。

学生はみんな成績は悪い方じゃなかった。おれも自信を持って社会に送り出したんだが。

想定外、というより、あの程度の設備が実力相応だったんだよな。正直にいえば、あんな地震と津波に耐える設備はおれにも、おれの学生にもできんよ。

つまり、想定外、じゃなく、我が方の実力を越えた事故でした、と正直に告白しよ。原発が無かったらニッポン、困るんじゃし。技術の実力を越えた設備は逆立ちしたってデケンのだからしゃーナイ(と開き直ればえかろう)。文句言うやつはおらんよ。それに、俺、はっきりゆうけど、原発のこと、な~んも知らんのだよ。建屋の回転ドアなら安全なやつを設計してやるけど。


事故発生後のトーデンや政府の指示も対処も、あんなもんだろう。政府もトーデンも、事故は起きない、事故は起きない!と地元に宣伝してきたんだから、避難訓練を毎年やれ!チェルノ並みの事故が起こった場合の疎開先をあらかじめ手配しておけ、とか、汚染物の捨て場所を確保してオケよ!などと地元に厳しく言えんしな。

事故直後の初動に失敗した、ちゅう意見もあるが、人間のやることには失敗はつきもの、というのは畑村テーゼ、やしな。原発は人間の失敗に耐えられない設備やった、ちゅうことやなあ。ということは、原発は。。。地上にあってはならない設備、ということになるなぁ。いや、いや!そりゃまずい!許されぬストーリだッ。断じてッ。。。べつのストーリでいこう。設備設計も、事故後の初動も、みんなそこそこやった、よくやっていた。ちょっと手抜かりはあったけど状況が状況だし。あれ以上は望めん。いやぁ、よく頑張った。メーカも、トーデンも、政府も。。これしか、ないやんか。。

事故は起こるべくして起こった、つ、ことかな。三陸沖の海底でグラリッとプレートが動いたとき、すでに、ジ・エンドだった。。。あれ?どこかで、俺、まちがった? 。。。ま、いいか。元気出していこ。

フクシマ原発の事故後の措置は十分とは言えないが非難するほどでもない、問題なし!。。原発は必要!

。。こういう流れにしておけば、おれも当分、企業や政府、学会でいい顔でける!先輩後輩、教え子を傷つけずに済む!最終報告はこのセンで行くか。これしか、ないやんか。。。

これなら8月までかからんな。新緑の頃、5~6月には最終報告を出せる。


あした、柳田さんに電話しとこう。

まだニッポンには50基も原発あるんだって?つぎの事故はどこで起こるんやろか。いつ事故調査委員会にお呼びがかかっても対応でけるように、俺も体力を維持しておかなきゃーな。事故調査委員会は。。脱出先の海外で開催じゃろうか。。。懲りない電力会社、懲りない政府と業界。。。懲りない、俺。ここは辛抱やで。失敗学は辛抱の学、慈悲の学問


じつわ、つぎに出す本のタイトルも決めてるんだ(原稿も八割は、でけてる)。最終報告と同時に出版する。
『原発再生への道  ---  懲りないニッポンジンのための失敗学』


いやなことは忘れる、見たくないものは見ない!というのが学者の生き方。。ん?どこかで使うたせりふのような。。。ああ、これでうまい酒が飲める。


事故調査委員会の<想定外>  「失敗学」の失敗 [東日本大震災]

 要約: 
 シビアアクシデントが発生する前~平常時、であってもすでにこのような難問~致命的問題点、が山積しているシステム=原発を建設・設置しなければならない理由は何なのか。これを、畑村を含む調査委員会メンバーは自己納得した上で国民に説明してもらいたい。事故以後、のみが問題ではなく、事故の前=設計段階にすでに問題があった、さらに言えば、建設の前に問題点は指摘されていた、その問題点が意図的に国民から隠されていた、ということである。つまり、制度問題、国の意志決定問題からまず尋ねなければならない。誰が隠したのか。これに目をつぶれば、すなわち、事故は何度でも繰り返される、ということだ。畑村委員長には「失敗学」の基礎を再確認してもらいたい。畑村は「責任の追及がこの調査委員会の目的でない」と、述べている。追求はしなくても、あるいは告発などの法的措置を要求するのがこの委員会の目的ではあるまいが、問題点がどこにあったか、誰(個人名はよいとして、職位や、組織は特定せずにはおれないだろう)が責任を有するか、を、特定せずに何のための調査か。将来の巨大システムの安全性、や、そのシステムの要否を判定するために何の寄与もしないことになるのではないか。畑村「失敗学」の真価が問われる事態である。「失敗学」は巨大システムに通用するのかどうか、ということだ。家庭用電化製品、車、パソコン、ケータイ、およそどのような商品であれ(住宅さえも)、製造者に過失がなくても製造者責任が問われるのである。<失敗のもたらす災害の分析・評価>をないがしろにしたシステム製作は許されない。シビアアクシデントに至ったのは東電、官邸の<事故発生後の対応がまずかったから>という結論にしたいようだ。しかし、<人間の対応のマズサによってシビアアクシデントに至るようなシステムの存在を許すこと>がそもそも大問題ではないか、という問いかけを畑村たちは頭から回避~すなわち、<想定外>にしているのだ。原発は通常運転時であっても問題を有するシステムである、という問題を問おうとしない(設計から廃棄までのライフサイクル、として完結していない、すなわち、商品としての適格性が最初から欠落している、ということだ)。であれば、そのことを報告書の最初に<想定外>事項、として示すべきである。すなわち、本報告は原発の存在自体を疑わない、原発の存在は与件とする、と。調査委員会自体が犯している、暗黙のこの想定、あるいは、想定外、を畑村は自覚していないのではないか?これは悲喜劇である。あらゆることを疑う、という原則を回避した事故調査委員会に東電・政府を非難する資格があるか。「ガキんちょの仕事ね」ムスメは一言で片づけた。
 

 
 平成23年12月26日付けで、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎)が、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告」を発表した。

ダウンロード可能
http://icanps.go.jp/post-1.html

 目 次
1 はじめに
2 事故の概要
3 事故発生後の政府諸機関の対応の問題点
(1)原子力災害現地対策本部の問題点
(2)原子力災害対策本部の問題点
(3)残された課題
4 福島第一原発における事故後の対応に関する問題点
(1)1 号機のIC の作動状態の誤認 
(2)3 号機代替注水に関する不手際 
(3)1 号機及び3 号機の原子炉建屋における爆発との関係 
5 被害の拡大を防止する対策の問題点
(1)初期モニタリングに関わる問題
(2)SPEEDI 活用上の問題点 
(3)住民避難の意思決定と現場の混乱をめぐる問題
(4)国民・国際社会への情報提供に関わる問題 
(5)その他の被害の拡大を防止する対策についての考察 
6 不適切であった事前の津波・シビアアクシデント対策 
(1)不適切であった津波・シビアアクシデント対策 
(2)東京電力の自然災害対策の問題点 
7 なぜ津波・シビアアクシデント対策は十分なものではなかったのか
8 原子力安全規制機関の在り方
9 小括 
10 おわりに  

本書は中間報告である。最終報告は来年(24年)夏ごろ出版される予定らしい。
全文をプリントアウトすれば700ページになるようだ。 ざっとながめたところ、とりあえず、第一章と、第七章を読めば要点はわかる。(事故の対策とかに専門家以外は口を出せない)。そのなかだけでもこの報告書の問題点が見える。わたしは、第一章をプリントアウトして読んだ。20ページである。(第七章の結論が要約してある。これさえよめばこの調査委員会の限界がはっきりわかる)。

じっくりと読む時間がないのが残念だが、散発的に読んだコメントをメモ代わりに列記しておく(あるサイトへの投稿)。

#コメント1

目次を読むと、1章、と、7章が重要ですね。

しかし、今後の調査に待つところが多いため、なにも言っていない報告のようだ。事故の経緯、事故対応の経緯などたいした問題ではない。被害の拡大防止、など、この委員会に期待されている役割からははずれている。

したがって、この委員会の目的の確認:

>当委員会は、今回の事故の原因及び事故による被害の原因を究明するための調査・
検証を、国民の目線に立って開かれた中立的な立場から多角的に行い、被害の拡大防
止及び同種事故の再発防止等に関する政策提言を行うことを目的として、同年5 月24
日の閣議決定により設置された。
今回の事故に関する調査・検証は、事故の当事者である東京電力や、規制当局であ
る経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)等によっても行われてお
り、また、政府の原子力災害対策本部から、国際原子力機関(IAEA)に対し、2 度に
わたり日本国政府の報告書も提出されているが、当委員会は、これらとは別に、従来
の原子力行政から独立した立場で、技術的な問題のみならず制度的な問題も含めた包
括的な検討を行うことを任務としている。

これが問題。


再発防止、のなかに、原発の廃止、も含まれているかどうかを明言すべきだろう。

また、過去、原発推進は、最終的に裁判所判断でおこなわれた。過去の裁判に提出された反対側の証拠や裁判資料などそれに判決文、なども調査対象にすべきであ利、裁判批判を畏れてはならない。

###コメント2

問題は、
1 この報告や調査委員会の位置づけでしょう。政策に大きく影響するようだとはしごをはずされる可能性がある。つまり、無視。

2 メンバーには推進派が多くいる。彼らはフクシマ原発だけに調査を限定するようし向けるだろう。原発そのものに問題はない、フクシマの、東電の運営と設計に問題があった、それを考慮してみなおせばよい、原発推進に影響なし、とする方向で彼らは結論したいはず。それをうちやぶって、原発そのものに問題があるのであって、どのような安全策を講じても危険が多すぎるシステムは廃棄すべし、という意見は少数になる。最低限、少数意見も併記すべし(吉岡斉、ら)。
3 原発の危険は過去40年の反原発訴訟でさんざん原告が証拠と証言をおこなってきた。その貴重な資産をきちんと、評価しているのか、ということ。裁判に関わった人たちからの証言と主張も(もちろん、推進派の主張もだ)再度、聞くべきだろう。双方ともフクシマ事故のあとであらたな認識を重ねているだろうから。
4 いうまでもなく、原発はメーカや電力会社、それに政府(の一部)と意志決定に使われた専門家がかかわった。そして、反論を封じるのには地方政府やマスゴミが寄与した。国家の意志決定、政策決定のこのひずみの存在をこの調査委員会がどう評価するのか、ということ。原発は技術問題=安全問題だけではなく政治問題、産業問題でもある。政治と産業が、純粋の安全問題をゆがめてきた、これを認めるのかどうか、だ。

# コメント3

畑村(委員長)は、この報告作成にあたっては、畑村が仕切る、と報告書中でのべ、妥協無き報告であることを印象づけようとしている。畑村は機械設計の専門家(東京大学名誉教授)であり、失敗学会を主宰している。であれば、過去40年戦われてことごとく(原告=反原発側が)敗北してきた反原発裁判に無関心でいたはずはない。反原発派が提出した証言と証拠を読んだことがあるのか、おのれの原発に対する見方がフクシマ事故でどう変わったのか、過去の原発阻止裁判にたいしてどういう意見を表明してきたのか(あるいは無関心だったのか。フクシマ事故で初めて原発問題を知った?)、を知りたいものである。


# コメント4

まず、「はじめに」、から7を全文掲げておく。わたしのコメントを青で挿入する


7 なぜ津波・シビアアクシデント対策は十分なものではなかったのか 【Ⅶ
章7】

① 自主保安の限界
東京電力が想定を超える津波に対する対策を盛り込むことができなかっ
たことは、自主保安の限界を示すものといえる。

② 規制関係機関の態勢の不十分さ
研究の深化のスピードや関連する知見の日進月歩状況に鑑みると、直ち
には結論の出ない学術的な議論等は学会等に任せ、指針・基準の策定・改
訂はその時々の採用可能な最新知見を取り上げて、速やかに進めていく必
要がある。そのためには、規制関係機関の態勢の充実が不可欠である。

③ 専門分化・分業の弊害
津波対策は、異なる分野の知識や技術を必要としており、異なる文化を
持った専門家・技術者集団が協働して問題解決に当たることが重要である。
専門分化の壁を超えた組織となり得るような仕組みを作ることが必要であ
る。

④ リスク情報提示の難しさ
より安全性を高めるための改良を加えようとすると、これまでやってき
た過去を否定することと受け取られてしまうというパラドックスが生じる。
絶対安全が存在しないことを認め、リスクと向き合って生きていくこと
は容易ではない。しかし、伝えることの難しいリスク情報を提示し、合理
的な選択を行うことができるような社会に近づく努力が必要である。


①から④まで読んで。
40年の歴史を持つ反原発裁判や反原発闘争に関わった人たちからすれば失笑するしかないだろう。

<より安全性を高めるための改良を加えようとすると、これまでやってき
た過去を否定することと受け取られてしまうというパラドックスが生じる>

過去の否定をパラドックス、というか?技術進歩、知見の進歩、と呼びたまえ。安全でない、ことがわかればそのシステムは設計段階で廃棄するのが科学者のつとめ、なのである。廃棄、は、進歩であり、パラドックスではない。リスクの評価が十分でない、と苦言を呈しているようだが、リスク評価は反原発派からいくらでも提出されているし、チェルノブイリ、という先例があったではないか。きみたち=調査委員会、は盲目なのか?(東電や政府やメーカが盲目なのはわかるとしても、調査委員会まで盲目になるのはいただけない)。まさか、調査委員会が<安全>を求めようとすると、電力会社の過去を否定することと受け取られてしまうというパラドクスが生じる、という意味じゃないだろう?。。なんだか、そんな気がしないでもナイ。「失敗」、こそ、進歩の足がかり、じゃないのかな?しかし、「失敗」の危惧を指摘されてもそれを見ようともしなかったのは、技術者、技術会社としての資質がない、ということではないのか。安全を旨とするpublic utilities の世界から退出を命ず!ということになるのではないか?




8 原子力安全規制機関の在り方 【Ⅵ章7、Ⅶ章8】
政府は、平成23 年8 月15 日、保安院を経済産業省から分離し、安全委員
会の機能も統合して、環境省の外局へと改組するなどの改革案を閣議決定し
た。当委員会は、政府に対し、以下の事項に留意しつつ、新組織の設置に向
けた検討を進めることを要望する。

① 独立性と透明性の確保
独立性と透明性を確保することが必要であり、自律的に機能できるため
に必要な権限・財源と人員を付与すると同時に、国民に対する原子力安全
についての説明責任を持たせることが必要である。

② 緊急事態に迅速かつ適切に対応する組織力
災害発生時に迅速な活動が展開できるよう、平常時から防災計画の策定
や防災訓練等を実施しておくことのみならず、緊急事態において対応に当
たる責任者や関係機関に対して専門知識に基づく助言・指導ができる専門
能力や、組織が有するリソースを有効かつ効率的に機能させるマネジメン
ト能力の涵養が必要である。
また、責任を持って危機対処の任に当たることの自覚を強く持つととも
に、大規模災害に対応できるだけの体制を事前に整備し、関係省庁や関係
地方自治体と連携して関係組織全体で対応できる体制の整備も図った上、
その中での安全規制機関の役割も明確にしておく必要がある。

③ 国内外への災害情報の提供機関としての役割の自覚
情報提供の在り方の重要性を組織として深く自覚し、緊急時に適時適切
な情報提供を行い得るよう、平素から組織的に態勢を整備しておく必要が
ある。

④ 優秀な人材の確保と専門能力の向上
優れた専門能力を有する優秀な人材を確保できるような処遇条件の改善、
職員が長期的研修や実習を経験できる機会の拡大、原子力・放射線関係を
含む他の行政機関や研究機関との人事交流の実施など、職員の一貫性ある
キャリア形成を可能とするような人事運用・計画の検討が必要である。

⑤ 科学的知見蓄積と情報収集の努力
関連学会や専門ジャーナル(海外も含む。)、海外の規制機関等の動向を
絶えずフォローアップし、規制活動に資する知見を継続的に獲得していく
必要がある。また、その意味するところを理解し、組織的に共有と活用を
行うとともに、それを組織として継承・伝達していく必要がある。

9 小括 【Ⅶ章9】
これまでの調査で明らかになった諸事実からすると、この事故の発生及び
その後の対応について生じた問題の多くは、以下の三つが大きく影響してい
ると考えられる。

① 津波によるシビアアクシデント対策の欠如
東京電力は、今回のような津波によりシビアアクシデントが発生するこ
とを想定した上で、それに対する措置を講じるということをしなかったし、
規制関係機関も同様であった。
今回の津波のように、確率的にその発生頻度が低いと評価された事象で
あっても、発生した場合には被害規模が極めて大きくなると予想されるも
のについては、リスク認識を新たにし、それを無視することなく、必要な
対策を講じておくことが必要である。

② 複合災害という視点の欠如
原発事故が複合災害という形で発生することを想定していなかったこと
は、原子力発電所それ自体の安全とそれを取り巻く社会の安全の両面にお
いて、大きな問題であった。複合災害を想定した対応策の策定は、今後の
原子力発電所の安全を見直す上で重要なポイントとなる。

③ 全体像を見る視点の欠如
これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄で
あったことは否めない。そこには、「想定外」の津波が襲ってきたという特
異な事態だったのだから、対処しきれなかったという弁明では済まない、
原子力災害対策上の大きな問題があった。

以上から指摘できるのは、一旦事故が起きたなら、重大な被害を生じるお
それのある巨大システムの災害対策に関する基本的な考え方の枠組み(パラ
ダイム)の転換が、求められているということである。

ここまできても<巨大システムの災害対策に関する基本的な考え方の枠組み(パラダイム)の転換>としかいえないことに驚く。シビアアクシデントの評価が十分ではなかった、と畑村(委員会)は言いながら、その評価結果がどのようにシステム(原発)にフィードバックされるべきか、には一言も言及しない。福島やチェルノブイリをみれば、いったんシビアアクシデントが発生したら目の前に展開されているような羽目になるのである。このシビアアクシデントは畑村の用語をもじって言えば<本質危険>なのである。人間も誤りを起こすし、機械(プログラム)も誤りを起こすし事故も起こる。巨大システムであれば劣化も起こすし経年変化もあるし、設計ミスもゼロにはできない。エラーが起こっても重大事故~シビアアクシデントに至らないシステムでなければ設計段階で中止すべきである、というのは安全工学のイロハではないのか、畑村名誉教授。

いったいこのシステム(原発)は何のために存在するのか?考えたことがあるのか。そこから出発してもらいたい。高いリスクの存在を隠してまで、なぜ、このシステムを作らなければならないのか。リスク評価は、システムを実際に作る前におこなうのが常識。。。いやこんなことを名誉教授に大して申すの失礼だろう。 なにが、リスク評価の実施をこれまで阻止してきたのか。これくらいは、解明してもらわなければ調査委員会委員に、日当、お駄賃は払えないのではないか。烏合の衆ではないのだ。この程度のリスクは、その効用を考慮すれば忍ぶべきである、というのであればそのリスク~効用の計算過程を示してもらいたい。

反原発運動の弁護にかかわってきた弁護士・海渡雄一が掲げる原発の問題点を列記しておく。最低限これだけでも、どのように回答しようとしているのか述べてもらえないか?

以下引用。
当時、原子力開発について問題点として指摘されていたことを列挙してみよう。
● 潜在的な危険性があまりに大きく、重大事故は人々の健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす可能性がある。
● 被曝労働という命を削るような労働が、とりわけ下請け労働者に強いられ、労働そのものの中に差別的構造を内包している。
● 平常時であっても、一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害を引き起こす可能性がある。
● 放射能廃棄物の処分の見通しが立っていない。
● 核燃料サイクルの要とされるプルトニウムはあまりにも毒性が強く、またその利用は核兵器開発の拡散をもたらす。
● 原子力発電を進めるために、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われてしまう危険性がある。
(岩波新書、新刊『原発訴訟』 2011年/11月、海渡雄一著から)


シビアアクシデントが発生する前~平常時、であってもすでにこのような難問~致命的問題点、が山積しているシステムを設置しなければならない理由は何なのか。畑村を含む調査委員会メンバーは自己納得した上で国民に説明してもらいたい。事故が問題ではなく、事故の前=設計段階にすでに問題があった、さらに言えば、建設の前に問題点は指摘されていたその問題点が意図的に隠されていた、ということである。誰が隠したのか。これに目をつぶれば、すなわち、事故は何度でも繰り返される、ということだ。畑村委員長には「失敗学」の基礎を再確認してもらいたい。畑村は「責任の追及がこの調査委員会の目的でない」と、述べている。追求はしなくても、あるいは告発などの法的措置を加えるのがこの委員会の目的ではあるまいが、問題点がどこにあったか、誰(個人名はよいとして、職位や、組織は特定せずにはおれないだろう)が責任を有するか、を、特定しなくては、将来の巨大システムの安全性、や、そのシステムの要否を判定するために何の寄与もしないことになるのではないか。畑村「失敗学」の真価が問われる事態である。「失敗学」は巨大システムに通用するのかどうか、ということだ。家庭用電化製品、車、パソコン、ケータイ、およそどのような商品であれ(住宅さえも)、製造者に過失がなくても製造者責任が問われるのである。<失敗のもたらす災害の分析・評価>をないがしろにしたシステム製作は許されない。シビアアクシデントに至ったのは東電、官邸の<事故発生後の対応がまずかったから>という結論にしたいようだ。しかし、<人間の対応のマズサによってシビアアクシデントに至るようなシステムの存在を許すこと>が大問題ではないか、という問いかけを畑村たちは頭から回避~すなわち、<想定外>にしているのだ。原発は通常運転時であっても問題を有するシステムである、という問題を問おうとしない(ライフサイクル、として完了していない、すなわち、商品としての資格が欠落している、ということだ)。であれば、そのことを報告書の最初に<想定外>として示すべきである。原発の危険性・問題点は40年以上に及ぶ原発建設阻止裁判のなかで早くから指摘されてきた。そのなかで提出された証言・証拠から調査委員会はなにを学んだのか?<対応を誤らなければシビアアクシデントを防げた可能性がある>くらいなら、調査などせずとも誰にでも出せる安易な結論である。あらゆることを疑う、という原則を回避した事故調査委員会に東電・政府を非難する資格があるか。


10 おわりに 【Ⅶ章10】
何かを計画、立案、実行するとき、想定なしにこれらを行うことはできな
い。しかし、同時に、想定以外のことがあり得ることを認識すべきである。
今回の事故は、我々に対して、「想定外」の事柄にどのように対応すべきかに
ついて重要な教訓を示している。
当委員会は、現在も、長期間にわたる避難生活を強いられ、放射能汚染に
よる被害に苦しみ、あるいは、被ばくによる健康への不安、空気・土壌・水
の汚染への不安、食の安全への不安を抱いている多くの人々がいることを銘
記しながら、更に調査・検証を続けていく。
####
 


2011年12月27日(火) 午後10時00分~10時49分
総合テレビ
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111227.html

原発事故 謎は解明されたのか
「絶対安全」をうたいながら、世界最悪レベルの放射能汚染を引き起こし、今なお多くの人々に避難生活を強いている福島第一原発事故。その原因と背景を半年以上にわたって探ってきた政府の事故調査・検証委員会が、12月26日中間報告を発表した。現地調査や数百人へのヒヤリングなどをもとにした全700ページ以上にわたる報告では、様々な問題点や疑問点の多くに関して、政府事故調としての調査結果と見解を示しているが、特に東京電力や政府機関の事後の対応について多くの問題点を指摘するなど、踏み込んだ内容になっている。NHKスペシャルでは、事故調委員長の畑村洋太郎氏と、委員の柳田邦男氏を急遽スタジオに迎え、事故調中間報告は一体何を明らかにし、国民の疑問にどこまで答えるものになっているのかを検証してゆく。


##

前記事を書いた直後にこの番組の放映が始まった。
見終わってどっと疲れが出た。
登場した調査委員長=畑村がニコニコしているからなおさらに。

終始番組では事故後の東電や政府の対応のまずさ、をあれこれ言い立てている。
(まず最初に言っておかねばならないが調査委員会は原発建屋内部を調査していないはずである。これは大きな限界だ。普通、民家に火事が発生しても、消化直後に消防、警察が調査を始める。消防警察が福島に入って調査したか?東電本社に警察・検察が捜査に入ったか?あるいは保安院が調査したか? それもやらずに、調査報告を出すのがそもそも無理なのである。と、まずこれを言っておきたい。万一メルトダウンが発生していなくても、津波がなくとも、地震で発電所は動作不能、二度と再開できない程度の損傷を受けたはずである。それを誰も確認していない)。

地震直後に発生した、照明、通信、測定系、制御系の途絶により所員はパニックになったに違いない。DC電源が動作不能になった場合のマニュアルがなかった、と畑村は言っていたが、かりにマニュアルがあったとしても緊急事態にマニュアルどおりに操作できるか、そのとおりに所内設備が機能するか、は疑わしい。真っ暗な中での作業である。おのれの命の安全さえ危ういのだ。炉の下で働いていた職員もいたらしいが、よく脱出できたものである。

まず、事故の起こった時間がもっとも幸運な時間帯であったことを忘れないほうがよい。もし、地震が真夜中に発生していたら、とおもうとぞっとする。

メルトダウンは地震から数時間後に起こっているのである。

畑村は、オフサイトセンター(建屋から二キロ離れている)がまったく機能しなくなったといっている。大地震がきたあとは、電気系で動作しているものはまず使用に耐えない、とおもったほうがよい。せいぜい自家発電あるいはバッテリーで所内の機器や照明を最低限動作させられるだけ、である。

通信がだめ(通信会社がダウン)、交通がだめ(道路が破壊)、測定器も動作停止(システムにとっては致命的である。手動動作さえままならない)したのだから制御もできない。

問題なのは、電気系(エネルギ供給)がストップしたことにより、大災害(メルトダウン)が発生する、というシステム構造なのである。地球上のどんなシステムでもこういうことはありえないのだ、原発以外は。たとえば、新幹線。たとえば、自動車工場。たとえば、火力発電所・水力発電所。あるいは、化学プラント。停電になったら大災害になる!つねに、エネルギを加えて冷却せねばならない、緊急停止も非常着陸も許されぬ苛烈なシステム、いかなる自然災害が発生しても、戦争になっても。。である。こんな危険なシステムはシステムと呼べないのである。。。ここまで報告書で踏み込む気はサラサラないらしい(安全な調査委員会である、少なくとも、電力会社、産業界、政府にとっては)。

畑村は著書『未曾有と想定外』のなかで、ある水力発電所の例を紹介している。その発電所は非常時、水門を閉めて脱出することになっているそうだが、水門の動作には電力は使わない(停電になる可能性があるからである)。ガソリンエンジン、もしくは手動により水門を閉めるらしい。福島ではディーゼル発電機が二台あったそうだが、津波で水没しなくても二台を並べておく、というのは危うい。

初動の指揮系統が乱れた、というが、道路も通信も使えない状況でどれほどスムーズな指揮が期待できようか。夜間の事故発生、あるいは台風、大雨と同期した事故発生を考えれば、原発の存在、というものの本質的な危険をこそ指摘すべきではないか。

柳田も畑村も、マニュアルどおりに事態が進まなくても、いまシステムでなにが発生しているかを理解し、最善手を取ることが必要である、といっている。そんなスーパーエンジニアを大量に養成できると思っているのだろうか。それでなくても、所内では被曝が日常的であり、働いているのは待遇の悪い下請け社員が大多数なのだ。

畑村はNHK職員の「メルトダウンは防げましたか」という質問に、その可能性はありました、という。照明がなくても目が見えるスーパーマン職員でもいないかぎり無理じゃないか?畑村はさらに、想定外の事態が発生した場合には「防災」ではなく「減災」を目指すべきだ、とも言った(東電はこれを聴いてホッとしたろう)。

いずれにしても緊急事態は地震だけによって起こるのではない。オペレーションミスによっても発生する。エネルギ供給がストップすれば、原発の場合、手動で制御する、ということは不可能だ(水力発電所の水門を手で閉める、というような決め手がない)。燃料の冷却を人間が手動で行うというのは無理なのである。 「フェールセーフ」という原理は、畑村・柳田の頭にはないらしい。

次の事故はまったく違った様相で起こるのだ。他の電力会社に対して原発を廃炉にしろ、とはこの調査委員会は言わないのか?マニュアル外の事態が夜間発生しても、何がいつ発生しても、事態の進行を見極め、最善手を打つことができるようなスーパーエンジニアを多数養成しなさい!そうして、シビアアクシデントが万一発生してもその賠償を国民に転嫁するのではなく、電力会社自身で負担しなさい。これが答えか?スーパーエンジニア養成スクール校長には是非、畑村洋太郎になってもらいたい。



「謎は解明されたか?」
最大の謎は、こんな地震国、津波国に54基も原発が存在することだ。解明してくれませんか、畑村・柳田先生。
批判を封殺して存立している原発文化という厚い岩盤(もしくは、砂上の楼閣)を掘り返すことのない調査委員会報告。
高齢者の多い委員たちには、末節を汚さぬよう祈るばかりである。


 
追記:
畑村委員長や委員は、原発を不要と考えているか、国民生活に必須、とかんがえているか、は調査委員会報告の前提でなければならないだろう。報告書の結論に大きな拘束をかける。畑村委員長は原発を廃棄するなど、トンデモない、という思考の持ち主におもわれる。であれば。。この報告書の結論も見えてくる。来夏までこの人たち=調査委員会メンバーに税金から活動費を払うのが無駄な気がするのだが。
引用:
T なるほど。 昨日、畑村洋太郎(トーダイ。失敗人、もとい失敗学)の新著『危険学』も借りてきたがこんなことを書いている:

「。。。東京電力も原子力安全・保安院、そして政府も津波で電源が全部落ちることなど、まったく想定していませんでした。(気付いていたのに)あえて目をつぶっていたわけでもなさそうです。「原子力は安全で便利だから」と自分たちも信じ、それを前提として運用していました。そして、私たち国民も、原発のおかげで安い電気を潤沢に使用でき、快適な生活を送ってきました。
 利便の裏には危険があることを考えないで、ただ享受するだけの生活を今後も続けることはできません。原発の危険をきちんと理解した上で共生していくのか、それがイヤなら、電力が安定して供給されないかもしれない不便な生活を選択するのか、生き方の選択を迫られているような気がしてなりません。。」
(畑村さん、あなたは、ドッチ選択したいの?)

電力会社や政府は、危険や日常的に発生している事故、日常的に原発下請け労働者が被曝している事実を国民に知らせる義務を怠ってきた、とか、自然エネルギに切り替える政策を立て、節電設計に配慮した製品開発を支援し、国家の政策を国民投票により選択できる民主的意志決定システムの早期確立が求められています、とは口が裂けても言いそうにないね、この人は。

畑村は「本質危険」と「本質安全」という概念(?)を立てている:

本質危険:製品・機械・設備などが本来的に持っている危険、高エネルギーを伴う施設、大量の高放射性物質を有している施設、重要社会インフラ、巨大システム、複雑システムなど。

本質安全:センサなどの制御系に頼ることなく(機能安全ともいう、古井戸)、製品・機械・設備そのものの働きを、どんなときでも安全な方向に動くようにすることで、安全を確保すること。

この<本質安全>はいい加減な概念だと思うよ。これでは、ジャンボ旅客機や、新幹線、巨大ダム、石油プラント、水力火力発電所などと、原発の差異が隠されてしまう。水力火力発電所はたとえ、全建物が破壊されたとしても中にいた作業員は死亡するかも知れないが(極めて稀)、付近に被害を与えることはない。311の直後、千葉県市原市では化学プラントが火災になり一週間以上燃え続けたが死者は出ていないし、住宅は隔離されているから他への延焼もなかった。火災は織り込み済みの事故なのだ。火災が起きても破壊されても(テロやミサイルで)、火力発電所は安全だから東京湾岸にいくつも建てられている。新幹線や旅客機も事故(テロなどで)があれば最悪数百人の死者と、機体車体の損害は受け、住宅地域に墜落した場合もそれに倍する被害は受けるかもしれないがその地域を越えて被害が出ることはないし被害は数年を越えて残らない(すくなくとも原発からの放射能漏れ、使用済み燃料に必要な実質恒久的な放射能管理の問題は起きない)。したがって、最悪の損害と賠償額は限定される。しかし、原発の場合に一旦事故があれば補償額は数兆円(~数十兆円、年間国家予算規模)に被害が及び、人体への放射能被害は何十年も残る。さらに根本問題として使用済み燃料は何万年も後々の世代が管理しなければならない。これは非倫理的であり、本質危険、というより、システム不完全、つまり、完成未然として製造まかりならぬシステムなんだよ。意図的あるいは災害により破壊されたら(したら)、地球規模の汚染源に変貌するシステムなどは設計時点で封印するのがまともな技術者の発想なんだよ。 技術者でない開沼のほうが技術屋あがりの畑村よりこの辺の事情が分かっている、というのがおかしい。東大もと暗しとはこのこと。
   (ブログ記事、「娘との対話」、から。http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2011-10-03
>本質危険:製品・機械・設備などが本来的に持っている危険、高エネルギーを伴う施設、大量の高放射性物質を有している施設、重要社会インフラ、巨大システム、複雑システムなど。

この「本質危険」と、原発の<危険>は格段に差があり、同一カテゴリにに区分するのは誤りである。外部からのエネルギ供給が途絶えるとメルトダウン(単なる火災とかではない。火災は燃料が尽きれば数日~数ヶ月で収まる。放射物の場合は数十年数百年経過しないと終息しない)に至る、という種類の危険は原発のほかに地上にあるのだろうか?台風、地震、津波のような自然災害なら防止のしようがないが、原発は、人工物である。なぜこのような人工的な危険物を置かなければならないか、ということだ。

残菊に [diary]

                          残菊111211_1030~01.jpg

毎年毎年、歩道脇の、同じ場所に菊が咲き、冬になっても華をつけ、越冬する。まるで年中咲いているかのようだ。

わたくしは、毎年毎年この時期になると、足を止め、じっと見つめ、写真を撮り、愛でてやる。

ことしは、数本切り取って机上に飾った。ドライフラワーのようなもんだからいつまでも、この姿をとどめているだろう。花瓶の菊をよく観察すれば、花の数を上回る数の、大小の蕾を抱え込んでいる。花弁にはお供してきたらしい小さな蜘蛛が動き回っていた。

つまらぬ句をつくってみた。

残菊や年越すものはつよかりき
残菊や過ぎる時間を指先に


残菊を切りて机上に飾るべし
残菊を悲運の我に重ぬべし
残菊は我が忌日にこそふさわしき
残菊の葉と茎と根と花弁と

残菊はうつくし妻に手向けるべし
残菊の西日にこたえて白銀に
残菊は見たり女の涙すを

残菊ぞ蒼き月夜にしずくする
残菊を見下しひとの通り過ぎ
残菊に気づかざることこの一年
残菊は爽やかなりし朝日浴ぶ

残菊を腐臭の街から護るべし
残菊を揺らすものなにもなかるべし
残菊はものいわぬなり復活祭

残菊の孤立無援の生を終う


残菊111227_0827~01.jpg

ムラビトこぞりて [Politics]

NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町 権力の漂流
放送日 :2011年12月25日(日)
放送時間 :午後9:15~午後10:45(90分)

2009年の政権交代から2年余。民主党が掲げた政治主導は迷走し、総理大臣はすでに3人目を数える。権力はなぜ漂流したのか。小沢・鳩山・菅。失敗の核心に証言で迫る。

小沢一郎・鳩山由紀夫・菅直人が激白。▽なぜ民主党は路線対立が続くのか▽なぜ政治主導は迷走したのか▽なぜ統治機構の改革は、先送りされたのか▽なぜトロイカ体制は瓦解したのか▽なぜ普天間問題は迷走したのか▽なぜ「脱小沢」なのか▽なぜマニフェスト見直しなのか▽なぜ内閣不信任案は否決されたのか▽なぜ政界再編は起きないのか▽なぜ消費税の引き上げが必要なのか…なぜ。当事者の証言で「権力の漂流」その核心に迫る。


##

なぜ、が、一つ足りない。
なぜ、小澤は検察官僚に刺されたのか?

小澤=マニフェスト派、が官僚には邪魔だった。 。。とこの番組は問わず語りに述べている。

番組を見ると民主党のマニフェストがほとんど、官僚(&自民~官僚にキンタマを握られていた)にタテつくものであった、ということがわかる。官僚のドーカツと入れ知恵によりほとんどのマニフェストが反古にされた。沖縄基地、高速料金、ヤンバ、消費税大作戦。。

つまり、原発と同じ構造であるということ。 
防衛ムラ、外交ムラ、建設土木工事ムラ、財務ムラ。。。くわえて原発ムラ。 政治屋やりたきゃ、ムラビトにおなんなさい、官僚にひざまずいて足をお舐め。ムラのオーガナイザア=官僚。官僚の官僚による官僚のための国政。 人影

ムラビトこぞりてるんるん蠍座
http://www.youtube.com/watch?v=iW_-bLz3m6k&feature=related

1.
ムラビトこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし カネは来ませり
カネは来ませり カネは カネは来ませり

2.
反米一派を うちくだきて
刺客をはなつと カネは来ませり
カネは来ませり カネは カネは来ませりチャペル
アメーン。


 
2009年11月1日(日) 午後9時00分~10時08分
総合テレビ

証言ドキュメント 永田町・権力の興亡
第1回 1993~1995
“政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091101.html



見たい?おん・でまんど。
 うんにゃ。のー・でまんど猫

池田大作 daisaku ikeda @ ジャパンタイムズ Japan Times [diary]

今朝、Japan Times を読んでいたら、daisaku ikedaからの寄稿が見つかった。
本日の記事 japan times
http://www.japantimes.co.jp/text/eo20111223di.html

世界(岩波)1月号には、ダイサクは重病、と書いてある。
え? 同姓同名の記者がいるの?と一瞬目を疑った。
 
いや、投稿者は,あの大作である(池田代作)。 上記投稿の最後、筆者紹介。
Daisaku Ikeda is president of Soka Gakkai International (SGI) and founder of Soka University and the Toda Institute for Global Peace and Policy Research.

ジャパンタイムズにはこれまでも継続的に<池田大作>が寄稿しているようだ。本人が書いたのか?影武者なのか?まだ生きてるのか?

検索すると、
http://www.japantimes.co.jp/text/JTsearch5.cgi?term1=DAISAKU IKEDA
これまでに22回、ジャパンタイムズに投稿している。


2006年から、ジャパンタイムズの社内問題になっているようだ。 

『FRIDAY』 2006.07.21  を引用。http://blog.goo.ne.jp/c-flows/e/c9df457580f160a0231b2608758e5705

 告発ルポ
 「巨大宗教団体・創価学会のPR記事だ」と現場記事が猛反発
 ジャパンタイムズが「池田大作コラム」で内紛勃発

 前頁では、創価学会を二分する覇権争いの内幕をレポートしたが、国内でもっとも長い歴史を誇る(1897年創刊)の日刊英字新聞『ジャパンタイムズ』(本社・東京都港区)も“学会騒動”の渦に巻き込まれている。
 コトの発端は、今年5月から同紙上で、池田大作・創価学会名誉会長(78)の連載コラムが始まったことにある。このコラムは毎月第2木曜日に、計12回掲載される予定だが、これに『ジャパンタイムズ』の社員たちが猛反発。上層部に連載の中止を求める事態となっているのだ。『ジャパンタイムズ』の社員が語る。
「創価学会はフランスではカルト団体とみなされた一方、特定の政治団体(公明党)と一心同体の関係にある。これら問題を抱える宗教団体のトップにPR記事を書かせ、おまけに連載枠を与えるとは言語道断。報道の公平性の観点から言っても、許されることではない」
 5月末、反対派の社員たちは『池田大作のコラムに反対する有志の会』なる差出人名で、小笠原有輝子社長宛に連載中止の要望書を提出した。『有志の会』は匿名の集いだが、その反響は大きく、社員約260人のうち過半数の支持を得たという。実際、そうした声の強さから、同社の上層部は社内メールで回答を示さざるを得なくなったのだか、小笠原社長による説明はこんな内容に止まっていた。
「池田大作氏のコラムについては、報道の公平性を保つために、他のオピニオン・リーダーのコラムも載せるように、編集局と営業局の幹部に指示を出した」
 肝心のコラム連載の是非については、触れずじまいだったのだ。しかも、ほかの執筆者を立てたところで問題は解決しないのだから、『有志の会』にとっては、まるで意味のない回答だった。前出の『ジャパンタイムズ』社員がこう語る。
「今回の連載はウチの社から創価学会に申し入れたもので、学会シンパの役員がその橋渡しをしたようだ。この役員は編集部門と広告部門を兼任で担当し、大きな発言力を持っている。そのため、『ウチは近いうちに、学会に買収されるのではないか?』と疑う声も上かっている」
 社員たちが危慎するのも無理はない。同社には、創価学会との“蜜月関係”を窺わせる過去があるからだ。かつて創価学会発行の英字新聞の印刷を請け負っていたり、94年にはSGI(創価学会インターナショナル)の記事広告をデカデカと載せたりしていたほか、これまでも池田名誉会長の寄稿を数年前から4回、読み切りの形で続けていたのである。
 問題のコラムを翻訳して検証すると、池田名誉会長の我田引水ぶりも浮き彫りになる。たとえば、5月11日付の第1回コラムの文中にはこんなくだりがある。
<私は戦争の絶対悪を世界規模で体験した世代の一員として、暴力と戦争を消滅させるために、同年代の人間、そして若い世代と力を合わせて全力を尽くす責任を感じている>
 また、6月8日付の第2回コラムでは、池田名誉会長は戸田城聖・2代目創価学会会長に触れて、こう記している。
<戸田は日本の人々の権利と自由を奪い、日本を侵略戦争に突入させた軍事政権に抵抗した人物だった。そのため、彼は迫害を受け、2年間投獄されたこともあった。自分の信念のために投獄に耐えた人の言葉には特別な重みがあった。私は直感で、彼を信用できると思った>
 だが、ジャーナリストの乙骨正生氏は次のように語る。
「池田氏は03年1月26日の『SGIの日』に、開戦が迫っていたイラク情勢を前提として『軍事力を全否定するということは、一個の人間の心情倫理としてならまだしも、政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない』と述べていました。つまり、武力行使を容認するような姿勢を見せていたのです。また、戸田城聖が逮捕されたのは、戦争に反対したからではなく、伊勢神宮の神札を否定し、国家神道を国の指導理念とすることを批判したため、東条英機政権に睨まれたからです。創価学会が“ハト派”の団体で、池田氏も“平和の使徒”であると強調しようとして、こうした改竄をしているのでしょう」
『ジャパンタイムズ』は池田名誉会長にとって都合のいい言説をタレ流したと言われても、仕方がないのではないか?
 同社を取材すると、こう答えた。
「池田氏のコラムが議論を呼んだのは事実ですが、言論の自由を標榜する報道機関として、社内にさまざまな意見があるのは健全な姿であると認識しています。今後も、さまざまな立場のオピニオン・リーダーに執筆を依頼して参ります」
『ジャパンタイムズ』は連載を中止するつもりはないようである。報道機関としての矜持は、どこへ行ったのだろうか。
##



ガッカイシンパからの投稿もある。

池田大作死亡説信者の皆様へ 2011年 09月 10日
さて、池田大作死亡説信者の皆様。
これが、あなたたちが、北朝鮮からの回し者だとか、カネの亡者だと馬鹿にし、もって、死亡して1年になるとか、半死半生だとかと騒いでいる池田大作の今である。
クダラナイことばかり書くと、クダラナイ人生になりますよ。
死亡説信者の方は、くれぐれもご注意あれ。

http://sokanomori.exblog.jp/16833641/




こっちのほうを信用したいね。 全文引用。
http://forum21.jp/?p=118

2011年8月 特集/「原発の闇」に翻弄される池田大作&創価学会

投稿日: 2011年11月14日 作成者: okkotu

破綻・無内容の池田大作「震災寄稿」
溝口 敦 ジャーナリスト

 自動マシーンが作動している(?)池田コラム

 『聖教新聞』は7月21日付の1面に、
 〈国際通信社IPSのウェブサイトにSGI会長のコラム記事 東日本大震災『復興へ創造的応戦を』〉
 という見出しを立て、池田大作氏の短文を転載している。
 内容は例により「庶民」を強調する妄言である。
 「草の根のレベルで、一人一人を大切にし、相手の心の声に耳を傾け、励まし合う庶民の連帯にこそ、不慮の災害にも崩れぬ人間の安全保障の起点があるといって、決して過言ではないだろう」
 庶民でもないあんたには言われたくないね、といった感じである。庶民の膏血を搾り取って肥え太った池田氏に、庶民について喋々する資格はない。
 池田氏は福島の原発事故にも触れ、原発推進論者を刺激しないよう、狡猾にこう記している。
 「今後の具体的な選択は、それぞれの国で多岐にわたるであろうが、再生可能エネルギーの積極的な導入や、一層の省エネルギー化を図るための技術開発や資源の節約など、新たな歴史の潮流が生まれていることは確かだ。そこには、持続可能な社会の建設へ、人類の欲望の肥大化を抑え、聡明にコントロールし、昇華させゆく価値観の確立が強く要請されている」
 彼自身が福島の原発事故を眼前に見て、脱原発に考えを改めた、とは言わない。あるいは事故にめげず、原発をさらに推進すべきだ、とも言わない。あくまでも「価値観の確立が強く要請されている」と他人ごとである。主体性なき妄言をもっともらしく吐くことで高みに立ち、指導者風な物言いをするのは笑止である。
 池田氏の文章がすべてゴーストライターの手になることは見え見えである。個性がなく、読む者に引っかかりを感じさせない。職業的なゴーストライターが文章に破綻を来さないよう、語句にこだわり、流れをよくすることだけに務めているからだ。
 池田氏の意志でこうした文章を用意し、発表しているのか、という点さえ疑わしくなる。池田氏は去年5月以来、会員大衆の前に姿を現さず、わずかに表情を欠く数葉の近影だけが池田氏が存命していることを伝えている。池田氏は発話が可能なのか、健常な思考力を保っているのか、疑えばきりがない。
 ことによると、池田氏のゴーストライターシステムは行き着くところまで行って、池田氏の意志に関わりなく作動し、池田氏なら考えそうなことや、考える必要があることを推測して文章化し、公表する自動マシーンに化しているのかもしれない。『聖教』紙での『新・人間革命』の連載など、池田氏の現状に照らして奇怪である。
 だが、自動マシーンが作動しているにしろ創価学会の退潮は覆いようがない。早い話、今回のコラム記事を配信したIPSとは、どのような組織なのか。通信社としては、とんと名を聞かない。
 IPSについて、聖教紙は麗々しく次のように紹介している。
 「世界150カ国に取材・報道のネットワークを持つ国際通信社IPS(インタープレスサービス)」「IPSから各国メディアに対して配信される。IPSジャパンのウェブサイトで公開されている日本語の全文」……。
 これを読むと、ご大層な通信社のようだが、実態は国連の傘下組織と組んで、途上国の実態や声を伝えるだけのようだ。影響力はゼロに近い。仮に世界のメディアがIPSから池田氏のコラムを転載するにしろ、転載するのはSGI傘下の機関紙ぐらいだろう。
 IPSジャパンにしろ、かなりいかがわしいイメージがある。ホームページによると、同組織はNPO法人で、所在地が東京都墨田区千歳、会長が海部俊樹元首相、顧問にアンワルル・K・チョウドリ前国連事務次長、長井浩・一美総業代表取締役、小林茂和弁護士、梅本龍一(株)関西地学協会代表取締役など。理事長は浅霧勝浩・国際協力評議会(GCC)アジア・太平洋総局次長、理事は石田尊昭・尾崎行雄記念財団事務局長、谷本晴樹「政策空間」編集委員、土屋彰・城北税理士法人代表の三人である。
 こうした雑多な組み合わせと池田氏のコラムは案外相性がいいのかもしれない。

 無内容を糊塗するための外部権威依存症

 池田氏は『ジャパンタイムズ』6月28日付にも『復興への勇気』と題して寄稿している(聖教紙7月5日付)。内容は前の『創造的応戦を』と同工異曲だが、『応戦を』ではアーノルド・トインビーから引用し、ここでは福島県出身の歴史学者で平和提唱者、米イェール大学教授だった朝河貫一(1873~1948年)の言葉を引いている。
 池田氏は信仰者のはずだが、自分の信仰とは関係のない外部世界の権威を借りるしか、自身を装飾する手がない。自分が無内容だからだ。信仰者として虚弱であることは当然で、外部権威の依存症はここで破綻を見せている。
 まず『復興への勇気』では、自分を仏法者と規定して、こう言う。
 「仏法者として追善回向の祈りを捧げるとともに、被災者の方々のご健康と無事安穏、そして被災地の復興を、ひたぶるに祈らざるにはいられない」
 仏教を信じる者の言葉としては自然だろう。だが、『応戦を』では引用したトインビーの言葉「文明というものは、次々に間断なく襲いきたる挑戦に対応することに成功することによって誕生し、成長するものである」に引きずられ、自然災害への「応戦」や「不慮の災害にも崩れぬ人間の『安全保障』の起点がある」など、猛々しく軍事的な用語を多用している。
 自然と戦うのは西洋のキリスト教徒の発想だろう。仏教徒や日本人の多くは自然と戦うのではなく、自然と共生したいと願っている。万一自然災害に遭っても、この心性に変化はなく、自然に対して応戦しようという気持ちはない。単に災害を受け入れて、動じないだけだ。
 こうした日本人の心性が震災後、世界を感心させた被災民の落ち着きと忍耐の根っこに、あったはずである。
 池田氏、あるいはゴーストライターは外部権威依存症のせいで、こうした違いを感得できない。だから同じテーマを扱いながら、態度が二分する。極論すれば、東北大震災や福島原発事故に池田氏は何も感じなかった、無関心、無感動だったことを証明しているのかもしれない。

 痛々しい「存在証明」の努力

 池田氏がトインビーとの対談の中で原発推進論者だったことは本誌6月号で乙骨正生氏が明らかにしている。池田氏は「原子力が新たな、将来性あるエネルギー源として平和的に利用されることは、喜ばしいこと」とまで原発を賞揚していた。周りに核に通じるブレーンがいず、池田氏にも先見性がなかったのだろう。彼は福島の原発事故で観点を微調整したが、前記したように脱原発には踏み切っていない。
 問題は今なぜ健康さえ覚束ない池田氏が2つのメディアに寄稿する必要があったかである。寄稿することには少なくとも2つの目的がある。1つは寄稿することで、自分の思いを広く伝えたいという目的を持つ。だが、寄稿文が無内容だったことは前記した通りであり、池田氏が何も寄稿する必要はなかった。しかも発表メディアは影響力に難があり、聖教紙への転載だけが学会員に到達するルートになった可能性がある。
 2つ目は寄稿したという事実をアピールする目的を持つ。池田氏、あるいは創価学会官僚の目的はこれだったのかもしれない。池田氏は今なお大きな社会事象に対して、対外的に意見表明する力や権威を持つ。そのことの証明としての寄稿である。
 すでにポスト池田について検討が加えられている中で、こうした努力が続けられていることは痛々しい。そうまでしないと池田氏の権威は風化の危機にあるのか。しかも池田氏を賞揚する努力は池田氏の死とともに無に帰し、誰も個人崇拝という権威を継承する者はいない。諸行無常である。



本日のジャパンタイムズ記事、頭だけを。。

Learning about dignity
By DAISAKU IKEDA
Special to The Japan Times
On Dec. 19 the United Nations General Assembly, meeting in New York, adopted a historic new U.N. Declaration on Human Rights Education and Training.

As the first internationally agreed standard for human rights education officially proclaimed by the U.N., the new document provides an important foundation for empowering people by raising awareness of all human rights including the rights set out and guaranteed in the 1948 Universal Declaration of Human Rights and subsequent international covenants. It should enable intensified efforts toward the building of a universal culture of human rights.

以下略
http://www.japantimes.co.jp/text/eo20111223di.html


公明党を国会から追放、創価学会から宗教法人資格を剥奪せよ
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-10-04-1

おまえから、デグニテッ、と言われとうないわ。

元気なんなら、国会に喚問せよ! 消費税を上げる前に、政治活動をやっている宗教団体から法人資格を剥奪し、ガッポリ税金を支払わせろ。

米誌「世界の頭脳トップ100」 福島瑞穂と海渡雄一 2人で歩んだ「脱原発」 [東日本大震災]

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実物より美人に描きすぎた

毎日新聞
特集ワイド:米誌「世界の頭脳トップ100」福島瑞穂さんと海渡雄一さん 2人で歩んだ「脱原発」
 http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2011/12/22/20111222dde012040081000c.html
 

Foreign Policy Magazine: 100 global Thinkers    http://www.foreignpolicy.com/articles/2011/11/28/the_fp_top_100_global_thinkers?page=0,26  Activists と紹介されている。 (100 global thinkers を、「世界の頭脳トップ100」、と訳してはマズイじゃろう。まるでノーベル賞(=専門馬鹿に授与される)、のようじゃないか。

(以下、毎日新聞記事の抜粋)
 米誌「フォーリン・ポリシー」の2011年版「世界の頭脳トップ100」に、「脱原発」を訴え続けてきた社民党党首の福島瑞穂さん(55)と、事実婚のパートナーで弁護士の海渡雄一さん(56)がそろって選ばれた。いまも学生時代のまま「かいど君」「みずほちゃん」と呼び合うらしい。どんな夫婦なの? 議員宿舎の「自宅」にお邪魔した。
 
 ◇「浜岡」敗訴…むなしいなあ--夫/同じく、無力感ありますね--妻

さて、原発。2人が学生だった70年代、ちょうど日本全国で原発建設ラッシュが始まっていた。住民による反対運動も起きていた。そこで原発専門家らを招いた自主講座にも出かけ、勉強した。そしてひと足早く弁護士になった海渡さんは決める。「ライフワークにしよう」。市民科学者の高木仁三郎さん(故人)が代表を務める「原子力資料情報室」の電話番もしながら、原発の建設・運転差し止めを求め、国や電力会社を訴えた。「でも……」。30年にわたる闘いをまとめた新刊の自著「原発訴訟」(岩波新書)を手にしながら、つぶやく。「むなしいなあ。結局、司法は原発震災を止められなかった」
 
 とりわけ悔いが残る、と口にしたのは07年10月に静岡地裁で敗訴した浜岡原発運転差し止め訴訟だった。「証言に立ってくれた科学者の石橋克彦さんが当時、地裁前で報道機関にコメントしてるんです。『この判決が間違っていることは自然が証明するだろうが、そのとき私たちは大変な目に遭っている恐れが強い』。その通りになった。僕はこの訴訟は勝たなくてはと思っていたし、勝てると思っていたから。勝っていれば、非常用ディーゼルが壊れ、電源がすべて喪失する場合に備えた対策が講じられていたかもしれないんです」
 
 じっと夫の話を聞いていた福島さん、無言でキッチンに立ち、オーガニックのお茶をいれてくれた。顔は曇っている。「私は弁護士から参院議員になったんだけど、事故を止められなかった。彼と同じく無力感、ありますね。ただ(前首相の)菅直人さんが浜岡を止めた。あの政治決断は大きかったと思う。それなのに野田佳彦首相、まるで福島の原発事故は2011年でおしまいみたいに冷温停止状態をもって<収束宣言>してしまった。幕引きでしょ。燃料棒がどうなってるかもわからないのに。とんでもない」
 
 娘がいる。チェルノブイリ事故があったわずか2カ月前に生まれたらしい。「あのときも日本にセシウムが降ってきたんです。私は高木さんに相談して、葉っぱものは避け、粉ミルクも事故前に製造されたものを探したりしました。今のお母さんの心配がいかばかりか、私はよくわかる」。あれやこれや、長く、険しかった来し方を夫も思い出している。「そうそう、米誌に表彰され、娘が言ってくれた。『パパ、マイノリティーを脱したね』って」。妻はうらやましそう。「パパっこだもの」


######不当判決を斬る~浜岡原発差し止め訴訟弁護団  海渡雄一弁護士 #####http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/db74021a1813040c172a85630e421f9f


首都圏が破滅する危険のある浜岡原発差し止めを却下した判決に対する弁護団の批判が届いたので紹介する。

 皆様、事前の下馬評とは裏腹に、とんでもない不当判決をもらってしまいました。判決の全体を詰めて読めたわけではありませんが、判決の基本的な枠組みの部分について、読解して批判を試みてみました。他の部分も読み解いていきたいと思います。判決そのものは、原子力資料情報室のホームページに掲載して頂きました。 http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=581
 ぜひ、皆さんもご一読いただき、意見、批判をお寄せ下さい。ひどすぎて、書ききれないかもしれませんが、衆知を集めてこの不当判決を跳ね返して、浜岡原発の停止までがんばりたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。  海渡 雄一

  浜岡原発地裁判決の論理とその克服の途 その1  海渡 雄一 (浜岡原発差し止め訴訟弁護団)  

はじめに

 この判決には中越沖地震についての言及は一切ない。 この判決は結審後の事象である中越沖地震は発生していない前提で書かれている。 多くの国民は、中越沖地震の経験に照らして、浜岡原発がそれを遙かに上回る東海地震の時に、耐震安全性を確保できているのかについて判断されることを願い、この判決に注目した。しかし、この判決には、このような観点の考察は全く含まれていない。そういう意味では、この判決は多くの国民の司法への期待を根底のところで裏切っていると言わざるをえない。確かに、裁判所は口頭弁論終結の時までに明らかになっていた事実に基づいて判断する。しかし、公知の事実について考慮することは許されるのである。この点に、本判決の決定的な欠陥があるといわざるをえない。

 1 判決の理論的な誤り

(以下略。短い記事に、原発問題を凝縮している。是非、全文を読んでもらいたい)http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/db74021a1813040c172a85630e421f9f

海渡雄一は最近、原発法廷闘争に弁護団として参加した経験をフルに生かして小著ながら法廷闘争の歴史と、脱原発への課題をコンパクトにまとめた著書を出版した。 

岩波新書、新刊『原発訴訟』 海渡雄一著
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1111/sin_k619.html
この本のあとがきの、最後に、著者は次のように書いている。
「。。最後に、大学生時代からともに弁護士となり、国会議員となってからは国会を舞台に脱原発の政策の実現のために活動してきた人生のパートナーである福島瑞穂さんにもお礼したい。福島第一原発事故後の参議院予算委員会などを舞台とするあなたの追求がなければ、浜岡原発を止め、玄海原発などの再稼働にストップをかけることはできなかっただろう。
  2011年10月              海渡雄一
  」


この雑誌「フォーリン・ポリシー」には、世界のワースト政治屋、ワースト官僚、ワースト企業、ワースト100も選んでほしいね。 戦争国家、原発国家、核国家、差別助長国家。。。すべて社民党が政策で追放しようとしているもんだが。日本は上位入賞間違いなし。 働いていないのに高給を取る国会議員、地方議員、公務員。地方都市の市長など、米国では無給だろう?

PS 瑞穂様。

賞金が出たのなら、それを使って専門家を雇い、週一回、1時間、演説の特訓をやってください。土井たか子の声量と演説力があったらあなたは総理大臣になれる。なにより、胆力。あなたには民を愛するという基本資質はそなえているんだから、あとは表現力だ。 瑞穂はTBSラジオで電話相談(法律相談)のレギュラーを長くやっていた。相談者のことを心底から考えている回答ぶりに感動した。弁護士はすべからく瑞穂のようであってほしい。政治屋も、である。民の幸せを考えていない政治屋が多すぎる。

岩波新書、新刊『原発訴訟』 海渡雄一著の はじめに--「原発訴訟」とはなにか、から引用しておこう。



福島原発事故の報を聞いて

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震に伴い東日本大震災が発生し、福島第一原発の停電と非常用ディーゼル発電機の故障を伝えるニュースが報じられた。これを聞いた時、私は、これまで原発訴訟の中で指摘してきた最悪の事態が発生したということを認識した。私たちは、全国で展開された原発訴訟の法廷で、このような危機が起こりうる危険性を具体的に指摘し、未然に防止するために司法の判断を求め続けてきた。(略)

 司法は壊滅的な原発事故の発生を未然に防ぐことができなかったのである。それはなぜなのか。過去を反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないためにその原因を探り、どのような改善が必要なのかをともに考えてみたい。

原子力問題への関心
 私は、原子力問題関係訴訟の中で、もんじゅ訴訟、青森県六ヶ所村の核燃料サイクル施設(低レベル放射性廃棄物処分施設・再処理施設)の許可取消訴訟、浜岡原発(静岡)と大間原発(青森)の運転差止訴訟などを担当してきた。

 また、福島の原発についても、福島第二原発3号機の再循環ポンプ損傷事故後の運転再開差止株主訴訟、福島第一原発3号機についてのMOX燃料装荷差止訴訟、シュラウド(炉心隔壁)などの損傷隠し発覚時の刑事告発を担当した。 
               (略)

 日本では原子爆弾による被曝、第五福竜丸の被曝など放射能被害の深刻な経験があり、1970年前後から原子力発電所の安全性について疑問を持つ住民運動が福島県では浪江町・小高町、宮城県では女川町、新潟県では巻町、柏崎市、愛媛県では伊方町、三重県では南島町などで始まっていた。まだスリーマイル島事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)が起きる前のことである。

 当時、政府や電力会社は原発は「絶対に安全」であると説明していた。これに対して、少数の科学者と技術者が勇気を持って原発の非常に大きな潜在的危険性と、この危険性を完全に封じ込めることが可能であるとは科学的に証明されていないことを指摘した。 (以下略)

人々の抵抗
 当時、原子力開発について問題点として指摘されていたことを列挙してみよう。(引用者注:後で引用するため原文にはない番号をつける)
1 潜在的な危険性があまりに大きく、重大事故は人々の健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす可能性がある。
2 被曝労働という命を削るような労働が、とりわけ下請け労働者に強いられ、労働そのものの中に差別的構造を内包している。
3 平常時であっても、一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害を引き起こす可能性がある。
4 放射能廃棄物の処分の見通しが立っていない。
5 核燃料サイクルの要とされるプルトニウムはあまりにも毒性が強く、またその利用は核兵器開発の拡散をもたらす。
6 原子力発電を進めるために、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われてしまう危険性がある。
(以下略)

以上で<まえがき>の、前半の、一部引用を終わる。岩波書店のHPには本書の目次が掲げてある。裁判闘争の記録、でもあるが、必要な技術的な解説もおこなっている。司法や電力会社の行ってきたこと、被爆者や原発労働者の状況に加え、最終章では「脱原発のための法的課題」を30ページでまとめている。今現在、原発の過去の歴史(法廷闘争)と将来の課題を知るにはこれほどの本はないだろう(安いし、ページも薄い~250ページ)。

引用者の愚言を追加するなら上記の

>2 被曝労働という命を削るような労働が、とりわけ下請け労働者に強いられ、労働そのものの中に差別的構造を内包している。

下請け労働者の被曝実態が明らかにされていない。原子力白書によれば、この20年、被曝量のうち電力会社社員が受けたのは全体量の数パーセント、のこりは下請け会社社員が被曝している、ということ。差別的構造を内包、というより正確には、差別構造=人権無視、を前提にしなければ原発はありえないのである。

さらに

>6 原子力発電を進めるために、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われてしまう危険性がある。

これも上記と同じ。因果関係が逆転しており、情報隠蔽、情報統制は原発推進の前提であったといえる。報道が一切、反原発記事を書いていない状況でどうして、原発は日本人が望んだのだ!などといえるのか。国民共犯説を振りまいている社会学者なども原発推進論者の片棒を担いでいるのである。過去の訴訟過程で提出された膨大な証言記録、証拠、および、判決などはすべて国民に公開されるべきである。著者には情報公開の運動もあわせておこなってもらいたい。 この本でわかるのは、ニッポンの行政(官僚が主役)そのものの、戦前から一貫している反・民主主義的性格である。公害問題、基地問題すべて構造は同じなのだ。

##

福島瑞穂のスピーチ映像。

レセプション@米国。社民党HPから持ってきた。上出来のspeech。沖縄問題などもしっかり自分の言葉でしゃべっている(数字をゴチャゴチャ入れすぎたが。。)。分かりやすい英語だ。
http://www.youtube.com/watch?v=VcBG-KJvxhs&feature=youtu.be
こんな名誉を毎日新聞以外どこも報じないのはなんたる恥知らず。

政治家ならば言いたいことを日頃から持っているはずだ。前を向いて堂々と、日本語で述べればよい。英語でできれば一番いいが、この程度の日本語なら同時通訳者が楽々と訳してくれる。言葉じゃなく、態度、だよ。相手に訴えるのは。


メルトダウンを防げなかった本当の理由、だって? [東日本大震災]

メルトダウンを防げなかった本当の理由
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?ST=rebuild

──福島第一原子力発電所事故の核心

  2011/12/15
山口栄一=同志社大学 教授,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー


## 上記論文、最後の部分を引用。

その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「知」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。

 それが達成されないのであれば、独占企業に原発の経営は無理だ。

 実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも2つの原子炉を「制御不能」にもちこんでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。みずからが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。

 さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪深い。これは日比野氏の指摘によるものだが、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順であり、何の対策にもなっていない。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。

 この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。

 しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現われた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。

## 以上は本論文の結論部分。



どういう落とし前をつけるのだろう、と、興味津々読みはじめた。


>>>私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現われた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。

これで結論といえるのだろうか?

私たちが今なさねばならない。。の、<私たち>とは誰なのか?を問わなくていいのか?

この筆者には、ヒューマンエラーは絶対に避けられない、いったん事故が発生しても、大災害=大量の人命や資産に被害をもたらさないこと、そうでないシステムは最初から制作しないこと

という基準が念頭にあるのか。きわめて疑わしい。この基準はニッポンの反原発裁判で大昔から指摘されたことである。アカデミーや官僚がそれを無視した(水俣公害と同じ構造である)。

安全~大災害を防止する、という安全論を日本人の常識にするため、それに違反するシステムをつくることを禁じる機関をつくること(国際機関としてもいい。現行の機関はメーカと原発で設けている国のためにある)。

あらたな指針や基準など必要ない。過去の反原発裁判で指摘されたことを見直せばよいのである。過去の反原発裁判でトーデンや学者や、マスメディア、経済団体、政治屋がどうふるまったか、徹底検証すれば答えは見つかる。 裁判資料をすべて公開し、国とトーデンと学者たちがどういう発言をしたか、を徹底検証するのが先である。彼らはこれからも同じ原理で行動する可能性が極めて高いからである。そういう人間を排除、矯正(断種、とはいうまい)しない限り日本(世界)に未来はないのである。これは政治の問題、意思決定の問題であり、こと原発に閉じた問題ではない。


原発問題を、

>福島で、メルトダウンを防げなかった本当の理由

という問題(あの日あの時・問題)とか、メルトダウンを防ぐにはどうすればいいか、よかったか、という問題、あるいは、除染問題、被曝問題、に矮小化させてはならない。 原発とは<本質危険>を内蔵するシステムなのである。原発を禁じる、という原理を持たない人間があれこれ論じても意味はない。上記の問題の存在は、蓋然性の高い問題として反原発裁判のなかですべて主張されていたことだ。
メルトダウンを防げなかった本当の理由とは、原発が存在したこと、だ。危険性がわかっていたにもかかわらず、反対意見を封じ込め、立法、行政、司法機関がぐるになって存在させたことだ。立法行政司法、の思考方法をチェックできる体制にせずに、なにが<理由>か。本来はここに科学者(専門家)が登場すべきだが、金につられて軒並みメルトダウンを起こしてしまったのだ。ジャーナリスチックな発言を繰り返している立花隆、寺島実郎もしかり、晩節を汚してもらいたくないね。
何度も主張していることだが、トーデン、保安院、安全委員会に、なぜ捜査当局は踏み込んで強制調査しないのか。トーデンや経産省(通産省)、メーカ(日米)から、いつ、誰にいくら、金が出ていたかを過去、半世紀追跡調査すれば答えの大半はみつかる。

脱原発をめざす女たちの会 [東日本大震災]

脱原発をめざす女たちの会
http://datsugenfem.web.fc2.com/

http://blog.livedoor.jp/wisteriabook/archives/4882895.html
徹底!脱おとこ 


中継・脱原発をめざす女たちの会
約2時間の決起集会、中継。  必見、必聴耳
http://www.ustream.tv/recorded/18694117
外国語スクリプトをつけて、是非、世界の人々に見てもらいたいものだ。
 
ニッポンの政府と産業は、国民の健康と生活を守るところから、いかに遠いところにいるか、がよく分かる。いや、国民のとりわけ、子供たちの安全と健全な成長などまったく念頭にないのだ(さすがに自分の子供たちを原発のそばに住まわせたい、とはつゆほども思わないだろうが)。つくずく原発とは男どもが作ったものだとおもうと、ある参加者が述べている。まったくそのとおりだ。男どもが己たちのため、カネモーケのために作り、維持し、事故の後でも臆面もなく守っている。言葉に窮すと逃げる、隠れる、開き直る。
 

 
時間のない男どもは、集会の最後、2:10ごろ登壇する吉武輝子(病院から抜け出てきた)の叫び、日本の男は、後始末をしない!原発の後始末をしない!戦争の後始末をしない!。。。だけでも、瞑目し、耳を研ぎ澄ませて聞くべきだろう。

2011-11-23 脱原発をめざす女たちの会 キックオフ集会 (1/5)
http://www.youtube.com/watch?v=SL2fTE6FDyg

収束の論理   クールかも [東日本大震災]

 テプコ111217_1228~01.jpg毎日新聞
State of Cold Shutdown: Hosono Says "No One Knows Where the Fuel Is, But I'm Confident It is Cooled"
...細野環境相は「どこに燃料があるのか、原子炉をあけてみなければ誰もわからない」と不安な部分ものぞかせたものの 野田首相に続いて、冷温停止という認識を再確認。 「燃料の場所がどこにあるにしても、冷却されているという状態」 と述べた。
http://www.tokyoprogressive.org/node/10221/feed-items


砂浜の建屋ついに手つかずの炉心燃料だあれも気にしていないから  
三陸の津波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら
思い出の一つのようでそのままにしておく建屋天井の破壊  
大きければいよいよ鬱なる気分汚染物ドラム缶排水タンク
ガイガーカウンタを子に当てるデジタル表示をふと見るそしてつくづくと見る
「もう電話するな」「待ってろ」いつもいつも命令形で商売TEPCO君
落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、放射能が欲し
「寒いね」と話しかければ「死のうか」と答える人のいるあたたかさ
金だよ金と歌う歌手がいて言ってくれるじゃないのと聴いてみた 
http://www.at-douga.com/?p=4512
たっぷりと君に抱かれているような収束宣言あたらしき冬がくる
潮風に放射能がふいに舞う 抱いてあたしを貝殻になるから
「フクシマで働けよ」だなんて防護服2着で言ってしまっていいの
核という三百六十五面体ぶんぶん分裂して飛んでゆけ宇宙の果てまで
今日までに俺たちがついた嘘なんてどうでもいいよというムラ住民
仮設住宅コーヒーの香りたてながら受験問題子らは解きおり
親は子を育てるものよ言うけれど何食べさせればええんかいの赤い畑のトマト
ゆく河の流れを何にたとえてもたとえきれない保安院はどこへいったの
「冷温停止、んで、収束。いいかな?」と首相が言ったから12月16日は冷感症記念日
なんでもない発表なんでもない言語思考膿漏記者の笑顔があどけないインクの悪臭
さくらさくらさくら咲き爆発し夏が過ぎ秋が来て冬も来たなにもなかったような列島
「ムラ住民は甘えんぼうでぐうたらでエンマ様なんとかしてくださいよ」
水平線を見つめて立てる原発の光も消えたり地球の運命
折りたたみ傘をたたんでゆくように今日をたたんで明日を生きたいそんな明日あるの
定期券を持たぬ暮らしを始めれば誰も我を必要としていないことに気づく
立冬のアンビバレンス日記にはただ♂♀誕生死亡そして∞の記号をしるす
「もし」という言葉のうつろ覆水盆に返らず時間の反転ありえぬオハナシ
年下の女に「おまえ」と呼ばれてみたいそんな生活ええなあええだろなあ


保安院 海への汚染水 ゼロ扱い
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011121690070643.html 
まあ環境省保安院だからしゃー無いか。 そのうち、原発事故など無かった! と、いいだすぞ。波
 



大震災と報道:原発対策関連の公文書散逸の恐れ 検証作業の支障に
http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2011/12/17/20111217ddm012040194000c.html
今年3月の福島第1原発事故に伴って政府が設置した「原子力災害対策本部」と「政府・東京電力統合対策室」で、取り扱われる公文書が適切に管理されていない状態が続いている。公文書管理法(今年4月施行)に基づく「ファイル管理簿」も作成されていないなど、同法の趣旨に反する疑いも指摘されている。識者らからは「政府の事故対応の是非を検証するために必要な文書が散逸する恐れがある」と懸念が出ている(以下略)。

そのうち、原発事故など無かった! と、いいだすぞ。波
 


公文書の勝手な処分は犯罪である。これほどの大事故を起こした後であるのに、なぜ、事故直後に、捜査当局は東電や元経産省保安院に踏み込んで関連資料の保全を命じ、あるいは、差し押さえなかったのか。(いまとなっては、とっくに廃棄、処分した後だろう)。事故後の、司法や国会による調査や処分のいい加減さも、世界の笑い者になるだろう。



お口直しにチョコレートボックス 100 Best of my tanka
http://gtpweb.net/twr/sakuhin.htm

笑っていいかい?  元特捜検事が虚偽の捜査報告書…小沢氏側が指摘   [おちょくり]

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111215-OYT1T01056.htm
資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記入)に問われた小沢一郎民主党元代表(69)の公判が15日、東京地裁で開かれ、元東京地検特捜部所属の田代政弘検事(44)が昨年5月、同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)(1審有罪、控訴)を保釈後に再聴取した際、石川被告が述べていない内容を捜査報告書に記載していたことが明らかになった。

 報告書は東京第5検察審査会が小沢被告に対する起訴議決を出す際、審査の対象としていた。今後の公判の行方に影響を及ぼす可能性もある。

 石川被告は昨年1月の逮捕後、田代検事の取り調べを受け、小沢被告の了承を得て政治資金収支報告書に虚偽記入をしたとの供述調書に署名。同年5月17日の任意の再聴取でも同様の内容の調書が作成された。

 この日の証人尋問で、小沢被告の弁護側は、田代検事が作成した同日付の捜査報告書には、石川被告の発言として「検事から、有権者から選ばれた国会議員なのに、ヤクザの手下が親分をかばうようだと言われたことが効いた」などと記載されていると指摘。一方、石川被告が再聴取を隠しどりした録音記録にはそのやり取りがないとして、田代検事を追及した。

 これに対し、田代検事は「数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、勾留中のやり取りなどと記憶が混同した。虚偽ではない」と釈明した。

(2011年12月16日03時08分 読売新聞)


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>数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、勾留中のやり取りなどと記憶が混同した...

よお言うわ。。

これで小澤の<虚偽記載>を裁く、ってんだから。。おい。

ネットで検索したが、讀賣以外は記事にもしていない。こっちのほうがニュース。。。でもないか。検察に都合の悪いことを報道しないマスゴミ。どーする?検察審査会。
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月日は百代の過客にして [diary]

 

「先日、「松尾芭蕉の『奥の細道』のドイツ語訳を読んだが、訳がおかしいのではないか」と、ドイツに住む日本人に言われた。前にも同じことを言っていた人がいた。「やっぱり、分かっているようで分かっていないんですよね」とこんな時によくあるコメントが付く。日本人でなければ日本の古典は本当の意味は分からないという思い込みがあるから、こういう発言が出るのだろうと思う。国外の優れた日本学者たちとつき合ってみれば、この思い込みはすぐにくずれると思う。

 『奥の細道』に話を戻すと、最初の「月日は」の訳がそもそも間違っているとその人は言った。自分で読んだ時には、間違っていると感じた記憶が全くないので、気になって確かめてみた。「月日は百代の過客にして」の月日がSonne und Mondと訳してあるのを見て、その人は、「月日」というのは時間という意味なのに、太陽と月と訳してしまうなんて、初歩的な間違いだ、と言うのである。それが一般的な考え方かもしれない。」



以上、多和田葉子のエッセイ「月の誤訳」の冒頭部分である(単行本『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』2003年、岩波書店、に収録)。

多和田111213_0934~01.jpg




図書館で借り出した『エクソフォニー』を駐車場に止めた車の中で読んだ。タイトルに惹かれてこの短文から読み始めたのだが、引用した冒頭部分を読み、私は深く感動した。


この訳者は<月日>という日本語を知らなかったのだろうか?そんなことはないだろう。われわれが長いドイツ語単語を分解して語源を探るのと同じように、このドイツ人訳者も、月日というコトバを漢字に分解し、通俗的な意味(時間)ではなく、その元の意味(月と日と)に還元して翻訳したに違いない。日と月とは人類始まって以来人間生活の根元、さらにいえば、時間(意識)の根元にあった。

月、とは古語辞典によれば夜空に浮かぶ月、の意味に続いて、「月が全く見えない夜から、次の見えない夜までの期間の称。二十九日間または三十日間で、一年は十二ヶ月または十三ヶ月となる」(岩波古語辞典)。

おなじく日とは、「太陽をいうのが原義。太陽の出ている明るい時間、日中。太陽を出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。。」。


太陽も月もない、どこか遠い星に生活したと仮想しよう。そこではもはや時間は存在しないのである。


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

奥の細道、この冒頭の一句、上は李白の漢詩(夫レ天地ハ万物ノ逆旅、光陰ハ百代ノ過客。。。)を踏まえ、下は来ては去り去っては来る年々をいう、と現代語訳は云う。李白の詩を、「宇宙空間(天地)は万物の容れもの、時間(光陰、日と月と。月日)は永遠に留まることのない旅を続ける旅客である」と解してもわかったようでわからないという気分が残る。空間も時間も科学用語、つまり、わからないことをわかったような気にさせる気休め言葉にしかすぎない。

「時間とは何か?人が私に問わなければ、私はそれを知っている。問うひとに説明しようとすれば私はもはやそれを知っていない」 アウグスティヌス


多和田葉子は上の引用に続けて次のように云う。

「。。。この『奥の細道』のドイツ語訳は美しい。しばらく考えているうちに、こんな気もしてきた。中世の人間が「月日」と言ったとき、実際の太陽が出て沈み、月が出て沈む情景が、比喩としてではなく、具体的な生活感覚としてあったのではないか。わたしのようにコンピュータのスクリーンの隅に出た数字を見て、今日は五月十八日か、と思ったり、もう十時か、と思ったりするのとは全然違う。もちろん、太陽や月が現代もないわけではないが、時間を計る道具ではなくなっているので、月日というのが、一種の比喩になってしまったと言うことができるだろう。しかし、誤訳と思われるまでの直訳は、わたしたちを言葉の原点に立ち返らせ、言葉を比喩という老衰から救う役割を果たしてくれることがあるように思う。

 『奥の細道』が「月日」という単語で始まるのが美しいのと同様、そのドイツ語訳がSonne und Mondで始まるのは美しい。Zeit(時間)では抽象的すぎる。。。(以下略)」



月日を、<日と月>の意味に訳したのは訳者の意図的誤訳かもしれない。原文を「ときは百代の過客にして」としてしまっては李白の漢詩ほどの感興も湧かない。ニュートンの運動法則を表現するときに使う宇宙を支配する時間、T(= Time)ではなく、人間生活の染みわたる地上の<とき>を表現するには<月日>でなければならなかったし、これをドイツ語で表すにはSonne und Mondでなければならなかった、翻訳者はそう考えた。

ドイツ語のZeitは、英語のtime と同じく、tide(潮の干満、寄せては返す波)が語源である。潮の干満、つまり潮流は月と太陽が無ければ起こらない。 ゲルマン民族あるいはアングロサクソン族の後裔であっても、コトバの成り立ちに敏感な詩人であるなら、Zeitやtimeの響きから、潮の満ち干を、さらに、月と日を想起するのだろうか。月日、というコトバから日本人が流れゆく時とともに、満ち欠ける月とのぼり沈む太陽を思い浮かべるの、と同じように、である。




追記、12月15日 12:17。

昭和42年に刊行(初版は昭和27年刊)された角川文庫『新訂 おくのほそ道』(訳注:潁原退蔵、 尾形 仂)、冒頭の一句の現代語訳は、
「月日は永遠にとどまることのない旅をつづける旅客であり、この人生を刻む、来ては去り去りては来る年もまた同じく旅人である」
となっている。

今朝チェックしたのだが、平成15年初版刊行の全面改訂版角川文庫『新版 おくの細道』では、この旧訳は次のように変更されている。

「大空を運行する月や日は永遠にとどまることのない旅を続ける旅客であり、この人生を刻む、来ては去り去っては来る年もまた同じく旅人である」

ドイツ語への翻訳者は、この新訳に示される尾形仂の解釈をどこかで知ってそれにならったのだろうか?そうではなく、おそらく独自の解釈により訳したのだろう。

 

さらに追記。12/16 07:50

「おくのほそ道 解釈事典」 東京堂出版(2003)によると。。。

従来は、「月日」を一語と見て、単なる「時間」の意として解釈するものが大勢を占めていたが、近年では「月」「日」の二語に分け、宇宙観にまで及ぶような深い解釈をするもの、もしくはその両方の意味を重ねて読み取る説、などが出ている。

。。。ということらしい。次のブログから(冒頭部分の英訳各種を載せている。有用)。 http://english-sea.at.webry.info/200807/article_21.html ドナルドキーンは、月日をmonths and days と訳しているらしい。月並み。

さらにさらに追記、12/17 12:00

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり

歌人・佐左木幸綱は次のように解している。(『芭蕉の言葉』2005年、から。)

「月も太陽も、歳月もまた旅人である。船頭や馬方のように旅そのものを生きて死んでいく者たちもいる。古人にも旅に生き、旅で死んだ人がたくさんいた。」

と訳し、次のように解釈している。

「月や太陽をはじめ、宇宙のすべては動き続けており、人間をはじめとする地球上の一切も、また旅を本質としている。留まっているものはない。常なるものはない。一切が無常。無常こそが世界の本質である。そういう世界観です」


これにて、打ち止め。決定版、だとおもう。



多和田葉子HP
http://yokotawada.de/japanese-nihongo%e3%80%80%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e


human error by FRYING DUTCHMAN [東日本大震災]

human error by FRYING DUTCHMAN  フライングダッチマン
http://www.at-douga.com/?p=4512

人類ははるか昔
本当の時を奪われたせいで五感が低下し
テレパシーだとか
想念の力とか
今とは想像をはるかに超えた
別の次元のクリエイティブなテクノロジーを
失ってしまったんだよ
いつの時代も毒を盛った悪い奴らがいて
その能力を独占するために
偽物の時間を作り出し
物質に頼る文明を発達させるために
破壊という科学を生み出して
戸惑う人々に対して
自分たちの身勝手な屁理屈を定義付けるために
宗教をあやつり
その裏でエネルギーを牛耳って
経済というお金のシステムを構築してきたかわりに
偉大な能力を失ってしまった
何千年もかけて遺伝子的に記憶障害がおこり
何度も何度も生まれ変わって
完全にその能力を忘れてしまった俺達は
記憶喪失なのだ
四次元の科学や哲学の話で
ファンタジーに興味のない人には
面倒くさがられるけど
まあ要するにお金を儲けるために
メディアを駆使し
人々をコントロールし
だまして
自然を破壊し
無責任に危ないものを一杯作ってきた奴らが
自然を愛し
自然をはぐくんで
自然と共に生活してきた人たちに
永年に渡ってもの凄い苦痛を与えてきた事実が
あきらかになってくると
犠牲になってきた人たちのうえに
電気っていう暮らしがあるんだよ
そして
パンドラの箱の底をのぞくと
太陽光発電だとか
無限エネルギーだとか
自然を壊さなくても
自然を利用した技術が発達してて
今は原発がなくても
十分電気がまかなえる時代なんだよ
しかも低コストで
今ある原発をすべて止めても
水力・火力をフル稼働するだけで
まかなえるんだよ
それを隠してだます理由は
もの凄い利権が絡んでるのさ
カネだよカネ
末期的に気が狂ってるよ こいつらは
原発一基つくるのに
一兆円ほどの援助金が
国から電力会社におりて
電力会社はターゲットを決めて
その土地の人たちに近づいて
カネをばらまくんだよ
おっさんをキャバクラにつれてって
お年寄りは温泉旅行
接待、接待、接待
町が復興するよなんて
子供だましな嘘ついて
反対派・推進派に
人々の心をお金で引き裂いていくマニュアルがあって
海を売った漁師に莫大な漁業権を支払って
安全対策やら
危ない秘密の実験やら
プロパガンダの広告費で
莫大にかかっているそのお金は
みんなの税金だよ
そうやって59基ある日本の原発は
つくられてきたんだよ
体に50個以上の時限爆弾を付けて生活してるのと同じで
一個でも爆発したら
そこにはもう人が住めなくなるし
なんにも生息できなくなって
じわじわと汚染が拡がってく恐ろしいものが
59個あるんだよ
嫌なイメージだけど
核の平和利用の名の下に
日本は核兵器を持ちたいが為に
これだけ強行してつくってきたんだよ
中国電力は
山口県上関町の田ノ浦の
美しい海岸を埋め立てて
これから日本最大級の原発を
2基つくろうとしてて
その対岸に住む祝島の人たちは
30年も反対して
やめてくれって言って
生活をほっぽり出して
必死に食い止めてきてるんだよ
豊かな自然とともに
みんなそこにずっと住んで
生活してるんだぜ
歴史もあって
広大な自然が残ってる
素晴らしいとこなんだぜ
そんなの全部無視して
強行しようとしてるんだぜ
この期に及んで
福島原発とはうちは関係ありませんって言って
毎日工事してるよ
愚かだよねえ
この前地震があった静岡の浜岡原発も
大丈夫っていまだに止めてないし
何が大丈夫?
はぁ?
お前の頭が大丈夫なのかよ?
末期的に気が狂ってるし
宗教よりもキツイ洗脳されてるっていうか
自分たちで安全安全ってほざいてきた
その呪縛にかかってるよね?
ほんとに馬鹿!
でもそんな馬鹿野郎に騙されてきた
俺達も馬鹿野郎だし
完全に罠にはまってるよね
ツイッターやネットで
原発の反対してる人の
揚げ足をとるようなレス多いけど
そんな奴ほど薄っぺらく
何にも実態わかってないし
情けなくなるぜ
そんな君たちも原発を推進するなら
応援するなら
広島・長崎の原爆
第五福竜丸の被爆
1953年 国連で核の平和利用のキャンペーンがはじまり
その裏でソビエトとアメリカが
冷戦下で核開発を競い合って
読売新聞・読売テレビの正力松太郎を介して
アメリカから日本に原発計画がすすめられ
ウランが渡ってきたとこから
日本に原発が誕生し
今に至るまで知ってから話してくれよ
気持ちは変わると思うぜ
原発によって社会全体に影響してる
負の連鎖なんて見えてきたら
吐き気がしちゃうよ!
まともな心を持っていればね
テレビや新聞は騙すために使われてるよ
特に日本はひどいよ
今もテレビの報道機関はひどすぎるね
プルトニウムのプの字がやっと出てきたね
この世で一番危険な物質だよ
福島の3号機は
関西電力の星野監督が出てるCMでもおなじみの
プルサーマルだよ
プルトニウムで発電してるやつさ
星野さんも反省してるかな?
あれが爆発してるんだぜ?
なのに次の日の新聞の一面は
計画停電
プロパガンダだぜ
自分たちの悪事を隠すために
いったいどれだけの人を犠牲にするんだよ
ふざけんな馬鹿野郎!
プルトニウムは放射線とは比べちゃいけないよ
この物質を少しでも吸い込んだら
全ての細胞やられちゃって
遺伝子もぶっ壊されて
再生もできなくなるんだぜ?
それが漏れてるにもかかわらず
長い間プの字に触れない奴らの口癖は
直ちに人体に影響はない
直ちに人体に影響はない
直ちに人体に影響はない
今年の流行語大賞だぜ、まったく
一大殺人集団
組織犯罪だよ
原発に関してだけじゃなくても
しっかり情報が公開されていれば
救えた命はもっとあったはずだよ
テレビ局=原発
このシステムがいかれてるぜ
人の命を何や思てんねん
あほんだら ボケ カス!
まあそうやって嘘つきまくって
人々騙してきた奴らが
今は何をやってるかっていうと
国民のことよりも
責任を逃れるために頭フル回転させて
必死で言い訳を考えてるよ
それが奴らの仕事さ
おかしいよね?
ヒューマンエラーだぜ
もうバレバレだよ
全世界が見てるよ
いま世界中が
この日本に襲ってきた痛みを
日本人がどう乗り越えるか
注目してるよ
日本の若者がどう行動するか
アーティストやミュージシャンが
この痛みをどうアートにして訴えて
思いを込めて乗り越えるのか
世界中のみんなが見てるぜ?
日本は一大事なんだよ
揚げ足を取り合いしてる場合じゃねえんだよ
もう寝てる場合じゃねえんだよ
原発なんてもう時代遅れ
スウェーデンなんて
原発は破滅に向かってるから
原発をやめますか?って
やめたら始めのうちは苦労しますけど?って
国民に真実を話したら
国民はやめようって言って
すでに原発なしでやっていこうとしてるぜ?
日本もとっくに自然エネルギーだけで
やっていけるだけの技術は持ってるんだよ
それを騙して
脅して
隠してるだけ
お金のために
早く気付いておくれよ
どうしてそんな無関心でいてられるのさBaby
青森県六ヶ所村の核の再処理工場には
核の廃棄物用の3000トンのプールがあって
核の廃棄物がそこにあふれてて
埋めきれないから
廃液を海に棄ててるんだぜ?
信じられないだろ
それをみんなに黙ってるんだぜ?
隠してるんだぜ?
その工場が爆発したら
日本どころじゃなくて
地球がつぶれるほどの核が
そこにはあるんだよ
原発に関してだけでも
隠してることは
たっぷりあるんだよ
まだ騙そうとしてる現実が
この前の計画停電さ
あれは国民に
原発が無かったら
不便だとか困るとかって
植えつけて
原発をこれからも維持するために
わざとやってるんだよ
そんなことやったせいで
死人まで出たんだぜ?
そんなことしなくても
オール電化が流行ってるぐらい
日本の電力は有り余ってるんだよ
みんな普通に考えてくれ
日本は温泉大国で
そこらじゅうに温泉があるだろ?
温泉掘って地熱発電もできるんだよ
フィンランドの人たちは
なんで日本は地熱発電しないんだ?って
首を傾げてるよ
日本は島国だから
潮の満ち干きを利用した
無限エネルギーも有効で
開発は進んでるんだよ
送電線ひとつにしても
今使ってる電線は
発電所からそれぞれの
家庭や施設やビルに届くまでに
もの凄い電気を垂れ流してるんだぜ
君の家に届くまでに
もの凄いロスがあるんだよ
今は電気がほとんど漏れない送電線が
すでに日本にはあるんだよ
日本人の技術はすごいんだぜ
一兆円あったら太陽光どんだけつくれるんだよ
なぜそうしないかって?
核兵器とカネだよ
薄汚いカネ
もの凄い利権が絡んでるのさ
それにみんな集ってるの
日本の電力は独占企業で
それ自体が法律違反してるよ
みんな何のために税金払ってるんだよ
カネ カネ カネ カネ カネ
お金も大事だけど
もっと大事なもんあるよね?
そこを忘れちゃいけないよ
お金があっても家は買えるけどHOMEは買えない
時計を買えても時間は買えないし
本を買えても知識は買えない
ベッドを買えても眠りは買えない
医者に診てもらうことはできても病は治らない
電気を買ったら自然が壊れちまったよ
何かしてあげたいけど
お金しか出せなくてモヤモヤしてる人
いっぱいいると思う
お金を出すことは善意で良いことだけど
自分が出したお金がその出したところに
どういう風に使われて
どう人の役に立つのかってまで考えて
義援金を出してる人は少ないね
ただモヤモヤした気持ちを
お金でスッキリさせているだけで
無関心な人多いね
その会社が儲かってるだけかもしれないよ?
だから例えばライバル電力会社とかつくって
京都でいうと
京都中の屋根を太陽光にして
京都なんて100メートルも掘れば
どこでも温泉出てくるし
一家にひと風呂なんて粋じゃない
それで地熱発電にして
地熱は弊害もあるし
そこはみんなで考えてバランスとって
京都はダムもあるし
曇ったって大丈夫
雨なら今ある水力で
これ以上自然を壊さなくても
電力供給できると思わない?
もちろんそれをするには資本が要るし
支援金を募集して
そのお金を具体的にどう使って具現化していくか
プロセスもしっかり公開して
みんなでやっていけたら良いよね
使い道がしっかり公表されて有意義なら
お金を出す価値があると思うよ
義援金詐欺があるぐらいだし
大企業だからって信用しちゃいけないよ
大企業だからこそ上手く誤魔化せるんだよ
こんなこと言いたくないけど
今の日本じゃ情けないけど信用できないね
原発は今まで俺達の暮らしを支えてくれました
今まで実態を知らずにそれを許してきました
本気で原発を設計してきた
その危険性を一番分かってる技術者の人も
俺達が遊んでいる間も
高い給料を貰って
必死に設計してくれたんじゃないかな?
100歩譲って原発に感謝しようって
気持ちはあるんだけど
騙されてきたんだし
やっぱり感謝できないよね?
そして
後の何世代にも渡って
禍根を残す汚れたものを
この国に無責任につくってきた
電力会社
原子力安全保安院
官僚
政府
財界のお偉いさん
大企業
マスメディア
御用学者
そして
それらに関係する奴らの
お金という名の喜劇を
これ以上見るのは悲しすぎますが
この確信犯たちに目を背けずに
真実の目でしっかりと追究し
これからどこへ向かっていくべきなのか
真実を知ろうとする気持ちがあれば
クリエイティブなイメージが生まれ
具体的な提案を示すことができるし
何千年かけて失ったものを
また何千年かけて取り戻せるきっかけにも
なるはずだよ
とにかくもう
原発は必要ない
これ以上無関心で騙され続けたら破滅するぞ!
電気が足りる足りないの問題じゃねえんだよ!
電気がなくても生きていけるけど
自然が無かったら生きてけないだろ
取り返しのつかないことが
もう既に起こってるんだぜ?
人間のエゴに巻き込まれた
動物や植物たちにも
迷惑どころの話じゃねえし
何が一番かわいそうかって?
子供が一番かわいそうだろ
俺達の未来なんだぞ
守ってやれなくてどうするんだよ
50年 100年 200年後の世代に
今の俺達のこの時代を
ヒットラーって呼ばれてもおかしくないぜ
みんなが事実の裏に隠された真実を見れば
武器なんて物騒なもん持たなくても
一撃で世の中ひっくり返るんだよ!
どんなに遠回りしたって
何度生まれ変わったって
目指すところはひとつさ
愛だろ?
愛だろ? 愛
きれいごとでもねえし
照れてる場合じゃねえんだよ
LOVEなんだよ
愛なんだよ
LOVEって言ってみろ
愛って言ってみろ
愛って言ってみろ、バカヤロー
だからバカヤローって叫ぶんだ
バカヤロー
バカヤロー
バカヤロー
バッカヤロー
バカヤロー
バカヤロー
さあ立ち上がれ
声をあげろ
原発 絶対反対!
原発 絶対反対!
原発 絶対反対!
原発 絶対反対!
ただちに撤廃せよ

出典:FRYING DUTCHMAN(フライングダッチマン)公式サイト
http://fryingdutchman.jp/





友人が教えてくれた。大流行の兆し、とか。

エネチケは目ざとい、FRYING DUTCHMANに、急遽、紅白歌合戦出演を依頼中、という、白組。紅組からは中野剛志(国力論者、反・脱原発論者)に登場させ、反・反原発ソングを歌わせる計画とか(女装、である)。歌のお終いに、中野が感極まって泣きだす、という趣向。カラオケ


脱原発・電力自由化論議は国家安全保障観が欠落【中野剛志】
http://www.youtube.com/watch?v=jSMZYc0PG9o

若手現役経産官僚の中野剛志、開き直りの誤解と偏見に満ちた暴論を開陳
http://www.freeml.com/bl/8513681/29894/

中野はTPP反対の急先鋒、だという。元・経産省官僚の科学オンチでも<国力>を論じたり、TPPには反対できるようだ。しかし上記(youtube)の発言から分かるように中野には<安全性工学>に関する知識がゼロに等しいことがわかる(加藤尚武『災害論』でなされている程度の常識も)。言論の自由を享受できるニッポンではこの程度の官僚・学者でも専門家扱いである。 エディンバラ大学から博士号を授与されている、とか。


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今も昔も [東日本大震災]

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今週の本棚(毎日新聞・書評欄):池内紀・評 『「写真週報」…』=保阪正康・監修、太平洋戦争研究会・著

書評の最後はこうなっている:

「... 政府・軍部のプロパガンダが成功したのだろうか? 多少の効果はあったかもしれないが、もっと根の深いことがあずかっていたような気がする。国民のおおかたにとって戦場は海の彼方であり、惨憺(さんたん)たる現場を知らずにいられた。大本営発表がうさんくさいとわかっていても、当局の発表する写真によって現実に直面しなくてすむのである。見たくないものは見ず、聞きたくないものには耳をふさいで、どんなに空疎であれ、スローガンを受け入れておく。そんな処世術的ズルさ。フクシマの原発事故以後の経過にてらしても、日本人は少しも変わっていないのではあるまいか。

 それにしても皮肉なことだ。「大東亜戦争一周年」記念号は「わが国グラフ誌初」のオフセットを採用、■■■■が表紙になった。画期的な鮮明さを誇る新しい印刷技術が、子供のおもちゃのような勲章で飾り立て、多少ともバツの悪げな中年男を写している。このような人物をリーダーにいただいていたのである。」




残念なことに、自宅に配られた本日の毎日新聞、■■■■が印刷の乱れで読めない。(ネットで読んでも文字の乱れで、読めないはずだ、多分。前後関係からすると■■■■だと思うのだが。。) いや、読みたくないから■■■■に見えるかも知れない。

書評者は、
見たくないものは見ず、聞きたくないものには耳をふさいで、どんなに空疎であれ、スローガンを受け入れておく。。
。。と言っている。違うだろう?一般国民が見ようとし、知ろうとし、知らせようとしても、隠され、虚偽情報を流したヤツがいるのじゃないか?という疑問をもたず、追求もせず、挙げ句の果てに、国民に<知ろうとしなかった>、と、その責任をなすりつける奴らがいる(一億総懺悔、っちいいます)、ってことよ。原発、TPP、沖縄基地、。。。マスゴミは国家官僚にひれ伏し、国民にたいする事実隠しの片棒を担いできた。戦前に比べ、戦後、(メディアが)真実を知らせないことの犯罪性は一層大きいのだ。権力に恫喝されるのではなく、自ら率先して大股を開いて、企業&官僚にひれ伏す現在のマスゴミの状況を知っておれば、戦前の<事実隠し>など可愛いもの、まったく驚くに足らない。

「。。 プロパガンダ用であれば人のよろこびそうなことは派手にのせるが、政府や軍部に不都合なことはゴマかし、すりかえ、隠す。「今次の事件発生以来撃墜した敵機数は関東軍の発表によると7月4日までに合計は336機にのぼり……。。」
一九三九年に満蒙国境で起きた「ノモンハン事件」をめぐり、『写真週報』は戦果を誇示しているが、実際は莫大(ばくだい)な損害を受けていた。国民が事実を知ったのは、ようやく戦後になってのことである。

十五年戦争の事実を、国家(政府、軍部、天皇)は国民(あるいは、国会)に説明、報告したことがあったか?報告書を書いたか?

##


ああ、今も昔も。。。と、寝起きのワタクシのアタマはクラクラっといたしました、でありますんよ。いい気分(温泉)
戦後は戦前、戦前は戦後。


このような人物をリーダーにいただいていた...


リーダーじゃないだろ?使い捨ての駒だろ?
悪い奴ほどよく眠る。


嗚呼、昔も今も。


###### http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20111127ddm015070007000c.html



今週の本棚:池内紀・評 『「写真週報」…』=保阪正康・監修、太平洋戦争研究会・著
 ◇池内紀(おさむ)・評 『「写真週報」に見る戦時下の日本』
 (世界文化社・2625円)

 ◇国民を誘導したプロパガンダの記録
 昭和十三年(一九三八)二月、一つの雑誌が創刊された。大判で本文二四ページ、そのうちの八ページは写真、発行は内閣情報部、のちに情報局に移行。最終号は昭和二十年(一九四五)七月の三七四・三七五合併号。

 興味深い試みである。政府また軍部直々(じきじき)のプロパガンダ誌を通して、日中戦争から太平洋戦争にわたる「戦時下の日本」を見ようというのだ。そのための資料を相手がどっさり取りそろえてくれた。それは戦時下の日本と日本人を伝えるとともに、当の発行者が何を国民に求め、いかなる誘導を図ったかを色こくとどめている。

 ほぼ全号の表紙をズラリと掲げるかたわら、1938年~日米開戦、1942~1943年、1944年~終戦までの三部構成をとり、それぞれの冒頭に手引きにあたる「時代の背景を読む」をつけた。前線、銃後、海の彼方(かなた)、子供、学生、中国……テーマ別に写真を再編して、コメントを添えていく。

 「一億、今ぞ敵は米英だ!」

 日米開戦を伝える第一九九号は丸ごと復刻。戦線の拡大とともに新しい項目が入ってくる。捕虜、アジア、大東亜共栄圏……。つかのまの勝利がなだれを打つような敗勢へうつると玉砕、空襲、神風、特攻が加わってきた。広告ページの紹介、戦中用語の解説、永井荷風の『断腸亭日乗』などに見る時代証言など、入念な編集のもとに貴重な歴史記録がよみがえった。

 内閣情報部は何から国民誘導のためのグラフ雑誌を思いついたのだろう? 考えられるのは日独防共協定で結ばれていたナチス・ドイツの先例である。プロパガンダ大臣ゲッベルスを中心にして活発なメディア作戦を展開していた。内閣情報部が情報局に移行したのは、各省庁にちらばっていた情報部門を統合して、啓蒙(けいもう)活動だけでなく、新聞、出版、映画などの発禁、禁止処分にあたらせたせいだが、それはナチスの国民啓蒙・情報宣伝省と瓜(うり)二つである。違いといえば日本には、ゲッベルスのような天才的なメディア戦略家がいなかったことだろう。

 プロパガンダ用であれば人のよろこびそうなことは派手にのせるが、政府や軍部に不都合なことはゴマかし、すりかえ、隠す。「今次の事件発生以来撃墜した敵機数は関東軍の発表によると7月4日までに合計は336機にのぼり……」

 一九三九年に満蒙国境で起きた「ノモンハン事件」をめぐり、『写真週報』は戦果を誇示しているが、実際は莫大(ばくだい)な損害を受けていた。国民が事実を知ったのは、ようやく戦後になってのことである。

 特攻こと「特別攻撃隊」は敗色濃厚となってから編成されたと思われているが、真珠湾奇襲攻撃から三カ月あまりのちに特殊潜航艇で戦死した九人が「純忠比なし軍神九柱」としてページを飾っている。兵士は死ぬためにあり、死ねば軍神のプログラムが当初からあったわけだ。

 毎号表紙ウラに「時の立札」と題してスローガンが掲げてあった。一九四五年の新年号が背水の陣を訴えている。「戦いのきびしさはいやつのるとも くじけんや、われらの戦意 すでにして一億神風と化す」

 戦うにも物資乏しく、食料にもこと欠いている。飛行機の燃料に松の根からとれる「松根油」増産が号令され、いたるところの松林が根こそぎ姿を消した。

 政治学では「ユーフェミズム」というが、遠まわしの言い方で事実を見えないようにする。軍部はそれを多用した。どこから見ても戦争なのに「支那事変」といいつづけ、追い立てられても「転進」である。戦時だけにかぎらなかった。知られるとおり敗戦は「終戦」になり、占領軍は「進駐軍」にすりかわった。

 いま若い人には、写真入りのおとぎばなしを見ているように思えるかもしれない。学校でアメリカの広大なカリフォルニア油田を学んだはずの大人たちが、嬉々(きき)として松の根を掘り出している。どうしてこのようなフシギがあり得たのだろう?

 政府・軍部のプロパガンダが成功したのだろうか? 多少の効果はあったかもしれないが、もっと根の深いことがあずかっていたような気がする。国民のおおかたにとって戦場は海の彼方であり、惨憺(さんたん)たる現場を知らずにいられた。大本営発表がうさんくさいとわかっていても、当局の発表する写真によって現実に直面しなくてすむのである。見たくないものは見ず、聞きたくないものには耳をふさいで、どんなに空疎であれ、スローガンを受け入れておく。そんな処世術的ズルさ。フクシマの原発事故以後の経過にてらしても、日本人は少しも変わっていないのではあるまいか。

 それにしても皮肉なことだ。「大東亜戦争一周年」記念号は「わが国グラフ誌初」のオフセットを採用、東條首相が表紙になった。画期的な鮮明さを誇る新しい印刷技術が、子供のおもちゃのような勲章で飾り立て、多少ともバツの悪げな中年男を写している。このような人物をリーダーにいただいていたのである。

毎日新聞 2011年11月27日 東京朝刊


久し振りに、『福沢諭吉の真実』 [福澤諭吉]

久し振りに検索、<福沢諭吉の真実>。ブログいくつか。


http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200701300000/
古井戸が木っ端みじんになっている(vs平山洋)、のだそうだ。


http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2008/05/blog-post.html


http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/recommend/genre5/hirayama.htm
。。。平山洋からのメールを掲載している。このメールを取っ掛かりにして、反論しておこう(私の過去のブログ内容から一歩も出ていない主張の繰り返しであるが)。

平川洋メールから抜粋:

1>最終段落にある疑問については、すでに数名の方から寄せられております。「そんなに石河が嫌ならなぜクビにしなかったのか?」という点は、拙著の最大の弱点にして安川さんらの最後の攻撃拠点とでもいうべき疑問でしょう。

その大まかな答えは拙著179ページ以降に書きましたが、やはり釈然とはしないかもしれません。福沢は時事新報をビジネスでやっているのであり、もしもっと理想主義的な主筆を迎えたら、発行部数が落ちる、ということを懸念したのかもしれません。石河の時局迎合性のセンスは誰もが認める(福沢も、私も)ところであったのです。

2>福沢としては、自分で全集も作ってしまったことでもあり、まさか石河が自分の死後、己を騙ってあんなことをするとは思っていなかったのでしょう。悪知恵の働かせようは、石河は福沢より一枚も二枚も上手であったのです。

3>かくして、「時事新報論集」における福沢真筆の発掘は、新約聖書におけるQ資料の探求のようになってしまったのでした。キリスト教になぞらえるなら、石河はローマに迎合した(と言ってしまうのは気が引けるが)パウロのようなもので、私はルターのような役割ともいえましょう。



## 以下、コメント。

2の、福沢真筆の発掘は、Q資料の探求のようなもの、と言っているのはビックリ仰天。Q資料はイエス刑死後の伝承を記録したものである。イエスがQ資料を読んで承認した、というものではもちろん、ない(イエスがQ資料作成と同時代に生きており、そのQ資料の内容をチェックした、というのなら別。福沢は社説の内容を読んでおり、社説執筆者は福沢の主張・持論は十分に理解していた、というのが私の理解。ルッターは私の理解ではドイツ語翻訳を行っただけ、であり、新約聖書の成立過程を吟味し、原典批判を(たとえば、わが国の田川建三のように)行ってはいないはずである。ところが、石河真筆!なる社説は福沢が読んでいたはずである。仮に一部しか読んでいないとしても、時事新報の社主は福沢であり、その社説は時事新報の意見、さらにいえば、福沢の意見である、と読者は想定しているはずである。そうでない、というなら誰の意見、執筆者は誰だと、読者は思っていたのだろうか。死後になって、あの社説(後期の時事新報)は福沢の意見に真っ向対立するものでありました!などという推論はジャーナリスト=福沢を侮辱しているのである。(福沢が惚けていなければ、である。呆けた人間が、日清戦争に多額の義捐金を出すのか?日清戦争勝利を欣快欣快、と叫ぶのか?(彼の手紙))西欧化、が福沢の立脚点であり、明治にあって帝国主義的対外進出こそが福沢の存在価値であることは、福沢ファン=平山洋ならとっくに承知しているはずである。

多くのブログが、社説、と、社主=福沢、それに、社説記者の関係を認識していない。社説を担当した記者が福沢以外であっても、福沢の意見と真反対の意見(婦人の道徳、とか、商売の心得、といった内容ではない。半島出兵、対清国戦争をおこなうかどうか、という意見だ)を掲載する、そしてそれを読者が読むのを放置する、という社主がいる、それが福沢である、とでもいうのだろうか?

すくなくとも、同時代の読者は時事新報社説は福沢の意見(筆者が誰であっても)であることを疑っていなかった。そして、福沢もそれを(そういう読者の認識を)了解していた。<- これを了解するのかしないのか、ということだ。

平山洋は、私のブログへのコメントで、日清戦争は侵略戦争ではなかった、普通の戦争であった、と述べている。これに対して私は、普通の戦争であれば(半ばはそうであろう、その当時の常識では。福沢は常識に棹さす主筆であった、ということ)、その戦争を支持するのは特段愛国者でなくとも、国民として当然の義務ではないか?であれば、戦争昂揚の記事を書き続けた石河こそ賞賛されるべきなのではないか(他の誰より、この戦争を普通の戦争という平山洋はなぜ石河を賞賛しないのだろうか?)、と疑問を呈したのだが平山洋は応えていない。 それとも、<あの戦争は日本が乗り出すべきでない帝国主義戦争、侵略戦争であった、それを言葉を連ねて支持した石河は許されざる存在だ>というふうに、平山洋は立場を変えたのだろうか?石河の社説を黙認した主筆・ジャーナリスト=福沢の態度は許されるのか?明治の時事新報社説の読者はダマされたのだろうか(昭和の岩波版福沢全集読者に至るまで)?読者が読むのは文字、であり、主張のハズである。石河がどのような主張を繰り広げようと言論の自由の下の行為であり非難されるいわれはない。福沢の主張と異なった主張を繰り広げようとそのゆえをもって非難されるものでもない(福沢の主張と異なるのであれば解雇すべきである。この点に関し、平川洋は弁護しているようだが私は未読。いずれにしても戦争支持の社説を書いたという石河を、その内容をもって非難するのは大間違いであろう)。讀賣新聞社説筆者が、ナベツネの主張をねじ曲げて社説を書いたことをもって、筆者を非難できるのはナベツネのみ(社内規則により処罰しようとそれは讀賣内部の問題である。ハナハダ問題のある社則であるが讀賣ならありうることだ)、であり、読者はあずかり知らぬことである。

平山洋の『福沢諭吉の真実』は、あとがきで、「福沢は、帝国主義的・侵略主義者か、市民的民主主義者か、という問い」を立てている。私は最初にこのあとがきを読んでぶっ飛んだのだ。対外的には帝国主義、対内的には民主主義者、というのは19世紀の西欧諸国(大英帝国に典型的)のジョーシキではないか。

戦後、発見された脱亜論として有名になった社説は福沢真筆であった、と不承不承、了承した平山洋は、この社説は発表された当時はまったく注目されなかった、と正直に書いている。注目されないのも当然だろう。朝鮮に見切りをつけた(ゆえに、武力進出を推進せよ!)のは、彼の従来の主張である半島進出(この強硬姿勢ゆえに明治政府から警戒された)なのであり、読者はこれを知っていたはずである。さらに、現在、福沢が策謀に深くコミットした朝鮮改革(クーデターのこと)の失敗、の結果としての脱亜論、であることが明らかにされている。

平成になって、福沢全集のなかの社説に石河幹明執筆のものが混じっている、と騒ぐ方がどうかしている。明治の時事新報読者は誰が書いたか、など意識もしなかった(現在の朝日、毎日、讀賣その他の新聞の読者が社説を何某が書いたか、などあずかり知らぬのとおなじ)。読者は時事新報社説と福沢の意見がまったく異なる、など想像もしていなかったろう(そして、その想像はかなりの確率で正しい、だろう、と私は思う。少なくとも、新約聖書のイエス発言が実際のイエスの発言である、と断じる以上の確信を持って)。内心、福沢がどう思っていたか?そんなことは福沢の墓を掘り起こして本人に尋ねるしかないのである。社説を担当していたのは石河の他数人いたはずである。社説には筆者など明記しないのが常識である(現在でも。筆者は誰か不明だが、讀賣新聞社説に、ナベツネの持論と真反対の内容が掲載される、とでもおもうか?)

福沢は時事新報主筆である。社説に彼の意見が大きく反映していると考えるのが正しいなら、明治の世論をリードした(すくなくともなにがしかの影響を与えた)のが時事新報である限り、筆者が誰であっても「福沢全集」に掲載するのは福沢の影響を知る上で意味のあることだ。実際に起草したのがだれであるか、とは別のことだろう。社説の<真筆>がだれであるのか、は、判明できた範囲で岩波書店のHPで明記しておけばいい話。社説を書くための専担社員(石河ら)がいたのは読者なら承知していたはず(だろう?)だ。社説、とはなにかを知っている者の常識である。半島進出の可否、が社説担当社員と、主筆(福沢)で真っ向対立する、それを主筆福沢が関知していなかった(ジャーナリスト福沢への侮辱)、あるいは、知っていたが放置していた、というのであれば、ニュースである(それを平山洋が特定したのなら平山洋の業績)。すくなくとも、日清戦争終結時までは福沢に身体障害はないはずだから、社主・主筆として社説内容の責任は取らねばならない。残るのは、誰が書いたのかを判定する方法の信頼性である。平山洋は筆者判定に採用した分析方法(井田メソッド)に100%の信頼性をおいている。はたしてそれほどのものなのか?かりに100%石河の筆になるものであったと断定できる(あり得ないことに思える。同じ意味でいわゆる『脱亜論』も100%福澤の真筆、とは断定できないだろう)、としてもこれはいわゆる偽書、ではない。社説の性格上福沢以外が書く機会があるのは当然のことであり、福沢が承認し、同時代の読者は誰が書いたかは問題とはされない(複数の執筆者がいたことを読者は承知しているのだから)。しかし内容は福沢が了承した、と読者はと信じている。わたしは、少なくとも日清戦争終了までは福沢のチェックが入っていたと考えるのが妥当だろうとおもう。

すくなくとも、明治の読者は、時事新報社説を誰の意見だと思って読んだのか?は明らかにする必要がある。主筆は複数存在した、社説はその個別の筆者の意見であり、時事新報社の意見(すなわち、福沢の意見)ではない、と認識していたのか?わたしは、そうではない、時事新報社説=福沢の意見である、と読者は認識していたし、福沢もそれを了解していた、と考える。福沢が社説も読めぬくらいに惚けだした(日清戦争終了前に、だ)、というのであれば、その事実をたとえば医者や家族の証言など添えて明らかにしてもらいたい(平山洋の新著ではこの辺が明らかになっている、と期待する)。黒澤明の『影武者』ではないが、すくなくとも、ジャーナリストが闘い終えて半世紀経過した時点で、真筆が誰であったか!と騒ぎ出すのはミットもないことであるし、<社説の真筆捜し>に対する基本認識が誤っている、とおもう。(日米安保に対するナベツネ=讀賣の論調、とは言うが、社説筆者誰それの持論、とは普通いわないものである。しかし、ナベツネ伝を書こうとするなら讀賣社説の参照は必須な作業だろう、ナベツネ自身は1行も社説を書いていないにせよ)。福沢全集に、時事新報社説として、福沢真筆でないものを含めてヨイのかどうか?これは、たとえば兆民全集、鴎外全集などとは、社説というものの性格上、別の判断が必要ではないか。福沢は主筆(社主)、を死の近くまで名乗っていたはずだ。

平山洋はブログあるいはHPのいずかで、福沢は自分の考えていることと違う内容を意図的に書くことがあった、と述べている。そうなると、たんに別人が書いたから、あるいは当人が書いたから、という事実をもって一律に全集掲載の要否は論じられないことになる。福沢真筆、と判明しても、署名記事でないものは全集から削除、ということもあってよいだろう。平山洋の言うように、福沢真筆でも福沢の言いたいことを意図的に偽って書く場合もある。福沢真筆でなくても福沢思想を体現している書き物もある、ということだ。
 

 
『。。真実』を読むと、石河幹明は日清戦争前の数年戦意高揚記事を社説に書き続けた、らしい(私は読んでいない)、が、このことをもって、福沢が市民的・平和主義者であった(反戦、反侵略論者)などと言えないことは小学生でもわかる。福沢が生きていればこういうだろう。「おいおい、平山君、曲解するのはいい加減にしてくれたまえ。石河君でなく俺が社説を書いたならもっと華麗な筆致で、説得力のある戦意高揚記事を書いたよ、あはは」。あるいは、「いやあ、石河君の草稿を読んだとき、驚いたよ。俺が書いたのか?とオモワズ眼をこすってしもうた。無署名記事だから俺が書いたもの、かどうか100年間は判別できないだろう。内容も俺が書く以上に素晴らしい。。引退してもいいかな、と思ったモンダ」。どちらだろうか?

 
『。。真実』は石河に対する罵詈雑言にあふれており、後半にくると読むのが辛くなる。石河をこき下ろすのは結構だが、それが、福沢護持の意図に反して、贔屓の引き倒しにならないか、と私は案じる。石河の視点にたてば、「俺は先生の鍛錬を受け、先生の意見を代弁しているだけだ」という意識であったのではないか(福沢もそう考えていたろう)。福沢のサジェッションや添削が皆無ではなかったろう。たとえば、ケネディ大統領の演説は全てスピーチライターの代作であるが、スピーチライターが自身の著作集にこの演説を含めることはしまい。ケネディ大統領演説集に当然入れるのである。後世の史家が、文体分析したところ、これはケネディが書いたのではない!スピーチライターがおのれの作品を「大統領演説集」にまぎれこませた!などと非難することは普通、ない。朝日新聞の天声人語は筆者個人の著作として出版することがある。エッセイと社説の違いである。100%福沢真筆のもののみしか福沢全集に入れてはならぬ、という原則をとるならば『脱亜論』をふくめ無署名の記事はすべて全集から削除すべきであろう。<井田メソッド>が現れるまでは誰の真筆か?など、明治の読者だけでなく、石河を含め、その後の誰も考えもしなかったことであろう(ケネディ演説を聴いてライターは誰か、などと詮索しないのと同じ)。「誰の真筆か?」と、石河幹明に(そして福沢に)質しても彼らは質問の意味を解しかねるのではないか。私の推測では、石河自身も多数に及ぶ社説のどれが福沢真筆、どれが石河(のみ、あるいは他の執筆者)の筆になるか、どれを福沢がどの程度筆を入れたのか、はどうでもよかったのではあるまいか。つまり、どの社説も福沢の見解を表明しているという自信があったのではないか。石河が全集編纂時に<井田メソッド>なるものを知悉していたとしても採用しないだろう、と私は思う。福沢の校閲をうけ、福沢の意見をおおよそ表現しているのであれば誰が執筆したかなど問題にならない、と考えたのではないか。福沢が草稿を書かなかった故を持って全集に不採用、などハナから念頭になかったのではないか。このような詮索は歴史家(平山洋)の仕事なのだろう。



上記、すべて従来の私の主張から一歩も出ていない。ブログ記事の繰り返しである。これまでのブログ記事同様、素人の意見として読み捨ててもらって結構。

ケンゾー・タガワという男 [Book_review]

新潮社発行の雑誌「考える人」2010年春季号、特集・はじめて読む聖書、を取り寄せ、田川建三ロングインタビューを読む。

 

高校生の頃に洗礼、家族の影響もあって聖書研究の道を選んだ。。という若い頃。東大で西洋古典哲学を学ぶ。ドイツ留学を試みたが失敗(語学以外の原因)。知人のフランス人神父に「この者は博士論文を書くだけのフランス語能力がある」というウソ紹介状を書いてモライ、パリのストラスブール大学に留学(それまでドイツ語一本だったが、この留学でフランス語の方が楽になった)。新約聖書の権威、トロクメ教授について2年4ヶ月かけて博士論文を書く。この一部を日本語にしたのが『原始キリスト教史の一断面』。

 

日本に帰りICU助手(格下げ人事)。大学紛争の後、追放される。

 

2年間フランス語を教えて食いつないだ後、スイス人新約研究者(教授になった)に拾われゲッチンゲン大学(ドイツ)に。学術助手。2年間勤務。

 

フランス語にもどりたいな~、と思っていた頃、アフリカのザイール大学の教授にならないか、という誘いがあった。トロクメからの紹介。教え子がザイールに帰国して偉くなり、ザイール大学教授職をトロクメに照会してきたのだ。ザイール(現コンゴ)。

 

ザイールの生活は田川に大きく影響を与え、この生活があって初めて『イエスという男』が書けた、と言っている。プチブル・田川建三がほんとうの貧困を知った、という経験。それに帝国主義(=フランス)というものの実態(言語、など)。ローマ(ラテン語)と、ローマの支配地・ヘレニズム世界(ギリシャ語)の関係類推(支配の手段、と言語関係)に役だった。

 

(新約聖書研究者は、すべからく、最低5年のアフリカやアジアの貧困国生活を義務づけたらどーかね?貧困になれ、とも、病人になれ、ともいえぬ、から。凡庸な頭脳では、貧困の実態を体験する以外に新約聖書、ではなく、イエスのいた社会を追体験することはできまい。帝国主義も知らず、奴隷も植民地も知らず、大学、教会での研究・布教生活だけで新約聖書を語るのは無理ダス)

 

ザイールのあと、トロクメに呼ばれストラスブールで客員教授1年。そのあと、大阪女子大学でラテン語、ギリシャ語を教えて(78-99)、定年。現在、私塾で教えながら著作活動。

 

あとは省略。

 

イエス、と、ケンゾー・タガワとの差を考えた。

 

イエスはほとんど貧困といっていい家庭だろう。ケンゾー・タガワは誰が見てもブルジョア(プチブル)出身。若干の才能と根性はあったのだろうが、家産に支えられた研究生活といってヨイ。『イエスという男』初版を私は購入して読んだが、あとがきで田川はこの本の定価が高額になったこと(当時、3000円前後だったか)の言い訳をしていた。印刷などの諸作業を台湾?で行って値段を抑えた、と書いていたと記憶する。『書物としての新約聖書』は定価8000円、現在刊行中の『新約聖書、訳と註』はいずれも6000円前後だ。貧困層はとても購入する気になれない額である。イエスの言行録を必要とするのは生活の安定した新約聖書研究者であり彼らはイエスになろうとはツユほどもおもわない。貧困者はイエスを読む必要もない、イエスにナルのである。

 

研究・著述生活を終えたあと、ああ、オレってつっまんネェ仕事してきたのぅ。。と呟いてくたばって欲しい。

<...この世でもし誰かが祝福されるとすれば、貧困にあえぐ者を除いて誰が祝福されるというのか。この言葉には、そのようなイエスの思い、私の言葉で言えば逆説的反抗者としてのイエスの思いがこもっている。>(ケンゾー・タガワの発言、ロングインタビューから)

 

幸い 貧しき者


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